387話 「英雄の度量 その3『這いずる者の希望』」
「はぁ…はぁ…!!」
(今までこんな人間はいなかった! 僕が知っている人間は、もっと汚くて醜いはずなのに!)
多くの人々は、温厚であっても本質は弱くて脆い。
すぐに嘘をつき、裏切り、保身に走る。周りを見渡せば、そんな人間ばかりが目につくはずだ。
なにせ炸加自身が、その中の一人なのだから説得力はあるだろう。
がしかし、目の前の存在は違う。
少なくともこの場においては、嘘をつくつもりはなく、偽ることもしない。
いや、できないのだ。
いわばアンシュラオンの波動は、【切腹】の覚悟。
事を成せねば死ぬしかないという、最期の覚悟を決めた時のものであり、最悪は事を成しても死ぬという、理不尽極まりない事象すら受け入れている。
まるで日本人のけじめのつけ方を初めて見た外国人のごとく、畏怖して動けなくなっているのだ。
「どうした、炸加。覚悟を決めろ」
「ぼ、僕は……金さえもらえれば…よかったのに…」
「そんなものでお前の価値が上がるのか。誰かに評価してもらえるのか。ただの成金に何の意味がある。お前は弱いままだ。また奪われて終わりだぞ」
「そ、そんなの…どうしようもないじゃないか! 僕じゃ駄目なんだ…僕なんて…」
「ならば、ここで首を撥ねる」
「っ―――!?」
「何を驚いている。争いの火種になるものは、手に入らなければ排除するのが一番平和的な解決方法だ。歴史上、何度も行われてきたことだぞ」
『某埋蔵金』をいくら探しても無駄だ。すでにそれらの金は新政府に奪取されており、証人も秘密裏に殺されている。
手に入れたものが大きければ大きいほど他者に狙われ、命さえも奪われるのが世の常である。
そして、もし独占できないのならば、いっそのこと誰にも手に入らないように始末するほうがよい、とも考えるものだ。
「そもそも交渉なんて無意味なんだよ。ソブカがお前を拷問したのだって、オレからすればあいつなりの優しさに思えるくらいだ。すでにお前は詰んでいる」
「そ、それじゃ…僕はずっと搾取される側なのか…」
「そんな簡単に諦めるのか?」
「そう言ったのは、あなたじゃないか! 僕にどうしろっていうんだ! ただで情報を渡せば助けてもらえるのか!?」
「何を聞いていた? オレは約束は守ると言ったぞ。その覚悟をお前に問うているんだ」
「あなたと僕とでは考え方が違いすぎる! 意味がわからないんだ!」
「では、はっきり言ってやろう。お前に残された道は三つある。一つは、抹消されて殺される道。もう一つは、おとなしくライザックに庇護を求める道だ」
もともとライザックの依頼を受けて始めた密偵行為である。
現状を鑑みれば手数料程度(おそらく数千万)しか手に入らないが、ひとまず命は助けてくれるはずだ。スパイであったことも、今ならば誤魔化せるだろう。
だがやはり、三つ目が気になる。
炸加は固唾を呑んで、アンシュラオンの最後の言葉を待つ。
予想通り、それは衝撃的な内容であった。
「そして、最後の一つは―――」
「オレの―――【スレイブ】になることだ!!」
「す、スレイブ!? な、なんで!?」
「お前がスレイブに対してどんな認識があるのかは知らないが、スレイブになることの意味は大きい。特にオレのスレイブは特別だ」
「そ、その…たしか『契約』をするんですよね?」
「そうだ。スレイブとは『雇用契約』の一つだ」
うっかりすると忘れそうになるが、スレイブは奴隷と同義ではない。
劣等階級に関しては似た状態になるものの、やはり雇用形態の一種と定義するのが適切である。
問題は、その内容だ。
「お前は自らの力で掘り起こすんだ」
「掘り起こす? 僕が!?」
「お前が見つけたものだ。お前自身が採掘するのが自然な話だろう」
「………」
「どうやら考えたこともなかったようだな」
「当然じゃないですか! こ、こんな危険な山奥で僕だけで掘るなんて、そんなの無理です!」
「だからオレがバックアップしてやると言っているんだ。オレだけじゃない。グラス・ギースのハングラス派閥も一緒だ。そのためにスレイブになる必要がある」
「………」
「どうした? さっきの言葉に偽りがあったのか? 本当は鉱物なんて無いんじゃないのか?」
「そんなことはない! それだけは絶対に間違いない!」
「だったら自分で掘ってみせろ。自分の手で自分の成果を誇ってみせろ。コソコソと金だけもらってトンズラなんてできると思うな。所詮その後に残るのは、同族からのお前への侮蔑と軽蔑の念だけだぞ」
「っ―――!」
「お前は他人からの評価を求めている。求めたのならば手に入れるまであがけ! 死ぬ気で戦え! いや、死ね!! 実際に死んでもいいから成し遂げろ!」
「死んだら意味がないじゃないですか!?」
「二つを同時に手に入れることなんてできないんだ。金持ちは全員、贅沢をして楽しく暮らせていると思うか? 違うな。それは地獄の中で暮らすことと同じだ」
彼らは金を手に入れて困窮する心配はなくなったが、それ以外の悩み事で苦しんでいる。
金持ち同士の付き合いで苦しみ、さらに金持ちとの比較で苦しみ、家庭環境で苦しむ。人間など、どんな環境にいても本質は変わらないものだ。
「それぞれに『分相応』というものがある。そいつが持っている実力分の対価しか手に入らないようにできているのさ。そして、欲をかけば必ず身を滅ぼす。そうなるように世界の理ができているんだ」
「僕の要求が…分不相応ってことですか?」
「今のままではな。せいぜいソブカが提示した額が最高額だろう。あいつは北部の発展に興味があるようだから高い額になったにすぎない。他ならもっと足元を見られるはずだ」
「では、あなたのスレイブになれば…違うんですか?」
「ああ、世界を変えてやる」
「っ…簡単に……そんな…」
「人間なんてものはな、誰もがそれぞれ違う世界を見ているもんだ。その意味で、少なくともお前が見ている世界を変えることはできる」
「ううっ……僕が憎む…この世界を……変える!? あなたなら変えられるのか!!」
「変わるさ。お前が望むのならばな」
「はぁはぁ…ぼ、僕は…」
「さぁ、誓え! もし誓うのならば、お前には力を与えよう! 欲望を叶えるだけの人を超えた力だ! その代わり、お前はオレの支配下に入れ! まさに命をかけてオレに尽くし、全身全霊をもって約束を遂行しろ!」
―――「自分自身で己の価値を証明するんだ!!」
どうせ手に入らない。どうせ駄目だ。どうせ最初から無理だ。
そう思っていたことすべて。
目の前の男は―――ぶっ壊す!!
感覚的に理解できる。
嘘を言っていないと。真実を述べていると。
しかし、炸加は弱者がゆえに、真なる強者の本質を理解する。
「こんな大きなものに…吸収されたら……消えちゃう…」
「吸収じゃない。お前はオレの一部になるんだ。オレの富の一部となり、利権の一部となり、世界に影響を与える存在の一人となる」
「僕が…強者に…なれる? 見下される側じゃなくて…見下す側に…」
「最後に立っていればいい。最後に勝てばいい。そうすれば見える世界が変わる。小さなことにこだわるな! もっとでかく生きろ!」
「…僕は…なりたいっ! 成功したいんだ…!」
「ならば来い! 自らの足で! その手で掴め!」
炸加が一歩一歩、アンシュラオンに近寄る。
簡単にやっているように見えるが、目の前にあるのは巨大な覇。
奈落の底であり、天上の調べであり、一般人では絶対に到達することができない無限の頂だ。
それを這いずりながら求め、あがきながら手繰り寄せる姿は、浅ましい人間そのものである。
だが、それがいい。
「チャンスがあるなら…掴みたい! 掴むんだ! どうせ死ぬならやってやる! ああ、腹だって切ってやるさ! 首だってくれてやる! でも、勝つんだ! 絶対に勝つ!」
初めて味わう『もう死んでもいい』という境地。
人間は死ぬ気になればなんでもできる、とはよく言うが、実際にその覚悟を得るまでが大変だ。
もしアンシュラオンの凛とした気質に触れなければ、彼も永遠に到達することはできなかったに違いない。
されど、出会った。
誇り高い『英雄の度量』を持つ存在と。
この男ならば、彼ならば、こいつならば、何かをやってくれる。
そして、炸加がアンシュラオンの前にたどり着いた時、契約は成立した。
「臆病すぎても駄目だ。欲張りすぎてもいけない。お前が示した価値の分、それ以上に上乗せして利益を担保してやろう。だからお前は、今日からオレのスレイブだ!」
アンシュラオンのスレイブになる価値は、いまさら述べる必要もないだろう。
しかも男をスレイブにする決断をしたのだ。アンシュラオンとしても凄まじいほどの代償を支払うことを意味する。(炸加の代償と見合っているかは不明)
「はぁはぁ……はぁはぁ」
「どうだ? 覚悟は決まったか?」
「…はい。あなたに託してみたいと思います」
「そうか。オレも約束を守る。ただし、細かいことは追って話をつけるぞ。オレだけじゃ判断できないこともあるからな。だが、少なくとも身の安全は保証してやる」
「わかりました」
「おいおい、どうなったんだよ!?」
完全に蚊帳の外だった烽螺が、ようやく状況の理解を始める。
が、二人のいきなりのやり取りについていけず、やはり混乱したままのようだ。
「炸加はオレの支配下に入ったのさ。そのほうが安全だ」
「スレイブになるって話か?」
「オレは普通の人間と契約するのは難しいようだから、あくまで『代理契約』になるがな。こいつにとってもそのほうがいいだろう」
以前も話に出てきた『代理契約』は、アンシュラオンがスレイブにした人物(小百合やホロロたち)と第三者が契約することで、同様の契約が可能になる代替方法である。
アンシュラオンが契約すると石が変質することと、女性以外と直接契約するつもりはないので、現状ではこれがベストの選択肢といえる。
「というか、本当に五百億なんて大金を払えるのかよ? そんなに金持ちなのか?」
「オレが払うわけじゃないからな。問題はない」
「は? じゃあ、誰が払うんだよ?」
「金のある連中から巻き上げるに決まっているだろう。誰の金であれ、金は金だ。約束は違えていない。すでに言ったように、炸加自身が掘り当てればいいんだ。それを売る形にしてマージンを取る。もしあいつの『数千億は下らない』という言葉が本当ならば、五百億くらいはいくはずだ」
「それってもしかして、これから他の連中と交渉するのか!?」
「成功するさ。算段はつけてある」
「その自信はどこから来るんだよ!?」
「お前こそ炸加を信じてやらないのか? ソブカはこいつの言葉に五十億の値をつけた。オレは五百億の値をつけた。では、お前はいくらつける?」
「仲間に値段なんかつけるかよ」
「青臭いが悪くない答えだ。学生時代を思い出すよ。烽螺、お前も来い。仕事を与えてやる」
「ちょっ! なんで上から目線なんだ!」
「職人だろう? 仕事が欲しくないのか? 里火子さんに挑戦させてやると言っているんだ。炸加も行くぞ。これから海軍と話をつける」
「か、海軍と!? だ、大丈夫…なんですか?」
「お前が選んだ力がどんなものか、しっかりと見ておくんだな」
そう言うと、アンシュラオンは二体の闘人を生み出す。
それは今まで使っていたモグマウスではなく、大きな虎の形をした水色の闘人であった。
烽螺たちが驚く暇もなく、その命気で作られた虎である『命虎』は、二人を背に乗せて走り出した。
その速度は、突然ジェットコースターに乗ったようなもの。猛スピードで駆けていく。
「ぎゃー、落ちるってー!」
「安心しろ。包んでやる」
「ごぼぼっ! またこれかー!?」
命虎から溢れた命気が二人を包むことで、風圧や木枝から身を守ってくれる。
そこでようやく、二人は現実世界が少しずつ変わっていくことを認識していた。
何かが起きる。何かが変わる。自分たちは変わっていく。
そんな胸の高鳴りが止まらないのだ。




