427話 「追跡チーム その1『追う者たち』」
話は少し遡り、まだアンシュラオンが隠密行動をしていた頃。
九人の人間が深い森の中を進んでいた。
「やつめ、どこに隠れおった」
その中の一人、自慧伊が乾布摩擦のように肌に包丁を擦りつけては、血走った目で周囲を睨みつけていた。
相変わらずフンドシ一丁という恐るべき存在ではあるが、森が深すぎるので数メートルもすれば緑に埋もれてしまう。その意味では服を着ているかどうかは、あまり関係がない。
ちなみに乾布摩擦とは名前の通り、乾燥した布で肌を擦ることで身体を鍛える健康法だ。
上半身裸でやるため集団だとなかなかにシュールな光景だが、昭和の時代では日常的に見られたものである。(包丁を擦りつけて効果があるかは不明)
一方、同行しているジュザは冷静に状況を見定める。
「このような巨大な山脈で一体の魔獣を見つけるのは、想像以上に難しいものですね。捜索を開始してからすでに一ヶ月。まるで音沙汰がありません」
ジュザが眼帯の中に入れた指を、眼窩にぐりぐりと押し込む。
彼には眼球がないので痛みはない。単純に考えごとをする際の癖であるが、これはこれで怖い動作なので思わず目を逸らす者もいる。
ただし、今回は『目の入れ換え』のための動作であり、彼が持っている袋には何十といった眼球が保存されていた。
ジュザのユニークスキルである『眼球接続』は、奪い取った眼球をはめることで、その人物が持っていた『目に関係する能力』を使うことができるものだ。
どうやら二つの眼帯はファッションではなく、はめた眼球が落ちないために装着しているらしい。
今しがた使っていた眼球の持ち主も、かつては『音を視認できる能力者』であり、装着すれば映像が脳内に投影されて疑似的に外の世界を知覚できるようになる。
ジュザがアンシュラオンの目を欲しがっていたのも、『情報公開』に気づいていたからだろう。あれも視認した相手しか把握できないので目を使った能力であるし、同系統の能力者に関しては感覚でわかるのかもしれない。
また、人間以外の魔獣であっても眼球のサイズが合えば、装着は可能となっている便利な能力だ。
ジュザも翠清山で魔獣を狩りながら、その都度眼球を回収していたのでストックはかなりある。
しかしながら、それらを常時使っていても、いまだ進展はない。
「アンシュラオンさんからの連絡によれば、魔獣の軍勢は何度も動いているようですが…肝心のボスが見当たらないのでは意味がありません。すでに山脈から出ているという可能性はありませんか?」
「いる! やつは絶対におるんじゃ!」
「しかし、これだけ優位な状況下で、なぜ隠れる必要があるのでしょう?」
「わしに狩られるのが怖いに決まっておる。だから逃げておるのじゃ」
「………」
「なんじゃ、その目は!」
「私に目はありませんよ。今も実際に見えているとは言いがたいですし」
「気配でわかるぞ! その目は疑っておる! 疑っておるんじゃ! カー! 最近の若いもんはこれだからいかん!」
「そう興奮しないでください。敵がいたら気取られます」
唾を飛ばしながら怒鳴る自慧伊から距離を取るジュザ。
なぜ老人になると意固地になる者が増えるのだろう、と疑問を抱きつつも、アンシュラオンからの依頼を思い出す。
(アンシュラオンさんは、こうなることを予見していた。だから我々を『追跡チーム』として編成したのだ)
自慧伊とジュザは琴礼泉での一件が終わったあと、アンシュラオンとは別行動することになった。
その目的は『標的の追跡』。
魔獣軍の総大将であるクルルザンバードを見つけ出すことにある。
一番楽なのは敵から姿を見せてくれることだが、魔獣軍が動き出しても出てこず、残念ながらアンシュラオンが囮になっても乗ってこなかった。
ケウシュからの情報で慎重かつ狡猾な魔獣であることはわかっていたので、ここまでは想定内。
もし出てこなかった場合にそなえて、魔物ハンターである自慧伊を使う案を用意していたのだ。
ただし、この老人だけでは不安なため引き続きジュザを護衛につけ、五重防塞からも追跡が得意なハンターを八名ほど呼び寄せていた。(移動にはモズを送り届けた命虎をそのまま使った。現在も帯同している)
隠密行動が前提だったので彼らとの合流に若干の時間がかかったが、その間にクルルが出てきてくれれば、それはそれで問題ない。保険は使わずに済むのが一番であろう。
だが、やはりというべきか敵はいまだ隠れたまま。ジュザたちの追跡も、すでに一ヶ月の長期間に及ぼうとしていた。
(魔獣との遭遇を避けながら敵のボスを探る。思った以上に神経が擦り減るものだ。その点においては、この老人の手腕は確かだろう。魔獣の索敵能力に関しては我々よりも数段上なのは間違いない)
自慧伊の見た目は変態そのものだが、持っている能力は極めて高い。
長期間、混成軍と別行動をしていたことからもわかるように、完全に気配を消して標的を探ることに長けているのだ。
アラキタを殺したことからも戦闘力は低くない。包丁を使うトリッキーな技は動きが読みづらく、人間であれ魔獣であれ即座に対応することは難しいだろう。
唯一の弱点は、協調性がないこと。
単独で動くことに慣れすぎているため自分勝手で横暴なので、付き合う側にそれなりの理解力と寛容力が必要になる。
が、この点もジュザがいれば問題はない。
(これくらいが普通に思えてしまうこと自体が、私自身が変わり者の証拠か。こういう輩は邪魔さえしなければ噛みつかれることもない。私にとっては、むしろやりやすい相手だ)
ジュザは目が見えないせいもあって外見で人を判断しない。相手から発せられる気配やオーラですべてを把握する。
老人のオーラは、杷地火に似た頑固な職人気質に似ていた。
なぜそこまで魔にこだわるかは不明だが、敵に対する執着心は非常に強く、絶対に諦めないのでこのような状況下では頼もしく映る。
ジュザもジュザで基本は単独行動を好むが、ハンター生活も長いことから癖のある同業者と組んだ経験が豊富にある。
ハンターなど変わり者ばかりだ。いちいち気にしていては仕事にならない。そこの距離感をわきまえているからこそ、ジュザにとって自慧伊は苦にはならない相手となっていた。
そして、特殊なハンターは自慧伊だけではない。
近くの茂みがガサゴソと何度か揺れて、出てきたのは『鳥の頭』。
異様に大きな目玉とカラフルなトサカを持った魔獣の頭部であるが、続いて現れた胴体は人間のものであった。
「戻た」
魔獣の頭部を身に付けたハンターQが、のそのそと茂みから這い出てくる。
魔獣の追跡が得意なハンターといえば、人喰い熊討伐でも活躍した彼が真っ先に思いつく。当然ながらアンシュラオンもハンターQを指名して呼び寄せていた。
彼も被った魔獣の頭部と同種類(近縁種含む)の魔獣の臭いや特性を見極めることができる稀有なスキルを持っている。
この鳥の頭もトサカがあるものの種族的には『フクロウ』であり、ハンターQが有している頭部の中でもっとも強いものだ。
「どうでしたか?」
ジュザが座り込んだQに話しかけるが、彼は首を横に振る。
「全然駄目だ。何も感じね。辿っても普通のフクロウばかりだ」
「種類が違う…あるいは敵のほうが遥かに上位、ということでしょうか?」
「アンシュラオン、撃滅級かもて言てたから、そうかもしんね。そだとお手上げだ」
Qの能力は格上の相手だと通じない。何事も上位が下位を統べるからだ。
すでに撃滅級魔獣と推定していたので能力が通じないことも想定内ではあったが、Q自身が自慧伊同様に単独行動もできる貴重なハンターなので、追跡チームには欠かせない人材だろう。
「Qさんでも駄目となると、追跡も行き詰まりますね…」
「ふん、すでにやつは依代を見つけて隠れておるのじゃ。魔獣の臭いだけで探知はできん。ここは素直にわしに任せておけ」
自慧伊が紐に吊るした包丁を、ダウジングのように真下に向ける。
たびたびこれをやっているので彼なりの探知方法なのだと思われるが、いまだに反応はない。
その後、彼らは二日間、ひたすら山を移動しながらボスを探す。
一向に進まない追跡に徐々にハンターたちにも疲労が見え始めた頃、アンシュラオンから新たな情報が届いた。
土からモグマウスが這い出てくると、手紙を吐き出してジュザに手渡す。(手紙は文字に加えて点字でも書かれている)
アンシュラオンとは一緒にいる命虎を目印に定期的にモグマウスが手紙を持ってやってくるので、それに返信する形でやり取りをしている。
離れていても闘人同士の場所がわかるのは、この大きな山脈では大きなメリットだ。
そして、手紙には黄劉隊から得た最新の情報が書かれていた。
「魔獣の名前は『クルルザンバード〈六翼魔紫梟〉』。そして、現在はハイザク・クジュネを宿主にしているようです」
「ハイザク? 誰じゃ?」
「第二海軍の司令官ですね。相当な強者と聞いています。それが依代になったとしたら厄介な敵になります」
「ふん、誰がなろうが同じじゃ」
「だとよいのですが…」
「で、ここに書いてある『援軍』ってのはまだなのか?」
手紙を回し読みしていた他のハンターの一人が訊ねる。
アンシュラオンからの手紙には、「すぐに何人か援軍を送るから合流してくれ」とあったのだ。
まったく成果が出ない状況では、その文言に注目するのは自然なことだろう。
「援軍などいらん! わしだけで十分じゃ!」
「そんなこと言ってよ、もう一ヶ月じゃねえか。そのダウジングって本当に効果があるのかよ」
「ええい、うるさい! 見ておれ! 本気を見せてくれる!」
自慧伊が息巻いて包丁をぐるぐる回すが、やはり何も起こらない。
と思っていたら、突然ぐぐぐっと動き出して北東の方角を向く。
「むむっ、反応ありじゃ! 魔じゃ! 魔がおるぞおおお!」
「おい、じいさん! 先走るなって! ったく、本当に人の話を聞かないやつだぜ!」
自慧伊は制止の言葉も聞かず、包丁を握り締めて独りで行ってしまう。まったくもって血気盛んな老人である。
ジュザたちも急いで後を追い、一キロほど移動したところで争う音が聴こえた。
(一人は自慧伊。もう五つは?)
耳の良いジュザには、音だけで周囲の状況がよくわかる。
どうやら五つの存在に対して自慧伊が攻撃を仕掛けようとしているが、相手側が多数のために苦戦しているようだ。
しかし、最初から攻撃的な自慧伊とは違い、向こうは意識的に防戦に徹している様子が気になる。
実際にその場に到着すると、より具体的な状況が明らかになった。
「お待ちなさい。我々は敵ではありません」
「馬鹿を抜かすな! その気配は魔のものじゃ! わしの目は誤魔化されんぞ!!」
自慧伊が包丁を向けているのは『黄装束の者』たち。
装束の上からでも明らかに人間だとわかるが、なぜか自慧伊は敵だと認識しているようだ。
ジュザに続き到着した他のハンターたちも、一瞬困惑した表情を浮かべたが、クルルの情報を知っているがゆえに警戒を緩めない。この者たちが操られていないとも限らないのだ。
が、黄装束の二人が前に出てきてジュザに事情を説明。
どうやらこの場でもっとも話が通じやすそうだと判断したらしい。
「我々はグラス・ギース、マングラス所属の黄劉隊です。若様の命により、クルルザンバード〈六翼魔紫梟〉の追跡に参りました」
「その名を知っているということは、あなた方がアンシュラオンさんが送った援軍なのですか?」
「その通りです。正確には我らが主、ユシカ・マングラス様のご命令ですが、現在は共闘状態にあります」
「油断するな! そいつらからは魔の気配がするぞい!」
「我々は【災厄】に対抗するために自ら『厄災』をまとったのです。人間のままでは魔に勝てぬ。あなたと同じです。より邪悪な相手を滅するために協力してください」
「………」
自慧伊が何度か黄装束たちを凝視するが、ひとまず敵ではないと納得したのだろう。包丁を収める。
それに安堵したジュザが、改めて応援を請う。
「私たちは一ヶ月近く敵を捜していますが、いまだに発見できません。あなた方はそれが可能なのですか?」
「はい。そのために調整されています」
「調整…ですか?」
「そういう能力に長けているということです。ただし、私たちは戦闘に特化はしておりませんので、その点は期待しないでいただきたい。私の名前はソラビロ。こちらが弟のヒロゾラです」
二人は兄弟で索敵を担当しており、クルルを最初に見つけたのも彼らの功績である。
当人が述べたように戦闘には向いておらず、他の三人が護衛としてついている。
この護衛の三人は赤鳳隊の鷹魁と同じく、身体を機械化させた戦闘サイボーグで、固有名詞を失ったことで共通して『グエンシ』と呼ばれる存在になっており、認識は番号によって行われる。
社会生活で固有名詞がないことは非常に不便だが、逆に個性がなくなることで命を惜しまなくなる傾向にある。まさにマングラスのために命を捧げた者たちなのだ。
しかしながら、ハンター目線でもさすがに異常。
他のハンターたちは説明を受けても怪訝そうにしているし、目が見えないジュザにはもっと奇妙に映っていた。
(オーラも普通の人間のものではない。魔獣と半々のような…混じり合った異質な存在だ。だからこそ強い。私が自ら目を潰したことと同じか)
強くなるためには代償が必要だ。
自慧伊とて何も語らないが、好きでこうなったわけではないだろう。ハンターQも完全に人間社会での適応性を失っているので、本当の意味で色物がそろった感があった。




