399話 「傷心、琴礼泉との別れ」
サナの人刃一体の一撃が、火乃呼の爪を砕く。
それと同時に身体を覆っていた炎の力も弱まり、次第に鎮火していった。
鎧からブスブスと焦げ臭い匂いが漂う中、火乃呼は愕然。
「なんで…どうして……」
サナの能力が高まっていたとはいえ、剣王技をまともに覚えていない素の状態での戦いだ。
剣士としての成熟度から見ても、両者の力にそこまでの差はなかった。
加えて、火乃呼は自分用にカスタマイズした武器を使っており、その点においてもアドバンテージがあったはずだ。
なぜ負けたのかわからない。
僅差ならまだしも、文句のつけようもないほどの歴然とした差がついた理由が、わからないのだ。
「これを使え」
「っ……卍蛍?」
アンシュラオンが卍蛍を火乃呼に放る。
そんなつもりはなかったが、身体が勝手に反応して手に取ってしまった。
そこにサナが斬りかかってきたので、こちらも反射的に対応。
二つの刃が交錯し、美しい術式の火花が散る。
(やっぱり卍蛍のほうが『質が悪い』。おれの爪のほうが上だった)
火乃呼自身が使ってみて改めて、今作っている武具のほうが技術的には優れていることがわかる。
卍蛍を作ったのは、もう十年以上も前のことだ。差があるのは当然のことだろう。
がしかし、妙に手に馴染む。
こうしてサナの剣撃を受けていても、何か勢いのようなものが湧き出てきて、自身を支えてくれる感覚があった。
それは武具の能力を超えた言葉にできないものだ。
(何が違う!? これだっておれが打ったもんだろうがよ! でも、たしかに…昔のほうが【熱い】!)
作り手ならば誰でも経験することだが、過去の作品に未熟さを感じつつも、当時抱いていた熱情に驚くものである。
本気で作っていたからこそ、そこには何かが宿る。
未来を目指し、希望を抱き、誓いを宿していたからこそ得られる何かがある。
それらを具体的に形容するのは難しいが、今の火乃呼が失っているものであることは間違いない。
(なんでだ! 卍蛍のほうがいいっていうのか! レベルを落としたほうがいいっていうのか!? そりゃ性能が高い武器を扱えるやつが少ないのはわかる。だからって手を抜くことなんてできねぇ! でも、おれの周りにはもう誰もいねぇ…独りぼっちだ)
自身が性能を追求し続けるほどに、人が離れていく。
単に扱える人間がいないからと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれないと、ここで初めて気づく。
なぜならば、劣っていたはずの炬乃未の刀にさえ及ばないのだから。
「わからねぇ……わからねぇ…」
火乃呼は刃を下ろすと、卍蛍を握ったまま背を向けて歩き出す。
足取りはフラフラしていておぼつかない。まるで夢遊病者のようだ。
サナもその様子を見て、戦いをやめる。
「サナ、もういい。勝負はついた」
「…こくり」
「雷なしでよくやったな。いい動きだったぞ。方向性の一つとして、あれは『有り』だ。初見の相手ならば対応は難しいだろう。これは今後、大きな武器になるかもしれない」
小柄のサナは、もともと小回りが利く。短距離でのスピードも悪くない。
今回はそこに緩急と『角度』が加わったことで、完全に相手を翻弄することができた。
「ただし、戦闘経験が少ない火乃呼だったから通じたんだ。熟練した武人ならば、すぐに対応してくるぞ。強い相手にも通用するように、もっともっと洗練させていこうな。日々鍛錬あるのみだ」
「…こくり。…ぐっ!」
サナも手応えがあったようで、動きを思い出しながらステップを踏んでいる。
その間に髪の毛を命気で覆ってやれば、あっという間に再生が完了。元の艶やかな黒髪ロングに戻る。
(セミロングも可愛いけどね。ロングのほうがサナちゃんって感じがするよなぁ)
どうでもいい話だが、サナの髪型は初めて会った時から変わっていない。
戦闘中はおさげにしたり、まとめたりするが、基本はロングだ。最初の印象が強すぎて、それ以外はしっくりこないのである。
ちなみにホロロや小百合も、アンシュラオンの好みに合わせて初期の頃と大きく髪型は変えていない。(マキも戦闘中に邪魔になるからと初期と同じ)
「…じー」
そんなことを考えていると、動きの確認を終えたサナが、火乃呼が去った方角を見つめていた。
「火乃呼が気になるか?」
「…こくり」
「オレたちがやれることは終わった。あとは当人次第さ。どのみち明日には山を下りてもらうんだ。それまでに何かしらの答えは出るだろう。さぁ、次はサリータたちの修行に付き合ってやろう。少しでも底上げしてやらないとな」
各人の能力の底上げ、武器防具の調整、物資の補充等々、やることは山ほどある。
時間は待ってくれないのだ。
∞†∞†∞
気づけば、火乃呼は自らの工場の中にいた。
頭の中は霞がかかったようにぼんやりしており、何も考えることができない。
そのわりに身体は日々の生活のことを覚えており、勝手に鎧を脱いで鍛冶師の仕事着に着替えていた。
「何やってんだ……おれは」
心の中は、ただただ失望と喪失だけに満たされていた。
規格外のアンシュラオンならば仕方ないが、子供のサナにまで負けてしまった。
そのうえ妹の炬乃未が作った刀で、だ。
「あいつのほうが…腕がいい? 新しい刀は悪くない出来だったけど…いや、そんな話じゃねえんだ。腕がいいとか悪いとか、そういうもんじゃねえ!」
火乃呼は鍛冶場に火を入れる。
だが、何を作っていいのかもわからない。
鍛冶師とは、依頼があってこそ真価を発揮する。店に並べる武具ですら「こういう相手に合うように」と想像しながら作る。
それがない状態でいくら打っても、出来るものは方向性を失った歪なものばかり。
「違う! こうじゃねえ! 卍蛍は違う!」
何度も卍蛍を見つめ返し、時には舐めたり自身の皮膚を切り裂いてみたりして、今の作品と比較する。
適当に作った剣でさえ技術的には卍蛍より上。下地の段階でそれがわかる。
しかし、何かが違う。
この頃とは『熱量』が違う。
「いい武器を作りたい! 最高の武器を作りたい! ずっとそれを願ってやってきた! それのどこが悪い!?」
ただただ強く。ただただ鋭く。
ひらすら高みに向かって打っていた武具は、いつしか誰もが使えなくなり、自身も孤高から『孤独』の道に進んでいく。
そんな中、いつしか都市運営の方向性が変わり、それに伴ってアズ・アクスのやり方も変化していった。
すべての環境が、火乃呼にとって逆風だった。
そのストレスもあってライザックと揉め、ますますかたくなになっていった。
琴礼泉に来てから、ようやく武器を使える魔獣たちを見つけたものの、自分が望んでいたものとは微妙に違っていた。
そもそも魔獣が武器を使うこと自体が極めて稀であり、自然界においては逆に『弱者』である証拠なのだ。
所詮ここも、自分がいる場所ではなかったことを知る。
「おれは…衰えたのか? 知らない間に下手になっていたのか!? んなことあってたまるか! たまるか……たまるかよ……!」
歯を食いしばって何度も剣を作る。
すでに相当量の血液を失っていたが、かまわずにどんどん炎に変えて打ち続ける。
それは二十四時間以上、続いた。
顔が青白くなり、手先に震えと痺れが襲ってきても止まることはない。
そして限界を迎え、血が炎に変化しなくなった頃。
「火乃呼…出立の時間だ」
杷地火が工場の入口に立っていた。
彼はすでに荷物をまとめており、下山用の軽装になっている。
「………」
火乃呼は、虚ろな瞳で父を見つめる。
「酷い顔だな」
たった一日で、別人のように痩せ細ってしまった。
血は減ったが体型自体は変わっていないので、おそらくは印象のせいだろう。
それもそのはず。
「…なぁ、親父。…『打ち方』……わからなくなっちまったよ」
消え入りそうな声で火乃呼が呟く。
昨日まであった身体全体から立ち昇る熱気が、完全に失せていた。
ハンマーを握ってもイメージが湧き上がらない。かつての熱情が思い出せない。
今の彼女は、祭りのごとく盛大に打っていた感覚すら思い出せなくなっていた。
それだけアンシュラオンたちに負けたことがショックだったのだ。
「こんなもんだったのか…おれは。結局は…この程度なのか? 鍛冶ができなきゃ生きている価値もねぇ」
「………」
「親父は…こうなったことはあるのか?」
「打てないことはあった。が、技術が足りなかっただけだ。お前の場合とは違うだろう」
「技術は…必要だよな?」
「当然だ。それは大前提のものだ」
「気持ちは…どうだ?」
「それも前提だ。そのうえで良い物を作るのが仕事だ」
「おれと炬乃未の…何が違う?」
「わからん。凡才の身では、お前たちのことはわからぬ。…すまん」
「…そう…か」
「山を下りるぞ」
「…おれは親父たちとは一緒に行けない。…放っておいてくれ」
「ここも安全ではない」
「べつにいい。…んなことはどうでも…」
「………」
沈黙が訪れる。
親子の前に、鍛冶師。
鍛冶こそディムレガンの存在意義がゆえに、どうしても両者の間には『才能の壁』が立ち塞がる。
だからこそ杷地火は、火乃呼に対して腫れ物を扱うかのように接してきた。残念ながら、この関係は簡単には変えることはできない。
「火乃呼、俺はな―――」
それでも杷地火が一歩踏み出そうとした時だった。
「火乃呼ぉぉおおおおおおおお! 早く出てこいぃいいいいいいいいいいいい!」
しんみりとした雰囲気をぶち壊す大声が響き、アンシュラオンが工場に乗り込んできた。
ずかずかと無遠慮に中に入ると、地べたに座っていた火乃呼の腕を掴んで引っ張っていく。
「なっ…お、おい! やめろ…! 引っ張るな!」
「タイムリミットだ。山を下りるぞ」
「お、おれは下りない! ここに残る!」
「ワガママを言うな! バチンッ!」
「あいたーー! いきなり頬をはたくやつがいるか!?」
「ならば今度は尻だ! バチンッ!」
「いってぇーー! マジでいってぇえーー!」
「尻尾が邪魔で叩きにくいな…」
「人の尻を叩いておいて、なんだその言いぐさは!?」
「いいから外に出ろ。いつまでここにいるつもりだ」
「やだーーー! 行きたくないぃいい!」
「駄々をこねるな! ほら、行くぞ! ずるずる」
「ひぎぎぎぎぎっ!」
火乃呼が地面に爪を立てて抵抗するが、問答無用で引っ張っていく。
鋼鉄製の工場の床が削れても、硬い岩盤が削れても関係ない。力ずくで引っ張り出す。
そして、外に出したらポイっと投げ捨てる。
「くっそー! 乱雑に扱いやがって!」
「ディムレガンの中では特別扱いだったようだが、オレの下になった以上は今までのように甘やかさんぞ」
「だから言ってんだろう! おれは認めてねぇからな! 誰が従うか!」
「往生際の悪いやつめ。で、ずっとこもっていたようだが、何か出来たのか?」
「う、うるせぇ! てめぇには関係ねぇ!」
「ふん、どうやらダメだったようだな。卍蛍はオレのものだから、ちゃんと返してもらうぞ。じゃ、さっさと山を下りろ。お前が最後だ。みんなを待たせるんじゃない」
「いーやーーだ! おれは帰らない!」
「お前に拒否権なんてないと言っているだろうが。また強引に連れていかれたいのか?」
「やれるもんなら―――いぎぃいいいい! こら、尻尾を引っ張るな!」
「優雅に引きニート生活ができると思うなよ。時間は有限なんだ」
相変わらず抵抗する火乃呼をずるずると引きずるので、それを後ろから杷地火が追いかける謎の展開が生まれてしまう。
そのまま琴礼泉の広場に到着すると、出立準備が整ったディムレガンとロクゼイ隊が待っていた。
「ほら、最後の荷物が届いたぞ。ロクゼイのおっさん、条件は覚えているな?」
「…ああ、それは問題ない。我らの意地にかけて無傷で連れて帰るつもりだ。それよりスザク様を頼む。ハピ・クジュネにはあの御方が必要だ」
「なんとかやってみるさ。ガイゾックにも各都市の防衛を強化するように伝えてくれ。取りこぼすかもしれないからね」
「了解した」
ロクゼイ隊は数を減らしたので戦力は落ちているものの、運んできた救出艇はすべて無事である。
魔獣の戦力が北西に集結していることもあり、南側の森は手薄のはずだ。多少無理をしても最短距離で移動すれば、そこまで日数をかけずに離脱できるだろう。
他のディムレガンも準備は終えているので、あとは乗り込むだけとなる。
「ゆ、ユキネさん! 一緒に行きましょう! お、俺が守りますから!」
「煜丹さん、ありがとう。でも、その気持ちだけ受け取っておくわ」
「そ、そんな…どうしても残るつもりなんですか!? あっ、そういえば、烽螺と炸加も残るみたいですけど、それと関係があるんですか!?」
「ええ、そうね。これもお仕事なのよ。ごめんなさい」
「烽螺、貴様! 俺のユキネさんに何をした!」
「知らねぇよ! 俺だって本当は残りたくないからな!? 防具のメンテができるやつが一人はいないといけないから、仕方なくだぞ! お前に俺の代わりができるのかよ! 装飾職人じゃ無理だろうが」
「くそっ…じゃあ、炸加はどうなんだ! あいつは関係ないだろう!」
「僕はもうアンシュラオンさんのものなので…すみません」
「えっ!? そういう関係!?」
頭の中が性欲で一杯の馬鹿な連中とは、まったくもって話が通じないものである。
ということで、用済みとなった煜丹とは、ここであっさりお別れだ。
だが、そのやり取りを聞いていた火乃呼が喚き出す。
「ああ? あいつらが残るってのは、どういう了見だ!」
「聞いていた通りだ。烽螺は防具のメンテナンス要員だな。炸加も防具職人として最低限の仕事はできるし、それ以外の大事な仕事もある。それだけのことだ」
「だったら武器職人も必要だろうが! 折れたらどうするんだ!」
「最悪は予備もあるし、なんとかするさ。というか、鍛冶はできないんじゃないのか? 足手まといはいらないぞ」
「う、うるせぇ! 誰ができないなんて言った! この火乃呼様にできないことなんてねぇんだよ! 無理やり戻してみろ! 何度だって登ってきてやるからな!」
「そんな憔悴した顔でよく言うよ。でも、ダメだ。さっさと下りろ」
「いーーやーーだ!」
「聞き分けの悪いやつめ。また尻をぶっ叩くぞ」
「アンシュラオン、こちらからもお願いしたい。このまま火乃呼を隊に加えてやってはくれぬか」
「杷地火さん、いいの? 危ないよ?」
「この子には主が必要なのだ。頼む」
杷地火が頭を下げる。
簡単に下げているのではない。まさに苦痛に満ちた表情をしている。
すでに述べたようにディムレガンの中では、いくら親子であっても鍛冶を切り離せない。やはり杷地火では火乃呼の力になれないのだ。
しばし迷ったが、アンシュラオンも彼の苦渋の決断を尊重する。
「…わかった。ロクゼイ隊に圧力をかけた以上、あんまり暴れられるのも面倒だしね。ただし、特別扱いなんてしないからね」
「当然だ。いくらでも好きに扱ってくれ」
「ああ!? それが親父の台詞か!? 大事な娘なんだから丁重に扱え、くらいは言えよな!」
「ふむ、なるほど。まだ『お姫様気分』が抜けていないようだな。いいだろう。では―――服を脱げ!」
「…は?」
「オレの命令は絶対だ。さっさと服を脱げ!」
「な、何言ってんだ!? 脱ぐわけねぇだろう、ばーか!」
「ええい! 脱げと言っているだろう!」
「やめろ! 嘘だろう!? マジで脱がすのかよ!!?」
「オレはいつだって大真面目だ! ビリビリビリ!」
「ぎゃーーー! 本当にやりやがったーーー!」
「まったく、火乃呼のくせにいい乳をしやがって! けしからん! もっとやれ!」
アンシュラオンが、火乃呼の服を引きちぎって全裸にしてしまう。
突然の奇行に、その場にいた誰もが呆然。
そして、暴れ回る火乃呼の首根っこを掴んだまま、アンシュラオンが杷地火との別れの挨拶を済ます。
「それじゃ、杷地火さん。また都市で会おうね」
「あ、ああ。そ、それはいいが…その……火乃呼は大丈夫…か?」
「大丈夫、大丈夫。戻るまでには、ちゃんとしつけておくからさ。炬乃未さんと里火子さんにもよろしくね」
「う、うむ。た、頼むぞ」
父親の眼前で娘を全裸にする男に若干の不安を抱きつつも、こうなったら任せるしか手はないだろう。
どのみち嫁になれと言った手前、手間が省けてちょうどよいのかもしれない、とも考えてみたりする。
(娘にアドバイス一つできんとは、俺は最後までなさけない親だった。しかし、それを含めてすべて受け入れよう。この男と一緒ならば火乃呼は殻を打ち破れるはずだ)
杷地火たち一行は、ロクゼイ隊とともに下山を開始。
麓の森林部を抜けるまではモグマウスを数匹護衛につける予定なので、よほどのことがない限りは大丈夫だろう。
こうして琴礼泉での戦いは終わりを告げる。




