496話 「サリータン・シルバネイドグレイズ〈君想う錦の銀麗装〉」
「さて、聞く状態にはなったようだな。改めて言おう。今日からオレがボスだ」
アンシュラオンがそう言っても誰も口を開かない。
今までのことで怖気づいてしまったのだろうか?
否、そんな軟弱者はここにはいない。
彼らはアンシュラオンの強さに魅了されていたのだ。
だから、こうなる。
「へへへ、たまんねぇな。こんなすげぇやつは初めて見たぁ。いいぜ、おらぁよぉ、今ここで死んだってなぁ!!」
刀をぶら下げている角刈りの男が前に出る。
刀といっても太刀ではなく、いわゆる『ポン刀』と呼ばれるもので、ドスのように鞘が木製になっている『白鞘』のものだ。
はだけた着流しに腹に巻いたサラシ、白鞘のポン刀、劇画に出てきてもおかしくない角刈りで堀の深い顔。
これで刺青でもあったら日本のステレオタイプのヤクザである。
「そこの角刈り、列に戻れ」
「へへ、嫌だね」
「死にたいのか?」
「そりゃ願ったり叶ったりだぜ!! いやぁ、すげぇよ、こりゃぁよぉ! こんな上玉やれるなんてよぉ! 最高じゃねぇかよぉお!!」
角刈りの男が興奮しながら腰にあるポン刀を掴み、じりじりとアンシュラオンに迫り寄る。
その目は明らかに血走っており、最高級ステーキを前にした空腹の遭難者のようだ。
「ちょ、ちょっと待つっす! ここはそういう場じゃないっす!」
何を思ったのかモヒカンが止めに入る。
いつもは怯えるだけの男だが、事がスレイブの契約問題なので、ついつい出てきてしまったのだろう。
だが、それは完全に油断。
ここが【表】だと錯覚している人間が犯すミスである。
次の瞬間、激しい火花が散り、視界が真っ白に染まる。
「は、はひ?」
目の前にいたモヒカンでさえ、何が起こったのかわからなかったようだ。
あまりの速度に常人では理解不能な領域での出来事だったからだ。
見ると、角刈りの男が一瞬で抜いたポン刀を、アンシュラオンが指で受け止めていた。
相手はバリバリ全開の剣気を放出していたが、それを最小限の戦刃だけで防いでいる。
「へへ、へへへ! やっぱりすげぇえ!!」
「狂犬は頭が悪くて困る。モヒカンは下がっていろ。邪魔だ」
「…ぁあ……りょ、了解…っす」
ようやく自分が斬られそうになったことがわかったのだろう。
顔を真っ青にしながら這いずるように逃げていく。
アンシュラオンは、刀を受け止めたまま周囲を見回す。
少なくともポン刀の角刈りと、最初に並んでいた三人はやる気満々らしい。
これだけの実力差を見せられても噛みつくイカれた連中だからこそ、裏スレイブには価値があるのだ。
「どうやら我慢できないやつらが、ほかにもいるようだな。いいだろう。戦いたいやつ全員の相手をしてやる。ただし、オレが勝ったら言うことを聞いてもらうぞ」
こうなれば話は簡単である。
言葉を解しない狂犬は、魔獣と同じく殴って立場を理解させるだけだ。
「どうする? 全員同時でもかまわないぞ?」
「誰にも渡さねぇえ!! おらぁがもらうぜ!!」
角刈りの男が、いま一度刀を振り払って仕切り直そうとした瞬間だった。
ものすごい勢いで横に吹っ飛び、何十メートルも先の壁に激突する。
「貴様ごときが生意気な口を叩ける御方ではない。身の程を知れ」
そこには『銀の左盾』を展開させたサリータがいた。
横から体当たりをして角刈りの男を吹っ飛ばしたのだ。
他の女性たちも臨戦態勢に入っており、殺気剥き出しの戦罪者たちの前に立ち塞がっている。
ベ・ヴェルは、身長三メートル半の大男。
ユキネは、槍を持った天蓋の男。
ホロロは、ニヤニヤと笑う男。
サナを囲んで守るようにアーパム戦隊のメンバーが反応していた。
「師匠、こいつらの相手は自分たちにお任せください」
「アンシュラオンが出る必要もない相手さ。あたしらで十分だよ。サナも下がってな」
「それもそうだな。では、任せる。サナ、見物といこうか」
「…こくり」
アンシュラオンとサナの実力はすでにわかっているので、いまさら戦う必要性はない。
それより戦隊のメンバーが、どれだけ戦罪者と戦えるかのほうに興味がある。(特にサリータとベ・ヴェル)
「ちっ、いきなりやってくれたじゃねえか」
壁からずり落ちた角刈りが、目に怒りの炎を滾らせて戻ってきた。
サリータの体当たりをくらっても気絶しないだけの実力がある証拠だ。
「お前の相手は自分がやってやる。だが、加減はできん。死んでも文句を言うなよ」
「女がよぉお! 言ってくれるなぁあああ!!」
男は一気に間合いを詰めて、剣撃のラッシュを見舞ってきた。
斬る、斬る、斬る!
防御などまったく考えていない様子で、ただひたすらに攻撃を繰り返す。
(攻撃型の剣士か。あれは自己流の太刀筋だな)
我流かつ動きは荒々しく、大振りの一撃もあるので、同じ攻撃型であってもガンプドルフとはレベルが違いすぎる。
だが、剣豪である戦術級魔剣士と一介の戦罪者を比べることのほうが間違っている。
そうした事情を差し引けば、攻撃の迫力はなかなかのものだ。
サリータは銀盾を展開して防御。
攻撃をことごとく防ぐが、斬られた盾の表面が削れて小さな亀裂が入っていく。
この段階で角刈りの男の攻撃力が、低出力アンシュラオンの空点衝に匹敵することがわかった。
特筆すべきは戦気の質である。
同じ剣気でも赤白いアンシュラオンのものとは違い、ドス黒い剣気が放出されている。
(戦気や剣気はその人間を写す鏡、か。こいつのは真っ黒で血に塗れた色だ。さすが裏スレイブだな)
刀自体もすでに多くの血を吸っているのか、刀身がやたら赤黒い。拭いても拭いても赤い色が消えないのだ。まるで怨念かのように。
放出される剣気も、それに呼応したように真っ黒。清々しいまでにドス黒く、暗殺者のファテロナとも似ていない。
さらにひどく歪んでいて、悦びと享楽のみで人を殺してきた者だけが放つ独特の気質を放っている。
男の剣は、殺人剣。
文字通り、人を殺すためだけに剣技を磨いてきた者たちなのだ。
(ポン刀を持っているから、リストにあった『ヤキチ』という男だな。殺した数は二百人以上だったか? 雑魚ばかり殺してきたのかと思っていたが、この感じだと強いやつを狙って殺しているな)
『ポン刀のヤキチ』、それが彼の異名である。
かつては傭兵をやっていたが、依頼されるものは騎士団への襲撃やら敵対組織の壊滅など、裏の仕事ばかりをこなしてきた男だ。
そして、ついに反政府組織の依頼で紛争地域に駐屯している他国軍を襲い、騎士を次々と殺す事件を起こした。
中には名有りの武人もいたようで、その相手を殺したことで有名になったようだ。
当然、他の者も皆殺し。奇襲とはいえ、たった一人で一つの部隊を壊滅させたのだから、その技量は相当なものだろう。
ただし、その時の怪我が原因で追撃部隊によって捕縛。死刑判決を受けるも裏取引で生き延びる。
その後の消息は不明。なぜ東大陸に来たのかも不明。誰の手にも負えない狂犬。それがポン刀のヤキチである。
「うらぁああ!! どうした、防御ばかりかぁ!」
ヤキチが挑発するが、サリータは冷静に盾を修復しながら防御に徹し、相手の様子をうかがっている。
それどころか他の者たちを見る余裕まであった。
大男と殴り合っているベ・ヴェルと、槍の男と凄まじい攻防を繰り広げているユキネに加え、悠然と立っているホロロが視界に入る。
(ホロロ先輩は問題なさそうだな。他の連中をいつでも倒す準備ができている。ベ・ヴェルは遊んでいるようだから大丈夫だろう。ユキネさんの相手が一番危険か)
ホロロは目の前の男と対峙しながらも、いつでも羽根を飛ばせる準備をして戦罪者全員を牽制している。
その気になれば、ヤキチを含めて一瞬のうちに全員を制圧することも可能だろう。
それをしないのは、アンシュラオンが自分たちの戦いを観察しているからだ。
「おらおらおらぁ!!」
「いいかげんにうるさいやつだな。貴様の攻撃なぞ効きはしない」
「へっ、なら全力で叩き斬るだけだぁああ!! 盾ごと真っ二つにしてやんぜ!」
ヤキチが全力の戦気を放出。
赤黒い剣気がさらに膨れ上がり、足を狙ったり手を狙ったり、相手が嫌がりそうなところに猛烈なラッシュを仕掛けてきた。
が、サリータは一歩も動かずに受け止める。
たしかに攻撃力が高いので盾こそ削られるが、圧力はほとんど感じない。
(師匠に鍛錬をつけてもらっているせいだろうか。すべてが子供騙しに見える。動きも無駄が多いだけで遅い)
『本物』を知っているサリータにとって、ヤキチの攻撃は隙だらけだ。
かといって無理に反撃には出ず、安全策を講じて手の内を探る慎重さも併せ持つ。
そして、逆にヤキチを挑発。
「最初の威勢はどこにいった? この程度の力なら雇われてもすぐにクビだぞ。まずはちゃんとした服を着てから来い」
「てめぇええええ!! 本気で殺してやらぁああ!」
ただ刀を振るっていても勝ち目がないと判断したヤキチは、一度ジャンプして後方に着地。
そこから刀を振ると、黒い漆黒の闇が放出された。
剣王技、『暗衝波』。
剣衝の闇属性版であるが、ただでさえ少ない闇属性を持つ人間にしか使えないものなので、なかなかにレアな技である。
銀盾に当たった暗衝波は消滅するものの、周囲に飛び散ってタコ墨のように視界を完全に埋め尽くしてしまう。
攻撃力は通常の剣衝と同じだが、厄介なのはこの『暗闇』の追加効果だ。
敵の視界を奪うことは、奇襲においてもっとも効果的といえる。
(こちとら真正面から戦うだけが能じゃねえんだよ。これで何百人もの武人を倒してきたのさ! てめぇもその一人になりやがれ!!)
ここで逆上して突っかからないのが強い武人の証拠。
このレベル帯になると、しっかりと自分の得意な戦況を生み出すだけの経験値があるものだ。
ヤキチは暗闇の中を素早い忍び足で移動し、サリータの死角に飛び込む。
それから床ごと斬り上げるように身体を回転!
殺人剣、『卑転』。
攻撃のリズムを一気に変えて不意をつく剣王技で、多くの表の武芸者を屠ってきたことから殺人剣に分類されたものである。
完全なる闇に加えて、通常ではありえないアッパーカット型の斬撃。
この攻撃は簡単にはかわせない。
それが普通の相手で、並の存在ならば。
突如ヤキチの身体が浮き上がり、猛烈な勢いで背後に圧される。
その勢いはまったく緩まないまま闇を突き破り、壁に激突!!
「ごっ―――ば!?」
バキンとヤキチの腕と肋骨が折れる音が響く。
しかし、壁に衝突してからも圧力は収まらない。
それどころかさらに強い力によって圧迫され―――破壊!
鋼鉄で作られた壁に大きな亀裂が入って叩き割られ、ヤキチが壁の中に埋まっていく。
押し込んでいるのは、もちろんサリータだ。
「何か小細工をしていたようだが、そんなものには意味がない。目に映るすべてを叩き伏せればよいだけだからな」
サリータにはヤキチの動きは見えていなかった。そんな器用な女性ではない。
ならば、目の前の闇ごと盾で押し返せばいい。
大きな部屋の天井に届くほど肥大化させた銀盾を構え、全力で突撃すれば相手がどこにいようと関係ないのだ。
ヤキチも盾の端に引っ掛かったことでギリギリ致命傷を避けられたが、こうなってしまえば何もできない。
「て……めぇっ……よく……も……―――ぐぎゃっ!!」
サリータが一度引いた盾を―――ドゴーーンッ!!
再び勢いをつけてからの全力体当たり。
その衝撃で亀裂が広がり、ヤキチの身体もさらに奥深くへとめり込んでいく。
今度は位置を調整したので内臓までダメージは及び、臓器の半分が潰れて大量吐血。
その血もドス黒かったが、サリータの盾は穢されることなく銀色に輝いている。
(こいつ…なんて力だ!! 人間のものじゃ…ねえ!)
ヤキチの感想は、まさにその通り。
彼女の瞳が血の色に染まり、左腕の魔石が輝くと同時に、背後に銀色の熊が浮かび上がる。
それは翠清山で戦った三大魔獣にそっくりでありながらも、何倍も美麗な姿をした【銀麗熊】であった。
銀麗熊は、銀色の粒子になってサリータの身体と融合を開始。
粒子が物質化し、まさに戦隊物のヒーローが身にまとう美しくも強靭なる鎧を生み出す。
「感じる! 感じるぞ!! これが師匠の愛なのだ!!」
魔人の庇護を受けている全能感と絶頂が心を焦がし、人を超えた圧倒的な力が湧き上がる。
そして、三度目の体当たりをお見舞い!
巨大な魔獣がその身をぶつけたかの如く、あまりの衝撃に鋼鉄の壁が爆砕しながら大きく陥没。
そんな威力の攻撃を受けてしまったヤキチは、全身の骨が粉々に砕けて失神。
もし彼女があと一歩でも踏み込んでいたら、完全に身体が潰れていただろう。
「弱い犬ほどよく吠える。お前にお似合いの言葉だ。よく覚えておけ」
サリータの魔石、『サリータン・シルバネイドグレイズ〈君想う錦の銀麗装〉』。
錦王熊の圧倒的な防御性能と耐久性を継承しつつ、アンシュラオンの波動を受けてさらに洗練されて昇華。
輝く麗装を身にまとう姿は、まさに銀の麗人と呼ぶに相応しい。
(ヤキチはけっして弱くない。以前のままだったら絶対に勝てない相手だったはずだ。強くなったな)
翠清山前の彼女だったならば、最初の剣撃で盾ごと斬られて終わっていただろう。
しかし、戦気の扱い方を学び魔石の力を得た今、あの程度の敵は物の数ではない。
これがサナを守る盾、サリータ・ケサセリアの真なる力である。




