411話 「一騎当万 その1『単身抜刀』」
少し時間は戻り、グランハムたちが破邪猿将軍と衝突している頃。
三袁峰の北東をゆっくり進んでいる魔獣の軍勢があった。
ゴツゴツと安定しない道を歩いているのは、『熊の群れ』。
三大魔獣軍の一角、『セレプローム・グレイズリー 〈銀盾錦王熊〉』が率いる【錦王熊軍】である。
その陣容だが、まずは中核部隊である『ローム・グレイズリー〈銀盾錦熊〉』の群れが、およそ二千。
ハイザクや黄劉隊との戦闘によって多少数を減らしたが、錦王熊のグループは精鋭ぞろい。仮にこの戦力だけでも、街程度ならば軽く蹂躙することができてしまう。
唯一の弱点としては暑さに弱く、乾燥した場所もかなり苦手なので、翠清山以外の荒野で暮らすことが難しい点だ。
そのために魔獣軍が勝ったとしても、彼らが快適な山から出ることはまずありえない。それだけでも救いといえる。
続いて、同じくハイザクとも戦った眷属の『モフスキャッパ〈咬捥獰猛熊〉』が約四千頭。
数の差はあったものの、サンロ隊が彼らによって全滅したことからも、この熊型魔獣の戦闘力が高いことがわかるだろう。
次に、麓の森にもいた『グスマータ・デビル〈岩掘悪熊〉』が、約五千頭。
体躯は人喰い熊にも匹敵し、牙や爪といった基本的な攻撃能力が高く、我々が想像する熊に一番近いのがこの種族である。
上位種や突然変異種が少なく突出した能力を持たないことから、通常のハンターでも比較的対処しやすい傾向にあるが、欠点もないので普通に強い魔獣ともいえる。
明確に熊と呼べる魔獣はここまでで、およそ11000頭。
日本に生息する熊が二千から三千といわれているので、その四倍から五倍はいる計算になる。
そもそも熊は、単体では地球でも最強クラスの生物だ。
この世界でも圧倒的ではないものの、種族そのものが強いこともあり、末端の熊に至ってもかなりの戦闘力を誇っている。
それが一万を超える大群で動くという悪夢。
一頭一頭が常人ではまったく敵わない強力な魔獣であることを考えると、それだけでも怖ろしい集団といえる。
続いて彼らの前を歩くのは、『熊以外の眷属』たちだ。
まずはイタチの仲間であるが、極めて好戦的で狂暴な『ガンクズリ〈多食貂熊〉』。
生物学的には犬も熊に比較的近い種族ではあるのだが、犬は犬で派閥を形成しているので、魔獣の系列の中では熊の眷属は『イタチ』や『スカンク』といったものが大半を占めている。
ガンクズリの体長は一メートル半から二メートルと小柄な部類で、分厚い皮膚に鋭い牙をそなえつつも機動力が高く、普通の熊を超える移動距離と速度を誇る。
彼らは集団で動く傾向にあり、格上の大きな魔獣を仕留めることも珍しくない。
また、異常なほどの食欲を持ち、雑食性なので生態系を荒らすほどに他種族を食い散らかすことでも有名だ。
このガンクズリの群れが、およそ一万五千。
こんなものが都市に解き放たれれば、人間や家畜、虫に至るまで生物全般をすべて食い荒らすことは間違いない。熊以上に危険な害獣といえる。
そして、さらに狂暴な同じくイタチ系統の『エポラーテル〈蜂飼穴熊〉』。
こちらは地球にいるラーテルという、肉食獣にも喧嘩を売る狂暴なイタチ科の動物に酷似しており、その狂暴性もガンクズリ以上の精神的怪物である。
なぜ『蜂飼』という名が付いているかといえば、虫系魔獣、特に蜂型魔獣と共生関係にあり、彼らの巣を荒らす外敵を排除する代わりに蜜の提供を受けているからだ。
それがこうじて『身体に蜂の巣を作らせる』謎の進化を遂げた種でもあり、程度の違いはあれど、体毛の間に虫型魔獣が棲みついていることが多い変わり種だ。
エポラーテルの皮膚は分厚い脂肪で覆われているため、もし刺されても毒針が体内にまで届かないことで事故も少なく、虫側は守られ、魔獣側は常に蜜をもらえる機会を得る。
そのせいかあまり長距離移動はせず、ぼーっと何もせずに過ごすことが多い魔獣だが、いざ外敵と戦う時は前述した通り、非常に狂暴で勇ましい姿を見せるだろう。
繁殖力も高く、この軍勢では約三万の群れを引き連れており、暇があれば交配しようとするお盛んな種でもある。
続いて軍の先頭を歩く末端種族が、『ハリュテン〈菌爪長貂〉』と呼ばれる魔獣だ。
イタチ科のテンという動物に似ているが、大きさはやや大きく中型犬程度はある。
直接的な戦闘力はさほど高くない第六階級の駆除級魔獣であるも、どんな場所でも生きていける生命力とともに、多種多様な雑菌を体内に宿していることが最大の特徴だ。
彼らに噛みつかれたり引っ掻かれたりすると、抵抗力のない生物はひどく腫れたり、場合によってはそのまま死に至ることもある。
活動範囲も広いことから、森に入った人間が彼らに攻撃されて死亡する事例も多く報告されている。
繁殖力は眷属随一で、チユチュ同様に一つのつがいから約一万頭が生まれると推定されている。
このハリュテンが、およそ十万頭。
言ってしまえば錦王熊軍の「雑兵」であるが、この数の多さは単純に脅威である。
こうして全体で【約十五万超という軍勢】が出来上がる。
しかし、熊は猿よりも大きい個体が多く、基本は単独で暮らす種族もいる。各種の生息地が微妙に異なることもあり、他の軍団と比べて集まるまでに多くの時間を要していた。
それによって錦王熊軍が一番最後の出立になってしまった、というわけだ。
しかも、すでに他の二つの軍が出立したあとなので、このまま進んでも、おそらくは獲物も残っていない状態だと思われる。
破邪猿将軍がそうであったように、いや、それ以上に錦王熊軍には緩みが見られる。
元来知能があまり高くないこともあってか、エポラーテルやハリュテンといった眷属たちは自由気ままに動いては隊列を乱していく。
その場の気分で寝転がったり、見つけた虫型魔獣を追いかけたり、草木を適当にかじったりと、もはや動物の悪いところが凝縮されたような馬鹿っぷりも目立つ。
そのたびにガンクズリたちが咆えて威圧するが、今度はそのガンクズリがだらだら遊び始めて、その上位にいるモフスキャッパに叱られる。
そのモフスキャッパも集中力がなく、長時間の移動では各自が勝手に動き出すため、結局はその上位にいるローム・グレイズリーが激怒する羽目になる。
錦熊に至っても、本来は雪深い銀鈴峰に生息する魔獣である。
冬に入って翠清山全体が冷えたとはいえ、三袁峰は彼らにとっては『暑い』場所といえる。そこでの行軍はかなりのストレスになり、些細なことでも仲間内で言い争ったりする光景が見られた。
つまりは、他の軍勢以上にバラバラである、ということだ。
それ以前に彼らが銀鈴峰から三袁峰までやってこられたのは、ヒポタングルの援護があってこそだ。
そのヒポタングルたちが独自の軍団を形成して動いている以上、今は自力で動かねばならない。
そのうえ移動速度は、三つの軍勢の中で【最遅】という体たらく。
熊自体は走れば速いが持久力がさほどあるわけではないので、一日で動ける距離はせいぜい十キロかそこらだろう。進みが遅いのも仕方がない。
と、このように短所ばかり述べたが、耐久力と防御力では三大魔獣の中でも最強であり、山を下りてからが本領発揮といえる。
いわば彼らは、『都市攻略部隊』。
山にいる人間の駆除が終われば、ハピ・クジュネへの侵攻が待ち受けているので、このペースで移動していても許されるというわけだ。
が、そんな彼らに悲報を届けねばならない。
だらだら移動している熊の軍勢を、『あの男』が待ち受けていた。
「なんだよ、やる気が全然ないじゃないか。所詮は低級の魔獣だな」
崖の上から熊の行軍を眺めるのは、アンシュラオン。
この周辺は、中腹から山頂の中間に位置する山岳地帯で傾斜もきつく、移動するのに難儀するポイントである。
そこで彼らの足が止まるのは、すでにわかっていたことだ。
「そろそろグランハムたちが交戦している頃かな。マキさんもいるから大丈夫だと思うが、最悪はアーシュラもいるしアル先生もいる。防ぐだけならば、あの戦力でもなんとかなるだろう」
なぜ闘人だけのサポートにとどめているのか。直接支援しないのか。
その答えは、アルが述べたように全体のバランスを見ているからだ。
最初から不利な戦いなのだ。それを勝ち抜くためには、さまざまな条件をクリアする必要がある。
この時点では、まだベルロアナ率いる本隊は仕掛けていないが、結果として破邪猿将軍の撃退に成功している。
それができたのも大きな枠組みで戦略を練ったからだ。
そして、アンシュラオンに割り当てられた相手が、この熊の軍勢だっただけのことである。
他の戦力と決定的な違いは【単身】であること。
そう、アンシュラオン独りで、この大群を相手にするのだ。
単独で三軍の相手は難しくとも、一つの軍勢くらいならば対応は可能となる。
「いくら低級とはいえ油断はしない。準備は入念にしないとな」
アンシュラオンはポケット倉庫から何十もの武具を取り出すと、それらを命気で包んで自身の背後で浮かせてみせる。
たとえるのならば、仏像の背後にある『後光』のように武器を並べ、いつでも取り出せるように配置したのだ。
いちいちポケット倉庫から取り出す手間すらも惜しむ戦いが、これから始まることを示唆している。
準備を終えたら崖から飛び降り、真下でゆっくり行軍している熊神の軍勢に向かって水気を放射。
覇王技、『水流波動』。
単純に水気を放って叩きつけるだけの因子レベル1の基本技だが、アンシュラオンが使えば激流となり、建物を破壊することも可能な威力を持つ。
突如生まれた膨大な水流が、動物特有の謎のテンションで呑気に踊りまくっているハリュテンの群れに激突。
多くの個体は何が起こったのか理解できないまま蒸発。
かろうじて生き残った個体も、半ば白骨化しながら崖下に落下していった。
この一撃で、およそ百頭が絶命。
アンシュラオンは水流波動によって穴があいた地面に降り立つと、背中に取り付けた剣を一本抜いて剣衝を放つ。
こちらもただの剣衝だが、増幅された剣気は横一文字に広がり進み、固まっていたハリュテンを五十頭ほど切り裂く。
当然、彼らも絶命。
身体を真っ二つにされ、臓物をぶちまけながら地面に転がる。
生命力が強い個体はまだ動いていたが、続いて放たれた水流波動によって、綺麗さっぱり蒸発していった。
(いい剣だ。さすがに出来が違う)
背中に取り付けた武具はすべて、先日火乃呼に打たせた普通の剣や槍であるが、そこはさすが稀代の天才、刀匠火乃呼。
平凡な剣を作らせても、その出来は超一流。
柄こそ市販のものを流用したが、鍛冶師の魂である刀身の出来は素晴らしく、彼女の攻撃性がそのまま形になったような炎の波紋が特徴的で、一般的な合金とは思えないほど剣気の乗りが良い。
包丁を作らせてもあれだけの逸品になるのだ。渋々とはいえ本職の刀剣類を扱うのならば、その才能を隠すことはできない。
おそらくは業物と偽っても一般人には見分けがつかないレベルだろう。事実そのクオリティは、そこらの鍛冶師の最高傑作を軽く上回っているはずだ。
ただし、火乃呼はあえて褒めない。
(おだてると調子に乗るからなぁ。あいつには、これからもっと活躍してもらわないといけない。そのためには適度に火を入れてやる必要がある。それができるのはオレだけだ)
天才は天才を知る。
凡人がいくら言っても火乃呼には通じない。彼女すら上回る真正の化け物だからこそ、その言葉に刺激を受けるのだ。
武器の出来は十分。
なれば、あとは敵次第だ。
「遠慮なく来い。オレが相手になってやる」
いまだ敵はパニック状態にあり、怪我をした個体は錯乱して暴れ回っている。
後方の群れに至っては何事かと完全に動きを止めているようだ。
数が多すぎて前がよく見えないことも原因となり、まだまだ敵に襲われているという実感が乏しい。
そこにアンシュラオンが、剣を持って歩き出す。
その歩みはゆっくりながらも、間合いに入った敵を確実に切り裂く。
そのたびにドチャッと肉塊が崩れ落ちる音が響き、飛び出た血液で灰茶色の地面を赤黒く変色させていった。
そして、アンシュラオンが千頭目のハリュテンを殺した時、ようやく敵側から強い敵意が向けられることになる。
ここでようやく敵が出現したことを認識したのだ。
「野生の魔獣にしては、あまりに反応が遅い。それが緩みだ」
唸り声を上げて襲いかかってくるハリュテンたちを、問答無用で斬殺。
周囲の地形三百六十度を支配しているアンシュラオンには、一分の隙もない。
足運び、腰の動き、手の挙動、あらゆるところを無駄なく動かし、敵の攻撃を回避しながら鋭い剣撃で反撃していく。
陽の輝きを受けて刀身が輝くたびに血飛沫が舞い、そこらじゅうが汚れていくが、彼自身は以前として真っ白のまま。
返り血を受けても薄く張った戦気によって蒸発するが、それ以前に返り血すら予測して回避運動の中に組み込んでいる。
ハリュテンなどまったく相手にならない。数の差も意味はない。ただ斬られる血肉が増えるだけだ。
とはいえ、無視はできない。
(こんな雑魚でも下界では脅威になる。たしかに魔獣にも生きる権利はあると思うが、オレの中の天秤では人間のほうが重いんでな。都市にいるお姉さんたちのために死んでくれ)
魔獣側が勝ってしまえば都市の一般人が犠牲になる。彼らからすれば、どんな絶世の美女でも柔らかい肉にしか見えないだろう。
自身が人間である以上、そうあるべきだと信じる以上、自らの価値観はけっして揺らがず、その迷いのなさは剣撃にも見事に表れる。
斬る、切る、キル!
地面から溢れ出るハリュテンの血が、崖から落ちて滝になるほどに壮絶。容赦のない虐殺が行われる。
しかも余計な技は使っておらず、ただの剣撃だけで約一万頭の眷属を断ち切ってしまう。




