414話 「最後のピース その1『現状と遭遇』」
侵攻開始、九十四日目。
破邪猿将軍との戦いののち、混成軍とスザク軍が合流。
銀鈴峰まで撤退し、出立前にスザク軍が建造した防塞に立て籠もる。
それと同時に重傷者は隊を分けて五重防塞への避難を促した。
苦労して落としただけはあり、あの防塞は人間側が有する最大の拠点となっている。そこが最終防衛地点にならずに済んでいることだけは救いだろうか。
一方で、あの一度の交戦だけでこちらの戦力は著しく低下。満足に戦える者は、スザク軍三千を含めた『六千弱』になってしまう。
弾薬や術符も底を尽き始め、残っているのは琴礼泉から持ち出した大量の近接武器だけとなる。
「武器がないよりはましだが、我々の長所が完全に失われる。これでは死にに行くようなものだな」
グランハムが在庫確認の書類を見つめながら首を横に振る。
第二商隊のような戦士隊ならばいざ知らず、中距離で戦う第一商隊では弾薬と術符は必須なのだ。
「現在、グラ・ガマンとハピ・ヤックから物資を搬送していますが、かなり遅れています。先日から吹雪いていますし、それが影響しているのでしょう」
スザクが地図を見ながら日数を測る。
第二海軍が侵攻した三袁峰側とは異なり、銀鈴峰側の補給路は南北ともにまだ生きている。
逆に時間をかけて侵攻した結果、障害となる魔獣をあらかた倒してしまったことが奏功し、よほど運が悪くなければ強力な魔獣と出会うことがなくなっていた。
また、補給隊の護衛は脱落した者たち、言い換えると各防塞に残ってくれた傭兵やハンターが担当してくれるので、今までやってきたことが生きているのは嬉しいことだ。
しかし、それでも現状は厳しい。
「補給が間に合っても、また敵が攻めてくれば意味がねぇ。このまま潰されて終わりだ」
アッカランが指で補給ルートを断ち切ってみせる。
いくら途中までの道のりを確保しても、要衝の銀鈴峰を失えば終わり。ここを敵に制圧されてしまえば、すべてが水泡に帰す。
「その通りですが、ここさえ守ってしまえば、まだまだ逆転の可能性はあるはずです」
「逆転…か。こちらから強襲するにしても、せいぜいあと一回が限度だぜ。後ろを見てみろよ。知った顔も少なくなっちまいやがった」
振り返れば、名立たる傭兵団もだいぶ数を減らしていた。
身体が欠損する怪我くらいは当たり前で、いつの間にかリーダーが変わっている団もいるくらいだ。彼らも相当無理をしていることがわかる。
実際、警備商隊にしても怪我人を含めて半数以上の隊員を失っていた。ハピ・クジュネに第四商隊を残しているとはいえ、この損失はあまりに大きい。
グランハムも表情こそ冷静だが、最悪の事態を想定すると絶望に呑まれそうになる。
されど、もはや後には引けない。
「待っていても勝ち目はない。その一度で決めるしかあるまい。予定ではアンシュラオンが熊神の軍勢を足止めしているはずだ。先日の戦いでわかったように敵側にも慢心はある」
「しんどい戦いになるな。あいつがいてもギリギリだ」
「それでも勝つだけだ。私は負けるために来たわけではない。それはお前も同じであろう?」
「はっ、ザ・ハン警備商隊の総隊長が言うなら、こっちも乗るしかねえか。その代わり、見返りも弾んでもらうがな」
「北部の命運がかかっているのだ。勝てば取り放題になる。お前の傭兵団も三倍の規模になるだろう。その時はアンシュラオンではないが、紙幣の風呂にでも入ってみればいい」
「なんだそりゃ?」
「金持ちだけが味わえる嗜みらしい」
「変な趣味だが…まあ、悪くねぇな」
バブルの時代ではたびたび見られた『札束風呂』というものである。
バスタブの大きさにもよるが実際に検証したところ、全部を埋めるには一万円札で約二十五憶円分が必要になるらしいので、庶民には絶対にできない嗜みといえるだろう。(宣伝や広告以外で実際にやった人がいたのかは不明)
一般人ならば「命を失ったら風呂どころじゃねえよ」というのが常識だが、一攫千金を夢見る傭兵にはぐっとくるらしい。
「では、盃を交わすぞ。これがストックしてある最後の酒だ。十分に味わえ」
「相変わらず酒が好きだな」
「ならば、勝った時は酒風呂にでも入るとしよう。溺れながら飲む酒も悪くない!」
「ははは、あんたも変わったもんだ。だが、今のほうが前より面白みがあるぜ」
グランハムたちは酒盛りを始める。
傭兵にとって命がけの戦場などいつものこと。その時その時を楽しむ習慣があるのだ。
彼らの意見がまとまったのを受けて、スザクはほっと胸を撫で下ろす。
こうした劣勢の状況で一番怖いのは、仲間割れによる自滅だ。その点でもアンシュラオンがストッパーになってくれている。
(そうだ。もうハピ・クジュネとかグラス・ギースとか言っている場合じゃない。北部全体の危機なんだ。ここにきてようやく、僕たちは一つになれたのかもしれない。困難が僕たちを強くするんだ)
翠清山制圧作戦が開始されるまでは、両都市の主導権争いが白熱していたものだ。
まさに取らぬ狸の皮算用のごとく、すでに勝ったつもりでいた。そこに慢心がなかったとはいえないだろう。
海軍が大きくなるにつれて自信がつき、ハピ・クジュネも野心を抱いていった。それだけ成長していたのは事実である。
しかし、もしグラス・ギースの戦力がなければ、スザクも生きていたかわからない。
ただの少女だと思っていたベルロアナが覚醒し、ファテロナも評判以上の恐るべき戦果を挙げている。マキも単独で破邪猿将を倒せる可能性を秘めていた。
現在ベルロアナとファテロナは力の使いすぎで寝込んでいるが、やはりグラス・ギースは怖い存在であることを再認識する。(マキは両者の護衛についていて会議には不参加)
(本来はグラス・ギースを中心にまとまるべきなのかもしれない。歴史もあり、五英雄の血筋も確かだ。でも、なぜか妙な不安が残る。どうしてもグラス・ギースだけに任せておくのは危険な気がするんだ。僕がハピ・クジュネの人間だからだろうか?)
これだけの力を持っているのに凋落していることが不思議でならない。
そして、なぜハピ・クジュネがここまで発展できたのかも考えてみる。
(自由な人の出入りが経済を活性化させる。そんな簡単なことはグラス・ギースもわかっているはずだ。それでも彼らは血筋の維持を優先して閉鎖的なままだ。ベルロアナ様の力を見て、その理由の一端は理解できたけど…僕には表に出ることを過剰に怖れているようにも感じられる。やはり『大災厄』が原因なのだろうか)
グラス・ギースは大災厄を契機に壁を生み出し、他者からの干渉を極度に嫌うようになった。
たしかに四大悪獣は危険だが、アンシュラオンが倒したように絶対的な存在ではない。もっと開放的になって経済を活性化させれば、ハピ・クジュネと同等以上の軍隊は持てるはずだ。
しかしながら、あえてそれをしない。
(なぜなのだろう? あの都市には、まだ僕が知らないことがあるのだろうか…)
外の大吹雪がスザクの思考をまとめてくれる。
が、数分もしないうちに新たな作戦会議が始まり、現実に忙殺されていくのであった。
∞†∞†∞
侵攻開始、九十六日目。
日本ならば年が明けた元旦の日。
マスカリオン軍は、依然として清翔湖で待機。
破邪猿将軍は、マスカリオン軍を避けるようにしつつも清翔湖の南西に移動。傷ついた群れを癒し、隊を再編成するために必死のようだ。
スザクと交戦したせいか破邪猿将も機嫌が悪く、たびたび怒号が響き渡る光景が見られた。
錦王熊軍は崩れた崖に苦慮しながらも、生きている個体だけで移動を再開していた。
三軍ともに抱くのは、怒りの感情である。
油断していたことで軍団が大損害を被り、あわや将が討ち取られる寸前にまで陥っている。これほどの屈辱はないだろう。
それと同時に下手に動けばまたやられるかもしれないと、人間側の底力に一抹の不安を感じて動きが鈍っている。
そのおかげで銀鈴峰に立て籠もっているスザクたちは、ゆっくりと休むことができていた。
「今のところは予定通りですね」
ソブカが地図を見ながら小走りに山を移動。
アンシュラオンの闘人から得られた情報を地図に書き込み、視覚情報としてわかりやすくまとめている。
「ここからは情報戦だ。敵がどう動くのか、いち早く予測したほうが勝つ」
錦王熊軍を足止めしたアンシュラオンも合流。現在は琴礼泉から離れた時と同じメンバーが集まっていた。
あえて単独で行動したのは確実に奇襲するためと、場合によってはそのまま敵のボスと接触する可能性を考慮したからだ。
だが、誘いには乗ってこなかった。
「例の魔獣は肩透かしでしたか。これならば我々の戦力を結集して、どれか一つ軍勢を壊滅させておくべきでした。その点は読み違えましたね。もったいないことをしたものです」
「大ボスを無視はできない。これくらいで満足しておくべきだろう。しかし、もっと敵の情報が欲しいところだな」
「そうですねぇ。思考パターンがわかれば行動も読みやすくなります。現状では極めて慎重で滅多に表に出てこない、という点しかわかりません。あるいは臆病なのでしょうか?」
「臆病者が一番怖い。油断してくれていたほうが隙が生まれるからな。まあ、出てこないのならば出てくるまで敵の戦力を削るだけさ」
アンシュラオンたちは、隠密行動をしながら清翔湖の北西寄りに向かっていた。
この地点は、先日戦った錦王熊軍から南東の方角で、清翔湖に陣取るマスカリオン軍から見れば西にあたる。
若干銀鈴峰からは遠いものの、もしそちらに動きがあれば敵の背後を突くことも可能だ。
すべての戦場の中間地点であり、敵が動けば即座に対応できる場所といえる。
(スザクやグランハムにも余裕はないはずだ。次で決めないともたないだろう。思った以上にこちらへの『焦らし』が効いている。まさか本当に消耗戦を仕掛けるつもりじゃないだろうな)
理想をいえば、マスカリオンをスザクが引き付けておきつつ、ベルロアナが猿を一時的にも退却に追い込み、自身が熊を足止めしている間にボスと接触。
そのまま余力があるうちにボスを撃破して戦いを終わらせたかった。これが一番被害が少ない方法であろう。
だが、やはりというべきか、現実は予想通りには進まない。
(考えれば考えるほど最悪なことばかり思いつく。そんなことはないと思いたいが、今だってこの有様だしな。しかし、やつが時間を稼ぐ理由は本当に消耗だけを狙ってのことなのか? もし何かしらの対策を練っていたとしたらまずいな)
アンシュラオンの能力は、いかなる戦いにも対応できるように万能寄りに成長させているが、それでも苦手な相手がいないわけではない。能力の相性によっては勝てない場合もある。
たとえば、術式に精通しているジ・オウンとはやりにくいし、ゼブラエスのようなパワーと技術を兼ね備えた純粋な高火力ファイターも難しい相手だ。
今までの敵にもパワータイプはいたが、それは単純にレベルが低かったから対応できたのであって、一定ラインを超えると傾向性の違いが如実に出てくるものである。
敵が操作系なのは間違いないが、搦め手を使う相手なので油断はできない。
と、今後の流れについて思考を巡らせていた時だ。
波動円に一瞬だけ反応があった。
直後に消えたが、間違いなく何者かがいた感覚が残っている。
「ソブカ、止まれ。この先に何かいる。10時の方向、二キロ先に反応があった」
「そう遠くはありませんね。魔獣ですか?」
「掠めた程度だから形まではわからないが、こちらの波動円に気づいて下がったようだ。人間にしろ魔獣にしろ、相当なやり手なのは間違いない」
「この状況下で不確定要素は困ります。できれば正体だけでも突き止めたいものですが…」
「オレが行って確かめてくる。お前たちはゆっくり移動しろ。サナ、戦闘態勢を維持だ。もし向かってきたら全力で排除するんだ。手加減はいらないぞ」
「…こくり」
サナを連れていかない段階で最大限の警戒をしていることがわかる。それだけ現状が厳しいのだ。
アンシュラオンは反応があった方角に走ると、一気に速度を上げる。
この周辺はまだ深い森林地帯だが、木々を走り抜け、藪を貫いて最速で迫る。
火怨山の怖ろしい環境を考えれば、この程度の森の二キロなどはたいした距離ではない。
あっという間に走破した頃には、敵を完全に捕捉していた。
(十…二十……三十? 思ったより多いぞ)
探知したのは、三十の【人型】の存在だった。
そして、相手も逃げきれないと悟ったのか、追いついた時にはこちらを待ち受けていた。
視界には【黄色い装束】をまとった者たち。
姿かたちもそれぞれ異なり、一瞬本当に人間かと疑うような者もいたが、相対的に見て間違いなく人だろう。




