429話 「六翼魔紫梟戦 その1『最悪の事態』」
アンシュラオンは、マスカリオンの説得を続けていた。
死を覚悟している相手に武力は意味がない。それを上回る『利』を説く必要がある。
「オレがヒポタングルの独立を支援してやる。お前たちの住処である『灸瞑峰』をオレの領土にすれば、誰も手出しはできない」
「もともとワレらの地だ。ニンゲンに指図されるイワレはない!」
「身内の敵はオレの敵だ。お前たちに攻撃を仕掛けてくる者がいれば全力で守ってやる。それが人間だろうが魔獣だろうが関係ない。群れの生存を優先するのならば悪くない話のはずだ」
「…キサマに何のリエキがある?」
「利益は大いにある。翠清山を資源として開発するためには、どうしても魔獣の協力が必要なんだ。そこを誰も理解していない。最初から無理だと諦めているから選択肢にないんだ」
仮に人間側が勝ったとしても、開発には膨大な時間がかかるだろう。
ただでさえ未知の場所を探索せねばならないうえ、生き残った魔獣側からの妨害も激しくなって頓挫する結末が見える。
だが、魔獣側に味方を作れば妨害どころか護衛にもなるし、彼らの知識を得ることで開発もスムーズに進むだろう。
現に炸加が、子猿たちの援助を受けて資源の発見に至っている。まだまだ人間側が知らない宝が眠っている可能性もあるのだ。
「人間が山に土足で入り込むことには不快感と怒りがあるだろう。だが、魔獣だけでは資源の開発はできない。お前たちに開発は不要でも、それを狙って敵がやってくるのならば、その都度また戦わねばならない。ならば、先に活用して武器にしてしまえばいい。今お前が使っている装備のようにな」
今回はたまたまクルルが背後にいたので、魔獣側がディムレガンを利用する策を採用したが、本来ならば剣を扱うグラヌマにしか恩恵はなかったはずだ。
マスカリオンも使ってみて初めて、人間が扱う武器の強さを思い知る。これが全員に行き渡ればヒポタングル全体の強化になるだろう。
だがそれは、人間側の協力がなければ成り立たないことだ。ディムレガンも原石だけでは何もできない。それを磨き、魔石として力を引き出す作業がどうしても必要になる。
「頭の良いお前ならばわかるだろう。敵の力を利用することは生存戦略の基本だ。良いものは取り入れ、悪いものは捨てればいい。互いに『平等の取引』ができるように間に入ってやる。もしも不当な理由でお前の仲間が一人でも殺されたら、その万倍の首をもってけじめをつけさせる。それができるオレの武とコネクションを上手く利用しろ!」
アンシュラオンの言葉に嘘はない。
何事も敵にするよりも味方にしたほうが利益になるものだ。言葉が話せるうえ空まで飛べるヒポタングルには、極めて大きな可能性が眠っている。
そこで重要なことは、平等な取引をすることだ。
人間の歴史を見ればわかるが、強者が不平等な取引を持ち掛け、弱者が泣く泣く受け入れるのが世の常である。
しかし、それが永劫に続くことはない。互いにメリットがないことは必ず短い期間で破綻するからだ。仮に続いても『憎しみ』を植え付ければ、それ自体が将来のリスクになる。
「オレは利益を優先するぞ! オレと魔獣と人間たち、三者の利益だ! マスカリオン、現実を受け入れろ! そのうえで勝者になれ! 生き延びて、得られるべき利益をすべて享受するんだ!」
自爆や特攻が価値を得るのは、話が通じない相手にだけである。それ以上の不利益を被るから仕方なく命を犠牲にするのだ。
しかし、アンシュラオンが求めるものは、あくまで『利』である。
サナを妹にする代わりに幸せを与えると約束したように、ヒポタングルに対しても種族の庇護を約束する。
その現実的なスタンスに、マスカリオンの心は激しく揺さぶられていた。
(この人間ならば信じられるのか? このまま戦っていても滅ぶのならば、賭けてみるのも一興かもしれ―――)
「ウッ―――ググウッ!!」
その時、マスカリオンに異変。
身体から濃い紫色の瘴気が噴き出すと、もがき苦しみ始める。
「マスカリオン?」
「うううっ…ウガアアアアアアア!! クッ…ナンダ……これは!! ウウウアアアアアア!」
マスカリオンは、自らの爪で身体を掻きむしる。
鎧が壊れた個所に強引に押し入れ、肉を抉って掻き出そうとする光景は明らかに異常である。
しかし、抉ったところからも濃い瘴気が噴出し、どんどん『汚染』されていく。
(マスカリオンの目が赤くなっている。まさか【暴走】か!!)
周囲を見回すと他の魔獣にも異変が起きていた。
鳥型魔獣たちの目が赤くなり狂暴性が増大。一斉にアンシュラオンやユシカたちに向かってくる。
今までと異なるのが、どんなに無謀な攻撃でも躊躇いなく行動に移すことだ。コウリュウに撃ち落とされても他の個体が恐怖で竦むことはない。
ただただ『人間に対する憎悪』を膨らませて、自爆覚悟で攻撃してくるのだ。
さらに一部の群れは、統制を外れて四方八方に飛び立っていく。もはや彼らはマスカリオンの支配下にすらなく、見境なく攻撃を仕掛けるモンスターと化していた。
その群れが人間の街や都市にまで至れば、間違いなく大勢の一般人が死ぬだろう。空を飛ぶ魔獣の行動範囲はあまりに広く、近場のロードキャンプならば到着に数時間もかからないはずだ。
そもそもアンシュラオンがマスカリオン軍を抑えにきたのも、これを怖れてのことである。
まさに想定できる中で『最悪の事態』といえた。
「ウウウッ…ングウウウ!! ワレは…支配……サレヌ!! サレヌゾォオオオ!!」
一方、マスカリオンは必死に抵抗しており、ヒポタングルの中にもまだ暴走していない個体が大勢いた。おそらくは他の魔獣よりも知性と理性があるせいだろう。
しかし、彼らの抵抗をあざ笑うように、地面や空までが濃い紫に染まっていく。
この『紫』という色は『術式による作用』なので、実際の色合いは変わっていないものの、もはや翠清山はまったく別の世界に変わってしまっていた。
アンシュラオンは術士の因子があるので、それがわかるのだ。
(見たところ山に生息するすべての動植物に影響を与えているようだが、ここまで強力な能力があるとは聞いていないぞ。それにこの波動は…やはり『災厄呪詛』に似ている。今まであいつが放っていた波動とは若干異なる気がするが…)
これまでのクルルにおける魔獣の支配は、せいぜい群れのリーダーを操作することで誘導したり、それを見せつけて脅したりと限定的だった。
それがいきなり、これだけ多くの魔獣を暴走させるのはおかしい。行動に落差がありすぎるからだ。
ならば、これが【奥の手】である可能性が高い。
(やってくれるな。たしかに奥の手を初手で使ってはいけないルールなんてない。時間をかけすぎたのはこちらのほうか。先手を打たれた以上、なりふり構ってはいられないぞ)
「マスカリオン! 耐えろ! オレが戻るまで簡単に屈するなよ!」
アンシュラオンがマスカリオンを命気球で包み込む。
ごぼごぼと呼吸とともに体内に命気が入り込むことで、身体そのものを固定しつつ細胞の汚染を防ぐことが目的だ。
(これは…『生深水』? なんと力強い包容力なのだ)
その水は、かつて初代ラングラスがヒポタングルにもたらし、今もなお彼らに受け継がれる神秘の水に似ていた。
いや、それ以上に肉体を癒し、外部からの力に対する抵抗力を与えてくれるものだった。
アンシュラオンはマスカリオンだけではなく、すべてのヒポタングルに命気を浸透させて活動を停止させる。一部の眷属だけの暴走ならば、翠清山の周辺に配置された防衛隊だけでもかろうじて対処が可能と見越してのことだ。
そして、カーテンルパに乗って、敵に囲まれているユシカのところに戻る。
「ユシカ、これ以上は無理だ。あとは好きなタイミングで離脱しろ」
「お前はどうする!?」
「追跡チームに派遣していた闘人の反応が消えた。それだけの力を持つ相手なんて一人しかいない。オレはクルルザンバードを倒しにいく」
「おい、待て! 俺も行く!」
「足手まといだ。余裕があるならサナたちに合流しろ。このままだと黄劉隊だって危ないぞ」
「勝手なことを! このっ! くそっ、魔獣が多い!」
「若、一度退きましょう! すでに暴走しております!」
「覚えていろよ、アンシュラオン! 借りは返してもらうぞ!」
「だったら生き延びるんだな。ここで死んだら負け組確定だぞ」
アンシュラオンは戦場を離脱。
追跡チームに派遣した命虎には、敵を発見した場合はメンバーを連れて戻ってこいと命令しているので、その反応を辿りながら移動を続けた。
数十分後、命虎に乗ったジュザたちと合流。
幸か不幸か、他に生き残りがいなかったおかげで全速力でやってこられたようだ。
「アンシュラオンさん! これを!」
そこでヒロゾラから託された水晶玉を受け取る。
マーキングした標的の方角に光が差すもので、まだ距離はわからないが、これがあれば確実にクルルに接触することができるだろう。
「よくやった。お前たちはこのまま退避してくれ」
「力及ばず申し訳ありません。しかし、あれだけの化け物とは思いませんでした。もしかしたら、あなたよりも…」
「案ずるな。一対一なら問題ない。それよりも今の状況のほうが問題だ。そいつを殺して収まるのならばいいが…それこそ運任せだな。とりあえず生き残ることを優先しろ。それが今、お前たちに与えられる唯一の報酬だからな」
護衛の命虎がいればジュザたちは生き延びられるだろう。死んだ他のハンターたちには、遺族がいれば金銭で対価を与えるしかない。
自分の要請に応えてくれた者たちには誠心誠意報いる。それもまたアンシュラオンの流儀である。
そして、恩には恩を返すのならば、仇には仇を返すべきだ。
(決着をつけるぞ、クルルザンバード)
アンシュラオンは水晶玉の反応を頼りにクルルを追う。
だが、相手に逃げる様子はなく、北西に位置したままだ。
そして、三つの峰の中でもっとも高い三袁峰の頂上でクルルを発見。
頂上付近は高い樹木で覆われていたが、第二海軍が火計を使って燃え尽きた木々ごと綺麗に開かれており、敵がこちらを待ち受けていたことがうかがえた。
聞いていた通り、見た目はハイザク。だが、中身はまったく違うものだ。
カーテンルパを消滅させて大地に降り立つと、クルルが腕組みをしながらアンシュラオンに笑いかける。
「遅かったな。待ちわびたぞ」
「お前が逃げていたせいでな」
「そう言われるのは不愉快だな。すべては役立たずの魔獣どものせいだ。やはり辺境の下位魔獣など、この程度のものか。あの数の人間に手こずるとは予想外だったよ」
「だから暴走させたのか? 捨て駒にするにしても雑なやり方だ」
「少々誤解しているようだな。私も本質は魔獣だ。大きなカテゴリー内で同属への親しみや哀れみは持っている。しかし、根本的に異なることがある。私が『守護者』であり、やつらは末端の兵であることだ。兵は命を惜しむものではない」
「守護者? 誰のだ?」
「偉大なる陛下によって選ばれた特別な魔獣のことだ。お前たちは知らぬかもしれぬが、この世はすべて超常なる陛下のものなのだ。陛下のために死ぬことは誉れである」
「お前は西部から来たらしいな。そいつもそこにいるのか?」
「無知ゆえに不遜な物言いは許してやる。しかし、【超常の国】すらも知らぬとはな。ならば教えてやろう! その名こそ、イーア……イイイ・・・アァアア! ウェウエ…ウゴゴゴゴッ!」
「は? なんて?」
「ぬぐう…調子が悪い。言葉に出すことも畏れ多い場所だということだ。もう一度言うぞ。偉大なる超常の国、いだDA●だkJm〇だ△いお!!」
「…はぁ?」
「な、なぜだ! なぜ言えぬ!! この人間の声帯では出せぬのか!?」
(なんだこいつ? バグっているのか? いや、待てよ。この感じ、刻葉の時と一緒か!)
ジ・オウンが自らを名乗ろうとした際、『スペル・ギアス〈言論統制〉』が発動して意味不明な文字列(音)に変換された。
これは不適当と判断された場合に行われる隠蔽処理なので、クルルが言っている『超常の国』とやらも、同様に危険なものだと判断された証拠だ。
(言論統制をされるってことは、相当ヤバいってことか? ただの魔獣でないことは確定だな)
「まあいい。お前もわが支配下に入れば、必然的に陛下の恩寵にあずかることができるだろう。アンシュラオン、わが同胞となれ。お前ならば私と同格の守護者になることができるやもしれぬ」
「オレは魔獣じゃないぞ」
「力ある者は、すべからく陛下のもの。適切な役割を与えられるであろう」
「やれやれ。そんなくだらない話をするために、わざわざこんな真似をしていたのか?」
「強者が弱者を統べる。当然のことだろう。版図を広げるのは王者の責務でもある。人間も魔獣も関係ない。力こそが正義だ」
「そうだな。それには全面的に同意だ。だが、オレはお前には屈しない。なぜならば、お前がオレより弱いからだ」
「怯えることはない。力ある者に従うことは快楽でもある」
「ははははは!! 奴隷根性丸出しだな! 所詮、お前なんてそんなもんだ。怯えているのは、お前のほうなんだよ」
「…なんだと?」
「なぜ今まで逃げ回っていた? 魔獣を統率する立場ならば、威厳を保つために戦場に出るべきだったはずだ。しかし、お前はビビった。オレの強さが想定外だったからだ。だからこそ、いきなり奥の手を使ったんだ」
クルルは当初、自らアンシュラオンを倒すか、力をもって従える予定だった。
だが、これまでの戦いを見て、焦った。
今回の突然の暴走は手段の一つであっただろうが、明らかにクルルが動揺した結果により起きた事象といえる。




