443話 「エピローグ『真なる災厄の始まり』」
見渡す限りの破壊の痕跡。
頑強で巨大だった城壁もあっけなく崩れ、中にあった数多くの家屋も消え去っている。
つい数日前までは、ここで大勢の人々がそれぞれの生活を送っていた。
家族で仲良く買い物をする者、旅支度をする者、店を経営する者、昼間から酒を飲んで泥酔する者等、人としてごくごく普通の生業がそこにはあったはずだ。
しかし、今はすべてが絶望と恐怖に彩られている。
ある意味では、これこそ真なる平等なのかもしれない。
富の格差もない。性別の違いもなければ才能の有無も関係ない。誰もが絶対的な力の前に滅ぼされ、同じ時間を経て大地に還っていくのだ。
そんな廃墟すら通り越して完全に死滅した場所を、一人の女性が歩いていた。
彼女が踏む瓦礫の下には、圧し潰された大勢の人々の肉塊が詰まっていることだろう。
だが、彼女の顔には何の感情も宿っていない。
人間たちの死など、虫が死ぬことよりも興味がないことである。彼らの喜びも哀しみも、この女性の前では無価値なのだ。
それこそ同じ人間であっても、他人のことに興味を持つ者がどれだけいるだろうか。
他者の不幸を喜びこそすれ、心から幸福と成功を願う者などいったいどこにいるのだろう。
そんな愚かな人間に対して、いちいち感情を動かすのは時間の無駄でしかないことをよく知っているのだ。
「………」
ふいに女性が立ち止まり、じっと【北の方角】を見つめる。
その表情にはさきほどまでの空虚さは存在せず、初めて新鮮な空気を吸ったような驚きと喜びが宿っていた。
〈主上、いかがなされましたか?〉
感情の揺らめきを感じ取った『首元のマフラー』が、思念を送ってくる。
女性はしばらく無視していたものの、ほぅっと深い息を吐いて、まるで恋する乙女のように頬を赤らめた。
もしここが廃墟ではなく美しい街並みのデートスポットならば、想い人を待つ恋人のようにさえ映ったかもしれない。
「私が放った『災厄の種』が消えたのよ。ちゃんと発芽して発動まで成功したようだけど、それが潰されたの」
〈それが喜ばしいことなのでしょうか?〉
「ええ、素敵なことよ。だって、あの子がやったのだから」
〈今の主上は術式が制限されておられるのでは?〉
「監視していなくても、それくらいはわかるわ。あの子以外に倒せる武人なんていないもの」
マフラーと話す女性の声色は、再び感情が薄いものに変わっていた。
が、『あの子』を思い出す時だけは、やはり強い愛情が宿ったものとなる。初めて彼女を見る者がいれば、その落差に驚くに違いない。
「でも、だいぶ前のことだから、すっかり忘れていたわね」
〈私が召喚される前のことでしょうか?〉
「そうね。荒野で拾った壊れた玩具よ。たいしたものじゃないわ。ちょっとした気まぐれに植え付けただけ」
その女性は、アンシュラオンと同じ髪、同じ瞳、同じ肌を持っていた。
それも当然。
彼女は彼の【姉】だからだ。
(アーシュの力なら、あの程度の魔獣なんて楽勝でしょう。でも、あの子はすぐに怠けるのよね。適度に追い詰めないと本気なんて絶対に出さないもの。ほんと、お姉ちゃんがいないと駄目な子なんだから)
くすくすと笑うパミエルキの姿は、姉が弟に軽い悪戯を仕掛けた時に似ていた。実際にそれくらいの感覚なのだろう。
しかし、もしアンシュラオンがハピ・クジュネを離れていたら、もっと南に移動していたら、今頃北部はクルルザンバードによって支配されていたはずだ。
すべての都市は魔獣の侵攻を受けて蹂躙され、人間も彼の支配下に置かれていたに違いない。スザクもライザックも、グランハムもベルロアナも太刀打ちできずに死んでいた可能性が高い。
だが、パミエルキにとってはどうでもよいこと。
本当にそうなったとしても興味すら湧かない。プレゼントが上手く届かなかったのだと残念に思うだけのことだ。
あんな小物は、その気になれば一秒もかからずに処理できるし、本当に危なくなったら陽禅公かゼブラエスが後始末をするだろう。それが世界を守る彼らの役割なのだから。
では、なぜパミエルキがそんなことをしたのかといえば、彼女にも『事情』があるからだ。
「本当は私の手で育てようと思ったのだけれど、こういう状況じゃ仕方ないわね。でも、あーくんにとってそのほうがいいなら、お姉ちゃんは我慢するわ。我慢して我慢して我慢したほうが、きっと気持ちいいものねぇええええええ!!」
〈しゅ、主上……ち、ちぎれてしまい…ますぅうう!!〉
感情が高ぶるたびに引っ張るので、マフラーはかなり伸びきっている。
が、パミエルキに握られて大丈夫な段階で普通のマフラーではない。
「どうせ部外者は誰もいないもの。元の姿に戻りなさい」
〈かしこまりました〉
許可を得たマフラーが『蛇』に似た形に変化。
するすると首から離れると地面に降り立ち、とぐろを巻く。
見た目は完全に蛇ではあるが実際のところは『竜』であり、『ベイダルフェイト〈奮狂の蛇竜王〉』と呼ばれる強力な存在である。
あまりに強すぎるので普段はマフラーや鎧に変化して身を隠してるのだが、今はむしろパミエルキの力を覆い隠す役割を担っている。
「いいのよ。そう、いいの。これは私たちが幸せになる道なの。困難があったほうが、より熱く燃え上がるものね。どうせなら過程を楽しまなくちゃ」
パミエルキはフェイトを連れて、壊れた都市の中を歩き続ける。
その間もずっとブツブツと独り言を呟いているが、これも自分の感情を制御するための手段の一つだ。
弟を追っていた時の執念深い様子を思い出せば、これだけ落ち着いていることのほうがおかしいともいえる。
だが、それもまた二人の関係をより深くするための試練。
そのように自分に言い聞かせることで我慢しているわけだが、その反動が他者に降り注ぐと、このような悲惨な状況が生まれることもある。
そう、この都市は【本物の災厄】によって滅びたのだ。
災厄を引き起こせるのは災厄の魔人だけだ。パミエルキが関わっていなければ、そもそも災厄は起こらないのである。
ただ、今回の規模は極めて小さく、あえて局所的に引き起こされたものであることがわかる。
そうでなければ、この程度では済んでいないはずだ。これもパミエルキが自身を制御できている証拠といえる。
「反応はこのあたりね」
パミエルキが黒い石を取り出しながら周囲を見回す。
その石はわずかに明滅しており、目的地が近づくとさらに光は強くなっていく。
そして、数時間前までは『城』があった場所。その外郭の地下部分にて目的のものを発見。
そこは石造りの大きな部屋だが、入口は鉄製の扉で閉じられていて、激しく焼け焦げた跡が残っていた。
「ふむ、これは我らのものではないようですな」
フェイトが焼け跡を観察する。
たしかに都市をここまで破壊したのはパミエルキたちだが、これに関しては明らかに人の手によって引き起こされたものである。
さらにいえば、都市が滅びたことも彼女たちが悪いわけではない。
きっかけは人の欲望と愚かさであり、その後始末として災厄が発生しただけだ。
クルルザンバードが発生させた『プチ災厄』も同じで、仮に人と魔獣の争いがなければ、発動に必要な呪詛が集まらなかったはずだ。
この部屋で起きたこともまた、人間がしでかした悪行の一つである。
パミエルキが扉を手で押すと、『外側からかけられていた鍵』が壊れて扉が開く。
中では、まだかすかに煙が立ち込めており、少し開いただけで鼻をつく嫌な臭いが漂ってきた。
扉を完全に開くと、目に映ったものは大勢の【焼死体】。
かなりぎゅうぎゅう詰めにされていたようで、いくつもの死体が折り重なって倒れている。
手足は鎖で縛られており、もがいた拍子に他人と揉み合ったのか、鎖同士が絡まっている箇所も多く見受けられる。
火災における最大の死亡原因は実際の炎ではなく、煙による一酸化炭素中毒や窒息なのだが、ここにあるものに関しては正真正銘、焼かれて死んでいた。
部屋の内部のほうが焦げ跡が激しいことからも、【中から火を付けた】ことは間違いないようだ。
「趣味の悪いことをするわね。やっぱり人間は愚かだわ」
パミエルキの目には、その場に残った痛みや苦しみといった残留思念が見える。
自分が死んだことに気づいておらず、いまだ火煙に苦しみ続けている霊もいるくらいだ。
術士の目、それも高位のもので見れば、ここで起きたことがどれだけ残酷であったかがわかるだろう。
これらの霊はパミエルキが何もせずとも、『白狼の眷属』がやってきて回収していく。
白狼とは偉大なる者の一人であり、女神マリスの伴侶として有名な存在だ。
彼は霊魂の管理を担当しており、死んだ人間は必ず彼の眷属である白い狼たちによって『ウロボロスの環』に運ばれていく。
そこで一度浄化されたのち、マリスが管理している『愛の園』に向かうか、あるいは再び地上に生まれるかを選択することになる。
この工程には長い時間がかかるため、アンシュラオンが転生した時のように、再生は最低五十年から数百年単位で行われることが多い。(例外もある)
すでにこの場には白狼の眷属たちが到着しており、苦しんでいる霊たちの回収が始まっていた。彼らはまだ錯乱しているので、まずは痛みを消すための癒しの空間に送られるはずだ。
こういった白狼の眷属は、そこらじゅうにいるので基本的に無視でよい。存在する次元も異なるため、触れ合うことも基本的にはない。
眷属側も人間の生活には干渉しないように厳格なルールが定められており、淡々と仕事を遂行するだけだ。
もしそれを妨害しようものならば、古代神に匹敵する上位の眷属がやってきて罰を与えるだろう。最悪は魂を隔離されて、地獄のような領域で何百年も幽閉されることになる。
これらの【世界のシステム】にはパミエルキであろうと逆らうことはできないし、あえてする必要はまったくない。
パミエルキは大勢の死体に向かって掌を向けると、その場にこびりついていた『負の感情を吸収』し始める。
時間にして数秒程度だろうか。それが終わると満足そうに頷く。
「けっこう溜まったわ。悪くないわね」
「世の人間どもは、主上がこうして浄化を担当しておられることにすら気づかないのですな。普通ならば感謝し、崇め奉るところです」
「べつにいいわよ、そんなもの。物分かりが悪い連中には、どうせ【災厄にして返す】だけだもの。そのほうが愉快じゃない」
因果応報とはこのことだろう。
災厄のエネルギーがどこから来るかといえば、人が発したものが跳ね返っているだけにすぎない。
人や動物が発した怒りや憎しみ、痛みや恐怖、妬みや嫉みは、星の進化にとって害悪となる。
それらが地上の幽界層やウロボロスの環の下層に溜まることで、生命の循環が上手く回らないのだ。
人間の生活とてゴミや汚れを放置しておけば虫が湧いたり、さまざまな病気にかかるだろう。それと同じことだ。
星の進化は生命全体で行われるため、こうした不純物を定期的に発散させる必要がある。それが災厄と呼ばれる現象の正体だ。
そして、災厄を管理する者こそ、災厄の魔人。
だからこそ『災厄の魔人というシステム』は、世界にとって必要なのだ。
下手に負が拡散しないように吸収し、適切な場所で発散させることで、結果的に災厄が起これば起こるほど世界は綺麗になっていく。
しかし、それ以上にまた人が負を吐き出せば、災厄は永遠に起こり続けることになる。皮肉なことではあるが、それも人に与えられた無限の可能性の一つなのだろう。
(災厄の魔人の仕事なんてどうでもいいけど、私の『目的』と一致しているから仕方ないわね)
「さて、誰が残っているのかしら」
パミエルキが部屋を眺める。
多くの霊魂は白狼の眷属が回収するが、すべての者がそうなるわけではない。
悪行の罰としてあえて放置される者もいれば、地上への強い執念によって残る者もいる。
後者の場合は意地悪でやっているわけではなく、『執着するという当人の自由意志』が尊重されている結果だ。
無限の可能性を持つことは、けっしてすべてが自由になることではない。自らの痛みで自らを縛る者もいる。
〈ア………ア………〉
一つの死体が呻いていた。
焼死体の中でも相当激しく焼けているので、もしかしたら直接、引火性液体などをぶっかけられた可能性すらある。
死体は小さく、まだ子供のようであった。
両手足にはしっかりと鎖がはめられているため、逃げようにも逃げられなかったのだろう。
床には爪で引っ掻いた跡も残っていることから、相当に苦しんだ様子が見て取れる。
そもそも扉が閉まっているので内部からでは開けようもない。これを引き起こした者は、最初から全員を殺すつもりで火を放ったはずだ。
パミエルキは、死体の頭部を掴んで引っ張る。
死体は他の死体が覆いかぶさっていたこともあり、強く引っ張ったことで頭部だけが身体から取れてしまった。
だが、死体の主は、そんなことにも気づかないほど強い『火の痛み』を感じていた。
〈アア……アツ…アツイ……アツイ……アツイアツイ…〉
死ねばすべての苦痛が消えると思ってはいけない。
もちろん肉体が滅びたので神経的な痛みはないのだが、そのイメージが強烈に焼き付くことで、霊体でも痛みを感じることはある。
また、クルルザンバードが依代から強引に離れた時のように、準備が整っていない状態でいきなり切り離すと、その際の痛みが長期間残ることも珍しくはない。
大部分の人間は、常々霊魂のことを考えて生きてはいないので、肉体と霊体が強力に引っ付いていることが多く、無理やり引き剥がせば痛いのは当然だろう。
死後三日は遺体の処理をしないほうがよいのは、こうした事例があるからだ。
例外として、地上への未練や欲望が少ない人間は常時切り離しが容易な状態になっているため、こちらは即日スムーズに肉体を捨てることができる。
本来はこちらが普通なのだが、現在の地上ではなかなかに難しいものである。
〈タスケ…テ……タスケテ……アツイ…アツイ……アツ……イ〉
死体が苦悶の声を上げるごとに黒い石が輝きを強めていく。
それを見たパミエルキは妖艶な笑みを浮かべた。
「助けてあげてもいいわよ。でも、その代わりに私にすべてを捧げなさい。あなたの考え、あなたの行動、あなたの命、そして、あなたの痛みすら私のもの。それでもいいなら望みを叶えてあげる」
〈ア……ア……タスケ…〉
「ちゃんと言いなさい。自らの意思で、まだ生きたいと。地上に未練があると。復讐がしたいと」
〈マダ……シニタク……ナイ。コンナ…イタミ…ァァァ! タ、タスケテ……ナンデモ……スル!!〉
「よく言ったわ! ならば今からあなたは私のもの! この災厄の魔人のものになるということは、この世で最強になるということよ! それに相応しい力を与えてあげましょう!」
パミエルキから『命気』が溢れ出る。
命気の効用は、すでにアンシュラオンで何度も実証済みだ。細胞を命気で満たすことで肉体の完全再生すら可能になる。
ただし、いくら極上の命気とはいえ死者を蘇生することはできない。古傷の類もやや苦手としている。
だが、パミエルキはさらに『臨気』も放出。
「ふふふ、アーシュはまだ知らないでしょうね。反発属性を使った技には奥義を超えた領域があるのよ。それを可能にするためには―――」
パミエルキの命気が、さらに輝きを増していく。
それはアンシュラオンの命気すら超えて、激しい揺らめきとともに振動すると、ついに限界突破!
パミエルキが持つ『最上位属性限界突破』というスキルによって、通常の気質を超えた【超域属性】へと変貌する!
これは名前通り、臨気や命気といった最上位属性の限界を突破するスキルだ。
命気が限界を突破した結果、『超霊気』に進化。
臨気も同様に突破した結果、『超業気』に進化する。
「ベイダルフェイト、『魔王のコード』を使って各種機関に許可申請を出しなさい。あとから文句を言われても面倒だもの」
「かしこまりました。魔王城のマザーシステムに接続します。少々お待ちください」
「まったく、プロフェッサー〈教授〉がいなくなったせいで時間がかかるわね。その分の演算処理はこちらがやるわ。あなたはアクセスだけに集中するのよ」
はたから見ればベイダルフェイトがただ光っているだけだが、その裏では目には見えない回線と繋がっていた。
これは以前、ハビナ・ザマ支店のハローワークの会話で出てきた『ハローネット』と同じものである。
世界中には公共の『術式通信網』が張り巡らされており、それを経由することで離れた場所とのやり取りが可能になっている。
たとえば『スペル・ギアス〈言論統制〉』がどこにいても発動するのは、これを利用しているからだ。
当然ながら術士でなければ接続は不可能で、それを専門とする術士を『ダイバー〈深き者〉』と呼び、一般人の場合は小百合のように専用の機械を使うことでアクセスが可能である。
ただし、ハローネットのような特殊な回線に繋ぐためには、専用の「アクセスコード」が必要になり、さらに数多くのセキュリティの認証を受ける必要がある。
特に魔王城にアクセスするなど、本来ならば絶対にできないことだ。即座に逆探知されて魔王の眷属が殺しにやってくるだろう。
しかし、コードを持っていれば話は別。
ほぼ無条件で魔王城の中枢にアクセスができる。
これが意味するのは、パミエルキが『魔王のお墨付き』だということ。だからこそ各種機関への接続も優遇されることになる。
「接続完了しました。マザーシステム経由で許可申請開始。光の神庁、第六管理長から許可。闇の神庁、第二管理長から許可。愛の園、第四階層『炎の園』から許可。白狼宮への許可申請はいかがいたしますか?」
「どうせ残りカスだから問題ないでしょう。あっちも処理してくれて助かっているはずよ」
パミエルキが、ちらりと白狼の眷属たちの様子を確認。
彼らは淡々と仕事に従事しているので特段の問題はないだろう。何かあれば上位の存在から連絡が来るはずだ。
ただ、これからパミエルキがやろうとしていることが相当珍しいのか、向こう側からの興味の視線も感じる。
「すべての条件が整いました」
「いくわよ! 人の霊魂の本質は、炎そのもの! 無限の灼熱によって鍛えられ、永劫に存在し続ける究極の実在! それがあなたの命を活性化する!」
〈アアァァアアアア!! アツイ! アツイアツイ!! アツイイイイイイイイイイイイイイ!〉
二つの超域属性が絡まり、反発しながらもまとわりつくと、死体の魂が今まで感じたことがないほどに燃え上がる!
人間の霊魂は『神の火花』とも呼ばれており、その中には無限の可能性が胚芽の状態で眠っている。
通常は何度も転生を繰り返し、その都度の日々の生活や鍛錬によって少しずつ成長させていくものだが、それを強制的に『超業気』によって活性化!
超業気は、人の業すら焼き尽くす究極の炎だ。すべての業を超えた時、人はさらなる進化を遂げる。
魂が灼熱によって輝きを増し、第三レベルを超え、第四レベルを突破して第五レベルに突入。
第五レベルはあらゆる生命が入り混じり、すべての経験と感情を集めた総体となって進化していく段階だ。
一般的に人々が天国だと考えている段階をとっくに超えて、人間が激情の中で、急速に神人へと近づいていく領域に入ったことを意味する。
「魂だけが活性化しても駄目よ。それに相応しい肉体が必要になるわ」
ここでパミエルキが、黒い石を『超霊気』で包み込む。
超霊気は霊の傷すら癒し、霊力(霊の生体磁気)すら活性化させる究極の水の力だ。
さらに石を媒体にすることで【肉体の創造】すら可能になる。
これは命気とはまったく別の作用である。命気は細胞の遺伝子データに基づいて、その設計図通りに再生を促すだけにすぎず、それ以上のことはできない。
なぜならば、生命の設計図を作るのは『母神の領域』。
かつての古代神や人類の始祖を生み出したように『マスタープラン〈生命の設計図〉』そのものを作らねば、新たな要素は付け足せないのだ。
これはいわゆる女神がやるような超高度な霊的仕事であり、地上の人間には到底不可能な御業といえる。
しかし、パミエルキにはそれができる。
災厄の魔人自体が世界のシステムの一つであり、与えられた権限の範囲内において【新たな生命を生み出す能力】が授けられているからだ。
そのために、わざわざ各種機関に許可を取っている。一つの創造のためにこれだけの手間がかかるのだから、女神の仕事の真似事も大変である。
「最後の仕上げよ。あなたは記念すべき最初の眷属。ならば、私にとっても大切なものをあげないとね」
パミエルキが、自身の豊満な胸の間に指を突き入れる。
指は肉と骨を抉りながらメリメリと進み、ついに突き破って手そのものが入ってしまう。
その手が掴むのは―――【心臓】
生物にとってもっとも重要な器官を、ぶちぶちと強引に引きちぎって光の中に放り込む。
心臓は輝きの中に溶けていき、パミエルキの血肉と因子データを解析して吸収。新たな肉体の一部となる。
そして、反発する超エネルギーが一定の領域に到達することで、急速に融合を開始。
それは最初、小さな球体から始まった。
そこから胎児が細胞増殖によって変化するごとく、頭や手足が生まれていき、ものの数分で完成に至る。
『出産』されたのは―――【一人の少女】
真っ赤な髪の毛に白い肌。
生前の面影がわずかに残っているのは、それが魂に刻まれた記憶だからだ。
しかし、身体はまったく新しいもので、生まれた段階から完璧に等しい美しさをそなえていた。
それも当然。
そうなるように設計図を作ったのはパミエルキなのだ。容姿はいかようにも制御することができる。
パミエルキは、生まれたばかりの少女に話しかける。
「自分の身体を触ってごらんなさい。もう痛みはないはずよ」
「…はぁはぁ……これ…は?」
「それが【魔人の身体】よ。あなたは新たな魔人になったの」
「ま……じん?」
「そうよ。この世界でもっとも強く、もっとも美しい存在。人に罰を与え、その頂点に立つ資格を有する者。ただし、オリジナルは私と弟だけだから、あなたは『レプリカ』ってところかしら」
「……?」
「そのうち嫌でも理解するわ。そうね、私の心臓を与えて造ったのですもの。あなたは私の分身、『妹』と呼んでも差し支えないわね。ベイダルフェイト、しばらく面倒を見てあげなさい。力の使い方を教えないといけないものね」
「主上の御心のままに。立派な魔人の淑女に仕上げてみせます」
まだ何が起きたのか理解できていない少女は、身体に絡まる蛇を呆然と見つめていた。
いきなり焼き殺されたかと思ったら、世界最強レベルの身体を与えられたのだから、それも仕方がないことだろう。
一方のパミエルキは、久々に上機嫌だ。
「ふふふ、あははははは! 楽しくなってきたじゃない。ねぇ、アーシュ、お姉ちゃんとゲームをしましょうねぇ。あなたが育てている『妹』と、私が造り出した『妹』。どっちが強いか、いずれ勝負しましょう」
パミエルキは、弟が大事にしている黒い少女のことを知っている。
あれだけ行動が筒抜けなのだから、サナのことくらいは知っていて当然である。その気になれば、いつでも壊すことはできる。
しかし、それではつまらない。
同じことをやったうえで、それを上回るからこそ面白いのだ。
「もしお姉ちゃんが勝って大切な玩具が壊れたら、あーくんはきっとすごく怒るわよねぇ。ふふふ…クフフフッ!! 怒る、怒るのね!! お姉ちゃんに対して怒ったことなんて一度もないあなたが、私に怒る!! ああ、それはもう、【愛】!! 愛なのよ!! 私のことが気になって夜も眠れなくなる! その激しい感情を私だけに向けるはずよねえええええ!」
いつも甘えてばかりいた弟が、初めて見せる姉への怒り。
それがどんなものになるか想像するだけで達しそうになる。
「あなたは私だけのもの。私もあなただけのものなのよ。それをとことん教えてあげるわ」
パミエルキは、少女とフェイトを連れて動き出す。
アンシュラオンの存在が膨れ上がっていくごとに、パミエルキもまた同様に大きくなっていく。
両者の行動は螺旋となり、いずれ絡み合うだろう。
それが大きなうねりとなって、大陸を巻き込んだ戦いへと繋がっていくに違いない。
空には暗雲が立ち込めて『真なる災厄』の到来を告げていた。




