392話 「恭順と上書き」
アンシュラオンの覇の示威により、海軍と猿神が屈服。
それに伴って闘人たちも戦闘態勢を解いて萎んでいくが、囲んだまま威圧は続ける。
「杷地火さん、とりあえずこうなったけど、いいかな?」
「…ふぅ。いいもなにも、これからどうするつもりだ?」
緊張から解き放たれた杷地火にも若干の疲労が見える。
あのプレッシャーを受けるだけで、弱気な人間はショック死するほどだ。
若い男のディムレガンの中には、気絶してしまった者もいた。(あれほどユキネを守ると息巻いていた煜丹も、あっさり気絶)
「さっき言ったように、この戦いの『落としどころ』を作ろうと思ってね。誰かが間に入らないと、このままどちらかが全滅してしまう。それは損益にしかならないからね」
「お前自身の手で、この戦いを終わらせるつもりか?」
「一つのきっかけになればいいとは思ってるよ。本当はここまでやりたくなかったんだけどね。どうにもならないみたいだし、一度関わった以上は最低限の責任は取るさ」
「一つ確認しておくが、もし連中が断っていたら本気で殺すつもりだったのか?」
「そうだよ。それが『最善の策』であり、『最小限の犠牲』だからね。ここでロクゼイたちが消えれば、オレが殺したという証人自体がいなくなるし、ライザック側がそのことに気づいても、その程度で対立が回避できたと万々歳だ。猿神に関しても同じさ。考えるチャンスをあげただけでも、十分な配慮をしたと思うよ」
「力を使うことに躊躇はないようだな」
「杷地火さんならわかるはずだよ。戦争にもルールが必要なように、力の行使にもちゃんとしたルールがある。無軌道な力は単なる破壊しか呼ばないけど、しっかりと順序を立てて発動した力は【正当な力】になる。技や術と同じさ」
覇王技を使うには、正しいフォームと力の配分が必要だ。ある程度の幅はあっても、そこから逸脱すると技自体が発動しない。
さらに無理な姿勢で強引に殴りかかれば、自らの力で拳や肘を痛める結果になるだろう。
恫喝や脅し、または示威もそれと同じで、やり方と順序があるのだ。
それに則り、今回は道理をわきまえて最初は手出ししなかった。
もし彼らがチャンスを生かせていれば、アンシュラオンがあえて介入することはなかったはずだ。その時は負けたのだから仕方ない、と諦めていた。
「道理や理屈ってのを面倒がるやつが多いけど、その根幹に『世界のルール』があることを知らないんだ。法則を無視した行為は反発を呼ぶ。その時は良くても必ず最後にはしっぺ返しがやってくる。ライザックがいい証拠かな。立場上いろいろやらないといけないんだろうけど、自分の策で身動きが取れなくなっている。そこを埋めるのがオレの仕事であり、あいつもそれに期待しているはずだ」
「お前の行動原理は利益なのか?」
「そう、オレが求めているのは、あくまで『利』さ。どうすれば一番利益が出るのか、それが重要だよ。どんなに大義名分があって、どれだけ感情を満たしても、実際の利益がなくちゃ生物は生きていけない。たくさんの食べ物、清潔な生活空間、平和で精神的に健康な時間がなければ、幸せとは呼べないからね。それは人だけではなく、魔獣にも与えられるべきだ。互いに譲れない部分にはしっかり線を引きつつ、両者の利益のためにベストを尽くす。それがオレの考える協力関係かな」
「魔獣と人間の生命に関しては、どう考えている? お前は魔獣の命も奪っているが慈悲も見せる。その境目はどこだ?」
「オレは武人だから人間だって平気で殺してるよ。だから『生命は平等』だ。人間も魔獣も境目はない。それに、強い者が勝って弱い者が負けるのは自然のルールだけど、いつまでも強者が強者であり続けるわけじゃないからね。だからこそオレは優しさも大事にするし、時には利益無視で人助けも魔獣助けもする。そこは頭だけで考えることじゃないよね。心で考えるべきだ」
「感情でも動くということか?」
「それでいいんじゃない? 杷地火さんだって気持ちを優先することはあるでしょう? でも、それが正しいことのほうが圧倒的に多いのも事実だ。だって、オレたちの一番の幸せは、何よりも心が充実することだからね。心が苦しんでいるのに物的利益だけ得ても、結局マイナスなら意味がない」
アンシュラオンは、憎しみで魔獣を殺したことはない。
闘争心を満たすためや、小突かれてムカついて殺したことはあっても、その根幹には『自然への愛』がある。
人間に対しても、自身に害を与える者には容赦しないが、一方で弱者を慈しみ、強者に対する敬愛もある。ディムレガンのような職人たちへの尊敬の念もけっして忘れていない。
杷地火はアンシュラオンの本質を感じ取り、こう評した。
(まるで『大地のような男』だ。人と魔獣、双方の理を理解して見事に体現している)
仮に動物を殺すにしても生活に必要な分だけ殺し、植物も食べる分だけ採取する。
人が持つ欲望も達観も両方受け入れ、規律を守りながらも、あるがままの自然体で暮らす。
時には戒め、時には赦し、時には自分も犠牲にする。
彼は生命そのものを愛している。言い換えれば、星そのものを愛している。
それは竜人であるディムレガンにとっても共感できるものであった。
そして、決断。
杷地火は、アンシュラオンにひざまずく。
「もはや試す必要はない。覇王の弟子アンシュラオン、我らディムレガンは貴殿に恭順の意を示す。ぜひとも勢力に加えてほしい。そして、この鍛冶の力を御身のために役立てていただきたい」
「ありがとう! 本当に嬉しいよ! でも、オレが覇王の弟子であることは、できるだけ内密にしてね」
「なぜだ?」
「思った以上に影響力があるみたいだし、師匠が覇王であることも最初は知らなかったくらいさ。そこは師匠に倣おうかなって」
「理解した。たしかに面倒事は増えそうだな」
陽禅公が覇王だと知ったのは、火怨山に赴いてから数年後だった。
あの時は人類が四人しかいないと思っていたこともあり、覇王の名自体に意味がなかった。彼自身も肩書には興味がないようである。
ただ、ここにきてアンシュラオンが『覇王の弟子』を利用したことには、姉の脅威が遠ざかったことが大きい。
今までは姉に追われていた恐怖があったので、あまり大っぴらにはできなかったのだが、ジ・オウンから姉が違う事情に巻き込まれていることを知って大丈夫と判断したのだ。
(オレがこうして間違わないで済むのも、姉ちゃんや師匠のおかげなんだよな。ゼブ兄も含めて、あんなヤバい人たちがいたら慢心なんてできないよ)
師匠が技を教えてくれたおかげで、この世界における力の法則を知ることができた。
姉がいたからこそ、大日本帝国時代のプライドすら軽々と打ち砕くことができた。
ゼブラエスに憧れつつも、あんな脳筋にはならないでおこうと思ったからこそ、力だけに頼ることはなくなり知識と戦術を磨いた。
過去と現在が、今のアンシュラオンを培ったといえる。
これでディムレガンの件は、あらかた片付いた。
ただし、まだ問題は残っている。
「ケウシュ、猿たちにしばらくそのまま動くなと伝えろ。そして、お前にはいろいろと魔獣について教えてもらうぞ」
「えっ!? …いや、そんなに細かく知っているわけでは…」
「今度嘘をついたら、その翼を引きちぎって手羽先にしてやるからな。オレに小手先の話術が通用すると思うなよ」
「は、はいぃいい! 何でもお訊ねくださいいいいいい!」
「ふん、お前はお調子者みたいだから『枷』を付けておく」
「あぐうう!」
アンシュラオンがケウシュの首を握ると、『白い痣』が浮き出てきた。
「な、何をしたんですか!?」
「オレの質問に嘘をついたら首が吹っ飛ぶようにした」
「嘘ですよね!? え!? ほんと!?」
「オレが嘘をつく理由があるのか? 魔獣に使うのは初めてだから、下手をしたら何もなくても吹っ飛ぶかもしれん。その時はすまん」
「ひぃいい! 悪魔だー!」
「外してほしければ積極的に協力するんだな」
これはモヒカンにもやった『停滞反応発動』を使ったトラップであり、特定の条件下で発動するものだ。
ただし、あくまでゆっくりと発動させているだけなので、時間経過によってエネルギーが尽きれば痣は消えることになる。
そろそろモヒカンに付けた痣も薄くなってきている頃だろうが、モグマウスがいるので簡単には裏切れないはずだ。(独立自律型のモグマウスも時間経過で消滅するが、より多くのエネルギーを与えているので長持ちする)
ここでケウシュから魔獣たちの情報を得ることに成功。
特に気になったのは、やはり魔獣の『新たなボス』のことだ。
「三大魔獣すら超えるほどの魔獣…か。そいつが今回の騒動の発端らしいな。いや、ハピ・クジュネの動きもあるから、どうせ防げなかった衝突か。で、そいつはどんなやつだ?」
「正体はまったくわかりませんが、あいつは酷いやつなんですよ! いきなりやってきて羽根をぶっ刺して、無理やり支配してくるんです! いやー、『先生』が来てくださって助かりましたよー、へへへ」
「お前はどこの小役人だ。馴染みすぎだろう」
「強い者には巻かれろって言うじゃないですか」
「それを言うなら、長い物には巻かれろ、だ」
「あれ? そうでしたっけ。人間の言葉は難しいですね。はっはっは」
急に先生呼びして媚びを売り出すケウシュ。
やはり枷をはめたのは正解だったらしい。
「羽根ということは、鳥型の魔獣なのか?」
「ええ、一応私もフクロウ型の魔獣ですからね。同種の存在だと思って少し油断した節はありますが…あいつはマジでヤバいっすよ。ほんとイカれてます」
自分のことを「フクロウ型の魔獣」と呼ぶのは、なかなか不思議な光景である。人間でいえば「自分、東洋系の人間なんですよ」と言うようなものだろうか。
「聞いた限りでは『操作タイプ』の能力を持っているらしいが……ところで、お前も羽根を刺されたのか?」
「あれ? そういえば…刺されたような刺されなかったような? 記憶があまりなくて…」
「ふむ、羽根…か」
(クレイジーホッパーもそうだったが、倒した魔獣たちから羽根が出てきたことがある。なるほど、それで操っていたのか。しかし、常に起動しているわけではないようだな。あくまでアンテナだろう)
アンシュラオンでさえ、モグマウスを五百匹操作するのが精一杯だ。
仮にクルルの羽根が精神操作だけに特化しているとはいえ、他者に働きかけるためにはかなりのエネルギーを使う。
とりあえず刺しておいて、利用する時だけ起動させるのが現実的な方法だと思われた。
「調べてみるか。猿ども、動くなよ」
アンシュラオンが、猿神たちの群れを巨大な水で包む。
水気で作った『水泥牢』ではないので、それ自体は彼らを傷つけない。
水は体内に入り込み、すべての細胞をチェック。
(何頭かに刺された痕跡があるな。自然解除条件は宿主が死んだらってところか。このまま放置は危険だが、かなり強力な精神術式だ。取り除くのは簡単じゃないぞ。さて、どうするか…。術式には術式で対抗するのがセオリーなんだけど…)
アンシュラオンはしばし思案してから、小百合とホロロを呼ぶ。
「話は聞いていたよね? 二人にはこれから、猿たちに精神操作をかけてもらうよ」
「敵からの命令が届かないように『妨害』するんですよね? やるなら『条件の上書き』でしょうか?」
「その通り。アル先生が魔石にやったように、こっち側から新しい回線を作って優先的に発動させるようにするんだ。どう? やれそうかな?」
「わかりました! 試してみます」
まずは小百合の魔石の力で、該当した猿の精神体を隔離して『暗示』をかける。
そこではクルルが操作を仕掛けてきた時に、無意識下で抵抗するための下地を作っておく。これが第一のストッパーだ。
もしそれで防げなかった場合にそなえて、ホロロが『棘』を神経に刺しておく。これが第二のストッパーであり、強制的に身体を止める最終手段となる。
猿神たちもおとなしく従っており、作業はすぐに終了。
「やれるだけやってみましたけど、どこまで有効かはわかりませんね。私の能力は強引にやると死んでしまう可能性がありますので、少しずつ継続して暗示をかけるしかありませんし…」
「私のほうも条件付きの棘は初めてなので、上手くいくかどうか…」
「それでいいよ。あくまで実験だ。どれくらい効果があるかは、実際に敵が動いてくれないとわからないしね。小百合さんたちが魔石に慣れるほうが大切だよ」
「はい、だいぶ慣れてきました! ホロロさんとの相性も良いですよ!」
「小百合様がカバーしてくださるので助かっております」
「うんうん、仲が良いのはいいことだね。これからも頼むよ」
(敵が精神操作系なら対抗手段もかなり限定されてくる。その中でこの二人の存在は極めて大きい。やっぱり魔石ってすごいよな。魔石があればアイラも少しは役立つのか?)
「え? なになに? 私の顔に何かついてるー?」
「相変わらず馬鹿そうな顔だと思ってな」
「なにそれー! 私だってがんばったんだからねー!」
「はいはい、がんばったがんばった」
「むきー! もうちょっと褒めてよー!」
※「がんばった = 服を着替えるのをがんばった」
「あの…私はどうなんでしょう?」
そのやり取りを見ていたケウシュが、おずおずと訊ねてくる。
たしかに自分に得体の知れないものが付いていると思うと、想像するだけで怖いだろう。
「オレ自体が遠隔操作系だからわかるが、従順な者にあえて付ける必要はないだろう。それだけ無駄なコストがかかるからな。どうせお前のことだ。最初から無条件で服従したんだろう?」
「へへへ、まぁ…はい」
「やれやれだ。オレの言うことを聞いていたら殺さないでおいてやる。少なくともこの戦いが終わるまでは、しっかり働けよ。で、猿たちはこのまま従いそうか?」
「これだけの失態を犯した魔獣には、どうせ行き場がないですしね。ただ、同族同士で戦うのは無理だと思いますよ」
「今のところ戦力として考えているわけじゃないから問題はない。自衛ができれば十分だ。だが、それ以上に問題なのは『第二海軍壊滅』のほうか…。まさか、あのハイザクが敗北するとはな。今回は相手が悪かったようだ」
肉弾戦だけならば、ハイザクはアンシュラオンに近い性能を誇っている。
されど、今回の敵は搦め手を使う策士だ。相性が悪かったとしか言いようがない。




