377話 「魔に魅入られし者 その2『武人の本気』」
「火乃呼、進路を変えるぞ! お前の工場に向かう!」
「合流しなくていいのかよ!?」
「すでに相手に動きが悟られている。敵が一人とは限らん。待ち伏せされていたら終わりだ」
杷地火たちは滝に行くと見せかけて、途中に流れていた川にダイブ。矢の射角を消しながら逃げていく。
琴礼泉は大きな滝を中心にいくつもの支流があり、川幅もかなり大きい。深さも五メートルはあるので身を隠すくらいはできる。
さすがにこの角度だと矢が放てないのか、それ以上の追撃はなかった。
しかし、感覚的に追われていることはわかる。相手も再び攻撃できる場所を探しながら移動しているのだろう。
びしょ濡れになった身体を熱気で乾燥させながら、火乃呼が忌々しげに呻く。
「ちっ、いったい誰なんだ! ライザックの刺客じゃないだろうな!」
「この攻撃の仕方は海軍ではない。少なくともロクゼイたちではないだろう」
「ほかにおれたちを狙うやつがいるってのか?」
「山が戦場になっている以上、さまざまな者が入り込んでいるはずだ。その中には邪な考えを持つ者がいるかもしれん。火乃呼、お前は特に気をつけろ」
「へっ、おれがそんな簡単にやられるかよ! むしろ逆に引きちぎってやる!」
「油断は禁物だぞ。相手が真正面から来るとは限らんからな」
ロクゼイ隊にはディムレガンを連れて戻るという命令が出ているが、それ以外の人間にとっては関係ない話だ。
単純に乱暴目的で狙うこともありえるだろう。多少人間とは違うとはいえ、火乃呼も立派な女性であることには変わりない。
その後も何者かが杷地火たちを追跡してくる。
敵も森での移動に慣れているようで、まったく引き離せない。
このままでは不利と判断した杷地火は、決断を下す。
「先に行け! 俺が足止めする!」
「親父を置いていけるかよ!」
「お前が武具を取ってくるまでだ。それまでに相手のことを探る! いいな! 俺を信じろ!」
「…わかったよ」
火乃呼はしばらく逡巡したが、現状ではどうしようもないことがわかるので渋々了承。
何度も振り返りながらも工場に向かって駆けていく。
残った杷地火は大樹の裏に隠れつつ、主に火乃呼が逃げていった方角に注意を向けた。
しばらく様子を探ってみたが、相手はじっと身を潜めて動かない。
(…火乃呼を追っていない? 目的はあいつじゃないのか? となれば、俺が目的の可能性もあるか。どのみち時間を稼ぐ必要がある。少し仕掛けてみるとしよう)
杷地火は木から飛び出すと『代命償火の剣』を使って爆炎を撒き散らす。
敵の具体的な居場所がわからない以上、全方位に最大火力で撃ち放つことで周囲全部を焼き尽くすつもりだ。
杷地火が使う術式武具なだけはあり、その力は一瞬で木々を焼き払うほどである。
周辺は炎と煙に包まれて視界が完全に失われる。
(どんなに目が良くても、これならば簡単には的を絞れまい)
視界を潰してから、少し離れた位置に移動してさらに様子をうかがう。
しかし、それでも一向に動きはなかった。
(本当に俺を狙っているのか? もしかしたら、もう火乃呼のところに向かったのでは……いや、迷うな。必ず相手はいる。『悪意』ははっきりとこちらを見ているはずだ)
誰が追ってきているのかはわからないが、一つだけ言えることは、ディムレガンに対して平然と危害を加えるような邪悪な意思を持っているということだ。
ロクゼイたちでさえ敵対しても手加減をしていたものだが、この相手は明確な殺意を持って攻撃してくる。
(こんなやつが火乃呼を襲うと思っただけでも反吐が出る。なんとしてもここで食い止める!)
杷地火は引き続き周囲を焼き払い続ける。
敵の目をこちらに引き付けることと、その正体を炙り出すためだ。
そして、ついに敵が動く。
こちらが術式武具を使った直後の隙を狙って、矢が放たれた。
しかし杷地火は、その矢を鎧の中で一番硬い肩で防いで弾く。
(我慢できなかったようだな。撃ってくる方向がわかれば対処はできる!)
杷地火は逃げ惑うふりをしながら、一カ所だけ大きな隙を作ることで攻撃を誘発していた。
優れた狩人であるほど絶好の狙撃機会を見逃すことはなく、どうしても撃ちたくなるものだ。その習性をくすぐったのである。
これも琴礼泉の地形を完全に覚えているからこそできる芸当だ。今は目を瞑っていても自分がどこにいるのかわかるほどである。
杷地火は、矢をことごとく弾き返すだけではなく、飛んできた方向に突撃!
ちらりと見えた人影に向かって『代命償火の剣』をフルパワーでお見舞いする!!
凄まじい火焔によって、敵がいるであろう場所は完全に焦土。
大地ごと焼き尽くしてしまう。
「ふぅふぅ! やったか!?」
杷地火が細心の注意を払いながらゆっくりと近寄る。
しかしながら、そこには何もない。
それどころか、直後に空から大量の矢が雨のように降り注ぎ、杷地火を射貫く!
剣王技、『射天矢』。
剣気をまとわせた矢を空に放ち、真上から攻撃する因子レベル2の技だ。
通常の矢は直線的な動きしかしないが、こちらは曲線を描くことで遮蔽物を避けて攻撃することができる。落下時に若干威力が落ちるものの、そこは剣気によってカバーが可能だ。
今回のものはそれを何十本も同時に放つ、因子レベル4の『雨囲・射天矢』という上位技である。
杷地火の鎧がいくら強固とはいえ、戦気で補強していない状態では、この技をすべて防ぐのは難しい。
完全に不意打ちであったことも加わり、無防備な状態で直撃。
肩や背中に加えて足にも矢が刺さって、身動きが取れなくなって膝をつく。
「はぁ…はぁ……くっ! これが本気の武人の力…か」
レベルの低い武人ならば武具の力で十分対応可能でも、強い武人となるとここまでの差が出てしまう。
あくまで武器は補佐するものでしかない。いまさらながら武人の強さを痛感する場面でもあった。
そして、獲物が動けなくなったことを確認すると、ようやくその狩人は姿を見せる。
「いやー、一瞬殺したかと思ったわ。鎧が頑丈でよかったよかった」
そこに現れたのは、弓を持った―――アラキタ
そもそも山に立ち入った者で、矢を使う武人は数えるほどしかいない。たいていは銃火器をメイン兵装で扱うため、ここまでの達人といえば彼しかいないだろう。
ただし、杷地火にとっては初対面なので、そうした事情はわからない。動けないまま突如現れた男を睨みつけている。
アラキタは相手の反撃も考慮して、まだ射撃ができる位置で杷地火を見下ろす。
こうしたところも彼が優れた猟師である所以だろう。
「しかしまあ、武具は凄いけど戦闘は素人やな。その鎧かて戦気を使えば本当はもっと頑丈なんやろうし、楽な狩りで助かったわ」
彼は杷地火の狙い通り一方向から射撃していたが、撃ちながら『徐々に後ろに下がっていた』。
杷地火が見た人影は、アラキタの上着を着せただけのダミー。
簡単なトラップとはいえ、戦闘経験の浅い彼には距離感の違いまではわからず、逆におびき出されてしまったというわけだ。
ただし、アラキタも近距離では弱く撃ち、離れるごとに強く撃って相手に悟らせないように工夫していたことも大きい。
これが常に殺し合いをしている武人と職人との違いである。
「…何者だ。その装備は…海軍ではないな…」
「そうや。まあ、一介のハンターってところやな。名前はべつに知らんでもええで。あんたも興味ないやろ?」
「我々を攻撃して…何が目的だ?」
「はは、目的ね。なんとなくわかるんとちゃうん?」
「ハピ・クジュネを裏切ったから…か? 始末しに来たか」
「あー、まあ、そうなんやけど、ちょいと違うな」
「では…『他の勢力』の者か」
これも常々アンシュラオンが考えているように、これだけ大規模な作戦となると、いちいち全員の身元調査などしていられない。
傭兵もハンターも、ほぼすべてはハローワーク任せになるわけだが、当然ながらそれらの情報を鵜呑みにすることはできない。
北部の各勢力はもちろん、他の地域からもさまざまな思惑を持って参加している者がいるはずだ。
その中には、『北部を衰退させることが目的』の勢力もいる。
「ぶっちゃけて言うと、わいも最初はそのつもりで山に来たんや。作戦が失敗するように立ち回るってな。つーても、一個人にそんな大きなことはできん。せいぜい事故に見せかけて、特定の武人や武将の暗殺をするくらいや」
アラキタはフリーの個人ハンターだが、依頼という形で汚い仕事が舞い込むこともある。
同じブルーハンターのラブヘイアも資金繰りにはいつも困っていたことから、ハンターの仕事だけでは十分な稼ぎが得られないことも要因だ。(ラブヘイアの場合は趣味が原因)
強い獲物を狩るには大がかりな準備が必要だし、弱い魔獣では装備代で消えていく。こういった仕事もしていかないと立ち行かないのだ。
そんな彼にも今回、北部以外の勢力から暗殺まがいの依頼がやってきた。
可能ならば将の暗殺。
ハイザクやスザクは難しくとも、たとえばギンロやシンテツといった部隊運用にとって重要な副将クラスの武人を仕留めた場合には、それぞれ高額な報酬が支払われることになっていた。
それが無理な場合でも、最低限の妨害工作を担当することで進軍を遅らせることも依頼内容に含まれている。
「わいに限らず、こういった依頼を受けている連中はそれなりにおるで。まあ、その大半は失敗しておるようやけどな。さすがに編成運が悪すぎるわ」
しかしながら妨害うんぬんの前に、そもそもハンターや傭兵が別の軍になったことで、海軍の要人と接する機会がなくなってしまった。
また、混成軍にもグランハムという優秀な指揮官と屈強な傭兵団に加え、ファテロナ率いる暗殺者部隊も一緒にいるのだから、そうそう下手な動きはできない。(ベルロアナも暗殺対象)
しかも各所にモグマウスを配置しているアンシュラオンまでいるとなれば、弱り目に祟り目といったところだろう。
不審な連中はすべて叩きのめして尋問するか、最前線に立たせて報いを受けさせている。(アンシュラオンが見つけたら警備商隊に引き渡していた)
それを察知したアラキタは、この時までおとなしくしていた、というわけだ。
「我々を殺しに来たことには…変わりあるまい。一思いに殺せ」
「そう焦るもんちゃうで。殺すつもりならとっくに殺してるわ。本来ならあんたらの抹殺もありえたんやけど…このまま魔獣たちに武器を提供するなら生かしてやってもええで」
「どういう…ことだ? なぜ人間のお前が…魔獣の利益を考える?」
「そのほうが面白いからや」
「………」
(言うつもりはない、か。だが、この男が北部以外の勢力に雇われた人間ならば、魔獣側が勝利したほうが都合が良いのかもしれん。やれやれ、人間の世界は相変わらずドロドロしているな)
北部の発展を望まない勢力、またはいつか侵略するために混沌としていたほうが良いと考える勢力、手に入らないのならば魔獣の住処で誰も近寄れないほうが得策と考える勢力と、魔獣を応援する者たちは大勢いるだろう。
そのためには引き続き、ディムレガンが魔獣側に協力することが望ましいのは間違いない。
「俺を…どうするつもりだ?」
「あんたは餌にすぎん。ちと一緒についてきてもらうで。おっと、その前に―――」
「ぬぐっ!」
アラキタは矢を放って、杷地火の両腕を射貫く。
すでに術式武具は摩耗して使い物にならないが、念のために潰しておいたのだ。
海軍が鍛冶師の命だからと傷つけないでいたことを考えると、まったくもって躊躇がない行動である。
そして縄を取り出して捕縛。ずるずると引きずっていく。
向かっているのは火乃呼の工場がある方角だ。




