373話 「裏切りの理由 その3『弱者の要求』」
(あんな鉱物は見たことがなかった。魔獣が持ってきたのなら杷地火さんたちにも渡されるはずだし…そもそもあいつが猿の子供と通じていることも初めて知った。いくらみんなが炸加に興味がないからといって、今まで気づかないことなんてあるか? 意図的に隠れてやっていたんじゃ…)
「どうやら思い当たる節があるようですね」
「そ、それは…でも、そんな……簡単にできるわけが…」
烽螺は何度も否定しようとするが、炸加の行動に不審な点があるのは事実だ。
そして、リュックの中にもあの黒い鉱物が大量に詰められていた。自身に危険が迫っている時に、わざわざあんなものを持っていくだろうか。
となれば、少なくとも炸加にとっては、杷地火の術式武具と同等以上の価値があることを如実に示している。
「ソブカ様、もはや問答は不要ではありませんか? こいつには何度説明しても無駄です。頭の悪い者には理解できぬことですし、する必要もありません」
さすがにイライラが頂点に達したファレアスティが促す。
烽螺がしつこいせいもあるが、海軍も狙っているがゆえに、いつ邪魔が入るかと焦っているのだろう。
「そうですねぇ。あまり悠長にもしていられません。炸加さん、我々と手を組むのか否か、この場で即決していただきます」
「………」
ソブカの猛禽類のような目が、炸加を捉えて離さない。
次の彼の発言によって新たな動きが起こることは間違いない。
(本当に炸加がそんな情報を持っているのか? やっぱりどう考えてもありえないよな。まさかこいつが―――)
その性格のおとなしさから、ディムレガンの中でも目立たない人物だった。
可も不可もなく、毒にも薬にもならず、いてもいなくても変わらない存在。
ディムレガン全員に訊いても「それはない」と言いきるほど、スパイや密偵、工作員には向いていない青年である。
だからこそ盲点。
誰一人として彼の本心には気づかない。
「僕を…逃がすつもりはないんですね?」
炸加が、小さいながらも腹が据わった声を出した。
それは今までの彼からは想像できない強い決意を秘めたものであった。
「ええ、あなただってご自分の価値は理解しているでしょう? 海軍はもとより、我々のような小規模な組織から他の大きな組織まで、あなたを狙う者は大勢います。北部が駄目なら南部に行けばどうにかなると思っているかもしれませんが、簡単に取り扱えるような情報ではありません」
「…そうですよね。まともに取り次いでくれるかもわからないし、情報だけ盗まれて終わるかもしれない。僕なんてその程度の男なんですから…なめられますよね…」
「世の中は甘くありません。強い者たちは非道で狡猾ですから、交渉の素人では危険が増すばかりでしょうね。実際、私たちに狙われた程度であなたは逃げることもできないのですから」
「じゃあ、いくらで……キブカ商会さんは、いくらで買うんですか!」
「それは埋蔵量とも関わってきます。現状であなたが知りえた情報を精査しないことには、具体的な金額は難しいですねぇ」
「そんな不確定な話じゃ、こっちも話せません! こ、これは、僕の人生が関わっていることなんです!」
「たしかにその通りですね。では、いくらをお望みですか?」
「ご、五百億は必要です!」
「ほぉ…」
「ふざけるな! なんだその額は!」
「ひっ…」
ファレアスティの怒声に炸加が再び隠れてしまう。
彼なりに強い決意はあるようだが、やはり場数は少ない。ドスの利いた本場の迫力には圧し負けてしまうようだ。
「ファレアスティ、交渉中ですよ。ようやく乗り気になってくれたのですから脅しはいけませんねぇ」
「ですが、あまりに強欲でしょう。それこそ不確定な情報に、そこまでの金は支払えません!」
「額が額ですからねぇ。炸加さん、その値段の基準はどこにあるのでしょうか?」
「ぼ、僕が…『人生で勝つ』ために必要なお金です!」
「人生で勝つ、ですか。なかなか興味深いフレーズです。では、あなたのこれからの人生設計とは、どのようなものなのでしょう? お金を手に入れたあとはどうされるのですか?」
「あなたには…か、関係のないことです」
「支払う側なのです。それによっては考慮しないこともありませんよ」
「………」
「炸加、お前…本当に知っているのか? つーか、なんだその額!? ふっかけるにも程があるだろう!?」
「烽螺には…わからないんだ。この情報の意味も僕の気持ちも!」
「は? なんだよそれ! こうして庇ってやってるのに!」
「言っただろう! そういうのは、もううんざりなんだよ! 僕は、僕は、もう負け組にはなりたくないんだ!! 惨めに這いつくばるだけの人生なんて、もう嫌だ!!」
「っ…」
その声の勢いに幼馴染の烽螺でさえ気圧される。
烽螺自身も、どこかで炸加のことを下に見ていた面はあるだろう。だからこそ庇うという行動に出るのだ。
だが、下にいる者からすれば、それは屈辱でしかない。
炸加の中にある『怒りの炎』を垣間見たソブカも目を細める。
「良い目をしていますねぇ。何を犠牲にしても勝つという気迫があります。しかし、力が伴わなければ、いくら強い意思だけがあっても無意味ですよ」
「僕の人生は僕が決める! あなたこそ決めてください! 買うんですか! 買わないんですか!?」
「もし買わないと言ったら、あなたはどうするのですか?」
「………」
炸加が、ちらりと背後の崖を見る。
ここは高い崖があるからこそ誰も来ないエリアなのだ。ベルロアナのような武人ならばいざ知らず、一般人が飛び降りれば死亡する可能性が極めて高い。
烽螺と押し問答をしていて準備が整っていない状態では、ここから逃げることもままならないだろう。
赤鳳隊の面々もそれがわかっているので、さらにじりじり近寄って圧力をかけてくる。
「ま、待ってくれよ! あんたもさっき言ったけど、もしこいつがライザックと通じているなら、そのまま海軍に保護してもらえばいいじゃないか! そうだ、理屈が逆だよ! 逃げる必要なんてないよな!? ライザックに売ればいいんだから!」
ここで烽螺が極めて自然な疑問を呈する。
ライザックに依頼されたのならば、彼こそが自己の安全を担保してくれる最大の庇護者のはずだ。逃げる必要性はない。
しかしながら、その前提はすでに崩れている。
「その通りです。ただし、それはハピ・クジュネが万全の状態ならば、という条件付きです」
「どういうことだ?」
「海軍の状況についてはご存じですか? 第二海軍のことです」
「…たしか…負けたって…」
「ええ、そうです」
烽螺の言葉にソブカが満足そうに頷くが、その意味合いは多少異なる。
なぜならば、この問いは『引っ掛け』だからだ。
ソブカ自身はそう推測しているが、正確な情報を得るまでには至っていない。それを魔獣側の情報に通じていそうなディムレガン側から引き出したのだ。
最初のほうの会話で、彼らが何かしらの手段で情報を得ていることを確認していたので試してみた、というわけである。
そして、それによってもう一つの推測も、より真実味を帯びてきた。
「炸加さんが『転売の決断』に至ったのは【海軍の敗北】が原因ではないでしょうか。これはとても大きな出来事です。なにせ【売値】に直接関わってくる大問題ですからね」
当初は、そのままライザックに情報を売る予定だった。
幸運なことに杷地火が鍛冶に追われて新しい鉱脈の場所までは発見できなかったこともあり、その値段は相当な額になるはずだった。
がしかし、第二海軍が負けた一報を聞いて考えが変わった。
どんな宝の山も、それを掘り出せねば意味がない。魔獣たちを排除できる力がなければ、場所を知ったところで皮算用にしかならないのだ。
こうなると情報の値段もだいぶ下がってしまうだろう。少なくとも五百億という大金には絶対に届かない。足元を見られて数億程度が関の山である。
「そもそもライザックは、成功報酬として具体的な金額を提示はしていなかったはずです。十分な見返りを用意する、といった程度ではなかったでしょうか。これは埋蔵量や質の問題もありますから難しい話なのです。どうです? 違いますか?」
「………」
炸加は、ソブカの言葉に押し黙る。
すべて正解ではないものの、半分以上は当たっているのだろう。
烽螺も、この段階に至ると話を信じるしかなくなってくる。
「じゃあ、五百億ってのはこいつの言い値でしかないのか?」
「ですねぇ。どれほどライザックが大盤振る舞いしたとて、そこまでの金額はいかないでしょう。もちろん開発が上手くいけば、軽く千億は超えるプロジェクトではありますが、それまでの手間暇が相当なものになります」
レアメタルが発掘されれば最低千億、という話は前からあった。
ただし、これはあくまで推定であり基準となる数字でしかない。
上振れすれば千億どころか数千億、今後の発展を見越せば兆に至るまでの莫大な富になる可能性もあれば、埋蔵量次第では遥かに下回ることも十分ありえるあやふやな数字である。
だからこそグランハムも商売の基本として、アンシュラオンに対して最低額を提示したのだ。
「なんだか夢みたいな話だな…現実感がまったくないぜ。それに付き合うあんたらもどうかしているよ」
「かもしれませんねぇ。ですが、古代文献にそういった記述が残っているのも事実です。現状で掘り出された形跡がないのならば、何かしらの貴重な鉱物が眠っているのは間違いありません」
「で、炸加はライザックを見限って、もっと高く売れそうな相手を探しにいくつもりだったってことか」
「事前に転売できそうな相手をいくつも調べていたようですからねぇ。慎重なのは良いことですよ」
「慎重っていうか…最初から裏切る気満々じゃねえか!? そりゃ海軍も捕まえに来るぜ!」
「ふんっ、俗人の考えることなどソブカ様にはお見通しだ。そのように浅はかなやつだからこそ、ライザックに選ばれたのだろうからな」
ファレアスティの侮蔑の視線に対し、炸加はきっと睨み返す。
「な、何が…悪いんだ。強いやつがちゃんとしないから、弱い僕たちにしわ寄せが来ているんだろう! だったら何をしてもいいんだ! 僕には金を要求する権利があるんだ!!」
その瞳には、さきほどよりも昏くて強い炎が宿っていた。浅はかで愚鈍で、未来に一つの希望も持ちえない弱者の卑しい輝きである。
しかし、だからこそ扱いやすく、ライザックが『駒として』好みそうな人材といえた。
「炸加さん、あなたを南部には行かせません。私はライザックとは対南部という点では協力関係にありますからねぇ。どうせ売るのならば北部の勢力であるべきです。結局のところ、我々に売るのが一番得策なのですよ」
「お金を払ってくれれば売ります」
「場所だけわかっても魔獣を排除する必要があるのです。その手間と費用を考えると、その値段は高すぎるのではありませんか?」
「それなら他の人に売ります!」
「五十億程度ならば即金で出せますが」
「駄目です。五百億です!」
「さすがに十倍の開きは、いかんともしがたいものですねぇ」
この世界で五百億というと、日本円の価値観だと二千億程度になる。いくら稼ぎ頭のソブカにしても、それだけの資金を用意するのは極めて難しいだろう。
そもそも五十億ですらグラス・ギースでは超がつくほどの大金だ。よほど爆買いしなければ一生豪遊して暮らせる額である。
そして、今となってはライザックでさえ厳しい額だ。資源云々の前に海軍の立て直しに何倍もの額がかかるかもしれない。
どうしようかとソブカが思案していると、クラマが前に出る。
「ソブカ、もういいだろう。こいつは譲らねえよ。目を見ればわかる。となれば、もうやるしかねえ」
「私としては、できうる限りビジネスで終わらせたいのですがねぇ。脅し取ったとなれば世間の評判も悪くなります」
「もうリミットだ。お前が一番わかってんだろう? 俺たちはソブカに賭けたんだ。始めちまった以上、生きるか死ぬかどちらかだけだぜ。こいつが言うように、どんな手を使っても勝つしかないんだ」
「ソブカ様、私もクラマに賛成です。もう時間がありません」
「…仕方ありませんか。私も仲間の命を預かっている身。ここで躊躇うくらいならば最初から勝負には出ません。すみませんねぇ、炸加さん。これも生まれた境遇の違いです。私は本物の不死鳥を手にしなくてはいけないのです。そのためならば手を汚すことも必要なのですよ」
「よし、決まりだ!」
「ひっ…!」
刀を抜くクラマを見た炸加が、一歩下がる。
クラマの目にも炸加に劣らぬ決意の炎が宿っていた。
彼らは赤鳳隊。組長のソブカのために命を捨てている者たちである。
いくら炸加が昏い炎を持っていたとしても、所詮は弱者のもの。死線を潜り抜けてきた者たちには及ばない。
「や、やめて! 近寄らないで!」
「おい! 交渉が駄目になったからって、こんなやり方かよ! 卑怯だぞ!」
「卑怯? 馬鹿を言うな。俺たちはマフィアだ。そこらの商人じゃないんだよ。マフィアにはマフィアのやり方があるの―――さ!」
「ごふっ!?」
接近したクラマが、刀の柄で烽螺の腹を叩く。
彼は非力非力と毎度言われているものの、それは武人の中での話だ。
相手がたかだかディムレガンの青年程度ならば、その一撃は大型のハンマーで殴ったようなもの。
烽螺の身体が浮き上がり、そのまま大地に崩れて呼吸が止まる。痛みと衝撃でまったく動けない。
「がはっ…ごぼっ……かはっ……」
「ほ、烽螺!」
「今度はてめぇだ」
「クラマがやっては殺しかねん! ラーバンサー、頼む!」
「―――あっ!?」
ファレアスティの言葉と同時に布が飛んできて、炸加の両手足に絡みついた。
その布を放ったのは拘束具と覆面の男、ラーバンサーだ。
彼は無言で炸加を宙吊りにすると、まずは背中のリュックを剥ぎ取る。
「ま、待って! それは僕の…ぐううっ!」
「荷物をあらためさせてもらうぞ。そうすれば嫌でもわかる」
ファレアスティが渡されたリュックを漁り、ポケット倉庫の中身をあらためる。
最初に出てきたのは大量の黒い鉱物。
ソブカはそれを手に取って見定める。
「これが『サンプル』ですか? 素人には見分けがつきませんが…」
これらは交渉に使う際のサンプルとして持ち出したものだ。
その多くは子猿から入手したものだが、自身が少しずつ地層を調査して得た『研究結果』を記したノートも見つかった。
肝心の場所こそ書いていないものの、二年以上を費やした彼の努力の結晶は見ごたえがあった。
「これは素晴らしい。あなたには地質調査の才能があるようですねぇ。鍛冶師よりも向いているかもしれませんよ」
「ソブカ様、術式武具です! 例の物もあります!」
ソブカがノートを熱心に読んでいると、ファレアスティが杷地火の術式武具を発見。
その中には、彼らが求めていたものもある。
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