345話 「将対将の一騎討ち その3『聖なる破邪の剣』」
(ついにハイザク様が海賊の歌を…感無量でございます)
ハイザクは、これまで『バイキング・ヴォーグ〈海王賊の流儀〉』を使ったことがない。
この血統遺伝は荒れ狂う海を表現するのであって、普段から穏やかな海凪の中にいる男には無縁だったからだ。
それが今、海賊の頭領の資質を存分に発揮しているではないか。仕える者として、これほど嬉しいことはないだろう。
「…んんんんっ!!」
バイキング・ヴォーグが発動したハイザクは、身体中に力が満ちるのを感じていた。
仲間たちの声が聴こえる。自分のために故郷のために、命を捨てて戦う勇敢な海賊の雄たけびに打ち震える。
彼らの意思を無駄にはできない。してはいけない。
ハイザクが矛を持って突っ込み、力任せにぶん殴る。
破邪猿将は両手の剣で対応するが、そんなことはおかまいなしに吹っ飛ばす!
ハイザクはさらに追撃。
フルスイングで破邪猿将を―――滅多打ち!
その速度は音速を超えて空気の壁を強引にぶち破るため、攻撃するたびに爆破音と衝撃波が周囲に撒き散らされる。
もともと強い武人の攻撃は音速程度ならば軽く超えるが、その質量が問題だ。
これだけのパワーで大きな矛を打ちつけるのだから、普通の武人とは生じるエネルギーが雲泥の差である。
これには破邪猿将も防御が間に合わない。
否、防御そのものが意味を成さない。
左手の黒い大剣の障壁も簡単に破壊され、防御した剣ごと自身にぶち当たって裂傷や打撲を負う。
右手の赤い大剣を振るっても、威力が向上した矛の一撃で弾かれて、返す一撃で腹を切り裂かれる。
それで出血を防ぐために腹に力を入れると動きが止まるため、接近したハイザクの拳が唸る。
殴る、殴る、殴る!
ぶん―――殴る!
近距離戦になってもハイザクの動きは変わらない。この図体にもかかわらず、凄まじい速度で拳を叩き込んでいる。
時には頭で打ちつけたり、肩でかち上げてきたり、肘を入れたり膝を入れたり、場合によっては持ち上げてこようとさえしてくる。
まったくもって手がつけられないブルドーザー。
まるで酒場で暴れる海兵のごとく、一度動き出したら手に負えない滅茶苦茶な戦い方をしてくるのだ。
(なんと荒々しい戦い方よ。普段は穏やかすぎるほどに静かなのに、一度荒れるとここまで凄まじいのか!)
スザクも能力が発動中は性格と戦い方が荒々しくなったが、ハイザクの暴れっぷりはそれ以上だ。
これを見てしまうと、むしろライザックのほうが規律正しく穏やかにさえ感じられる。
今のハイザクは戦士因子と剣士因子が限界まで上がっている状態で、現状で戦士因子が8、剣士因子が4まで覚醒している。(兄弟それぞれ覚醒限界値は異なる)
肉体はガイゾック並みに強化され、武器の扱い方も剣士因子があるので一流の剣士の技量になっていた。
技こそ使えないものの、これだけの素養があれば十分。
「…んんんんっ! おおおおおおおおお!」
ハイザクの一撃が、破邪猿将の顔面に当たって左目を切り裂いた。
血が噴き出し、目が赤く充血。
魔獣とはいえ視覚によって攻撃を見ているため、視界の一部を奪えたことは大きいだろう。
しかし、それでスイッチが入ったのか破邪猿将に異変が起きる。
彼の額にある三つ目の『破邪眼』が輝きを増すと、身体が白く光り、徐々に移動して刀身に絡みつく。
それによって赤と黒の大剣が『光り輝く白い剣』に変質。
「キ゛キ゛ィィ!!」
破邪猿将が剣を振ると、一筋の白い剣圧が伸びてハイザクに命中!
その一撃は、まさに閃光。
放たれたあとは一瞬で到達。ハイザクの肩から胸を切り裂き、大量の血がどばっと噴き出す。
頑丈なはずの黒鎧も切られていたが、鎧がなければ致命傷になっていたのは間違いない。
破邪猿将が白い剣を振るごとに閃光が走る。
それはハイザクだけに襲いかかるのではなく、森を突き抜けるごとに火を消し去っていく。
破邪猿将のスキル『聖剣化』。
彼は普段から『剣質強化』というスキルで剣自体の能力を向上させているが、こちらはその上位スキルであり疑似的な『聖剣』を生み出す能力だ。
聖剣といえばガンプドルフの魔剣を思い出すが(当人は聖剣と呼んでいる)、魔剣や聖剣とは『優れた力を持った剣』の総称である。特に現代では作ることができない古代術式武具を指すものだ。
グラヌマの王は、それを一時的に再現できる。
ガンプドルフも『魔石』と『雷妖王の手』を借りて疑似聖剣を生み出していたが、それを単独で使えると思えばいいだろう。
そして、破邪猿将が生み出す聖剣の能力は『聖なる破邪の剣』。
すなわち『すべての術式を無効化』する力である。
相手が術式武具を装備していても触れている間は防御機能を無効化してしまうという、『森羅万象』のごくごく小範囲での発動に似た恐るべき能力といえる。
さきほどの一撃も『ガムジュの黒鎧』に施された『核剛金』を無効化し、単純な硬度だけの勝負にもっていくことで切り裂いたのだ。
これが彼の『奥の手』。
破邪猿将と呼ばれるきっかけになった力である。
互いに奥の手を出した今、ここからは【血戦】あるのみ!!
ハイザクが矛で突き刺せば、破邪猿将も聖剣で切り裂く!
もはや鎧には意味がなく、相手も防御など考えない。
ただただ両者が攻撃だけに特化した結果、噴き出て舞い散った血で赤い霧が生まれて視界を覆っていく。
しかし、通常ならば聖剣化した破邪猿将の剣は、ハイザクの矛さえも切り裂いてしまう可能性があった。
鎧以上に圧縮されているとはいえ、同じ鉱物を使って生み出した武具だからだ。
だが、矛には―――『赤い渦』!
血よりも濃度が高く、真っ赤なマグマとなって渦巻く【闘気】が矛に浸透することで強度が劇的に向上。
それが聖剣すら受け止める力を与えていた。
ハイザクの闘争本能が燃える! 盛る! 猛る!
矛を叩きつけるたびに放出される闘気が、猿の身体を燃やす。
拳を叩きつけるたびに燃え盛る闘気が、猿の心を燃やす。
闘気は激しい闘争本能がなければ扱えない気質だ。温和な彼も使うのはこれが初。
生まれて初めて感じる戦闘への強い欲求が、ハイザクの中に生まれていた!
―――〈なんだ、これは〉
破邪猿将は、自身の全力についてくる小さな存在に見惚れていた。
身体こそ自分の半分にも満たないものの、山脈のように不動の意思を持っている。何度攻撃を叩きつけても、切り裂いても、それはけっして後ろには退かない。
むしろ斬れば斬るほどに、前に押し出てくる強さを宿していく。
効いていないわけではない。攻撃は確実に命中し、皮膚と筋肉、一部においては骨すら断ち切っている。
がしかし、溢れ出るエネルギーが再生と循環を促し、ギリギリのところで耐え忍びつつも反撃を可能にしていた。
―――〈強い! これは―――強い!〉
戦えばわかる。斬り合えばわかる。殴り合えばわかる。
目の前にいる存在は自然そのものだ。戦えば戦うほど強い波となって返ってくる海そのものだ。
初めて生死をかけて、魂をぶつけて戦うに相応しい相手に出会い、破邪猿将の心は燃え上がっていた。
ハイザクの矛が腕を貫き、筋肉が剥き出しになって骨も見える怪我を負う。しかし、その刺激すら心地よい。
こちらもお返しとばかりに鎧ごと切り裂き、骨を断つ独特な音がする。
が、高い戦士因子がすぐに骨をくっつけてしまい、怪我をしたはずの腕ですぐさま殴ってくるではないか。
二人の強者は、本当の自分を出せる相手と出会って燃えていた。
熱く、熱く、二人は戦いながら自分を叩きつける!
俺のほうが強いと叫びながら力をぶつけ合う!
それは戦場に鳴り響く『戦神のリズム』となって、ただの殺し合いを『闘争』に昇華させる。
生きる者よ、闘え!
這いずる者よ、闘え!
死にゆく者よ、闘え!
その死は無駄にはならない。闘おうとした意思が星のエネルギーとなって循環し、また新たなる生命の躍動になるだろう!
停滞は死だ! 動きこそ生だ!
だから安心して殺して死ね!
女神ならぬ『戦神』の祝福が、この三袁峰の闘いに与えられようとしていた。
「っ…!?」
だが次の瞬間、ハイザクの動きが突然鈍った。
矛を振ろうとした時、体勢がわずかに乱れたことで弱い一撃になってしまったのだ。
絶好の反撃チャンスであったが破邪猿将は動かない。『破邪眼』にはその原因が視えていたからだ。
視線を上にずらすと、少し離れた場所に『左腕猿将』がいた。
「キッ! キィッ!」
左腕猿将が術式武具『カーストリミッター〈序列強制の呪斧〉』を使って妨害していたのだ。
その証拠にハイザクの身体には黒い煙がまとわりついていた。著しい能力低下をもたらす、あの斧特有の呪いの力である。
今のハイザクには能力補正がかかっているため、以前よりも効果は薄いものの、拮抗している両者にとってわずかな隙が命取りになる。
これは厄介。まさかの伏兵の登場だ。
「くっ! 横やりが入るとは! やつを仕留めよ!」
ギンロも左腕猿将の出現は想定していたが、このタイミングで出てくるとは思わなかった。
いや、事実これは彼の独断だ。
本来の左腕猿将の役割は、敵を三袁峰に引き入れるための囮であり、それが完了したのちは山を下って敵の補給路を断つことだった。
それが持ち場を離れて、こうしてでしゃばっているのだから、人間と猿のどちらにとっても想定外のイレギュラーな存在であった。
ギンロ隊が対応しようとするも、こう見えて彼も追手の剣舞猿将と戦っている状況だ。だいぶ弱らせたとはいえ、まだまだ強敵なので手が空いてはいない。
そのうえ左腕猿将は特殊個体。ギンロ隊が動いたところで簡単に勝てる相手ではないだろう。
(一手足りぬ! こんなところで足りぬのか!!)
ギンロの視線の先で、破邪猿将が剣を振り上げるのが見えた。
ハイザクが斬られてしまう。直撃を受ければ非常に危険だ。
こうなればわが身を挺して守るしかない。それがたとえ枯れ葉一枚程度の壁であれ、少しでも足しになればと動く。
しかし、その前に無情にも剣は振り下ろされた。
ただし、その一撃はハイザクには向かず、木の上にいた左腕猿将に向かって放たれて―――ズバッ!!
白い閃光が武具を持っていた左腕猿将の腕を、切り落とす!!
「ギギ―――イィイイッ!?!!」
自慢の左腕がぼとりと地面に落ちて、びくびくと痙攣している。
左腕猿将は何が起きたのか理解できず、ただただ戸惑った声を発していた。
そこに―――
「ギ゛ギ゛ギ゛ギ゛ギ゛ギ゛ィイイイイイイ!!」
「ッ―――っ!!?!」
破邪猿将の怒声が響き渡る!!
それは殺気を伴った本気の怒りで、ただでさえいかつい顔が鬼のような形相になっていた。
彼は鬼属性も持っているためあながち比喩だけではないが、その剣幕に左腕猿将はびびりまくり、震えて失禁してしまう。
何度か激しく咆え立てると、左腕猿将は腕を拾ってそそくさと逃げ帰っていった。
破邪猿将は、去っていった出来損ないの部下に侮蔑の視線を向けながら、改めてハイザクに向かい合う。
その目は、さっさと立て直せと言わんばかりだ。
「…ん」
ハイザクは矛を持って立ち上がり、再び破邪猿将と対峙。
目の前にいる誇り高き猿の王に無礼がないように、全力で戦うと誓って矛を振る!
破邪猿将も王将の風格に恥じない力で、全力で斬り返す!
互いに身体はボロボロ。血も流れすぎて意識が朦朧とすることもあるし、力が入りきらない時もある。
だが、気持ちで戦う!!
自分の譲れないもののために殺し合う!
不毛に見えるかもしれないが、これこそが戦う武人の定め。闘争にしか生きられない魔獣の務め。
そして、両者の戦いについに変化が訪れる。
「…んんんんんっ―――おおおおおおおおお!」
身体ごと投げ出した乾坤一擲の一撃を、聖剣に叩き込んだ時。
白い刀身が―――ビシッ!!
亀裂が入る。
それと同時に矛にもヒビが入ったが、おかまいなしに叩き続ける!
一発、二発、三発!
がむしゃらに攻撃を仕掛けた結果、ついに―――バリン!
破邪猿将が右手に持っていた赤い大剣を粉砕。
粉々になった白い光が宙に舞い散り、元の色に戻った赤い破片が地面に散らばる。
なんら特別なことはやっていない。聖剣化した武具を単純なパワーで打ち砕いただけだ。
なんという―――勇者!
かつての金獅子のように王ではないものの、その武だけは彼に匹敵する英雄だ。
こんな勇者に勝つには、もう命を捨てるしかない。
破邪猿将は残った左手の大剣にすべての力を宿し、ハイザクと打ち合う。
ビシビシと互いの得物に亀裂が入る中、徐々に決着の時は近づいていた。
『海の女神』が―――見える
船首の女神像でしか姿を知らないが、うっすらと見える姿は、ぞくっとするほどの美貌を持った大柄な着物の女性。
彼女はその体躯に相応しい大きな剣を持っており、その背に海をまとっていた。
ハイザクは女神を見つめながら、ただただ無心で矛を突き出す。
矛は破邪猿将の左手の剣を破壊しながら突き進み、左肩に当たると穂先から渦巻いた闘気が爆発。
その衝撃で破邪猿将の左肩が吹き飛び、左腕が落ちそうになる。
魔獣が持つ強靭な靭帯によってかろうじて落下は免れたが、いつ落ちても不思議ではないほどに砕いていた。
ただし、あまりの威力にハイザクの矛にも致命的なヒビが入り、ついに破裂。真ん中から折れてしまった。
ハイザクは矛を手放すと破邪猿将と最後の勝負に挑む。
魔獣との―――殴り合い!!
武器を失ったのならば、最後に頼るべきは自分の肉体だけ。
最初に動いたのは破邪猿将。
右腕でハイザクをぶん殴る!
魔獣のパワーで顔面を強く叩かれ、ハイザクの兜が吹き飛び、額が鮮血で染まる。
「ん―――おおおおおおおおおおおおおお!!」
だが、それ以上のパワーでハイザクが殴り返す!
打撃と同時に闘気が敵の身体を焼き尽くすので、殴られた箇所はもう抉られてズタボロになっていた。
スザクが放った闘気と比べて、ハイザクの闘気は圧力と弾力が数段上だ。そんなもので殴られたら、いくら破邪猿将とて無事では済まない。
この一撃で、猿の王が膝をついた。
まだ拳を放つ余裕があるハイザクと膝をついた猿の王、どちらが上かは見た瞬間にわかるだろう。
「キ゛キ゛…」
「…ふぅ、ふぅうううう……」
猿の王は覚悟を決める。いや、最初から決まっている。
戦いになった以上、どちらかが死ぬまで戦うのが礼節でありルールだ。
ハイザクも死んでいった仲間たちのために、とどめの拳を振りかぶる。
(勝った! 我らの勝利だ!)
激しい死闘であったが、ここで破邪猿将を倒せば翠清山の戦いにも終わりが見える。
一番厄介な相手こそ、この猿神だったからだ。
しかし、その時。
空からマシンガンのように飛んできた石つぶてが、海兵たちに叩きつけられる。
それは豪雨のようであり、木々があっても完全に避けることはできないほどの膨大な量であった。
「なんじゃ!? 何が起きた!」
「そ、空です! 空に敵が!」
「むっ…あれはまさか―――!」
三袁峰の空に出現したのは【ヒポタングル】の群れ。
しかも今までスザクたちが戦った百頭程度の小さな群れではない。
およそ【六百頭】という大きな群れが出現したのだ。
当然ながらその中心にいるのは、銀色の翼を持った『マスカリオン・タングル〈覇鷹爪河馬〉』であった。




