431話 「六翼魔紫梟戦 その3『融合の力、ハイザクの素養』」
クルルは裏拳で迎撃。
アンシュラオンは技の打ち終わりで動けず、足を上げて脛でガード。
ガンッ!と硬い物同士がぶつかる音が響く中、アンシュラオンが空中で高速回転しながら、クルルの胴体を蹴って離脱。距離を取る。
相手のパワーを利用した芸術的な受け身を見せるものの、拳が当たった箇所の服が破れており、脛には黒い痣が見える。
(肉質が硬いな。単体火力では最高レベルの技で、この程度か。崩すのに苦労しそうだ)
アンシュラオンが嫌そうな表情を浮かべるのは、下界に来てからは初めてのことだろう。
一方のクルルは腕を上げて、抉られた自分の背中をちらりと見る。
すでに筋肉は修復を始めており、皮膚の部分も急速に回復していく。
だが、クルルが興味を持ったのは傷の具合ではなかった。
「ふっ、私だけを殺そうとしたのか? 意外と甘いな」
アンシュラオンが背中を狙ったのは、ユシカから『背中から憑依した形跡がある』と情報提供を受けたからである。
このあたりは翼が生える事象から、仮に情報がなくても予想はできる。
がしかし、『憑翼』と呼ばれるクルルのスキルは、そのまま体内に潜むことを意味しない。
常識的に考えても、あれだけの質量が中に入るスペースは無いはずだ。それこそ内臓や骨が邪魔になってキツキツになってしまう。
「悪いが私は、このハイザク・クジュネという人間と『細胞レベルで合一』している。すべての部位に瀰漫しているのだから、背中を切り開いても私がいるわけではないぞ」
クルルは、ハイザクの逞しすぎる大胸筋を指でトントンと叩きながら、不敵に笑う。
『クルルザンバード〈六翼魔紫梟〉』の正体は、【半物質の集合体】である。
この半物質というものは、文字通りに半分だけ物質の特性を有しながらも、そのまた半分は、より上位の振動数によって形成されたものを指す。
たとえば、人間の肉体と霊体を繋ぐ接着剤の役割を果たすのも、この半物質体によるものだ。
両者の性質に大きな隔たりがあるため中間を埋める物質が存在し、それを仲介することで霊体が物的身体を動かす仕組みになっている。
言い換えれば、クルルザンバードの本質は幽的接着剤の集合体であり、依代を見つけると対象の半物質体と融合を果たし、当人の霊体との接触を遮断することで身体の優先操作権を奪ってしまう。
それゆえに憑依されている間、ハイザクの霊体は意識を奪われて隔離されている状態にある。
こちらもクルルザンバードの支配下にあるため、記憶や思考といった精神パターンがすべて丸見えで、その気になれば当人になりすますことも容易である。
言ってしまえば、小百合が使っている『夢見る女王兎の虹』と『夢見る女王兎の支配』をかけ合わせた能力を持っていることになる。
(どうやら相当強力に憑依されているらしい。ユシカが言っていた通り、こちら側から分離させるのは無理か)
すでに因子を含む全細胞に同化しているため、一部分だけ切り離しても憑依は解けない。
そのうえ一度殺したとしても、依代を身代わりにして生き延びることができる。最初の依代を捨てた時が、まさにそうだ。
(逆にいえば、クルルザンバード側もハイザクが死ぬまで抜け出せないってことだ。それがユシカが言っていた『制約』なんだろう。せめて核の場所がわかればいいんだが、そんなに甘くないか)
この魔獣を倒すには、彼を構成している半物質体を全部破壊するか、それを操っている『核』を見つけなければならない。
怪しいのはハイザクの額に浮き出ている三つの宝石だが、この狡猾で慎重な魔獣が、あからさまな場所に弱点を見せるとは思えない。
そして、彼の能力はこれだけではない。
「では、私もそろそろ力を使わせてもらうぞ!」
クルルは背中から六枚の翼を出すと、数百枚に及ぶ羽根を放出。
六翼魔紫梟のスキル、『魔操羽』である。
この羽根も半物質で出来ているため肉眼では見ることはできず、刺された場合は、敵の魔力以上の精神がなければ操られてしまう。
黄劉隊はクルルの因子を解析しており、事前に専用のワクチン(抗精神制御プログラム)を接種していたことで対処できたが、それ以外の者は自分の力で抵抗するしかない。
(これも数が多い。たった一枚で討滅級魔獣をあれだけ暴走させるんだから、いくらオレが支配されないとはいえ、何百枚も刺されたら多少は影響が出そうだ)
アンシュラオンは術士の因子があるので、羽根がはっきりと見える。
よけられるものは回避しつつ、当たりそうなものは因子レベル5の『風神烈翔波』で吹き飛ばしていく。
あえて風属性の技にしたのは、そのほうが相性が良いからだ。術式攻撃とはいえ、羽根の形状をしているので風の影響を受けやすくなる。
これでほとんどの羽根を弾き返すことに成功。
するが、舞い散った羽根が幻想的な光景を生み出す中、六翼が振動すると―――世界が軋む
視界が濃紫に歪み、地面に落ちていた石がパリンパリンと粉々に砕ける。
土や砂もクルルを中心に放射状に抉られていくことから、目に見えない力が全方位に向けて放たれたことがわかるだろう。
こちらは以前、マスカリオンたちにも使った『魔共波』と呼ばれる超音波を発するスキルだ。
音波だけでも石くらいは破壊できる威力があるが、本来の能力は『精神攻撃』にあり、直接羽根を刺さずとも音を聴かせるだけで敵の精神を乗っ取ることができる危険なものだ。
アンシュラオンは、水気球を生み出して自身を覆うことで対応。
水中ソナーのように水は音をさらに強化してしまうこともあるが、こちらも水を振動させることで完全に相殺して無効化。
一瞬で敵の攻撃の質を把握し、即座に対抗策を生み出すことができるのは、積み重ねた高い戦闘経験値があってこそだ。
しかし、クルルは音波を出しながらも自ら迫り、水気球に拳を突き入れる!
その衝撃だけで水気球が半分ほど吹っ飛んだが、さらに凄まじい量の闘気が放出されることで、すべて蒸発。
それによりまともに音波を受けてしまう。
「はっ!!」
アンシュラオンは気合を入れて音の影響から身を守る。
自ら声を出す行為そのものが、音波を掻き乱すことに繋がるからだ。
ただし、その間も魔操羽の攻撃が継続されているので、よけきれなかった数本の羽根が身体に刺さる。
その瞬間、精神に直接干渉する強い波動を感じ取った。
それはとても甘く、思わず誘いに乗りたくなってしまうものだった。
(なるほど、『欲求を刺激』するタイプか。こんなものが刺さったら、そこらの人間はまず抵抗できないな。魔獣でも無理だろう)
精神干渉には、いくつか種類がある。
さきほどの魔共波は、ホロロの能力と同様に強制的に神経に作用し、その反射を利用して敵を掌握することができるものだ。
どちらかといえば、相手の動きを封じる目的のほうが主体だろう。これを受けたマスカリオンたちも身動きが取れなくなっていた。
一方の魔操羽のほうは、感情に作用することで対象を惑わし、その隙に精神に干渉するものだった。
人間であれ魔獣であれ、強い感情の高ぶりを覚えると自分を制御できなくなるものだ。
たとえば宗教や政治的思想等、強い想いがあって無我夢中で誰かに熱弁を振るっている時、美味しくてお菓子を食べ続けてしまう時、生殖に夢中でそれ以外考えられなくなる時、もはや自分では止めようがなくなる。
クレイジーホッパーのような温和な魔獣が暴走したのも、クルルが実験で操作したあとにそのまま放置したことで、肥大化した欲望が止まらなくなった結果である。
これも潜在的な『人間への嫌悪感』が爆発した現象であり、欲望の種類こそ違うがアラキタが暴走したのも同じ理由といえる。
が、アンシュラオンには通用しない。
精神が『SSS』なうえに、強靭な意思の力が干渉を跳ね除けるからだ。
「ならば、これはどうかな!」
今度は視線を合わせた相手を操作する『紫梟魔眼』も発動。
こちらは対象が単体の代わりに、効果も魔操羽の十倍以上の最強操作技であったが、それもアンシュラオンはすべて無効化。気合で跳ね返す。
それにはクルルも感嘆の声を上げる。
「素晴らしい。なんという強い意思なのだ。完全に欲求を制御しているではないか」
「オレは欲望を我慢しないからな。下手に溜め込まないから暴走もしないのさ」
「やはりお前ならば『超常の兵』にもなれるだろう。再度訊く。私とともに陛下に仕えよ。それこそがこの世で最高の幸福となろう」
「他人を勧誘する前に、その壊れた脳みそを先になんとかするんだな」
「惜しい。あまりに惜しいぞ、アンシュラオン!」
クルルが大量の魔操羽と魔共波を同時に放つ。
この二つの効果は薄いものの、そこに『紫梟魔眼』を加えながら自身の格闘も交えると、少しだけ話が変わってくる。
アンシュラオンは精神攻撃に抵抗できるが、その際には一瞬だけ硬直する時間が生まれてしまう。これは打撃を受ける時に踏ん張ったりするのと同じ現象だ。
精神支配力が弱ければともかく、クルルザンバードはこっちが本職。何十本も同時に刺されるとアンシュラオンでもわずかな硬直が生まれてしまう。
それを防ぐためには、今しがたやった水気球での防御が一番効率的なのだが、その分だけ余計な手間が取られる。
そこにクルルの蹴りが炸裂。水気球を破壊して本体に迫る。
アンシュラオンはガード。強い衝撃でビリビリと腕が痺れる。
襲ってきた魔操羽はかろうじてよけたが、今度はクルルの『紫梟魔眼』が発動。
もちろん魔眼も我慢するか視線を外せば防げるが、そこを狙ってクルルが攻撃を合わせてくる。
アンシュラオンは徐々に反応が遅れて、ついにクルルの強烈な一撃が腹に直撃!
「ぐっ…」
全身を駆け巡る衝撃に、思わずアンシュラオンの口から空気が漏れる。
ハイザクの拳の大きさは子供の胴体ほどもある。それがこのぶっとい腕で放たれるのだから、威力は推して知るべしであろう。
打撃を受けて気が乱れれば、そこにまた魔操羽や魔共波が襲いかかってくる。こちらも抵抗力が弱まると無視できない攻撃だ。
だが、それらに対処していると、また隙を狙って強烈な打撃が襲ってくる。
再び防御が間に合わなくなり、クリーンヒットが増えて筋肉が断裂する音が体内に響く。
体術に優れるアンシュラオンに、なぜクルルの攻撃が当たるかといえば、【単純に速い】からだ。
コウリュウもアンシュラオンに攻撃を当てたが、あちらは三百年以上培った先読みの技術が大きく手助けしていた。それがなければ他の武人同様に当たらなかっただろう。
しかしクルルは、こちらのいなす技術を凌駕するほどの速度で迫り、強引にパワーとスピードで拳や蹴りを放ってくる。
もっとも簡単に敵を破壊する方法は、超スピードで高質量の物体をぶち当てることである。
地球においても、いかに優れた武術家であろうが拳銃やライフルには敵わないものだ。それと同じことが起きているにすぎない。
(ハイザクは、武人の質としては父親のガイゾックすら上回る男だ。その潜在能力を極限まで引き出せば、オレの身体能力を上回ることも可能になる。やはり操作する対象の性能を引き上げる力があるようだな)
魔獣を暴走させていた時にもスペックが上昇していたので、ユシカからの証言も含めて依代にも同じ現象が起こるとは想定していた。
ただし、効果は予想以上。
クルルの『オーバークロック〈強制限界突破〉』は、まさに限界を遥かに突破して力を引き出すことができる能力だ。むしろ対象を操作することよりも、こちらのほうが貴重な能力に思える。
そして、ハイザクがもっとも優れているのが、その『耐久力』だ。
彼はその当時でさえ、破邪猿将の攻撃を普通に受けている。同じクジュネ家のスザクでも悶絶する一撃をくらって平然としていたのだ。
当然ながら肉体能力が強化されれば筋力も上がり、走る能力、殴る能力、受ける能力といった、武人としての基礎的な力が増加する。
それが最大強化された今、肉体だけはすでに【ゼブラエス級】。
人間が到達できる最高峰の領域にまで足を踏み入れていた。
アンシュラオンも隙があれば反撃を試みているが、覇王・滅忌濠狛掌ですら効果が薄い以上、そのどれもが焼け石に水にしかなっていない。
こうして打撃で押されてしまうと防御に追われ、技を出す暇もなくなる悪循環に陥ってしまう。
(まったく、ガチムチはこれだから困る。滅茶苦茶に殴りかかるし、筋肉の悲鳴なんて気にしないもんな。一番やりづらい相手だ)
以前も述べたが、単純にパワーとスピードを併せ持つ高火力アタッカーは、アンシュラオンが苦手とするタイプである。そこに耐久力が加わると本当に厄介だ。
しかもクルルが魔獣であるせいか、人間の関節を無視した無茶な殴り方をしてくるので、速度も相まってどうしても被弾してしまう。
技術もへったくれもなく、ただただ物理で攻めてくるガチムチなど、誰が相手をしても怖いものだろう。
ただし、肉体にかかる負担は凄まじい。
クルルが攻撃を仕掛けてくるたびに、ハイザクの身体が軋んで、筋肉繊維がぶちぶちと千切れる音が聴こえる。
『オーバークロック〈強制限界突破〉』は、チート級の能力の代償として依代に多大な負荷をかけてしまう。長時間の戦闘は肉体の寿命を縮めてしまうことになりかねない。
この欠点があるがゆえに、クルルも表立って戦闘をしたくなかったと思われる。
が、そこにさえ目を瞑れば、これだけの戦闘力を引き出せるとなれば、操作系としては非常に強力な能力といえる。
クルルザンバードとハイザクのコンビは、アンシュラオンから見てもかなり強い。
それが確定した瞬間だった。




