482話 「花咲く術式の世界」
輸送船に戻り、ロリコンたちに数日停泊すると伝えてから、借りた術式の本を夜通し読み耽る。
術式の書物は、それ自体が術式で出来ているから面白かった。
単に文字で書かれているわけではなく、一見すれば白紙のページが並ぶ謎の本なのだが、術士の因子が覚醒していると理解できるようになる仕組みだ。
アンシュラオンは契約の際、読解のための『文字コード』をエメラーダから移植されていたため、それを参照して少しずつ読んでいく。
これがなければ、どんなに素養があっても解読できない二重のロック付きである。
さらにコードにも制限がかけられているため、いきなり後半から読んだり、読み飛ばしたりすることもできなくなっていた。
基礎の公式を一つ一つ理解してから応用問題に挑むように、一歩ずつ進んでいくように作られている。
なぜならば、これが『指導のための書』だからだ。
術式も武術も同じ。
自分がサナたちに対して無理をさせずに少しずつ教え込んでいくように、まずは基礎。ひたすら基礎を身に付けることが肝要なのである。
ただし、一つだけ他者とは異なることがあった。
変化が起きたのは翌朝。
気分転換に輸送船の屋根に出て、空を見上げた時だ。
「あれ…? 目がおかしくなったのかな?」
思わずこすってみるが、開いた瞳は同じ光景を何度も映し出す。
世界が―――輝いている
画像編集ソフトで彩度を一気に上げた時のように、世界の色合いが大きく変化していた。
まず見えたのが、空に広がる緑色の膜。
これはグラス・ギースに張られている防護結界であり、今までも多少ながら視認できたものだ。
それが細部まではっきりと見えているだけにとどまらず、なにやら【数式】まで見えるではないか。
言葉で表現するのが難しいが、パズルのような数式がしっかりと見えるのだ。
さらに目を凝らすと、内部でも違う複雑な方程式が見て取れた。
すでに科学が証明していることであるが、人間の身体一つ、そこらにある物質一つにしても、構成している各種元素が存在し、原子、分子、中性子、陽子、電子と、挙げればきりがないほど細かい要素で成り立っている。
人間には物質が固く感じられても、原子レベルで見れば実際はスカスカなのである。
その中には目に見えない『本質』が躍動しているが、肉眼で見ることは不可能だ。
そして、これらの事象すべてが【自然法則】によって管理され、維持されている。
人間が奇跡や神秘と呼んでいる現象すら、自然法則の範囲内で起こっているものだ。
術士とは、そうした『自然の理』を実際に目で見て感じ取り、干渉することで任意の事象を引き起こす存在を指す。
それもまた別個に干渉するための法則が存在するので、この世界あるいは宇宙は、幾多の無限ともいえる法則が絡み合い、総合的に維持されているといえるだろう。
今度は空だけではなく周囲の物体を見てみるが、やはり同様の現象が起こる。
その結果―――
「目がチカチカして気持ち悪い…頭が痛くなる」
見るものすべてが数式に変化するのだ。これは生物を見ても同じなので、たまったものではない。
仕舞いには、周囲にさまざまな色合いの粒子がまとわりついてくる始末。視界が制限されて何も手が付かない。
すぐにエメラーダのもとに向かい、事情を説明。
彼女とは師弟関係を結んだ契約の力により、術式の回線でも繋がっていた。
たとえれば専用の有線LAN回線で繋がったようなものなので、内容が外に漏れる可能性が限りなくゼロに近いものだ。姉であっても傍受は難しいだろう。
それを使ってアンシュラオンの状態を調べてもらうと―――
「才能がありすぎるのも困るわね」
と、笑われた。
この現象は一気に術士因子が覚醒し、感覚が鋭敏になりすぎたことで起きた事象であり、それもまた才覚がなければできないことらしい。
また、周囲にまとわりつく粒子は『原始精霊』の一種とのこと。
原始精霊とは、自我意識の無い精霊要素の総称であり、上位の精霊が生み出して使役することで自然現象を引き起こしている眷属のようなものだ。
彼らは自然のあらゆる場所にいるので、言ってしまえば星そのものを構成しているのは、この原始精霊の集合体ともいえるわけだ。(霊的な要素でいえば)
(精霊…か。師匠からは教えてもらったけど、これが本物の原始精霊なんだな。属性戦気は合成元素だし、あまり本物を意識したことはなかったよ)
精霊には火水風雷光闇の六属性が存在し、各々の性質に惹かれて自然と集まってくる傾向がある。
アンシュラオンに集まった精霊は『水色』が多く、水の精霊に愛されていることがわかる。
水は知性を尊び、同様に深い愛情を持つ属性だ。
地頭が良く、(主に女性に対する)愛情が深いアンシュラオンには相応しい属性といえる。
「水の原始精霊がいるのなら、ちょうどいいわ。『水玉』を作ってごらんなさい」
「水の基礎術だよね。んと…こうかな」
アンシュラオンが手の平の上で術式を書き込む。
いくつかの数字によって構成された方式が完成し、ソフトボール大の水の塊が生まれた。
水玉は空気中の水分を吸い出して具現化する基礎術で、術士が最初に練習する課題の一つだ。これが風ならば風玉、火なら火玉となる。
水気と違って自らの生体磁気で生み出しているわけではないが、法則の干渉には『魔素』と呼ばれる自然粒子を操る必要があるため、そこでBPを消費するので労力は変わらない。
両者の何が違うかといえば、生体磁気は細胞を介した肉体的要素であり、魔素は精神体を介した精神的要素である点だ。
この世界のデータ上では同じBP消費扱いではあるが、細かく見ると似て非なる要素であることがわかる。
今回の水玉程度ならば、消費はたったの1程度。まさに基礎中の基礎だ。
しかし、アンシュラオンの表情にいつもの余裕はなかった。
「発動に手間取っているようね」
「数字は苦手なんだ。細かい話になると面倒くさくなる」
「理屈が好きだからといって数式が好きとは限らないものね。では、そうね。ちょっと待ってて」
エメラーダが回線経由でアンシュラオンに術式を施すと
数秒後―――世界が【花開く】
至る所に花びらが舞い、豊かな色彩の輝きに満ち溢れた。
見るものすべてが芸術。
生命の光がはっきりと見え、対面しているエメラーダの意識すら輝いて認識できる。
彼女の色合いは赤緑。
同じ緑の中でも濃いものや淡いものが絡み合い、独特な風味を表現していた。
「これは…色?」
「数式を色彩に変化させたのよ」
「そんなことしていいの? 術式は壊れない?」
「所詮は認識過程の問題だもの。結果が同じなら各人の好きなようにしていいのよ。もう一度やってみて」
「えーと、どうやるのかな?」
「イメージでいいわ。あなたがそうしたいと思ったことを『自由に表現』してみて」
「アーティストじゃないんだ。そんな簡単に―――」
アンシュラオンが、何気なく水玉のイメージを練り上げる。
それは「ねぇねぇ、水の玉描いて」「こんな感じ?」と子供にせがまれて、適当に紙の上に書き殴るようなもの。
そんなものでさえ、具現化。
手の平の上で、先ほどよりも大きくて瑞々しい光輝く水玉が出現する。
「え? こんなに簡単でいいの?」
「そのまま維持しながら動かしてごらんなさい」
「動かす? それもイメージ? こう…か?」
遠隔操作と同じく、動かすイメージを浮かべると色彩も変化し、水玉の形も変わっていく。
しばらく続けると自在に動かせるようになり、七色に輝くシャボン玉になった。
「乾かない絵の具みたいだ。これは面白い!!」
「…ふぅ、呆れるほどの処理能力ね。初めてやるにもかかわらず、ほとんど遅延がないわ」
「これって内部では数式が形成されているんだよね?」
「そうよ。意識すれば見えるわ。自分の意思で見え方は調整できるはずよ」
言われた通りに視覚にイメージを送ると、色彩からパズルのような数式に変化した。
単純な色で表現されていても、内部では周囲の法則に手を加えている様子がありありと見て取れる。
プログラムでいえば、自然法則という星全体を管理する基礎エンジンがあり、そこにスクリプトを追加する様子を思い浮かべるとわかりやすい。
基礎がしっかり出来上がっているから、その数式を利用して別ファイルで任意の現象を上書きしていくのだ。
エメラーダが言った術式崩壊とは、追加した数式が乱雑もしくは間違っており、負荷が強まることで自然の基礎エンジンが「エラー」を吐き出す事象に似ている。
「なるほどね。やり方はわかったよ。でも、色のほうが綺麗でいいから戻そう。こっちのほうが楽だ」
「それができるのも才能があるからよ。それだけ演算処理能力が高いの。おそらく因子管理専用に造られた私と同等か、それ以上ね。現段階でそれだもの。さすがとしか言いようがないわ」
パソコンや携帯端末で見るデジタルデータも、人間が親しんでいる十進数とは異なり、「0」と「1」の二進数で表現されている。
このほうが原理が簡単で、電子機器にとっては処理しやすいのだ。
ただし、これを可能にするためには膨大な演算速度が求められる。
人間の頭脳でちんたら計算していれば、一行の文章を表現するだけでも数分はかかるだろう。
一般的な術士も自分なりにさまざまに改良するものの、術の発動速度はお世辞にも速いとはいえない。演算処理に時間がかかるからだ。
それゆえに、ならば術符を使えばよい、と戦場における術士の需要は次第に減っていったのである。
だがしかし、高速の演算処理ができればどうだろう?
アンシュラオンが今やっているように、数式を感性や色彩で表現することも可能となり、術の発動も極めて速くなれば戦いで使うことも容易である。
その過程で膨大な処理が行われているが、アンシュラオンには自動処理してくれる【回路】が組み込まれていた。
「『そのスキル』は、あまりに強力ね。あなたが望めば神にも悪魔にもなれるのよ」
この世界で姉と弟の二人だけが持っているスキル、『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』。
戦士、剣士、術士の因子を最大限まで、一切のロスなく表現することができる【超越スキル】だ。
その三つの因子が『螺旋』を描いて極限まで輝いた時、人は【完全なる光】をまとい【神人】に至る。
「あの白賢人でさえ『現人神』を生み出すことはできなかった。求めても求めても、けっして届かない人類の最終到達地点。あなたの中には、その胚芽が眠っている。まさに人はミニチュアの神ね」
「白賢人って?」
「赤の賢者様が因子改造に長けていたように、白の賢者様は『肉体改造』に長けていたのよ。なぜ人間が今の形をしているのかは知っているわよね?」
「この星の環境条件に一番適しているからだよね?」
「ええ、そうよ。あなたがいた星も似たような環境だったから、四肢と頭を持った形態になったけど、違う星では違う形態になるのが普通。でも、新たな可能性がないかを調べたくなるのが知者の性ってものだわ。白の賢者様も新しい人間の形を探していたみたいね」
「人が今のままってことは、これが地上での最終形態なのかな?」
「かもしれないわね。それこそ叡智の成せる御業だわ。そして、赤と白の力があっても『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』を生み出すことは不可能だと断言できるわ」
「オレのスキルは人工的には造れないってこと?」
「今のところはね。女神様ならご存知かもしれないけれど…」
「人は神の領域に手を出すものじゃない。それはオレが学んだ一つの結論さ。それぞれの身の丈に合った生き方でいいんだよ」
「あなたが言うと、なんだか複雑ね。でも、それが真理なのでしょうね」
こうしてアンシュラオンは、エメラーダの指導の下で急速に術士としての力を覚醒させていった。
それから、たった三日。
男子、三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが、まさにその通り。
すでに一通りの術式をマスターし、『錬成』にまで挑戦を始めたのである。




