341話 「血路 その1『潰し合い』」
もともと籠城した敵を追い詰める戦術の一つとして猿山を燃やす策があり、事前に用意していた大量の油を撒き散らしたことと、空気が乾燥していることが奏功。
一気に燃え広がっていき、山全体が火煙に包まれる。
「焼かれて出てきた猿を狙って仕留めろ!」
これによって火達磨になって転げ回る猿や、毛が焼かれて火傷を負った猿たちが続出。
必死になって攻撃を仕掛けてくるものの、火の影響は思った以上に強く、猿たちの気勢を削いでしまう。
戦いは怒りの感情だけでは勝てない。
こちら側の策がはまり、混乱した猿たちを海兵が確実に仕留めていく。
だが、海兵の死体まで焼いてしまうため、現場はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
(火計はあまりやりたくないが、三袁峰だけは死守せねばならぬ。そして、一度火を放ったら後戻りはできぬ。地表を焦土にしても、この戦いで猿たちを駆逐する)
アンシュラオンが自然の摂理の観点から共存を考えているのに対して、ギンロは猿の殲滅を考えている。
残酷に思えるが将来の禍根を絶つことができるため、生半可に生き残らせるよりは完全に殺しきったほうが安全だろう。
今ここに至ってはどちらが正しい、という議論は意味がない。
この戦いにおける着地点をどこに見据えるかの違いであり、部外者と当事者の違いともいえる。ハピ・クジュネにとって翠清山を手に入れるかどうかは死活問題なのだ。
しかしながら、ここを死守したいのは人間だけではない。
「魔獣接近! 数、およそ千五百! すべてグラヌマです! こ、これは…大きい! なんて大きさの群れだ!」
本営に設置された見張り台からでも、明らかにサイズが違うとわかる猿たちが姿を見せる。
それはグラヌマを超えた『グラヌマーハ〈剣舞猿将〉』の群れ。
その中央には両手に剣を携えたグラヌマーハの二倍はある圧倒的な存在感を放つ猿の王。
【グラヌマーロン〈剣舞猿王将〉】がいた。
「敵総大将発見! 両手に大剣―――『破邪猿将』です!」
破邪猿将とは、グラヌマーロンの異名のことである。
この特殊個体についても過去の文献に記述があり、邪なるものを退ける力を持つことから、そう呼ばれるようになったとされる突然変異体だ。
それだけ古くから生きている魔獣で、地上戦においてはマスカリオン以上の戦闘力を誇る強敵だった。
「ハイザク様、ついに敵将をおびき出しました」
「…ん」
「はっ、必ずや我らが道を切り開きます。親衛隊、出撃準備! 急げよ!」
ギンロの言葉で親衛隊の目の色が変わる。
彼らの出番が来るということは、この戦いによってすべてが決まることを意味している。
逆にいえば、ここで失敗すればハイザク軍は負けるのだ。
「サンロ、カンロ、覚悟はいいな?」
「もちろんだ」
「そのためにがんばってきたしね。死ぬ覚悟はできてるよ」
「いい言葉だ! 『イスヒロミース〈勇ましく進む筋力〉』、いくぞおおおおお!」
「おおおおおおおおおおおお!」
本営が揺れんばかりの大迫力の声が響くと、次々と屈強な海兵たちが外に出てきた。
通常の部隊ならばここで籠城する選択肢もあるが、イスヒロミースは突撃部隊だ。前に突き進むことで最大の火力を発揮する。
最初から標的は敵の総大将。
破邪猿将を倒せば猿の群れは瓦解し、一気に弱体化を図ることができる。
「ジンロ隊、突撃だあああああああ! ハイザク様の道を切り開く!」
今回のハイザクは先頭には立たず殿に位置し、先陣はジンロの戦士隊が担当する。
親衛隊以外の他の部隊は雑魚を押さえ込むために奮闘を続けており、その間を親衛隊が突っ切っていく。
敵にやられそうな味方がいても見向きもしない。
その死を乗り越えて、彼らは前に前に進んでいく。
(すまぬな。この借りは勝つことで返すぞ。お前たちの家族のことは任せておけ)
ギンロも仲間の屍に心を痛めながらも歩みを止めない。
けっして哀しくないわけではない。悔しくないわけでもない。
しかし、誰もがアンシュラオンのように強者ではない。勝つためには犠牲は必要なのだ。
そして、ジンロ隊五百が敵の本陣と接触を果たす。
対するのは破邪猿将が率いる群れ、約千五百。
グラヌマ自体は、事前情報では約二千頭いると想定されていたが、それは戦闘ができる雄の群れの総数であり、右腕猿将と左腕猿将の群れを差し引くと、ほぼ想定した数と合致する。
つまりは、これがグラヌマすべての戦力といえる。
(こちらの主力と敵の主力の激突じゃ。最初の戦いが命運を分ける。ジンロ、頼むぞ!)
ギンロが遠くから孫の活躍を願う。
そのジンロの目は、真っ直ぐに敵陣を見据えていた。
「全力で当たるぞ!! 後ろを振り返るなよ!!」
総勢五百の屈強な戦士が、敵陣前衛のグラヌマたちと正面衝突!
敵の総大将の部隊ということもあり、この場にいるのはすべて精鋭。グラヌマの中でも選び抜かれた戦士たちである。
右腕猿将と左腕猿将の群れは、そこからあぶれた者たちで作られた、いわば第三海軍のような連中だったのだ。
だが、今回ぶつかるのは、まさに精鋭と精鋭!
両者の肉体と武器が真正面から激突し、最初に訪れた結果は―――
(ちっ、重いじゃねえか!)
明らかに今までのグラヌマとはレベルが違う。
これで通常種かと疑うほどのパワーを秘めていた。
しかし、こちらもこの日のために鍛えてきた者たちである。
一人では押し負けそうになったところを、ラグビーのスクラムのように後ろから支えることで、前に―――押す!
「うおおおおおおおおおおおお!」
ジンロの身体から激しい戦気が噴き出し、拳でグラヌマをぶん殴る。
鎧を着ていようが重かろうが関係ない。気持ちを全面に出して突っ走る。
両者の力が拮抗したせいで、前線が一気に乱戦に突入。
最初からパワー全開で殴り合い、斬り合い、容赦のない削り合いが発生し、互いの兵に次々と負傷者が出ていく。
皮膚が抉れ、肉が斬られ、骨が折れても、両者の軍勢は止まらない。
「一人で最低一匹は倒せ! それで勝てる!」
イスヒロミースはおよそ二千であり、単純計算で一人一頭倒せば勝てるはずだが、もちろんこれは本気ではない。
それくらいの気迫で戦わないと勝てない相手だということだ。
その証拠に、ジンロ隊の攻撃を受けても敵の前衛は崩壊しておらず、果敢に反撃を仕掛けてくる。
先頭で戦っているジンロにも剣が襲いかかってきたので斧で受け止めるが、即座に二頭目が横から剣で攻撃を仕掛ける。
剣はジンロに突き刺さり、鎧を貫通して脇腹から出血。
「いてぇな、猿野郎ぉおおおおおおおお!」
反撃の拳で腹をぶん殴るが、マキがグラヌマ相手に苦戦していたように、物理耐性があるので簡単には倒れない。
敵は再び剣撃で襲いかかってきて、今度は肩に命中して骨が軋む。
同じ戦士でもジンロは耐久力のあるパワータイプの戦士であり、マキのように回避は得意ではない。ひたすら耐えて反撃の一撃を加える泥臭い戦いしかできない。
血が流れ、汗が飛び散り、涎が舞う最悪の戦場の中で、ジンロ隊は歯を食いしばりながら戦いを継続。
ジンロでさえ二頭同時に相手するだけで精一杯の相手である。他のマッチョの戦士たちも一頭担当するのが限界で、敵が二頭にもなれば致命傷を受ける者もいる。
が、耐えろ!!
耐えろ!!
「耐えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
前線が崩れたら、敵は一気にこちらに流れ込む。
この戦いでは策は無い。必要ない。
真正面から敵を粉砕するしか道はない、とことんパワー勝負だ!
(何のために戦ってきた! 何のためにがんばってきた! 何のためにつらい鍛練に耐えてきたんだ! そうだ、俺ら自身のためであり、俺たちの故郷を守るためだ!)
海兵の強さは、愛郷心によって成り立つ。
海の美しさ、豊かさ、厳しさ。
太陽に焼かれながらも笑う人々のために、彼らは戦うのだ。
ジンロ隊は、ひたすら泥臭く耐え続ける。
敵に一回斬られたら、二回殴り返す。二回斬られたら、四回殴り返す。
致命傷を負った者もいるが、けっして退かない。死んでも退かない。
「倒れるのならば、前に倒れろぉおおおお!」
彼らは死しても後ろには倒れない。
前に、前に、前に!!
一頭でもより多く倒すために、もっと前に!!
「―――ッ!!」
その気迫にグラヌマたちが一瞬だけ気圧された。
通常は侵略される側が決死に戦うものであり、侵略側はそこまでやる気がないことが多い。その動機が欲望に根付くものだからだ。
欲望を果たすためには生きていなければならない。だからこそ手を抜いたり、傷つかないように保身に走る。
しかしながら第二海軍の海兵は、その心に防国の意思を秘めていた。
その意外性に猿が圧されたのだ。
「サンロ隊、いくぞ!」
その瞬間、次男のサンロ率いる突撃剣士隊が、やや膨らみながら乱戦に飛び込んだ。
多くが槍を構えており、ジンロ隊に当てないように隙間を狙って突き出し、グラヌマだけを正確に貫いていく。
グラヌマは応戦しようとするが、ジンロ隊がいまだに近距離で踏ん張っており、反撃するだけの間合いがない。
そこにサンロの剣硬気が二頭を貫き、見事仕留める。
「サンロ…任せた!」
「そうそう、次は俺らの番ってね!! 突撃だ! ひたすら前にいくぞ!!」
ここでジンロ隊がサンロ隊の間に入るように下がり、華麗なスイッチ。
サンロたちは、その攻撃力を生かして次々とグラヌマを討ち取っていく。
これができるのもジンロ隊が耐えに耐えたからだ。
(よくぞ耐えた、ジンロ! これはお前の手柄じゃ!!)
前線の初戦を制したのは第二海軍のほうだった。
壁が崩せないのならば、敵は勢いを削がれて受け身の態勢になる。後衛がそのまま突っ込んでも味方に当たってしまうからだ。
敵は猿なので本来ならば木々を伝うところだが、それも火計によって封じている。
ハイザクの近くにいるギンロ隊は直接戦闘には参加しないが、その代わりに火計は継続しており、周囲に火を放つことで援護していた。
「燃やせ、燃やせ! やつらを煽るのだ!」
自分の住処が燃やされたことで最初から猿の怒りは全開だった。
だが、それをジンロが押さえたことで、逆に敵側に隙を生み出すことができたのだ。
そこをサンロ隊が自慢の攻撃力で突き崩していく。
ジンロ隊の負傷者は多数であり、死者も百を超えたが、彼らががんばったからこその結果だ。これを逃す手はない。
ただし、敵側も精兵である。
盾を持っている個体も多く、槍を防ぐと接近戦を挑んでくる。
猿たちも剣を使うとはいえ、その身体能力は魔獣の中でもかなりのもの。単純な腕力では人間を上回る。
敵が振り回した腕が、サンロの顔面に直撃。
「ってぇ…な! 意識を失いそうになっただろうが!」
普段は飄々としているサンロの頭に血が上り、猛烈な反撃に出る。
剣士は耐久力が高くないため間合いを大事にするが、この乱戦ではそんなことは言っていられない。
剣が当たって斬られようと、腕が掠って肉が抉れようと、ひたすら槍を前に出し続ける。
サンロ隊の勢いは凄まじく、特攻にも近い攻撃によって敵陣中央まで突き進んでいく。
ここまでは順調。見事だ。
しかし、ここから敵の気配が一気に変化。
「ギキィッ!」
「キイイイイッ!」
通常のグラヌマの二倍はありそうな巨体の猿たちが出現。
破邪猿将の側近の『グラヌマーハ〈剣舞猿将〉』の群れである。
右腕猿将たちほど際立ってはいないが、それでも上位種だけあって実力は抜きん出ている。
そんな連中が、およそ三十という数となって襲いかかってくるのだ。こんな絶望はないだろう。
「勢いを止めるなああああああああああ!」
サンロが、叫んだ。
兄弟の中でもっともクールな彼が、闘争心を剥き出しにして走る。
その声に燃えない者など、この部隊にはいない。
槍兵が突っ込み、剣舞猿将に穂先を突き立てる。
だが、一撃で倒せるような相手ではない。攻撃を受けても耐え抜き、反撃の一撃を繰り出した。
その刃が、サンロの身体に突き刺さる。
「ぐ―――はっ!」
ただの斬撃ならば、サンロは耐えられただろう。
されど、剣舞猿将たちが持っている武具は、すべて『術式武具』である。
今斬られた剣には『痛覚倍増』の効果があり、武人であっても神経が刺激されて鋭い痛みが走る術式が付与されていた。
痛みは衝撃と同じゆえに、これを受けると誰でも身体が動かなくなってしまう。
そこに他の猿が斬りかかり、さらにダメージ。
今度は斬られた箇所が爛れてしまい、傷口がぐちゃぐちゃになる。こちらは出血こそ少ないものの、怪我の修復を阻害するという意味では非常に厄介な『裂傷拡大』という効果である。
(ったく、痛いじゃねえか。ほんと痛いぜ。なんで俺、こんな森の中で戦ってんだよ。ほんと馬鹿かよ。…だがよ、不思議と怖くはねえ。ここで死んでも怖くはないんだ。だってよ、産まれて初めて生きているって感じがするんだ)
誰だって好きで海兵になるわけではない。祖父が軍人だからといって孫までなるとは限らない。
サンロも少年時代は反発し、幾度も祖父と意見が対立したものだ。
しかし、ハイザクと出会って変わった。
なぜならばハイザクもまた、ライザックに引きずられて嫌々軍隊に入ってきたからだ。
あの巨漢の達磨顔の男が、嫌だと泣きながら兄に引っ張られていたのだ。そんな光景はなかなか見られるものではないだろう。
その時、サンロは思わず笑ってしまった。
ああ、自分だけじゃないんだな、と。
(あの人は訓練で手を抜いたことは一度もない。入ったからには覚悟を決めていた。いまだに何言ってんのかわからないけどよ、その心はわかるんだよ。伝わるんだよ。筋肉を通じてな!!)
「細マッチョをなめてんじゃねえぞ!!」
力ずくで、強引に―――切り貫く!!
見た目はジンロよりも細いが、日々の鍛錬によって培った筋肉は本物だ。槍を突く時の腕力だけは誰にも負けない自負がある。




