410話 「私怨の行き先」
「あれは…何!? 味方なの?」
マキが出現したアーシュラに目を見開く。
あれだけ苦労して一撃を叩き込んだ破邪猿将をボコっているのだから、驚愕するのも当然だろう。
「闘人ネ。気質が似ているから、たぶんアンシュラオンのやつヨ」
「あれも闘人!? ネズミみたいなやつとは見た目も強さも全然違うけど…」
「あれは十二老師レベルが扱う超一級品の『戦闘用の闘人』ネ。すごい質量アル。相当な戦気が練り込まれているヨ」
「アンシュラオン君の援護…ってことでいいのよね? まだこんな力を隠し持っていたなんて…底が知れないわ」
アンシュラオンが人前でモグマウス以外の闘人を使ったのは、せいぜい琴礼泉のジュダイマンくらいで、アーシュラを使ったのも人喰い熊の巣穴掃除以来である。
どちらにもマキはいなかったので、アーシュラを見るのは初めてとなるが、基本的に武人は力を隠すものだ。
能ある鷹が爪を隠すのは身の安全のため。世の恐ろしさを知る者ほど慎重になっていく。
「しかも、あの様子だと自動起動による自律操作ネ。特定の条件下で自動的に顕現して、あらかじめ定められたプログラム通りに動くタイプヨ」
「アンシュラオン君は何を条件にしたの?」
「空色の髪の子に仕掛けてあったみたいアル。状況から考えると、あの子の生命が危なくなった時が発動条件ヨ」
「え? ベルロアナ様じゃなくて?」
アーシュラは琴礼泉を出る前に、すでに『クイナに仕込まれて』いた。
普通ならばベルロアナに仕込むものだろうが、お付きの彼女を条件にするあたり、アンシュラオンのひねくれた性格が見て取れる。
ただ、「一般人のクイナが危険に晒される状態=本当に危ない状態」ともいえるわけで、最後の保険として用意していたものと推測できる。
(一番怖ろしいのは、闘人を仕込んでいることがわからなかったことヨ。たぶんネズミ型の闘人に力を封入していたはずアルが…まったく感じなかったネ。十二老師すら霞む技術アル)
『三皇天子礼国』の十二老師の中には、闘人操術を専門とする超一流の武人がいるが、おそらくは彼でもこれほどの隠蔽は不可能だろう。
アンシュラオンが驚異的なのは、力そのものの威力ではなく、力を隠す技術にある。
無警戒の中でいきなり強力な技が飛び出てくれば、どんな達人でも虚をつかれてしまう。それによって主導権を握り続けるのだ。
「でも、あれだけ強いのなら、どうして最初から出てきてくれなかったのかしら? そうすれば犠牲も少なくて―――」
「たった独りで戦わせる気アルか?」
「っ…!」
「アンシュラオンは常に全体のバランスを見ているネ。いくら強くても単独で全部背負わせるのは無謀というものヨ。それはミーたちからしても屈辱のはずアル」
アーシュラは強いが、自律操作のために場面場面に合わせた細かい制御ができず、どうしても無駄な攻撃を受けてしまう。
所詮闘人は戦気の塊であり、ダメージを受ければいつかは消える。
強いからといって頼ってばかりいれば、勝てる戦も勝てなくなるのは道理だ。
そして、何よりもその考え方は、アルが述べたように【弱者の甘え】。
アンシュラオンに媚びを売り、利用しようと近寄ってくる腐った連中と同じだ。
(そうだわ! 私は何を甘えたことを言っているの!? こんな状況でもアンシュラオン君は助けてくれているのに! それがどれだけ彼の負担になっているのか!)
アンシュラオンの力になると誓ったのに!
孤独な彼に追いつくと決めたのに!
「私は彼の背中を守れるくらい、強くなってみせるんだからあああああ!」
マキから純度の高い真紅の戦気が迸る!
身体は疲れていても心は燃えている。
精神が具現化する世界では、気持ちを維持することがもっとも大切である。
「みんな、気合を入れなさい! ここで戦わなきゃ衛士隊の恥晒しよ!」
「マキさん…マキさんが来てくれたぞ!」
「うおおおおおおお! 俺はやるぞおおお!」
「人妻になっても諦めないからなーーー!」
いまだグラス・ギース内でもマキの人気は高い。
彼女が先頭に立って指揮を執ることで、瓦解寸前だったグラス・ギース軍が息を吹き返す。
「いい顔になったネ。アンシュラオンも良い妻を持ったものアル。それじゃ、ミーももう少しだけがんばるヨ」
マキが敵陣に殴りかかったのを皮切りに、烈華の心が全員に乗り移ったかの如く、残された力を振り絞って一点突破を開始!
アーシュラが破邪猿将の群れを押さえてくれているからこそだが、彼らの奮起に猿たちも気圧されていた。
破邪猿将も流れが敵側に向いたことを察知したが、自身の目の前には依然として炎の闘人が立ち塞がる。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!」
アーシュラのラッシュに破邪猿将の鎧がへこんでいく。
このまま受け続けると危険と判断した破邪猿将は、鋭い剣舞で応戦。
アーシュラが殴れば、破邪猿将が高速の刃で斬り返す。
戦気で出来た拳と『征火激隆の剛剣』が衝突するたびに、激しい爆炎が巻き上がるので、その場には誰も近寄れない。
しかし、一見すれば破邪猿将が持ち直したことで互角に見えるものの、闘人は防御行動をしないため、被弾無視で反撃してくるから始末が悪い。
互いの攻撃が交差するたびに破邪猿将の傷が増えていく。
―――「なんだこれは! 精霊の類か!? 何度斬ったら死ぬのだ!」
破邪猿将も敵が普通ではないことに気づいていた。
斬っても斬っても質量が少し減るだけなので、まさに人外を相手にしている気分だ。
彼がアーシュラと対等に戦えているのは、ディムレガンが作った術式武具と長い寿命による高い経験値があるからだ。
されどアーシュラも、アンシュラオンの戦闘経験値を蓄積して生み出された闘人である。
おおよその敵の間合いを理解すると、戦闘アルゴリズムが更新され、即時に適応を開始。
体型にも変化が見られ、対猿戦闘に見合った身体のサイズになり、手足も長くなってリーチを伸ばす。
そこから剣撃に合わせてクロスカウンター、一閃。
「オラッ!」
「ゴ―――ブッ!」
顔面に放たれた一撃が、兜のフェイスガードごと鼻を潰し、鮮血が舞った。
あまりに綺麗に入ったことで、大猿の身体ががくんと沈み込む。
「ッッ―――っっ…!!」
すぐさま体勢を整えたものの、その眼球はまだ揺れていた。
そう、一瞬だけ気を失ったのだ。
この誇り高い猿の王が、ぽっと出のよくわからない相手に、ノックアウトされそうになってしまう。
これには破邪猿将もブチ切れ!!
―――「貴様ぁあああああああああああ!」
破邪猿将は大剣を振り回しながらアーシュラに猛撃を繰り出す。
その様子は、まさに竜巻。
周りに障害物があっても気にしない。
不規則な軌道から放たれる両腕の高速斬撃が、周囲の木々すら薙ぎ倒しながら戦気の身体を削っていく。
あまりの激しさにアーシュラの攻撃が鳴りを潜めて、少しずつ下がっているように見えた。
が、これはあらかじめプログラムされていた行動で、破邪猿将を誘導し、群れ全体をベルロアナたちから切り離すことが目的だ。
頭に血が上った破邪猿将は、それに気づかない。
知能が高いといっても猿だ。戦士のプライドのほうが優先されてしまう。
破邪猿将が明後日の方角に向かったせいで、取り巻きも追わねばならず、マキたちの攻撃を嫌な角度で受ける羽目になる。
破邪猿将を追いたいが、マキたちが邪魔。
マキたちを正面から迎撃したいが、明らかに敵に誘導されているボスが心配。
なにせマキを放置しておくと、またさきほどの攻撃を仕掛けられるかもしれないのだ。目を離すにも離せず、かといって構っている暇もない。
これが純粋な一騎討ちならば任せておけばよいのだが、集団戦闘なので誇り高いボスの扱いが難しいのである。
こうして敵の中核部隊は混乱し、勢いが削がれていく。
その間にクイナたちは撤退を急ぐ。
「誰か、誰かベルロアナ様を! お願い、お願いするのです!」
「僕が運びます!」
他の七騎士は戦闘に参加しているため、ペーグがベルロアナを担ぎ上げて走り出す。
が、相変わらず彼は腰痛だ。
ベルロアナの能力が発動していない時は、どうあがいても腰痛なのである。
力強く駆けていたのも最初の数歩だけ。
「あうっ!?」
すぐさま腰に電流が走り、あまりの痛みに硬直して動けなくなる。
「何を、なにをしているですか!? なさけないのです!」
「あがぁぁ…が……す、すみません……こ、腰が…」
責められるペーグは哀れだ。
なぜならば腰痛の原因は、例の変態紳士である。
あの日あの時、君と出会わなければ、どんなに素敵な未来が待っていたことか。
と、嘆く暇もない。
血気盛んなグラヌマが、ベルロアナを狙って単身突破してきた。
どこの部隊でも功を焦る個体はいるものだが、予想していない行動は意外と有効だ。
この場にはペーグとクイナしかおらず、すでにアーシュラはいないので、再度身を盾にすることしかできない。
「急ぐ、急ぐのです!」
「が、がんばります! あっ―――」
急ごうとすればするほど腰は言うことを聞かない。
ピキッと嫌な音がして痺れて動けなくなる。
「ひー! もう駄目、駄目なのですー!!」
そんな絶体絶命の時。
迫り来るグラヌマに慌てふためく二人の前で、輝くレーザーが飛んでくるとグラヌマの身体を射貫く。
それは一発、二発、三発と続けて発射され、心臓と頭部を確実に破壊。
これにはさすがのグラヌマも即死する。
「ご無事ですか、ベルロアナ様! 遅くなって申し訳ありません!」
よほど急いで来たのだろう。
この寒い中でも汗ばみながら登場したのは、銃を握る褐色肌の青年と屈強な海兵たちだった。
その姿を確認したクイナが、喜びと驚きの感情が混ざった声で叫ぶ。
「す、スザク様! 来て、来てくださったのですね!」
「早くベルロアナ様を! あとは我々がやります!」
「はい、はいなのです!」
指揮官に続いて【約三千のスザク軍】が、山から駆け下りてくる。
これは偶発的に起きたのではなく、最初から予定されていたことだ。
彼らは逃げたように見せかけて進路を変更し、混成軍の動きに合わせて破邪猿将軍を挟撃する手筈だったのである。
そのために斥候を配置して常時敵軍の監視を続けていた。
ただ、やはり破邪猿将の群れを警戒していたことで、攻撃するタイミングが掴めず、後手後手に回っていたことは否めない。
仮に友軍がピンチだからと、すぐさま混成軍に合流したとて、劣勢を覆すだけの力がなければ共倒れになって終わりだ。
数で圧倒的に劣っているこの戦場では、安易な決断は壊滅を招くことになるだろう。
しかし、アーシュラの出現によって敵に隙が出来たため、攻勢に出るチャンスが生まれることになった。
そこに余力のすべてをぶつける!
「いくぞ、野郎ども!! 第二海軍の仇を討つ!」
「うおおおおおおおおおおお!」
スザクの『バイキング・ヴォーグ〈海王賊の流儀〉』が発動。
海兵は死んだ仲間の想いを受け継ぐが、愛と同時に恨みも忘れないものだ。
海兵が破邪猿将軍になだれ込み、次々と猿を討ち取っていく!
彼らの勢いは凄まじく、その様子には鬼気迫るものがあった。
特に第二海軍と直接戦った猿神の軍勢に対しては、特別な感情があるのだろう。
スザクも鬼の形相で先陣を切り、敵を切り裂きながら走る、走る、走る!
彼の目に映っているのは、猿神の大ボスのみ。
「破邪猿将ぉおおおおおおおおおおおおお!」
「ッ―――!」
マキ以上に強引に突破すると、アーシュラと交戦している背後から破邪猿将に鋭い無刃剣の一撃を入れる。
闘気を吸収した灼熱の刃が、破邪猿将の鎧に食い込み、一筋の裂傷を生み出した。
「ギィイイイイ!」
これは一騎討ちではないが、勝負の邪魔をされて破邪猿将が鋭い眼光でスザクを睨んだ。
が、それを超える強い視線でスザクは睨み返す。
「僕を卑怯者と罵るか!? それはどちらのほうだ! 兄さんから逃げた臆病者め!」
アンシュラオンの手紙で詳細を知っているスザクは、侮蔑と怒りを大猿にぶつける。
彼から発せられる力は、ハイザクが使っていたものと同じ波動。
見た目はまったく異なるが、中身は同種のものだと即座に悟る。
これは戦争であり殺し合いだ。互いに騙し合い、化かし合うのが当たり前で、どんな言い訳をしても負けた側が悪い。
されど、誰もが好き好んで死を受け入れるわけではない。
であれば、武人には矜持があっていい。魔獣にも理由と誇りがあっていい。どうせ死ぬのならば自分らしくあっていい。
その点で、破邪猿将には負い目と悔しさが残っている。
人間に勝つために他の二軍と協力したが、ハイザクとの一騎討ちでは負けていたかもしれないのだ。
スザクの怒りの声は、その心の穴を強く抉ってくる。
「さあ、僕が相手だ! 貴様の首をもって第二海軍の弔いとする!」
スザクとアーシュラに挟まれる破邪猿将。
ここで彼が選んだ決断は―――
「キ゛キ゛キ゛キ゛キ゛キ゛ィ―――!!!」
「ッ―――!」
破邪猿将の咆哮が響くと、遠くにいた眷属たちが一斉に集まってきて『壁』を作っていく。
それはまさに人壁ならぬ『猿壁』で、自らの身を盾として海兵たちの進路を塞ぐ。
その間に破邪猿将の群れは『撤退』を開始。
「待て! また逃げるのか! 僕と戦え!」
「………」
破邪猿将はスザクの叫びに一度だけ振り返ると、そのまま無言で去っていった。
スザクが追おうとするも、それをシンテツが止める。
「スザク様! 深追いは危険です!」
「またか! また敵将を逃すのか! もう何度目だ!」
「どうか、ご辛抱を! 今は奇襲が成功したにすぎません!」
「くっ…」
流れがこちらに向いたとはいえ、戦いが長引けば損害も増えるだろう。
スザクは悠然と立つアーシュラを見て、気持ちを落ち着ける。
(これもアンシュラオンさんの闘人なのか。…彼は部外者なのに、ここまで手を貸してくれている。責任者の僕が感情的になってどうする。まだ戦いは終わりじゃない。いや、ここから反撃が始まるんだ。やつとの決着は僕がつける!)
「わかった。ベルロアナ様たちを援護しつつ撤退する! 狼煙を上げろ!」
スザク軍が色が付いた狼煙を上げる。
近くにいる軍だけではなく、遠く離れたグランハム率いる別動隊にも見えるように高く高く。
警備商隊・ハンター隊、死者223人
混成軍本隊、死者820人
破邪猿将軍、約60000頭(ファテロナ四万)
こちら側も総勢で千人超の被害が出たが、破邪猿将軍に大打撃を与えたことは間違いない。
逆に魔獣側からすれば軍勢の四割を失っただけでなく、指揮官の破邪猿将の大怪我を含め、中核のグラヌマーハ部隊が約半数も討ち取られる『大敗北』となってしまった。
ただしこれは、人間側の戦力が結集した結果であり、現状ではこれ以上の戦果が望めないことも示している。




