372話 「裏切りの理由 その2『もう一人の人材』」
「捜すのに手間取りましたよ。ガンセイの人形がいなかったら逃がしていたかもしれませんねぇ。危ないところでした」
「あんたらは誰だ! 海軍…じゃなさそうだけど……」
烽螺がソブカと対するものの、尋常ではない威圧感で足が震えてくる。
相手はべつに睨んでいるわけではない。ただ見つめているだけだ。
それにもかかわらず猛禽類に狙われた小動物のごとく、恐怖心が湧き上がってくるのだ。
(こいつ…なんて目をしてやがる! どう見てもあの大男のほうが強そうなのに、こっちのほうがヤバく感じるなんておかしいだろう!)
これが常人が彼を見た時の一般的な反応である。アンシュラオンたちだからこそ、その圧力に耐えられるのだ。
ソブカはそうした反応は見慣れているのか、さして気にした様子もなく笑顔で話しかける。
「私はソブカ・キブカラン。グラス・ギースの者です」
「グラス…ギース? なんであの都市の連中がここにいるんだ!?」
「あなたたちは山にいたからご存じないでしょうが、今回の作戦にはグラス・ギースの勢力も参加しているのです。言ってしまえば、両都市間での勢力争いといったところでしょうか。よくある話ですよ」
「作戦……戦争のことか?」
「ほぉ、そのことは知っていましたか。やはり最低限の情報は入るようですね」
「…で、何の用だよ。あんたらも海軍と同じく、俺たちを捕まえに来たのか!」
「そう警戒しないでください。私はあなた方の敵ではありません」
「銃を突きつけているやつの台詞か!?」
「この山では自衛の必要がありますからねぇ。万一を考えての措置です。どうかお許しください。それに、あなた方が逃げないという保証もありませんし、しばらくはこうさせていただきますよ」
「………」
他の赤鳳隊の面々も二人を囲むように陣取る。
ソブカの言葉遣いは丁寧だが、絶対にこちらを逃がさないといった気迫を感じさせる。
(ちっ、数が多いし、ほかにもヤバそうなやつらがいる。戦ったら勝ち目はゼロだな。逃げるのも無理だ!)
弱者は、その習性として強者を見分けることができる。それが生き延びるための秘訣だからだ。
ソブカたちの場合は最悪なことに、海軍以上に危うい臭いがプンプンしてくる。
迂闊に逃げ出せば迷うことなく銃を撃つだろう。相手の目がそう物語っている。
「海軍の次はグラス・ギースかよ…どうなってんだ」
「まずいよ、烽螺。キブカランって名前…たぶんキブカ商会の会長だ」
「キブカ商会って何だ?」
「医薬品を扱う商会だけど…中身はマフィアだよ」
「マフィア? あの噂のか? …納得だぜ」
烽螺たちが逃げるのを諦めたことを感じ取り、ソブカが『標的』を見定める。
彼がその鋭い眼光で狙うのは、登山着で丸々と膨れている者だ。
「お顔がよく見えませんが、あなたが炸加さんで間違いありませんか?」
「っ…なんで僕の名前……」
「もちろん存じておりますよ。あなたのことは調べましたし、それ以前にあなたのほうからキブカ商会との接触も考えていたはずです。違いますか?」
「でも、少し調べただけなのに…どうやって?」
「そんなに難しいことではありません。あなたが『キブカ商会を調べたという情報』を私が買っただけのことです。しかし、公的な機関を使うとは不用心ですねぇ。他の人間がどこで聞き耳を立てているかわかりませんよ」
「え? ハローワークなのに?」
「ハローワークだからですよ。あそこはあまり安全とは言えませんねぇ」
炸加は以前、ハローワーク経由でキブカ商会について調べたことがある。
あそこに訪れるのはハンターや商人だけではない。公的な情報機関として、一般人でもさまざまな調べ物や依頼ができる。
しかしながら、一見すれば便利な組織ではあるものの、その内部はかなり腐敗しており、ライザックのような権力者ならば強い影響力も行使できてしまうほどだ。
さらに周りに人がいるような状況で安易に訊ねてしまえば、耳の良い者ならば簡単に盗み聞きすることも可能である。
事実そうしたことを生業にする者たちがおり、小耳に挟んだネタを情報屋に売って小銭を稼ぐことが常態化していた。
これを知らないのは無知な素人のみで、裏社会に通じているソブカならば、炸加の行動を調べることは造作もない。
しかも会長自らが自社に関することを調べるのだから、それを不審がる者もいないだろう。
「さほど時間もありませんので単刀直入に申し上げます。炸加さん、私たちと手を組みませんか?」
「キブカ商会…さんと?」
「そうです。我々は良いパートナーになれると思いますよ。いかがでしょう?」
「………」
「は? 炸加と手を組む…? どういうことだ?」
「ソブカ様が話しているのはお前ではない。いちいち口を挟むな!」
「うるせえな! いきなりやってきて意味わかんねえんだよ! 説明くらいしろよな!」
ファレアスティと烽螺が睨み合う。
彼女の態度はいつものことだが、烽螺は烽螺で炸加に対して仲間意識が強く、彼を庇うように前に立つ。
足は相変わらず震えているものの、その度胸だけはたいしたものだ。
「ファレアスティ、少し落ち着きなさい。あなた方は周囲の警戒を続けてください。邪魔が入るのが一番困りますからねぇ」
「…はい」
ソブカはファレアスティを下がらせると、今度は烽螺と向かい合う。
炸加が後ろに隠れてしまっているので、まずは彼から落とさないといけないからだ。
「あなたは烽螺さんでよろしいですね?」
「ああ、そうだ。炸加とは幼馴染だ。話があるなら、まずは俺を通せよな」
「烽螺さんは、男性のディムレガンにしてはかなりの才能があるようですねぇ。能力は金属を糸に加工する技術…里火子さんと同じでしたか。素晴らしいものです」
「俺のことまで知っているのか?」
「ええ、よく存じておりますよ。ディムレガンについては全員調べているのです。しかし、その様子ですと、あなたは何もご存じないようですね。まあ、一般人が深く立ち入る話でもないでしょう。今ならば引き返せますが、どうしますか?」
「…逃がしてくれるのかよ?」
「あなただけならば、ですがね。何も知らぬことが一番幸せとも言います。黙っていてくだされば何もいたしません」
「ここまできて黙って帰れるかよ! どうして炸加を狙うのか教えろ!」
「好奇心は身を滅ぼすかもしれませんが…まあいいでしょう。彼は我々にとって重要な情報を持つ人物だからです。ですよね、炸加さん?」
「な、何の…こと?」
「隠しても無駄ですよ。あなたが持っている情報は、北部のパワーバランスをも変えてしまうほどの力を秘めています。きっと誰もが欲しい情報でしょう。だからあなたもハピ・クジュネに…いえ、ライザックに売ろうと考えていたはずです」
「………」
「何言ってんだ? 炸加がそんな情報を持っているわけがないだろう。こいつはな、何をやっても中途半端な駄目なやつなんだよ。人違いじゃないのか? 訊きたいことがあるなら杷地火さんのところに行けよ」
「普通はそう考えるでしょうね。実際に彼もライザックと結託して、この計画に加担しておりました。あなた方をたばかり、翠清山での工作活動を担当する。ディムレガンでなくてはできない芸当ですから、彼が一番の適任者のはずでした」
「たばかる? 杷地火さんが?」
「あなた方がこの山に来たのは偶然ではなかったのです。その目的は、武器製造や諜報活動のほかに『レアメタルの埋蔵地』を特定することです」
「レアメタルって特別な鉱物のことか?」
「ええ、そうです。とりわけ優れた術式武具に使用する珍しい鉱物や、あるいは戦艦の製造に必要なもの、その戦艦が扱う『特殊砲弾』を作るために必要な素材等々、貴重な鉱物を活用する方法は無限にあります。世の中では資金が重要とされますが、それはあくまで資源を手に入れるための手段にすぎないのですから」
いくら金があっても、それだけでは意味がない。株式や紙幣だけを持っていても使えなければ無用の長物なのだ。
だが、優れた鉱物はそれそのものが材料になるため、状況によっては普通の金よりも何十倍も価値があるものとなるだろう。
唯一の欠点としては、物理的な質量があるために扱いづらい点だ。
だから人は、それを『情報』として取り扱うのである。
「情報には極めて価値があります。私がこうしてあなたと出会えたことも、さまざまな情報を分析して立ち回ったからです。ですから情報とは、個人の能力や人格を超えるものなのです。あなたがどう思っていようが、彼が情報を得ていることには変わりありません。一度知ったことを忘れることはできませんからねぇ」
「それを炸加が持っているってのか? 馬鹿なこと言うなよ。ありえないって。そもそもどうして炸加が怪しいって思ったんだよ。一度調べただけで確信するなんて、それこそおかしいだろう。第一こいつが、ライザックみたいなお偉いさんと知り合えるわけないじゃないか」
「おっしゃる通り、候補は何人もいました。しかも、その誰もがライザックとは面識がない人物ばかりです。いくらディムレガンとはいえ都市のトップと自由に会えるのは、火乃呼さんのような一握りの人材のみですからねぇ。しかし、そこにこそ穴があるのです」
杷地火はリーダーなので、誰が見ても「そうではないか」と疑念を抱くだろうが、他のメンバーとなるとなかなかに難しい。
煜丹がユキネに簡単に懐柔されたように、誰もにそれなりの欲望があり、やろうと思えば多くのディムレガンに協力を要請することができるはずだ。
しかし、この情報はあまりに価値がありすぎる。
もし多数の人物に依頼してしまえば、その中で必ず諍いが起きてしまい、最悪の場合は互いに殺し合う可能性も出てくる。魔獣側にも知られてしまえば、それこそ破滅だ。
それゆえに前提条件として、スパイの人数は極めて少数。できれば二人か三人が望ましい。
「杷地火さんは口が堅い職人です。信頼に足る人物といえるでしょう。しかし、ディムレガン全体のリーダーとして強い責任感がありますし、それが行き過ぎてしまうと扱いづらい側面が出てきます。彼に関しては、私も何度か交渉した際に特徴を把握したものです」
ソブカは『火聯』と『水聯』の入手のために、何度も杷地火と面談をしている。
向こうがこちらの人間性や技量を測るのと同じく、ソブカもまた相手を見定めていた。
また、アズ・アクスに足しげく通っていたのは、単に武器購入のためだけではなく、ライザックの政策を知ったことで、今回のような作戦を思いつくのではないかと疑っていたからだ。
仮にそうならずともアズ・アクスの価値を考えれば、コネクションを作っておくことは利益になると踏んでのことである。
当然ながら、その際にすべてのディムレガンの顔と名前と経歴、性格や私生活の趣味に至るまで、すべて調べ上げている。
「私であれば、彼だけに調査を依頼することはしません。作戦を実行するうえでは不確定な要素も考慮すべきです。不慮の事故の可能性もありますし、他の人物にも依頼するのが現実的でしょう」
そして、やはりというべきか、杷地火はハピ・クジュネとの決別を宣言している。
ソブカも今の段階でそこまで予期してはいないが、杷地火の性格を考えると一筋縄ではいかないという予感があった。
二年以上の歳月と目まぐるしい情勢の変化は、人の心を変えるには十分すぎるからだ。
「かといって人材は厳選しなければなりません。そこで次に候補に挙がるのは『彼とは正反対の人物』となります」
杷地火とは違い、職人気質ではない者。
杷地火とは違い、種族全体の利益を考えない者。
杷地火とは違い、守る家族がいない者。
杷地火とは違い、目立たない者。
要するに、種族全体で最下層に位置する者たちである。彼らは日々の生活にさまざまな不満を抱いている。そこを利用するのだ。
「欲望は人を動かす力になります。その動機を侮ってはいけません。さて、これによって候補はだいぶ絞られまして、残りは四人となりました。私も絞りきれないでいましたが、そこで『転売先』を探した者がいたことで、ようやく確信が持てたのです」
「それが炸加だってのか? たまたま医療品が欲しかったとかじゃないのか?」
「自分で言うのもなんですが、物流が豊かなハピ・クジュネにいながら、わざわざキブカ商会に頼むとは思えませんねぇ。しかも彼には、都市を離脱する前に海軍に補導された記録が残っています」
「補導? 捕まったのか?」
「記録上はそうなっていますねぇ。炸加さんはお酒は飲まれますか?」
「…いや、聞いたことはないな。最初の一杯くらいは飲むかもしれないけど、ほとんどジュースだったはずだ」
「酩酊するまで飲むことはないと?」
「それは間違いない。帰り道が怖いからって絶対に酔わないくらい慎重なやつだよ」
「なるほど、やはりカモフラージュですね。その際に話を持ちかけられた可能性が高いでしょう。補導理由は飲酒による酩酊でしたから」
「…だ、だからって、こいつに話が来るとは思えない。じゃあ、もしそうだったとしても、こいつが実際に情報を得たとは限らないじゃないか!」
「もっともな疑問ですが、彼は琴礼泉のエリアから真っ先に出ようとしていました。我々は外に逃げる者がいないか、ずっと網を張っていたのですよ。情報を得ていないのならば、わざわざ逃げる必要性はありません。来ることは知っていたのですから、素直に海兵に投降すればよいことです」
ソブカは北での陽動と同時に、琴礼泉の周囲にガンセイの人形を配置して、逃げ出す者がいないか見張っていた。
そして唯一、炸加だけが意図的に外に出ようとした動きを見せた。
「追われたら誰だって逃げるだろう! たまたまだ!」
「いいえ。もしパニックで意識せずに出たのならば、その大げさな装備は辻褄が合いませんねぇ。事実、ほかにもエリアの外に出た者はいましたが、単に隠れていただけでした。それが普通の反応というものです」
これはまさに煜丹のことである。
彼は何の準備もできずに、慌てふためいて隠れていただけだ。その状態と炸加は明らかに異なっている。
これは烽螺自身も怪しんだほどなので、そのことに関しては何も言い返せなかった。
だが、まだ納得はいかない。
「…全部あんたの言う通りだとしても、こいつはずっと俺たちと一緒に琴礼泉にいたんだぞ。どうやってそんな場所を探し出すんだ。監視だってあった。抜け出すなんて不可能だ」
「琴礼泉に閉じ込められたのは、ここ一年のことです。それまではある程度自由に動けたはずですし、事前に何かしらのパイプを作っておけば、閉じ込められたあとでも調査は可能でしょう」
「やっぱり無理があるって。絶対に勘違いだ! あんたが勝手に、そう思おうとしているだけだろう!」
「では、逆にお訊ねしますが、あなたにはおかしいと思ったことはないのですか? 炸加さんの行動が他の方々と違っていたことはありませんか?」
「そんなこと言われても、ずっとこいつと一緒ってわけじゃなかったしな…」
「鉱物に関することで何かありませんか? 密かに誰かと接触していた、あるいは珍しいものを持っていた等です」
「いや…使っている鉱物は、琴礼泉にあるもの以外は魔獣が持ってきて……あっ」
その時、烽螺の脳裏に『子猿が持ってきた黒い鉱物』のことがよぎった。




