368話 「引き込みの秘策 その1『誘惑』」
「何をやっている! まだこれだけしか確保できんのか!」
「申し訳ありません! こちらが接近すると逃げてしまい、抵抗もなかなか激しく…」
「馬鹿者が! それを捕まえるのがお前たちの任務であろう!」
今のところ捕まったディムレガンは、青年が五人だけだった。
不運にも不意打ちに近い形で最初に捕まった二人のほかには、まだ三人しか確保できていないという有様である。
ロクゼイが怒ってしかるべき体たらくだが、一番の敵はやはり『濃霧』だった。
霧は魔獣の目を欺くことにも役立つのだが、同時に自分たちにとっても大きな不利益をもたらすうえ、時間が経つたびに霧はますます深まっていくようだ。
(こうした事態も想定して優れた波動円の使い手を連れてきたはずだが、どうにも上手くいかん。この霧には探知を阻害する何かが含まれているのか? くそっ! 最悪の天候だ!)
視認できないのならば波動円を使え、というのは武人の常識である。
今回の作戦は重要であるため、とりわけ優れた者たちを配置しているはずだが、なぜか誤認ばかりが発生していた。酷い場合は、石や木を人と勘違いするほどだ。
もしこの不調がなければ、遥かに多くのディムレガンを見つけ出せているので、原因がわからないロクゼイも渋い顔だ。
種明かしをするのならば、これは『アンシュラオンの嫌がらせ』である。
鎧人形を作った際に、霧に便乗して微量な命気を大量に撒き散らしており、それを遠隔操作で動かして琴礼泉全体を覆ってしまっていた。
波動円という技は、薄く霧状にした戦気を展開することで対象の情報を得るものだが、その原理は『ソナー』と同じだ。
得た情報を精査するためには、どうしても本体に情報を送らねばならない。その過程で戦気同士の共鳴による情報伝達が発生する。つまりは小さな原子同士を伝って情報を運ぶわけである。
がしかし、この命気は波動円の戦気を吸収したり、あるいは乱反射させて誤認させたり、または隙間に潜り込むことで伝達を遮断していた。
いわゆる『対波動円用のジャミング』だ。
技があれば、それに対抗する技が生まれるのは自然なことだ。特に波動円は非常に有名な技であるため、妨害する技もすでに開発されている。
だからこそ『無限抱擁』のような技が開発されたのだ。武だけに限らず技術の歴史とは、まさにいたちごっこなのである。
遠隔操作を得意とするアンシュラオンは妨害も得意で、よほどの使い手、姉や陽禅公に匹敵する探知能力者ならば別だが、そこらの武人では抵抗できるはずもなかった。
「他は後回しでいい! 杷地火だ! 何はともあれ杷地火を見つけろ! すべてはそこからだ!」
「はっ!」
ロクゼイ隊は隊長自ら積極的に動き、確保に総力を挙げる。
が、やはり妨害工作によって上手く進まない。波動円が使えなければ武人とて目に頼るしかないのだ。
その様子を離れた位置で見ていた小百合たちは、彼らとは別ルートでの移動を開始していた。
「やはり苦戦しているようですね」
「小百合先輩は、このことを予期していたのですか?」
「ロクゼイさんの対応についてですか?」
「はい。それとディムレガンの反応についてもです。自分には、どうしてこうなったのかわかりません」
サリータが、いまだに理解できないといった様子で訊ねる。
アンシュラオンの妨害工作はともかくとしても、ディムレガンの予想外の抵抗という意味では、すべて小百合が想定した通りに動いているからだ。
「ロクゼイ殿の今までの行動を見ていた限りでは、もっと冷静に対応する御仁だと思っておりました。だから今回のことは意外だったのです。先輩は、どこで確信を得られたのでしょうか?」
「確信…というよりは、薄々そんな感じはしていました。というのも彼らは『軍人』です。交渉人ではありませんし、任務の成否だけが存在のすべてといえます。そうなってしまうと以前からアンシュラオン様もおっしゃっておられましたが、軍部というものは暴走しやすい傾向にあるのです」
ロクゼイたちは、いきなり拘束するという強硬手段に及んだことで、ディムレガンを抵抗するしかない状況に追い込んでしまった。
これは明らかに人為的ミスといえるが、彼らにもそうせざるを得ない事情があった。
「すでに述べた通り、これは単なる救出作戦ではないのです。ロクゼイさんにとっては、キブカランさんという『敵』が内部にいる状態ですから、できるだけ早く確保したい気持ちが、ああいう強硬手段を選ばせたのです」
ソブカがディムレガンを狙っていることは、いまさら説明の必要もないだろう。おそらくはライザックからも出し抜かれないようにと注意を受けているはずだ。
それに加えて、作戦の遅れも彼らにとっては想定外だった。
アンシュラオンと一緒に動いているのだから仕方ないが、同様にいくつもの足止めをくらい、作戦そのものの先行きも不透明になりつつある。
それは混成軍よりも直接的にハピ・クジュネ軍として動いているロクゼイのほうが、ひしひしと焦燥感としてのしかかってくるものだろう。
また、この作戦の前に海軍が猿神と揉めたことで、救出作戦が一度頓挫していることも大きなプレッシャーになっていた。今回だけは絶対に成功させねばならないのだ。
ロクゼイの人柄とか人格を超えて、軍人としての性質が色濃く出た結果の失敗といえるだろう。
「近くで見ていれば、そういう細かい感情もわかるようになります。彼らは明らかに焦っています。そういうときって、人はけっこう間違えてしまうものなのですよ。これは当事者になってみないとわかりにくい感情の動きですよね」
「す、すごい。自分も一緒にいましたが、まったく見抜けませんでした!」
「ハローワークに務めていましたし、人を見る目だけは養われました。たまたま私に適性があったってだけの話ですよ。それを見越してアンシュラオン様は、私に指揮を任せたのです。すごいのはアンシュラオン様のほうですね」
「師匠もさすがです! お二人ともすごいです!」
小百合には、ロクゼイたちが失敗する予感があった。
結局のところ軍部の本質は『武』だ。武断に頼る者は、もっとも簡単な方法を好みやすい。
要するに暴力的な人間は、実行力がある分だけ考えることを放棄してしまうのである。余裕がなくなればさらにそうなる傾向にあるのは、人類の歴史がすでに嫌というほど証明している。
「でもさ、私たちだって山に攻めてきた人間って扱いだよねー? 同じように警戒されるんじゃないのー? あの人たちのせいで印象最悪だもんね」
「アイラさんの言う通りですね。このまま接触してしまうと彼らの二の舞になります。ですが、私たちは軍人ではありません。あくまで一般人なのです。そこが決定的な差になります」
「ん? どういうことー?」
「私たちの一番の武器は何だと思いますか?」
「武器? えーと、剣とか刀とか?」
「そういうものではなく、『強み』の話です」
「えー、なんだろー!? 強み? 強みなんてあるっけ? みんなの仲がいいところ? お風呂も一緒だし、毎日みんなで寝る時も楽しいよねー」
「ふふ、それも強みですけどねー。それ以外にもとびっきりの強みがあるのですよ! せっかく生まれ持ったものなのですから使わないと損でしょう」
「…小百合さん、まさか『そっち系』でいくつもり?」
ここまで話を黙って聞いていたユキネが、小百合の意図を察してしまう。
その視線に小百合は、にんまりと笑った。
「ええ、そうです。そして、その役割に一番適任なのが、ユキネさんとアイラさんです!」
「普通、ここにきてそれを選ぶ?」
「私も最初から考えていたわけではありませんよ。でも、道中で彼らの話を聞いているうちに、そういうやり方もありかなと思ったのです! どうです? 試してみませんか?」
「そういうことは準備もあるから、もっと早く言ってほしかったわ」
「まあまあ、ユキネさんならできますよ。それでは、その方向でお願いします。まずは適当な相手を見つけましょう」
「え? え? なになに? どうなったの!? どうすればいいのー!?」
アイラはまだ理解していないようだったが、そこはかまわず突撃あるのみだ。
彼女たちが急いで準備を終えて最初のディムレガンと接触したのは、それから三分後のことだった。
もともとあまり広くないエリアかつ、こちらにはホロロという精神感応者がいるので、隠れていた青年を一人発見することに成功する。
彼は村を散策していたところ軍人を見て驚いてしまい、反射的に森に飛び出して茂みに隠れていた。
このあたりは琴礼泉の直径二キロから少し外れている地域であり、見張りがいないこともあって、境界線から出ていることに気づかなかったようだ。
しかし、そんな彼に思わぬ幸運?が訪れる。
「そこのお兄さん、ちょっといいかしら?」
「っ―――!?」
青年の前に突然現れたのは『薄着の美女』だった。
隠れていた彼が驚くのは当然だが、さらに驚くべきはその格好。
柔らかそうな白い腕と大きく開けた胸元に、艶めかしい生足が露出した『踊り子』の衣装を来た女性が、こんな山奥にいるのだ。
それだけでも驚愕すべきことだが、その女性は色っぽい動きをしながら近寄ってきて、硬直している青年の手にそっと触れる。
「あなたの手、温かいのね」
「あわっ、あわわっ!?!」
「ねぇ、このまま触れていてもいいかしら? こんな服だと寒くて人肌が恋しくなってしまうのよ」
「あ…う……あ……は、はひ」
「ありがとう、助かるわ」
そう言うとその美女、ユキネは肌を紅潮させながら青年の横に座りつつ、肩に寄りかかる。
突然の出来事に青年の頭はパニック状態だ。
(え? なに? これはなに!? 何が起こっているんだ!? ううう、こ、この匂い……女性のいい匂いがするううううううう!)
久しく女性に触れていないどころか、異性経験が一度もない純真な青年にとってユキネの色香は極めて危険だ。
雪のような美しい白い肌はもっちりと柔らかく、強烈に匂ってくる香りは成熟した女性…否、【雌】そのものだ。
彼らは二年以上の間、女性といえばすでに結婚した中年女性か、美女だが近寄りがたい火乃呼しか見ていない。
そんな彼らにとってユキネはまさに、妄想で幾度も思い描いた『若くて柔らかい女性』そのものであった。
しかもユキネは、彼の想像の上をいく。
「ねぇ、あなたって逞しいのね」
「え? ぼ、僕が…ですか?」
「私、こんな山奥で仲間とはぐれてしまって心細いの。少しの間でいいから一緒にいてくれる? ね、いいでしょ? お願いよ」
上目遣いでおねだりするような視線に、青年の心臓がドクンと跳ね上がった。
このポーズだと胸元も丸見えになるので、どうしても目がそこに向いてしまう。
「あ…いや、その……ぼ、僕でよろしければ…! いくらでもどうぞ!」
「本当!? 嬉しい!」
「あっ!? きょ、距離が近―――もごごごっ!」
(む、胸が! 胸が顔に当たってるぅううう! なんだこれは!? 餅…いや、大福なのか!? 大福でいいのか!? いいんです! これは大きな大福だ!!)
ユキネは青年に抱きつき、身体をさらに密着させて豊満な胸を押しつける。
今いるメンバーの中ではホロロに次ぐボリュームなので、そんなものに顔が埋まったら某歌詞のごとく、思考回路はショート寸前だ!(ベ・ヴェルも同レベルだが体格の比率でユキネが上)
「こんな場所であなたみたいな素敵な男性に出会えるなんて、私ってなんて幸せ者なのかしら。あなた、このあたりの人なの? ああ、ごめんなさい。最初にお名前を伺うべきだったわね」
「ぼ、僕は…い、煜丹…です」
「珍しいお名前ね。どういう意味なの?」
「え、えと…太陽が輝くみたいな…そんな意味です。でも、僕みたいな軟弱な男には似合いませんよね。…あはは」
「そんなことないわ。とても凛々しくて良い名前だと思うわ。それで煜丹さんは、どんなお仕事をされているの?」
「しがない鍛冶屋です。剣とか鎧とかじゃなくて…もっとこじんまりとした小道具とか装飾品とかを作っているんです」
「すごいわ! それってどんなもの? 今持っているのかしら?」
「あ…はい。こういうの…ですけど。たぶん見てもつまらな―――」
「うわー、素敵! 綺麗で細かい仕事をなさるのね! こんな上品な細工ができる人なんて見たことないわ! これほど素晴らしいものなら相当値が張るんじゃないかしら? きっとそうよ。ね、そうでしょ?」
「そ、その…まあ、高い剣とかの装飾に使うものですから…それなりには……すると思います。はい」
「うんうん、これは立派な仕事だわ。もっとご自分に誇りを持ってもいいのではなくて? それにあなたって、とてもチャーミングですもの。女性にモテるでしょう?」
「ちゃ、チャーミング!? ぼ、僕がですか!? そそそ、そんな! 全然ですよ! 恋人すら一度もできなかったんですから…」
「あら、そうなの? 意外だわ。きっとお仕事が忙しくて今まで良い出会いがなかったのね。それとも女のほうに見る目がなかったのかしら」
「ぼ、僕に魅力なんて…ないですよ。こんなにひょろひょろですし…」
「それは違うわ。あなたみたいな優しい物腰の人に女は惹かれるのよ。それに、ただ優しいだけじゃなくて、こんな素敵な仕事ができる人ですもの。心だって強いに決まっているわ」
「そ、そんなことは…。今だって逃げてきて…隠れていたんです。幻滅しました…よね?」
「ううん、逃げるのは勇気がいることよ。自分の身を守れる人が本当に強い人なの。さっきも黒い鎧を来た怖い人たちを見たわ。ああいう野蛮な人は嫌よね」
「それはきっとハピ・クジュネ軍です。そ、そうだ。あ、あなたはどうしてここに…?」
「ユキネよ。そう呼んで」
「ゆ、ユキネさんは…どうしてこんな場所に?」
「私は『商隊』に所属しているの。そこで踊りを披露したり、給仕のお手伝いをしたりしているのよ」
「ああ、なるほど。だからそういう格好なのですね。い、いいと思います! すごく綺麗です!」
「うふふ、ありがとう。それでね、このあたりに来たのは、腕のいい鍛冶師たちがいるって聞いたからなのよ。それってたぶん煜丹さんたちのことよね?」
「そうだと思います。こんな場所にいる鍛冶師は僕たち以外にはいないですし。それで…僕たちに何か御用ですか?」
「うちの商隊は武器の輸送とかでお金を稼いでいるのよ。良い品があったら買い取って転売して回る感じね。ねぇ、煜丹さんたちと交渉ってできるかしら?」
「それは【商談】ということですか?」
「ええ、そうよ。あくまで平和的にお話がしたいの。でも、ビジネスチャンスだからって、こんな山にまで来たのはよいのだけれど…ここは本当に危険な場所よね。さっきも軍人さんに乱暴されそうになったから逃げてきたのよ」
「えええ!? なんてことを! 大丈夫でしたか!?」
「ええ、なんとかね。すごく怖かったわ。だから煜丹さんに出会えて本当に嬉しいと思っているのよ。ねぇ、私のこと守ってくれる?」
「ぼ、僕は…強くはないんですけど…」
「いいえ、あなたは強いわ。やればできる人よ。ほかの誰にもわからなくても私にはわかるの。女はね、安心できる人を見分ける力があるのよ。ああ、こうしていると心が落ち着くわ」
「ゆ、ユキネ…さん」
女性に免疫がないところに、ユキネの甘ったるい声がダイレクトに突き刺さり、完全に魅了されてしまう。
普通に会ってもユキネは魅力的な女性だ。それがこんな山奥で自分だけを頼ってきたとすれば、一般的な男性ならば刺激されないわけがない。
この際、彼の股間が盛り上がっているのは気にしないでおこう。こうならないほうがおかしいのだ。
そんな情欲と期待とわずかな自制心の狭間に、さらにユキネが入り込む。




