423話 「最終決戦 その3『銀鈴峰防衛戦』」
アンシュラオンがマスカリオン軍と接触する少し前。
スザクの海軍、ベルロアナの衛士隊、グランハムの混成軍は、銀鈴峰からついに打って出る。
しかしながら、破邪猿将軍が近づいていることを察知してからの行動なので消極的な動きではあった。
なにせ、こちらの戦力はあまりに少ない。
直前まで吹雪いていたこともあり、大勢の負傷者を退避させるのが精一杯で物資の補充も最低限。
かろうじて五重防塞からの援軍は間に合ったが、それを含めても、たかが六千にすぎないのだ。
対する破邪猿将軍は先の戦いで大打撃を受けたものの、いまだに八万近い勢力を誇っている。数の差で勝っているのに攻めない理由はない。
破邪猿将軍はどんどん進軍。昼前には銀鈴峰の麓にまでやってくる。
が、ここで彼らは一度立ち止まることになる。
視線の先ではスザク率いる約三百の海兵隊が、山の中腹にぽつんと陣取って動かない。
その両サイドには、いやに盛り上がった大きな雪の塊が数百メートル続いており、時折人影が見えるので後ろに人間がいることは間違いない。
それが頂上にかけていくつも設置されていて、遠くから見ると銀鈴峰を覆う『曲輪』のようにも見えた。
これはスザクたちが銀鈴峰に引き篭もっている間に少しずつ作り上げた防波堤であり、吹雪の中でも活動してくれたハンターたちの努力の結晶でもある。
猿から見ても、あからさまな『罠』。
もし破邪猿将軍が山を登ろうとすれば、人間側は『雪崩』を起こすに違いない。
すでに銀鈴峰には大量の積雪があり、深いところでは十メートルを軽く超えて十五メートル以上は積もっているはずだ。地球での最大積雪量が約十二メートル弱らしいので、この量ではかなりの兵が呑み込まれてしまうだろう。
前の戦いで落石や盆地での迎撃を受けている破邪猿将軍からすれば、警戒するのは当然のことである。
両者の睨み合いは、それから二時間続いた。
猿も動かなければ人間も動かない。かといって、猿たちが回り込んで移動しようとすると、銃弾が飛んできて妨害してくる。
ここで重要なことは、魔獣側からすれば人間を放っておけない点だ。
ただの攻略戦ならば彼らを無視して五重防塞に向かうか、単純に森に進軍して北と南からの補給路を断てばいい。あるいは迂回して銀鈴峰に攻め込む手もあるだろう。
されど、プライドが高い破邪猿将軍は、大軍がゆえに寡兵になめられるわけにはいかず、弱者相手に逃げることを嫌う。一度してやられたのならば、なおさら見過ごすわけにはいかない。
それに加えて、そのまま人間を見過ごせば何をしでかすかわからない怖さもある。
魔獣側からすればスザクたちは侵略者だ。隙を見せれば奥地に侵入され、隠している女子供を狙う可能性すらあった。
事実、一部の傭兵隊は侵攻序盤の森で幼体すら殺し回っている。魔獣からすれば人間そのものが危険な存在であり殲滅の対象。一人残らず殺す必要があるのだ。
夜になる前に、破邪猿将は決断。
「キ゛キ゛ィ―――!!!」
全軍突撃。
そもそも破邪猿将軍はアンシュラオン同様、突撃しかしていない気もするが、単純にこれが一番怖い。
スザクも表情には出さないものの、やはりそうきたかと内心では冷や汗を掻いていた。
だが、もうやるしかない。
「放て!」
眷属たちが一斉に山を駆け登る様子を注視しつつ、十分引き付けたのちにスザクの合図で落石が行われる。
そこらで集めてきた丸太や岩石だが、雪山で使えば面白いように転がっていき、最低でも元の三倍から五倍は大きくなった頃に猿たちに激突。
そうやって敵の動きを止めたところで、本命を点火。
盛り上がった雪が次々と大納魔射津によって爆破され、振動が加わることで雪崩を発生させる。
まずはここ数週間で積もった表層の雪が綺麗に流れていき、魔獣を呑み込んでいく。
これだけでも相当な量であり、いくら魔獣といっても一度埋まってしまえば簡単に出られるものではない。
猿たちの悲鳴が響く中、およそ四千の眷属が死亡および瀕死に陥る。
しかしながら敵からすれば軽微な犠牲だ。その死骸を乗り越えて迫ってくる。
「第二波! 急げ!」
続いて、より深くに埋め込んだ大納魔射津を起動。
雪肌に大きな亀裂が入り、表層の雪だけではなく地表に接していた雪まで動き出して『全層雪崩』が発生する。
銀鈴峰は一年中雪に覆われているため、何十年も固まっていた雪が崩落を開始。それ自体が凶器となり敵に襲いかかる。
それはまるで、ア・バンド殲滅戦でアンシュラオンが使った覇王土倒撃の雪版の如く、時速数百キロの速度で猿たちを蹴散らしていく。
ただし、スザク隊も安全ではない。
衝撃でさらに上部の雪まで崩れれば、自分たちが巻き込まれる危険性もあるからだ。
幸いながら爆破は予定通りいき、魔獣だけが約一万の兵を減らす結果になった。
がしかし、それでもなお魔獣側は優勢。犠牲になった個体は眷属であり、代わりはいくらでもいるのだ。
続いてドスンドスンと大型の『ニュヌロス〈棍棒牛猿〉』が大勢やってきて、仲間の死骸ごと棍棒で雪を吹き飛ばしていく。
雪で機動力を削ぐ作戦も魔獣側にはお見通し。長年自然の中で生きている彼らは、得意な地形ではないといっても山に慣れている。
「退くぞ!」
スザク隊は交戦せず、山を登り始める。
すでに準備していたこともあり、敵が中腹に到達する前に上部に逃げることができた。
そこで再び雪崩を起こして敵の足を止めるが、今度は大型のニュヌロスだったせいか完全に埋まった個体は少なかった。
(思ったより敵の被害が少ない。積極性で負けている証拠だ。前回あれだけ損害を与えたのに、怖れている様子がまったくないなんて…)
スザクは全体の流れが敵側にあることを感じ取っていた。
敵があえて前進を選んだからこそ、その勢いに圧されて雪崩を発生させるタイミングが早まってしまった。
これだけの大軍を前にしているのだ。緊張しないほうがおかしいが、やはり若年指揮官の経験不足が出てしまった場面といえるだろう。
そして、最大の要因は破邪猿将の気概にある。
自身だけではなく中核部隊にも打撃を受けたにもかかわらず、一切消極的な手段を選ばない。まさに猛将と呼ぶに相応しい戦いぶりだ。
「準備していた罠をすべて使え! 敵の勢いを削ぐ!」
敵には以前のような気の緩みは存在しない。死を怖れずに突撃してくる猿の軍勢に対して、スザクは罠を使い切るしかなかった。
本来ならば術符や銃撃も交えたいところだが、これ以上は牽制に使うだけの余裕がない。
「傭兵隊、切り込むぞ!」
ここでグランハム率いる傭兵部隊が突撃。
地の利はまだこちらにある。敵が傾斜で動き鈍っている隙に接近し、近接攻撃で仕留めていく。
深く追うことはせず、死骸を踏み台にして登ってきそうな個体から撃破することで、敵の進軍速度を少しでも遅くする。
傭兵隊が消耗したらハンター隊が入り、彼らが疲弊したら海軍がスイッチ。その繰り返しで耐え凌ぐ。
この任務は不安定な足場で行われるため、最低限サナが修得した足運びができる精鋭らで行われている。そのため人数は少なく、各人にかかる負担も大きい。
この攻防は、約二時間続いた。
いまだ太陽の光が強く照りつけ、雪山が美しく輝いているが、その斜面は人間と魔獣の血肉によって薄汚れていく。
「敵の本隊が動くぞ!」
山頂から敵軍を監視していた部隊から、敵本陣に動きがあったことが知らされる。
眷属たちが、モーゼの十戒の海割れのごとく左右に分かれると、そこを悠然と歩くのは―――破邪猿将
マキに抉られた腹は炭化してボロボロのまま。半分にまで減った取り巻きのグラヌマーハも万全とは言いがたい。
しかし、兵卒のグラヌマから選出した精鋭部隊と、眷属の中でも力の強い上位種から選りすぐった個体を編成することで、猿の軍勢における最強部隊を作り出していた。
眷属をけしかけ続ければ、いずれは人間側が潰えると知っているにもかかわらず、勇猛な破邪猿将は自ら前に出てくる。
その目には、初戦で感じられた迷いはない。覚悟を決めた『漢』がいるだけだ。
眷属らも大将に続き、何万もの個体が一斉に向かってくる光景は、まさに圧巻。まるで下から湧き上がる『逆雪崩』だ。
(こんなもの、止められるわけがない)
これにはスザクやグランハム、ベルロアナに至るまで、ゾゾゾと背筋が凍りつく。
そのマイナスの思念は伝播していき、集団そのものを『恐怖』で汚染してしまう。
現状では、どんなに良い結果が出ても『相討ち』が精一杯。
それでいいのか。それでは負けではないのか。生き延びるためには逃げるべきか。いや、敗走すればもう勝ち目はない。
そんなことを考えている暇はないのに、どうしても考えてしまう。そこが人間と魔獣の大きな違いなのだろう。
その間に魔獣の軍勢が―――ガブリ!!
猛烈な勢いで駆け上がってきた猿たちに食いつかれ、なし崩し的に乱戦が始まってしまう。
「応戦しろ! まだ地の利はこちらにあるぞ!」
もはやスザクが吐き出せる言葉は、それだけだった。
海兵が大盾を構えて必死に壁を作って敵を圧し止め、斜面の上部からなけなしの銃弾と術符をお見舞いする。
が、それで倒せる数は微々たるもの。大納魔射津や爆弾をすべて使っても彼らの勢いは止まらない。
目が吹き飛ぼうが、歯が折れようが、腕がもげようが関係ない。
一歩でも下がれば破邪猿将に斬られる。仮に生き延びても左腕猿将のように、群れから追い出されるくらいならば前に進むしかない。
魔獣であるにもかかわらず、より人間らしい思想を兼ね備えた集団が、一気に海兵隊を蹴散らす!
前回はあれほど強かった海兵も、気持ちが乗りきらなければ頑強にはなれない。今回は休息が裏目に出た形となってしまう。
崩壊する戦線を前に、スザクは素早く決断を下す。
「僕が破邪猿将を倒す! 命知らずの馬鹿どもはついてこい!」
スザクが親衛隊を引き連れて突貫を開始。
普段ならばシンテツが止めるところだが、今回ばかりは何も言わなかった。いや、言えなかった。
起死回生の一手があるとすれば、敵の将を討つことだけなのだ。今度ばかりはシンテツもバンテツと一緒に前線に出る。
「スザク様と共に戦うぞ! 怖れるな! 死ぬ時は一緒だ!」
シンテツが大声を張り上げて部隊を鼓舞。
これを聞いた海兵たちは、ここが最後の正念場なのだと悟る。
「ハピ・クジュネと家族のために戦うぞ!」
「もうあとには引けねぇ! 殺される前に殺すだけだ!!」
「海賊根性、見せてやんよおおおおおおお!」
予備軍の意味合いが強かった第三海軍も、翠清山の荒波によって鍛えられた。
幾多の困難を経て、彼らは本物の海賊になったのだ。
「いくぞ!! おおおおおおおお!」
スザクが闘争本能を燃やして生み出した闘気を、無刃剣に流し込む。
伸ばして伸ばして伸ばして、過去最大の百メートルにまで到達した闘気刃で、横薙ぎの一閃!
マグマのような灼熱の刃が敵陣を切り裂き、眷属らは一瞬で蒸発。上位種は一撃で仕留められずとも動きを止めるには十分。
スザクが切り開いた道に海兵がなだれ込む。
両軍―――激突!
足場も悪く、敵との距離があまりに近い乱戦は、血みどろの泥仕合と呼ぶに相応しい有様であった。
一頭殺しても、その後ろから違う個体がやってきて、それに対処している間に周りから違う個体が群がってくる。
スザクが先頭でいくら切り裂いても勢いが削がれないために、敵の数が減っているようには見えず、精神的にも厳しい戦いが繰り広げられる。
海兵が一人倒れる間に猿たちは五頭死んでいくが、この計算ではいずれこちらが先に壊滅する。
「シンテツ、この場は任せる!」
「了解しました! ご武運を!」
「破邪猿将!! 僕はここだぞ!! 今度は逃げるな!」
スザクが単身で敵の中核部隊に突っ込んでいき、闘気刃で文字通り破邪猿将の首を狙う。
破邪猿将は、それを堂々と迎え撃つ。
左手の大剣が真上から振り下ろされ、スザクの無刃剣を切り払う!
(重い…! 右手がもっていかれそうだ!)
押し合うだけでミシミシと右腕の骨が軋む。
咄嗟に回転して衝撃を逃がしつつ、左手の無弾銃で反撃。
こちらも闘気で生み出した強烈な弾丸を叩き込む。
それを破邪猿将は右手の大剣で迎撃。
その体躯に見合わぬ正確な斬撃で弾丸を切り裂き、両者のエネルギーが反発して爆散。灼熱の炎粉が周囲の雪を蒸発させる。
白煙が巻き上がる中、スザクが果敢に斬りかかるが、そのすべてを剛腕が撃墜。逆に凄まじい圧力をもって反撃される。
スザクも懸命に斬り返すものの、一太刀ぶつかるごとに身体が悲鳴を上げていく。




