489話 「ロゼ姉妹 その3『灯台下暗し』」
次は六歳から十歳のスペースに向かう。
その途中でホロロに話しかける。
「セノアはどう?」
「大きな拒絶反応もありませんでしたし、欲望に対しても希薄でした。こちらの動きにも気づいておりません」
「術士の才能があるとはいえ、覚醒していない段階じゃ『羽根』には気づかないよね」
セノアと話している間、ホロロは羽根を刺して彼女の反応をうかがっていた。
人材の審査のように彼女から出る言葉が嘘かどうか、何か心に含むものはないかとテストしていたのだ。
「唯一、力の話題になった時だけ恐怖心が増大しましたが、両親との死別に関わる要素のせいだと思われます」
「まだ小さいから仕方ないね。それでもこれだけしっかりしているんだ。根っこは強い子のような気がするよ。ホロロさんが管理する形でサナ付きのメイドにしようと思うけど、どうかな?」
「かしこまりました。メイドとして恥ずかしくないようにしつけておきます」
「貴重な術者候補だ。無理なくじっくり育てていこう」
ホロロや小百合の能力は、一応は術式のカテゴリーではあるものの、あくまで魔獣由来のスキルである。
ジ・オウンが指摘したように、効果は強力でも通常の術式とは異なる特殊なもので、特定の能力しか発動できない。
一方、セノアは因子を覚醒させれば、さまざまな術を覚えていくことができるだろう。
それらは強力な術式ではないにしても、汎用性においてホロロたちとは異なった部分で役立つに違いない。
何よりもサナと歳が近いことが重要だ。情操教育にも一役買ってくれるはずだ。
(道行く人間を何万と見てきて、初めてまともな術士因子を持つ者を見つけたからな。セノアはかなり貴重な人材だよ)
基本的に術因子は貴重らしく、八割以上が「0」だ。
たまに「0/1」くらいは見かけるが、大半がアイラのように剣士の因子が主軸にあり、術は補佐的なものとして存在しているだけだ。(ファテロナも同じ)
純粋な術士という意味でもセノアは貴重であり、最低でも数万人に一人の逸材といえるだろう。
が、それでも最低限。
これくらいの才能があって、ようやくサナのお付きになれるレベルといえる。
「次はどんな子がいるかな?」
スペースを見て回ると、この年頃の子が一番多く、全員で五十人以上はいるようだ。
アンシュラオンも同年代のサナを選んだように、これくらいの子のほうが制御しやすいので積極的に狙われるのだろう。
まだ自分で何もできず精神的にも未成熟。保護という名目で過剰に甘やかしていれば抵抗も少なく済む。
白スレイブは、実によく出来たシステムだと改めて感心するものだ。
しかしながらその大半は、やはり平凡な一般人だった。
(うーむ、厳選しすぎると数の確保が難しいな。情操教育用ならば、ある程度は妥協してもいいか。魔石次第では化けるかもしれないからな。しかし、セノアが貴重だと知った今、手当たり次第に才能のない人間を採用してもよいものかどうか…)
そんなことを考えながら、いつしか一人の少女の部屋の前に来ていた。
何気なく覗き込むと、中にはクマのヌイグルミを抱きしめて笑っている愛らしい子がいる。
その屈託のない表情に思わず頬が緩む。
(いい笑顔だ。まだ幼いみたいだし、自分の境遇を理解していないのかもしれない。でも、そのほうが幸せだよな。どうせなら絶望よりも希望を持つほうがいい)
サナとは違う意味で元白スレイブであることに悩まないで済むだろう。それは両者にとって幸せに違いない。
そこでふと思い出す。
(あれ? この子って前に見たな。…そうだ。サナを見に行った時にもいた子だ。売れ残っていたのか)
サナの前に一度見ていたことを思い出す。
その際は白スレイブの生活環境のことばかりを考えていたので、あまり気にしなかったが、あのクマのヌイグルミは印象に残っていた。
白スレイブは値段も高く秘匿性も高いので、それほど頻繁に売れるものではない。
ゆえに彼女に魅力がないというわけではない。単に巡り合わせの問題である。
(二回も会うとは縁があるのかな。ちょっと見てみようか)
―――――――――――――――――――――――
名前 :ラノア・ロゼ
レベル:1/50
HP :30/30
BP :10/10
統率:F 体力:F
知力:F 精神:F
魔力:F 攻撃:F
魅力:C 防御:F
工作:F 命中:F
隠密:F 回避:F
【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/4
☆総合:評価外
異名:ヌイグルミ大好き、純真無垢少女
種族:人間
属性:雷
異能:念話、無垢
―――――――――――――――――――――――
「そうだよな。能力のある子なんて、そんなに滅多にいるわけ……」
そう言って進もうとしてからの―――
「イターーーーーーー!!!」
「どわっ、びっくりしたっす!」
いきなりアンシュラオンが叫んだので、モヒカンが驚いて転んだ。
が、それは無視して何度も少女の情報を見る。
もちろん何度見ても、そこに書かれているデータが変わることはない。
「こんなことってあるのか!? 冗談だろう!?」
「いったい何っすか? 急に大声を出して…」
「夢じゃないのか!? そうだ。つねってみよう!」
「いたたたーーーーー! 頬がちぎれるっす!!!」
「夢じゃないのか!! なあ、夢じゃないのか!」
「本当に痛いっす!! 死ぬっすーーーー!」
モヒカンの痛がりようは本物だ。
ならば夢ではないのだろう。
「おいモヒカン、この子は何だ!!」
「うう…痛いっす…」
「おい、こらっ! ばしっ」
「いたーーー!」
「質問に答えろ。この子だ、この子! この子は誰だ!!」
「え!? こ、この子っすか? 『ラーちゃん』っす」
「ラーちゃん? 真実の姿を映す鏡のことか?」
「へ? 何のことっすか?」
「と、お前が知っているわけないか。さっさとこの子の資料を見せろ!」
「ひぃ! これが資料っす!」
「…うむ、たしかにそう書いてあるな。ラーちゃんが名前なのか?」
「はいっす。名前を訊いたらそう答えたので、そのまま書いてあるっす。名前は買い主がまた新しく付けるので不便はないっす」
「まあ、そうだろうが…それよりこの子は『例の妹』じゃないのか?」
「どういうことっすか?」
「さっきのセノアって子の妹の『ラノア』じゃないのか、と訊いているんだ。苗字が同じ…いや、もっと大切な共通点があるじゃないか」
スキルにしっかりと『念話』の文字がある。
名前はたまたま似ている可能性があるが、この単語が加わるだけで揺るぎない証拠が生まれてしまう。
「何のことを言っているかわからないっすが…旦那は術士の因子があるっすから、もしかして何か違うものが見えているっすか?」
モヒカンは本当に困惑した顔で、そう答えるしかなかった。
その様子を見て、なんとなく状況を理解する。
(情報が見えるのはオレだけだ。モヒカンが知らないのも無理はない。だが、同じ建造物にいながらどうして気づかないんだ?)
「セノアとこの子は会ったことがないのか?」
「年齢でエリアを分けているっすからね。基本は別々に管理するっす。変に結託されたら困るっす。資料によれば来た時期も違うみたいっす」
「ラノアはサナの時もいて、セノアが来たのが最近か。なるほど、そういうことか」
答えは実に簡単。二人は別々に保護されたのだ。
まずは一年半前、両親が死んではぐれた直後にラノアが保護され、最近になってからセノアが保護される。(それまでセノアは旅の一団に世話になっていた)
同じ場所に連れてこられたものの、二人が出会うことはないので、お互いにどこにいるかわからない。
年齢が違うので部屋も違い、たまたま見かけることもない。
二人は念話を持っていながらもラノアは要領を得ないので、結局どこにいるかわからず、セノアはひたすら心配し続けることになったのだ。
(奇妙なすれ違いというか灯台下暗しというか、事実は小説より奇なりだな。しかしまあ、考えてみれば絶対にない話じゃない。親が死んでから子供だけで移動してきたのならば、その行動範囲は必然的に限定される。大きく離れることはないだろう)
もともと都市や集落の数が少なく互いに距離が離れているので、結局やってくるところはグラス・ギースかハピ・クジュネなのだ。
善意の保護にせよ悪意の監禁にせよ、そう離れることはない。人間にとっては都市内部が一番安全だからだ。
そして二人は、善とも悪とも知れない不可思議な場所に連れてこられた。
スレイブとは、ある種の【賭け】に似ている。
買い取った人間に自分の人生を託す。
そいつが失敗すれば自分も悲惨な目に遭うが、成功すれば自分も成功できる。
もし買い手の人物が人間を超えた存在だったならば、彼女たちは予想もしない強大な力を得ることになるのだ。
「オレに買われるとは強運だと思わないか?」
「それは間違いないっす。で、この子にするっすか?」
「ああ、さっそく会おう」
セノアの時と同じく術式を解いて中に入る。
ラノアは若草色の髪の毛に金の目をしているので、容姿だけ見ればセノアとはまったく似ていない。
(オレと姉ちゃんはあんなに似ているのに、力が弱いと姉妹でも容姿が違うのが厄介だ。見た目で判断できないもんな)
そうと知ったからか、目や鼻の雰囲気はなんとなく似ているように思えるが、やはり容姿で判断するのは難しい。
容姿が似る場合は大半が『血統遺伝』によるものなので、一般人の場合は似ないことが多いのである。
この点でモヒカンを責めることはできないだろう。
「ラノアちゃん、初めまして」
「んー?」
「オレの名前はアンシュラオンって言うんだ。よろしくね」
「あん…しゅら…おー?」
「はは、それだと馬の名前みたいだな。それもカッコイイけどね」
白馬のアンシュラオー。いそうである。
ちなみに性格は、横暴で凶暴で自分勝手で、到底人間が飼い慣らせるようなものではない。
仮に競走馬にしたら、まずはレース前に有力馬を闇討ちして欠場させてから悠々と優勝するだろう。
「ねぇ、こんなところにいてもつまらないだろう? オレと一緒に来ない? 白馬の王子様が君を連れ出してあげるよ」
「んー」
「どうかな? それとも、あっちのモヒカン馬がいい?」
「あっちは、くさそう」
「臭そう!? ショックっす!」
モヒカンは大ダメージを受ける。
子供は残酷だ。真実ばかりを述べる。
「んーと、えーと」
ラノアは、ヌイグルミを抱きしめながら考えている。
その顔に警戒というものはなく、アンシュラオンを怖れているそぶりもない。
ただ普通に「どうしようかなー」という感じだ。
「何か欲しいものはない? 何でも好きなものを買ってあげるよ」
「んー、なにかほしい? んーと、お水がほしいの?」
そう言うとラノアは水筒から水を出して、ヌイグルミの口にドバドバ投入。
水が染みるのを超えて口から溢れているが、投入をやめない。
「そのお人形さん、お友達かな?」
「うん。クマゾウっていうのー」
「クマゾウか。可愛い名前だね」
「んふふ、そーなのー」
「クマゾウ、苦しくないかな? お水、一杯飲んでるね」
「んー、大丈夫。いつもこれくらいのむから」
「ははは、そうなんだ。かなりのスパルタだね」
(どうやら年齢以上に幼いな。精神年齢は幼稚園生くらいか?)
セノアの話では八歳ということだが、全体的な印象もあいまって五歳児程度に見える。
そのせいでヌイグルミとお友達ごっこをやっていても、まったく違和感がないどころか、とてもよく似合っていた(クマゾウは瀕死)
幼い感じも庇護欲が刺激されて嫌いではないし、無垢な彼女の言動は微笑ましいの一言だ。
「ほかに欲しいものはないかな? 君自身が欲しいものとか」
「んー」
「外に出たくはない? ここより楽しいことがたくさんあると思うよ」
「んー」
反応が芳しくない。
この部屋が快適なのが悪い方向に出ている可能性もあるが、それ以前にアンシュラオン自身もかなり怪しい。
(欲しいものをあげるから一緒に行こうなんて、完全に子供を誘拐するときの台詞だしな。かといって、ほかに常套句があるわけでもないし。…と、常套句か。そういえばもう一つあったな)
「『お姉ちゃん』に会わせてあげるよ。だから一緒に行こう」
家族をダシにするのは誘拐の常套句でもある。
これが一緒に住んでいれば事故に遭ったという台詞も有効だ。
怪しいと思っても「本当だったらどうしよう」という心理が働くため、普段から気をつけていないと対応は難しい。
そして、それはラノアも同じだった。
「ねーねと会う?」
「そうだよ。セノアっていうんだよね? それならばオレの友達さ」
「んー…でも…」
「もしかして、お姉ちゃんに何か言われている?」
「うん」
(念話ができるんだもんな。オレでも安全が保証されているなら『そこでじっとしていなさい』と言うかもしれない)
「そうだ。お姉ちゃんに直接訊いてみたら? それなら安心でしょう?」
「うん。きく」
ここでそう提案すると、ラノアは素直に頷いた。
これは当然、念話のテストをするためだが、ラノアが無警戒のために予想以上に上手く話が進む。
「いまね、しらないひとがきてね…。ん。そう。ん」
(知らない人は…ちょっと傷つくな)
ラノアは念話に夢中になると、会話を口に出してしまう欠点があるようだった。
そこはせめて「格好いいお兄ちゃんが」とか言ってほしいものである。
(うーむ、どんな会話をしているのか気になるな。なんとか聴けないかな? たしかエメラーダとの回線はこうやって―――)
―――〈知らない人についていったら駄目なんだよ〉
―――〈んー。ともだちっていってるよ?〉
―――〈駄目だってば! 危ないんだよ? 何を言われても、そこから出ちゃ駄目だからね!〉
―――〈んー、わかった〉
―――〈ほんと…もう嫌だよ。早く帰りたい。でも、もう家もないし…お父さんたちもいないから…〉
―――〈ねーね、かなしいの?〉
―――〈…私はいいんだよ。でも、ラノアがつらいのは嫌〉
―――〈んー、だいじょうぶ。げんきだよ〉
―――〈そういう元気じゃなくて。…まあいいわ。本当に危ないからね。ついて行ったら駄目だよ。それだけは約束してね〉
―――〈んー、わかったー〉
「ホロロさん、聴こえる?」
「途切れ途切れですが、単語で会話内容は推測できます」
「こっちはほぼ全部聴こえるよ。おそらくは『暗号化』されていないせいだろうね」
テレパシーとは結局のところ、意念を飛ばしているだけだ。
ならば【傍受】も可能。
指向性が強いためにホロロは一部しか聞き取れないが、六翼を広げて本格的に感応波を放射すれば完全に傍受も可能と思われる。
エメラーダからもらった術の教科書も特定のコードがなければ読めないように、機密性の高い情報は暗号化するのが基本なのだが、二人はまだそれを知らないので駄々洩れの状態なのだろう。
(今はまだ無防備だが、暗号化のやり方を覚えれば傍受はしにくくなるはずだ。これは大きな武器になるな)
班を分けた際の連絡係にも使えるし、片方を忍び込ませて情報を盗むこともできる。
仮にこの地域で電話が普及したとしても、声を出さないで使えるのならば需要がなくなるわけではない。むしろ高まるだろう。
改めて距離や精度を測らねばならないが、何のデメリットもなく使えるのならば可能性は無限大だ。
「ホロロさん、セノアを連れてきてもらえる? 妹のことは秘密でね。ああ、念話はさせたままでいいよ。たぶん、あの子は何も言わないと思うから、そのあたりはつっこまないで。ただ連れてくるだけでいいから」
「かしこまりました」
ラノアが話し込んでいる間に、ホロロに頼んでセノアを連れてきてもらう。
二分後。
少し顔が強張っているセノアがやってきた。
まだラノアのことは話していないが、念話で妹の緊急事態を知っているので、気が気でないのだろう。
「やあ、セノア。来てくれてありがとう」
「は、はい」
この位置からではラノアは見えないが、念話は継続中である。
(やはりセノアは念話について慎重だな。それだけオレがまだ信頼されていないということか。会ったばかりなのだから当然だが、力に対しての恐れが強すぎるな。それも含めて面倒を見るか)
そして、ネタばらし。
強張っているセノアに対して、怯えさせないように優しく話しかける。
「君の念話は、しゃべりながらでも使えるみたいだね。実に素晴らしいよ」
「…え?」
「展開している術式の規模からすると、だいたい予想通りの性能だ。あとは距離かな。暗号化も学んだほうがいいが、オレも勉強中だから一緒に学べれば一番だね」
「あ、あの…何を…?」
セノアは、どう言ってよいのかわからないという顔で、アンシュラオンを見つめる。
警戒というよりは、ただただ困惑しているようだ。
「セノア、警戒する理由はわかるよ。君が見ている世界は、きっと綺麗ではないのだろう。汚くて醜くて、死んでしまいたくなるように絶望に満ちているのかもしれない。オレも昔は早く死にたいとばかり思っていたからね」
当然、地球時代の話である。
あの頃はすべてがつまらなくて、毎日「いつ死んでもいい」と思っていた。もっと言えば「早く死にたい」とも思っていたものだ。
それがこんな世界で、しかも腕力も金もない普通の少女ならば、どれほど切実だろうか。
「でも、さっきも言ったように君は幸運を掴んだ。もう弱者の側ではないんだよ。とまあ、オレがいくら言ってもまだ理解はできないだろう。だから実際のメリットを与えようと思う」
そう言って部屋の中に入り、話し込んでいるラノアを抱っこして運んでくる。
念話をしていると熱中するのか、ラノアはまったく抵抗しなかった。
抱かれていることにも気がついていないかもしれない。
(無用心だよな。簡単に捕まるわけだ)
子供なんてそんなものだ。
日本社会とてようやく防犯意識が浸透してきたが、一昔前なんてちょろいものだったはずだ。
そのちょろい荷物をセノアに渡す。
「お嬢さん、約束のものをお届けしますよ」
「っ―――!」
ラノアを見たセノアが驚愕のあまり目を見開く。
実にいいリアクションである。
「先に言っておくけど誤解はしないでほしいな。オレは知らなかったんだ。たまたま人材を探していた途中で見つけたんだからね」
「っ…あっ……あ…あっ……」
「まあまあ、落ち着いて。モヒカン、この子たちを休憩室に連れていくぞ。落ち着くまでゆっくりさせよう」
「了解したっす」
こうしてセノアとラノアの『ロゼ姉妹』は、見事再会を果たすことになる。
たった一つの建造物の中での小さなドラマだったが、当人たちにとっては世界を揺るがす大事件だったに違いない。




