361話 「琴礼泉の生活 その2『火乃呼』」
「鍛冶長、検分お願いします」
杷地火の仕事は打つだけではない。
合間合間に、こうして出来上がってきた剣を最終チェックする筆頭鍛冶師としての仕事が残っている。
運ばれてきたのは、人間用の武器だ。
人間用のものは経験を積ませる意味でも、主に若手の鍛冶師に任せているので粗いところは目立つが、それでも人間の鍛冶師に比べると質は数段上になる。
ディムレガンには潜在的に金属の状態を皮膚で感じ取る能力と、火を上手く扱う力がそなわっているので、種族的に人間よりも有利なのである。
その検分が終わると、猿に渡す武器、熊の盾、それ以外の魔獣の武具等々、さまざまな装備に目を通す。
(ある時を境にして注文が具体的になってきた。猿以外の武具を要求されたのは初めてだったから驚いたものだが、その時も何かあったのかもしれんな)
最初は猿の剣だけを用意すればよかったが、クルルが魔獣に指示を出し始めた時から、翠清山全体で本格的な武装化が進められていった。
クロックホーンのボス、『クロックソーネス〈駆崖角槍大闘鹿〉』が装備していた武器も実験的に作らせたものであり、この計画が進めばあらゆる魔獣が武具を手にすることになるだろう。
コウリュウが言ったことも事実だが、やはり武器を持つだけで魔獣の力は底上げされる。これが数千、数万規模になれば、雑魚魔獣でも侮ることはできない戦力と化すはずだ。
杷地火はずっと琴礼泉にいるので、クルルの存在については知らないものの、この現状が続くことは好ましくないとも考えていた。
(武具の価値が高まるにつれて鍛冶師の価値も高まる。そうなれば魔獣たちは、ますます俺たちを手放さなくなるはずだ。もし人間側が負けてしまえば、一生このまま山で暮らすことになる)
ディムレガンにとっては仮の住まいにすぎず、あくまで独立する準備が整うまでと誰もが思っていたはずだ。
それが戦争が始まり、このような状況になってしまったことに精神的に参っている者も出始めている。
それは鍛冶師たちのリーダーである杷地火の責任でもあるので、毎日のように状況が好転することを願っていたが、彼の想いをあざ笑うように日に日に悪化しているのは間違いない。
そうして陰鬱な気持ちで、猿に渡す剣の確認をしていた時だ。
杷地火の目が一本の剣に止まる。
「…ふぅ」
しばらくその剣を見ていた杷地火が、ため息をついて立ち上がる。
「火乃呼はどこだ?」
「さっき外で会いましたね。良い剣が出来たから猿神に渡すって息巻いていましたが…。ほら、こないだ来たあの若い猿ですよ」
「…そうか。少し席を外す」
杷地火は工場を出て外に出る。
工場のすぐ近くには大きな滝があり、そこから流れてくる水によって『泉』と川が生まれていた。
水は澄んでいて綺麗で、浄化の力が非常に強いという特徴がある。
この水を鍛冶に使うと不純物が抜けやすく、鍛冶師にとってはそれだけでもここに来る価値があるほど稀少なものだ。
もちろん飲み水にしても上質。ハピ・クジュネも蒸留水を作っているものの、一度でもこの水を飲んでしまえば物足りなく感じるだろう。
琴礼泉という名称自体、この水の恵みに感謝した者たちが泉に礼拝したことから名付けられているのだ。
杷地火は、豊かな水に感謝の念を捧げながら『村』を歩く。
琴礼泉自体はこの泉を指すので、どこからどこまでという決まりはなかったが、ディムレガンが監視状態に置かれてから、泉からおよそ直径二キロが彼らの村と位置付けられていた。
そこから先にはグラヌマの監視者がいるので出ることはできないが、この中では自由に過ごすことができ、あちこちには各人が好きに建てた家屋も点在している。
住人の内訳は、中年の夫婦が五組十名。杷地火のように配偶者と別れてやってきたものが十二名、それ以外の独身者が二十名となっている。
男女比は、女性が六名に対して男性が三十六名。
対比にすると、1:6という不均衡な状況であったが、これには理由がある。
(年々女の産まれる数が減っている。もともと数が少ないうえに女のほうが力が強いから、人間の女では受け止めることができない。数も減るわけだ)
ディムレガンは、女のほうが強い!
アズ・アクスの創始者が姉妹であったことからも、これはいかんともしがたい事実である。
昔はまだ女性もそれなりにいたようだが、血が衰退していくことで男ばかり産まれてくる結果になってしまった。
そうなると、どうしても女性の取り合いになってしまうので、あぶれた男たちは人間の女性と結婚するのだが、ここでも血の問題で女が産まれてこない。
産まれたとしてもディムレガンの血を受け継がない人間の娘になってしまい、やはり女性の数は増えないどころか減る一方だ。
こうして考えると、ハビナ・ザマにいた店員の女性も貴重である。
他の地域に散った者たちもわずかながらいるので、ほかに女性がいないわけではないが、このままでは種が絶える可能性すらあるのだ。
そして、しばらく進むと、この村で唯一の独身女性を発見。
彼女がいたのは琴礼泉の北側の端で、いつも猿たちに武器を引き渡す場所であった。
「なんだと! この猿が!! もう一度言ってみろ!!」
「キッキイ…」
「ああ!? なんだその態度は!! てめえのために打ってやったんだろうが! ありがたく使えよ! なあおい!」
「キィ…」
一頭の若いグラヌマに激しい怒声を浴びせている女性がいた。
魔獣のグラヌマのほうが大きいのでわかりにくいが、その隣にいた青年のディムレガンと比べても女性は遥かに大きかった。
身長は二メートルを超える長身で、全体的にがっしりとした身体付きではあるが、飛び出んばかりの豊満な胸が女性であることを強烈にアピールしている。
髪の毛は燃えるように真っ赤っかのロングヘアーかつ、若干ボサボサしているので手入れを怠っている様子が見て取れるが、いくら油で抑え込んでも跳ねてしまうので、これは髪質の問題かもしれない。
顔はとても綺麗で美人ではあるが、目は鋭く、眼光も威圧する蛇のような『蛇目』をしているので、対面する相手は美しさよりも怖さを先に感じてしまうだろう。
一番の注目点は、やはり堂々とした尻尾。
ディムレガンの女性であることを示す最大のチャームポイントであり、ある種セックスアピールでもあるのだが、ハビナ・ザマにいた店員のものよりも強靭で、より【竜】らしい尾といえるものだ。
これらの特徴からも、女性の柔らかさよりも『強さと激しさ』の側面のほうが感じられるタイプだろう。
この人物こそ杷地火の娘であり、炬乃未の姉である火乃呼であった。
「火乃呼、何をしている」
「ああ、親父か。ちょうどいいところに来た。あんたも言ってやってくれよ! この猿、剣を打ってもらって文句を言ってんだ! 調子に乗ってると思わねえか?」
「キキィ…」
「あああ!? さっきからキーキーと、何言ってんだかわからねぇんだよ! はっきり言えや、こら!!」
「キィイイイッ!?」
「猿神を怯えさせるやつがどこにいる。それに、いろいろと矛盾しているぞ」
ディムレガンには、猿神の言葉がわからない。
こうして対峙していても、目の前のグラヌマが怯えていることくらいしかわからず、火乃呼の発言は完全に矛盾していることがわかる。
それ以前に、メンチを切って相手を威圧する立ち振る舞いは、完全にヤンキーだ。これで特攻服でも着ていれば、まさにレディースだろうか。
しかも彼女が怒るたびに髪の毛が熱を帯び、手の爪も長くなるのでグラヌマのほうが縮こまっている。
こうした現象が起こるのは、生まれ持った力が強すぎるために、竜の側面が人間を超えて出てしまうからだ。
「血が濃すぎるのも困るな。せめて炬乃未くらい、おとなしかったらよかったのだが…」
「は? なんで炬乃未?」
「お前たち二人は両極端だからな。あの子の半分でも淑やかならばと思わぬこともない」
「ちょっと、何言ってんだよ! あんな【裏切者】と一緒にしないでくれる? マジでムカつくんだけど」
「べつに裏切ったわけではない。あの子は残る決断をしただけだ」
「それが裏切りだろう!? ライザックのほうに味方したんだったら、立派な裏切者さ! あー! いまだに思い出しただけでイライラする!」
火乃呼が近くに置いてあった別の猿用の剣を掴むと、真っ二つにへし折った。
その光景にグラヌマがさらに青ざめる。
ライザックが言っていたように火乃呼の腕力はそこらの武人を数段上回るため、グラヌマ一頭くらいならば余裕で倒すことができる。
火を操る能力にも長けているので、最低でも『グラヌマーハ〈剣舞猿将〉』といった中級の討滅級魔獣レベルの戦闘力はあるのだ。
ただし、これでも鍛冶師である。戦闘が専門ではない。
杷地火は、さきほど持ち出した一本の剣を取り出す。
「この剣はお前が打ったものだな?」
「ん? そうだよ。それがどうかした?」
「その猿神に渡した剣も見せてみろ」
「…いったいなんなのさ」
火乃呼は猿から剣をひったくり、杷地火に渡す。
彼は二本の剣を交互に見つめながら、また深いため息をついた。
「火乃呼、これでは猿神が嫌がるのも当然だ」
「は? 親父まで何言ってんのさ。いい剣じゃないか!」
「どこを指してそう言っている?」
「当然、剣としての出来だ! 強度も切れ味も素材のレベルを超えている! 違うか?」
「たしかに剣自体はいい。ここまで質の高い状態に押し上げるのだから、お前の力量は確かだ」
「そうだろう、そうだろう。このおれが打ったんだから当然だ」
「だが、鍛冶師としては二流の仕事だ。いや、三流だ」
「はぁ?」
「この形はグラヌマの振り方には合わない。重心も少し手前すぎる。彼らは遠心力を使って『音色』を出して剣舞を踊る。叩きつける際の火花の色や大きさも彼らにとっては大事なのだ。それが考慮されていない」
「剣なんだから、どれだけ斬れるかが重要でしょ? 猿の習性なんて知ったことじゃないね」
「この剣を使うのは猿神だぞ? 猿神が使いにくい剣を作ってどうする」
「だったら使えるやつに渡せばいいだろう。こいつが軟弱だから使いこなせないだけさ。こいつが悪いんだ!」
「キキィ…」
なんとなく言われていることがわかるのか、またもやグラヌマが落ち込んでしまう。
グラヌマたちはディムレガンの『護衛』でもあるため、当然ながら何があっても手出しはできない。ひたすら言われっ放しになるのだから哀れなものだ。
それには杷地火も眉間に深いしわを寄せる。
「彼はまだグラヌマとしては未熟な部類に入る。だから少しでも良い剣が欲しいと我々に頭を下げにやってきたのだ。その彼の力量に合わせて作るのが鍛冶師の仕事だ」
「それは違うよ。鍛冶師の仕事は良い武器を作ることだ。べつに相手に合わせる必要はない。使えるやつが手にすればいいだけじゃないか」
「俺たち鍛冶師は客がいなければ生きてはいけん。合わせるのも仕事だぞ」
「そういう妥協は男の親父たちがやればいいさ。女で特別な力を持っているおれは、もっと上を目指すべきだ。世の中には古代の聖剣やら魔剣やら、凄いものがたくさんある。それを超えるものを生み出せば、おれたちももっと認められるはずじゃないのか? 親父のやり方は古いよ。だからライザックなんかになめられるんだ」
「………」
(火乃呼は、なまじ腕が良すぎる。まさに【天才】だ。この剣にしても質としては申し分がなく、俺が作った剣を遥かに上回るだろう。だが、才能がありすぎるゆえに言葉が届かない。まだ都市にいる頃はよかったが…ここに来てから悪化したな)
火乃呼は、文句無しの天才鍛冶師だ。
アンシュラオンが買った卍蛍あるいは、嫌々打った包丁一つを取っても他とは根本から異なるレベルにある。
才能は歴代筆頭鍛冶師と比べても遜色なく、攻撃特化の武具を作る能力にかけては圧倒するかもしれない。
しかし、ライザックと喧嘩別れし、妹の炬乃未とも袂を分かって山にやってきてから、彼女は自分の殻に閉じこもるようになった。
鍛冶をするにはもっとも適した環境ではあるので才能は衰えない半面、客と接する機会が皆無になってしまったことで、その悪癖はどんどん酷くなる一方だ。
そして二年以上もの月日を経て、今のような独善的な鍛冶師になってしまった。
彼女が相手に合わせるのではなく、客が自分に合わせるべきだと考えるようになったのだ。
「杷地火さん、すみません…。俺が止めていれば…」
「お前の責任じゃない。今の火乃呼には誰も何も言えん。現に父親の俺の言葉すら通じないからな」
隣にいる青年も火乃呼に怯えてしまって、さっきから縮こまっている。
彼女はこの村で唯一の独身女性かつ、人間の年齢に換算すれば二十代半ばという結婚適齢期なのだが、この性格ゆえに誰も相手が見つからないのが現状だ。
その点に関しても、杷地火は頭を悩ませているのである。




