366話 「竜紅人奪還作戦 その2『陽動』」
北では火災が広がったことで、次第に大きな煙が生まれていく。
それを第二海軍がやったように、ソブカが風圧波の術符で集落側に向かって送り込むと、魔獣たちが反応。
主に北側の監視を担当していた猿たちが集まってくる。
多くの魔獣が殺到してきたこともあり、赤鳳隊は一度退避。彼らもだいぶ損耗しているので真正面から戦う選択肢はない。
魔獣たちは予想通り、枝葉等を使って火消しに奔走してくれた。
普通の魔獣ならば放置したり逃げるのだろうが、グラヌマは比較的頭が良いので、こうして人間に近い行動を取ってくれるのだ。
その間にアンシュラオンは北西の位置に移動して、魔獣の動きをうかがう。
(陽動の第一段階は成功しつつあるな。これをきっかけにして全体を西側に引っ張ることができれば、小百合さんたちも安全に突入できるだろう)
アンシュラオンの役割は、異変に気づいた監視役の魔獣をさらに西側に引っ張ることである。
それ自体は暴れ回れば簡単にできることだが、単純に魔獣を殺していけばいい、というわけではない。
(安易に監視の魔獣を倒してしまえば、ロクゼイのおっさんを邪魔することができなくなる。小百合さんたちが内部に入ったタイミングで『魔獣たちをけしかける』必要があるだろう)
当たり前だがアンシュラオンが堂々と邪魔してしまえば、いろいろと面倒なことになる。
ならば魔獣の力を借りればよいのだ。これならばいくらでも言い訳ができる。
(乱戦になるのは多少危険だが、こちらが完全に制御できていれば比較的安全だ。今一番重要なことは、特定の人物と貴重な武具を小百合さんたちが確保できる時間を作ることにある。それが終わったら、頃合いを見計らって場を収めればいいだろう。そのほうが交渉もしやすいに違いない)
ディムレガンと交渉するにあたっては、彼らに危機感があったほうがやりやすくなる。もっと言えば、できるだけ『孤立』してくれるとありがたい。
そのためにはロクゼイが失敗することが好ましく、この陽動作戦自体がその布石になっている。
彼が一番警戒しているソブカを遠い北側に配置し、最大戦力である自分も陽動に参加することで、ロクゼイ隊に『猶予』を与えることができた。
普通ならば猶予があることはプラスに働くが、今の彼らにとっては逆になる可能性が高い。
(ロクゼイのおっさんはチャンスを得たことで、迅速で大胆な行動を選択するはずだ。そうなればどうなるのか予測は容易いな。まあ、仮に上手くいったとしても、この濃霧の中で全員を確保するのは困難だろう。そのあたりに勝機があるし、海軍の狙いも明確になるはずだ)
ロクゼイは間違いなくスパイが誰かを知っている。知っていなければ選択を迫られた際に困るだろう。
当然ながらスパイを最優先に捜すはずなので、その動きを見ることでヒントを得ることができる。
その時にスパイ側がどういう行動に出るかは不明だが、協調しそうならばタイミングを見計らって妨害すればいいだけだ。
(どんな状況になっても最後はオレが勝つ。勝負は勝たないと意味がない。ディムレガンも金も権威も、手に入れられるものはすべて手にする。せっかく面倒な作戦に参加したんだ。サナのためにも、ここで一気に生活基盤を作ってやるさ)
ディムレガンとの優先的な交渉権は、サナたちへの継続的な武具の供給においても重要なことだ。
また、常にアンシュラオンを介さねば武具が手に入らないとなれば、誰もがこぞってこちらに便宜を図り、賄賂を贈ってくるだろう。それはライザックとて例外ではない。
彼はハローワークにも圧力をかけられる貴重な人材なので、できれば貸しを作っておきたい。その根底には、小百合に対する脅しへの報復の意味合いもある。
(あれは小百合さんを制御できなかったオレのミスでもあるが、今後こういうことがないように楔を打っておく必要がある。オレを敵に回したらどうなるか、しっかりと教えておかないとな)
本来ならばディムレガン救助を全面的にバックアップすれば、それだけで貸しは作れるのだが、より優位に立つために相手側を追い込む必要がある。
そのうえでハングラスとも組んで利権を手に入れるという、まさに一石二鳥を目論んでいた。
あくどい! この人、あくどいよ!
と思うかもしれないが、何事も勝てば官軍だ。力を手にした者だけが物言う権利がある。
(よし、まずは魔獣たちの注意を引くために手駒を作るか)
アンシュラオンは、ポケット倉庫から大量の武器と鎧を取り出す。
これは防塞戦等で破損して使い物にならなくなった武具を回収したもので、これだけならば単なる鉄くずに等しい。
しかし、アンシュラオンが使えばこうなる。
ボロボロになった甲冑に戦気を注入し、あっという間に五十体ほどの『鎧人形』を作成してしまう。
以前ハピ・ヤックに向かう道で護衛用に鎧人形を作ったと思うが、あれと同じようなものである。
異なるのは、闘人に至る前の段階で止めたことだ。
戦気術、『分戦子』。
戦気を操作する初歩の技であり、これを昇華するといつも使っている『闘人操術』に至る。
アンシュラオンは当たり前のように闘人を使っているが、カジノにいたイカサマ担当の女店員のように、通常の使い手ではこのあたりが精一杯となる。
(猿たちは精鋭部隊じゃないらしい。普通の闘人で戦ってしまうと圧勝する可能性が高いな。うっかりいつもの癖で出力を上げると危ないから、今回はこの程度に抑えておくとしよう)
こうすることで鎧人形の動きも闘人と比べれば雑になるので、技自体を低くして出力を抑えることで、うっかりミスを防ぐことが目的だ。
「行け! 魔獣たちを挑発してこい!」
アンシュラオンが五十体の鎧人形を操作開始。
それぞれに武器を持たせて、北西から琴礼泉に向かって移動させる。
しばらく進んで猿の監視網に接触したのを確認してから、武器で自らの鎧を叩いて大きな音を立てる。
普通の人間ならばまずこんなことはしないだろうが、魔獣に人間の文化などわかるはずもない。
突然の敵の来襲に驚いた猿たちが、慌てふためいてこちらにやってきた。
「キキッ!?」
「キーーッ! キッ!」
最初は五頭前後のグラヌマが様子を見に来たが、すぐに引き返していく。
それから少し経つと、およそ二百頭前後の猿たちが群れを成してやってきて、こちらを包囲した。
これは少々予想外の結果といえる。
(ふむ、若い猿だから血気盛んにくると思ったが…意外と慎重だな。猿のボスの教育が良いのかもしれない)
破邪猿将という強力なボスがいることもあり、グラヌマには力による完全なピラミッド社会が形成されていた。
そのボスの方針で、若い猿たちはけっして個人では無理をしないようにとの命令が出ているようだ。これは魔獣同士の縄張り争いではなく、異種族同士の戦争だからである。
そして、準備を終えた猿たちが一斉に鎧人形に襲いかかる。
まずはボビヤンダーたちが突進。
強烈なラリアットをぶちかます!
鎧人形はあっけなく吹っ飛ばされ、大地に叩きつけられた。
「ウホウホッ!」
これにボビヤンダーたちは大興奮。
最近では仲間が第二海軍への捨て石にされていたこともあってか、まさか自分たちが活躍できる日が来るとは思わなかったのかもしれない。
それを見た他の個体も次々と襲いかかり、鎧人形を弾き飛ばしていく。
(いい食いつきだ。やる気になってくれたのならばちょうどいい。このまま泥仕合に付き合ってもらうか)
卑猥な意味ではない本物の『ウホッ』が聴けたことに感動しつつ、アンシュラオンは鎧人形を操作して立ち上がらせる。
ここから鎧人形の反撃。
隊列を組ませて突破を試みる。
この鎧人形の戦力は、少し強いくらいの傭兵に設定している。武器が完全ならばこれくらいの魔獣は倒せるのだろうが、今持っているのは刃こぼれしたボロボロの剣や斧である。
ほぼ鈍器のごとく叩きつけることで、相手に与えるダメージ量を調整して『泥仕合』が開幕。
ボビヤンダーが殴り飛ばせば鎧がへこみ、鎧人形が叩き返せば彼らに軽い切り傷や打撲を与える。
鎧人形が一体倒されれば、こちらもボビヤンダーを一頭倒していく。
こうすることで敵に対し「なかなか強いが、対応できない相手ではない」という印象を与えることができる。
人間でも動物でも、どんなにがんばっても結果が出ないとやる気を失うものだ。適度に結果を与えることが肝要といえる。
「キキッーーー!」
しばらく様子を眺めていた若きグラヌマ兵、およそ十数頭も、これを見て勝てると踏んだようで戦闘に参加。
ほとんど新品に近い剣を振り回して、鎧人形を切り伏せていった。
もちろん中身は戦気なので血は出ないのだが、興奮している若い猿たちにそこまで確認する余裕はない。
動かなくなった鎧人形を踏みつけて剣舞を踊る猿たちは、かなりのご機嫌である。もしかしたら初めての実戦だったのかもしれない。
こうして鎧人形は全滅。
対する猿たちの被害も、およそ五十といったところだ。そのすべてがゴルワンダーであるのは眷属としての『お務め』であろうか。
(よしよし、上手く調整できているな。さて、第二波といくか。今度は少し手ごわいぞ。しっかりと食いつけよ)
「キキッ!? キー!」
猿たちが新たな敵の出現を確認。
その数は、さきほどの二倍である百体の鎧人形だ。
九十体はボロボロの甲冑を再利用したものだが、その中の十体ばかりは、サナの試練組手にも使った本物の闘人を採用している。簡単にいえばクロップハップが十人いるようなものだ。
これに猿たちは苦戦を強いられる。
他の鎧人形を犠牲にしつつ、合間合間に鎧闘人が強力な一撃を繰り出すので、攻撃に耐えきれずに倒れていく猿も増えていく。
それに加えて、この鎧人形たちは真っ直ぐに琴礼泉を目指していた。
あからさまな動きに猿たちもようやく人間側の目的に気づくと、一度後退。
伝令を走らせて他の場所を守っていた猿たちを緊急招集していく。
やや高所からその様子を見ていたアンシュラオンには、琴礼泉の包囲が解けていくのがよく見えた。
まるで磁石で吸われた砂鉄のように、全戦力が西側に集まってくる。
(だいぶ釣り出せたかな。これでサナたちも中に入り込めるだろう。あとは小百合さんの作戦が当たれば、流れはこちらに傾くはずだ)
∞†∞†∞
「むっ、雰囲気が変わったな」
じわじわと距離を詰めていたロクゼイたちが、敵の気配が一気に引いていくのを感じ取る。
実際に波動円を展開しているわけではないものの、このあたりは実戦経験豊富な彼にとっては感覚でわかるのだろう。(波動円を使わないのは、野生の勘でバレるのを危惧したため)
「隊長、どうします? もう少し様子を見ますか?」
「いや、すでに戦局は変化した。このタイミングを逃すのは逆に危うい。こちらも突入を開始するぞ! 手筈通りに動け!」
「了解!」
ロクゼイ隊は、救出艇の準備および退路を確保する後方部隊である九名を残して、四十二名が突入を開始。
ちょうどディムレガンと同数であり、最低でも各人が一人ずつ確保すればよいため、意図的にこの人数にしたと思われる。
今までのロクゼイ隊は、あくまで海兵の中の精兵といった様相だったが、本来は突入専門の強襲鎮圧部隊である。
いざ行動に出た時の判断力と速度は、他の海兵たちを数段上回り、あっという間に森の中を進んでいく。
「動きがプロだな。さすがは噂に名高い『ファルコ・ルーシ〈舞い降りる海鷲〉』か」
それにはゲイルも思わず唸ってしまう。
ライザックの親衛隊は数こそ千人程度ではあるが、それで事足りてしまうほど一人一人が強い。
ロクゼイ自身も単独でのナカトミ三兄弟を凌駕する武人であるし、他の兵もイスヒロミースの兵二人分の活躍ができる強兵だ。
慌ててゲイルたちも移動を開始し、彼らの後ろを追う形で進んでいく。
「出遅れちまったが大丈夫か?」
盾で木々を掻き分けながら、ゲイルが小百合に訊ねる。
「大丈夫です。もとより私たちは、あの速度での行軍はできません。自分たちのペースで移動したほうが力が発揮できます」
「あまり考えたくないが、いきなり海軍が標的を確保しちまったらどうするんだ?」
「可能性が無いとは言いませんが、かなり低いでしょう。いきなり海兵が出てきたら標的は逃げるはずですし、そんな危ない仕事をしている人が『脱出路』を用意していないわけがありません」
「たしかにな。仲間にも秘密にしているってことは、もしバレたら袋叩きになる。となれば、いつもビクビクして逃げることばかり考えているのかもしれねぇな。そういう輩は、どうにも好きにはなれないが…」
「今の時代、力だけですべてが成せるわけではありません。情報を制した者がすべてを制します。そんな人物すら扱えてしまえるライザック様の手腕が卓越しているのでしょう」
「だが、やつが現場にいるわけじゃない。そこが狙い目か」
「そういうことです。すでにこの山での出来事は不測の事態ばかりです。このまますんなりいくとは思えませんね」
小百合たちは小走りで琴礼泉に接近。
ソブカ同様に焦りは見られない。いつも通りに冷静だ。
その後ろ姿を見ながら、改めてサリータが現実を思い知る。
「小百合さんはすごい。あれで普通の一般人だったのか? 到底そうは思えない」
小百合の知識と決断力は、単なるハローワークの職員とは思えないほどだ。
また、ロクゼイと打ち合わせをしていた時にも感情を制御して、相手に余計な情報を与えないでいた。
もし粗雑で迂闊な人間ならばロクゼイに噛みついてしまい、こちらの企みを看破されていたかもしれない。
「もしや道中をゆっくり歩いていたのも、相手を油断させるための罠だったのか?」
「そこまでは深読みさね。あまり上に見ていると本当に追いつけなくなるよ」
「そう…だな。我々の役割はサナ様の護衛だ。今はそれに集中すべきか」
「まあ、そのサナに関しても、どんどん先に行ってるけどねぇ」
まだ十歳にも満たない少女が、ベ・ヴェルたちの動きに軽々とついてきている。
魔神戦を経てさらに動きに磨きがかかったようで、前よりも軽やかに見えるから怖ろしい。
(諦めるな。人間には得手不得手があると師匠も言っていたではないか。自分の長所を生かすことを考えるのだ。サナ様を身体を張って守る。それが自分の仕事だ!)
サナは一歩引いた位置を走り、サリータたちがその両脇を埋める。
一方で、殿にはユキネがいた。
彼女も彼女で道中思いつめていたこともあり、その顔にはあまり余裕がない。
しかし同時に、ある種の覚悟も秘めていた。
(アンシュラオンさんと一緒にいれば何かが起こる。私の嗅覚がそう言っているわ。伊達に長年チャンスをうかがってきたわけじゃない。そう、ここはもう舞台の上。チャンスを掴める場所にいるのよ!)
ユキネは赤子の頃から旅芸人の一座で過ごしてはいるが、心の底から安堵したことは一度もない。
座長は優しく他の者たちも家族同然だが、それだけでは彼女の心は満たされないのだ。
自分の手で本当の幸せを掴む。
そのためだけに今まで必死に耐えてきたのだから、諦めるという選択肢は最初から存在しない。




