448話 「ユキネたちの身請け その1」
ハピ・クジュネの観光区の一角、ホテル街の近くには大きなキャンプ場がある。
ここは主に観光区で活動する大道芸人たちが滞在するエリアで、フリーサイトで自由にテントを張ることができる。
彼らは移動が多いうえに人数もまちまちであるため、資金の問題もあってホテルに泊まることが難しいのが現状だ。
そうした者たちのために用意されたのが、このキャンプ場である。
ハピ・クジュネにとっても街の活気は重要だ。
下手に路上生活をされるよりも、しっかりとした場所を提供することで、お互いにメリットを教授するシステムが出来上がっている。
今日も多くのテントが設置されており、大勢の芸人の姿が見られた。
戦後処理に追われていても彼らには関係がない。逆にそうだからこそ、人々は娯楽を求めるのだ。
そして、その中の一つに、ひときわ大きなテントがあった。
テントというよりはコテージに近く、ぱっと見ると本当に建っているように感じられるが、実際は基礎部分にジョイントがあって『馬車と合体』できるように造られている。
馬車やクルマに設置することで巨大なキャンピングカー代わりにしつつ、落ち着きたい場所が見つかれば、こうして地面に降ろして生活拠点ともなる便利な代物だ。
そのテントの中では今、激しい怒鳴り声が響いていた。
「こんなに待たせるとは、どういうことだ!」
「忙しい人なのよ。うちみたいに暇じゃないの」
「てやんでい、べらぼうめぇ! こっちも暇じゃねえんだよ! 本当なら今日だって公演を開いて、がっぽがっぽ稼いでいるところじゃねえか!」
「どうせそんなに収入は無いでしょ。みんな復興で大変なんだから、わざわざ見に来る人も少ないわよ」
「何言ってやがる! こうして元気がない時こそ、俺たち大道芸人の本領発揮よ! 人の笑顔は太陽の源! 元気の源ってね! 無料だって客が笑顔になればいいのさ!」
「それじゃ稼げないじゃない。矛盾しているわよ」
「ユキネ、お前! さっきからなんだ、その言葉は! それが父親に向ける態度か!」
「お父さんじゃないでしょ。血が繋がってないんだから」
「なっ…ななな! なんてことを! 俺たちは魂の絆で繋がっているって何度も言ってるじゃねえか! それこそお前が子供の頃は、パパ、パパってずっと俺の後をついてきてだな…」
「その話はやめてよ! 何年前だと思ってるの!」
「たかだか二十五年前だろうが! ついこないだのことだ! あの頃のお前は素直だった! そう、まるで天使のようだったのに!」
「四半世紀も前じゃないの! ああ、あの頃の私に『騙されないで! その人は人攫いよ!』って言いたいくらいだわ」
「赤ん坊のお前を拾って、はや二十七年! これほど傷ついたことはない! いつからそんな親不孝者になっちまったんだ!」
「だからぁ! 親じゃないって言ってるでしょ! それにね、条件だった『一千万』は払ったんだから、わざわざ会う必要なんてないわ! 私はもう自由よ!」
「やっぱり二千万にする」
「じゃあ、もう一千万払うわよ。はい、どうぞ。これでお別れね」
「やっぱり三千万にする」
「払えばいいんでしょ。はい」
「なんでそんなに金があるんだ!!」
「こう見えても山で戦果を挙げて稼いだのよ! ちゃんと自分の手でね! これで文句はないでしょ!」
「金の問題じゃない! 愛の問題だ!」
「何のための『身請け金』よ! お金で自分の人生を買うことの、いったいなにが悪いの! この強欲ジジイ!」
「なんだと! 親心ってのがわからねぇのか!」
「お金を取る人が父親面しないでよね!」
「ユキ姉、お父さんは心配なんだよー」
「アイラは黙ってて!」
「アイラは黙ってろ!」
「ひーー! とばっちりだよー!!」
キャンプの中では、ユキネと非常に体格の良い男が言い争っていた。
ユキネとアイラがいることからもわかると思うが、ここは『ラポット一座』のキャンプである。
総勢三十人程度の小さな一座ではあるが、全員が武人であり、その身体能力を生かしたダイナミックな芸が最大の魅力といえる。
そしてこの男は、ステージでも十人の人間を軽々と持ち上げていた大男かつ、ラポット一座の責任者でもある『団長』その人だ。
名前はそのまま『ラポット』で、一座の名称にもなっているので覚えやすい。
ラポットは昔を思い出しながら、しみじみと語る。
「なあ、ユキネ。俺たちは血は繋がっていないが、家族だ。一緒に暮らして喜怒哀楽を共にする大家族なんだ! あいつもそいつもこいつも、どこのどいつも家族だ! この世で一番大事なものは家族なんだよ」
ラポット一座は、彼が一代で築いた劇団である。
彼自身も物心がついた頃には両親がおらず(おそらくは死亡)、サーカスに引き取られて苦労した経験があった。
その後、独立してからは各地で身寄りがない子供たちを保護し、生活の糧を得る手段として芸を仕込んだ。
出ていく者も多くいたが、そのまま残ってくれた者たちも大勢いる。それが今のラポット一座の初期メンバーたちだ。
ユキネが拾われたのは、およそ二十七年前。
まだ産まれて半年かそこらの赤子が、テントの入口に置かれていたのをラポットが発見したのだ。
荒野の生活は厳しいため、育てられない人間がラポット一座の話を聞いて置いていったのだと思われるが、彼は喜んで引き取った。
「家族が増えることは嬉しいことだ。働き手が増えることが嬉しいわけじゃない。仲間が増えることが嬉しいんだ」
「そりゃ拾ってくれたことは感謝しているわ。危険なところに売られていたら、今頃どうなっていたかわからないものね」
「そうだろう、そうだろう。俺のところに来てよかったよな」
「でも、だからといって私の人生は私のものよ。捨てられたのならば、なおさら。もっと価値ある人生を送りたいのよ」
「ここだって価値ある場所じゃねえか。お前も踊りを見てくれる客の笑顔が好きだって言っていたはずだ」
「嫌いじゃないわよ。ただ、ほとんどはスケベオヤジばかりじゃない。そういう相手は疲れるの! わかるでしょ?」
「それは…お前が成長したからで…魅力的って証拠じゃねえか」
「魅力的になったのなら、私を一番高く買ってくれる人のところに行きたいわ。それだけ商品価値があるってことだもの」
「へっ、そいつもどうせ身体目当てなんじゃないのか? 男なんて、みんな狼なんだぜ」
「それでもいいじゃない。同じことでしょ」
「馬鹿なことを言うな! 女の盛りは長くねぇ。あとで捨てられたらどうするんでぇ!」
「団長が長らく放出してくれなかったからじゃない! だからこんな歳になっちゃったのよ!」
「団長じゃねえ! パパだろうが!」
「どさくさに紛れて変なことを言わせようとしないでよ! 何を言われたって出ていくわ! 私の意思は固いからね!」
「…ふん。で、アイラも出ていきたいってのか?」
ラポットが、ちらりと視線を向ける。
アイラは一瞬だけびくっとしてから、言いづらそうに話し出す。
「あー、うん。ユキ姉が行くっていうなら一緒に…」
「そんな中途半端な覚悟か!」
「ち、違うよー! ビビッときたっていうか…アンシュラオンもそうなんだけど、それよりはあの子の傍にいないといけないような気がして…」
「あの子?」
「あっちに小さい女の子がいるんだけど…その子の近くにいたいなーって。あははは…だ、駄目かなー?」
「………」
「お、お父さん?」
「まあ、アイラはいいか」
「なんで私はいいのー!? もっと止めてよ! 傷つくじゃんかー!」
「お前はフラフラしすぎなんだ。何をやっても集中しきれないで、拾った時から『何かしらの疾患』があるんじゃないかと疑っていたくらいだ」
「ええええええ!? 病気じゃないからねー!?」
「じゃあ、やっぱり単に頭が悪かっただけなんだな…。身請け先があるだけでもありがたいもんだ」
「うえーん! 馬鹿じゃないもんー!!」
父親代わりの人間から『本当の馬鹿』だと思われていたとは、いくらアイラでも不憫で涙が止まらない。
が、実際に昔から何をやっても中途半端で、自分から積極的にやろうとしたことのほうが少ないのである。
事実、ステージで披露していた剣舞にしても自分から言い出したわけではなく、ほかにやれることがなかったから仕方なくユキネのサポートをしていただけだ。
ユキネもユキネで自分の負担が減るからいいや、くらいの感覚だったのだから、いかにアイラが適当に扱われていたかがわかる。
なので、アイラは簡単に身請けが通ってしまう。
「だが、ユキネは駄目だ」
「なんでよ! アイラと何が違うっていうの!?」
「お前が人生に対して『復讐心』を抱いているからだ」
「…なによ…それ」
突然の真面目な指摘に、ユキネの呼吸が止まる。
思わず胸を押さえて心を隠そうとするが、長い年月を共に暮らしていた男からすれば、彼女の心情など手に取るようにわかってしまう。
一呼吸置いてから、ラポットは静かに語り出す。
「最近のお前は生き急いでいた。表面ではへらへらと笑っていたが、見返してやりたいという気持ちがありありと見えた。それは元来の性格の激しさかもしれないが、自分を捨てた親や世界に対する憎しみでもあるはずだ」
「…あってもいいでしょ。現に捨てられたのだし、世の中なんて理不尽ばかりよ。嫌いになっても当然だわ。だから私は負けないための力が欲しいの」
「そうだな。その気持ちもわかる。だが、怒りや憎しみだけじゃ上手くいかねぇのさ。人間には安らげる場所が必要なんだよ。お前に必要なものは戦いではなく心の平穏のはずだ」
「彼は安らぎをくれるわ。一緒にいると満たされるのよ」
「それと同時に争いにも巻き込まれる。旅一座とは比べ物にはならねえレベルでな」
「でも、山には行ってもいいって言ったじゃない。すごく危険な場所だったわよ」
「本当は行かせたくなかった。途中で諦めて戻ってくると踏んでいたんだが…思っていた以上に本気だったんだな。そのためにアイラも行かせたのに、まさか一緒に行っちまうなんてな」
ラポットが未熟なアイラも帯同させたのは、音を上げて戻ってくることを期待したからだ。
何事も中途半端な彼女が一緒ならば、どうせ長くはもたないと思ったのである。
しかし、その思惑は完全に外れ。
アンシュラオンが特別すぎたせいで、そのまま最後まで戦ってしまうこととなった。
「危ないことをするな。ずっと心配だったんだぞ」
「危ないことだってするわよ。私は自分の価値を証明したいんだから、リスクを背負わないといけないもの」
「強情なやつだな」
「ええ、おかげさまでね。誰に似たのかしら」
その時、テントの扉がコンコンと叩かれた。
気まずい空気の中でアイラが出ると、そこには大きな包みを持ったアンシュラオンとサナがいた。
「いやー、遅くなってすまん。出る時にスザクにつかまってさ。海軍の再編成の話とか、翠清山での護衛の要請の件とかでしつこくてね。あいつ、無駄に話が長いんだよなぁ」
「あー…それはいいけど、今ちょっとアレなんだよね」
「アレってなんだ? 卑猥なことでもやっているのか? それならたしかにオレも気まずいが…。いきなり他人がやっている光景を見るとびっくりするよな。あれは本当にやめてほしいよ」
「違うよー! ユキ姉とお父さんが揉めてるんだよー! もう少し待ったほうがいいかも…」
「そうかそうか。じゃあ、お邪魔します」
「えええええ!? どうしてそうなるのー!?」
アンシュラオンはずけずけと中に入ると、空いていた席にちょこんと座る。
仕方なくアイラも座ると、サナがやってきてアイラの膝の上に座った。
その様子があまりに自然で、最初から特等席だと言わんばかりである。
「大丈夫かな…」
アイラはサナを抱きしめながら、そっと様子をうかがうしかない。
いつも陽気な彼女ではあるが、さすがにこの環境では肩身が狭そうだ。




