334話 「影との対話」
「敵か!」
ここでようやくグランハムが影を認識。
反射的に術符を向ける。
「敵という概念は難しいな。相対的なものであり、その時々の目的によって変化するものだ。いきなり敵呼ばわりは、ボクがかわいそうじゃない?」
影は見えるようになっても相変わらず影であった。
ただし、しゃべる際は影絵のごとく、口元がパクパク動くようになっている。
なかなか芸が細かいが、改めて認識してみるとこれほど怪しいものはいない。
「アンシュラオン、なんだこれは? 真っ黒だぞ」
「知らないよ。さっきからずっとそこにいたんだ。ほら、魔石も持っているだろう?」
「お前の頭が、おかしくなったのではなかったのか…」
「そんなふうに思ってたの? べつにいいけど、こいつが魔神をけしかけたやつだよ。オレがずっと捜していた視線の主さ」
「これが? 視線どころか存在感がまるでない。生物かどうかすら疑わしく思えるぞ」
「うーん、たしかにそれは面白い質問だね。生物かどうかと問われたら、生物ですと答えるだけの自信がない。でもその前に、生物が何かをまずは定義する必要があるとは思わないかい?」
「こいつは何を言っている?」
「こういうやつなんだよ。ね、イラッとするでしょう?」
「ふん、くだらぬ御託はいい。貴様は何者だ! 答えなければ攻撃を開始する!」
「物騒だなぁ。答えてもいいけど、そもそもキミたちには理解できないと思うよ? ボクを攻撃することも無理じゃないかな?」
「無理かどうか、やってみればわかる!」
(グランハム、試すつもりか。それはそれで悪くない対応だ)
アンシュラオンには、グランハムがわざと苛立っているふりをしていることがわかる。
こうした飄々とした相手に付き合っていれば時間を無駄にする。強引にでも攻撃を仕掛けて反応を見る、という対応を選択したのだ。
これも長年、商隊員として活動してきた経験からくるものである。
が、いくら待ってもグランハムは攻撃を仕掛けなかった。
何度もいろいろな術符を取り出しては、中腰のまま動かない。
「これは…まさか!?」
そして、グランハムの表情が切羽詰まったように凍りつく。
常に先を見据え、てきぱきと動く彼にしては珍しい狼狽した姿だ。
「ちょっと、どうしたのさ?」
「術符が…発動しない」
「え? 壊れているんじゃなくて?」
「何度やっても駄目だ。こんなことはありえぬ!」
「ああ、ごめんね。最初に言っておけばよかったかな? 今は【すべての術式が使えない】から念頭に入れておいたほうがいいよ」
「術式が使えない…だと? そんなことができるのか!?」
「できるよ。ついでに言えば、術式武具も使えないからね。その鞭も発動しないから単なる物質でしかない。それでボクを傷つけるのは不可能だ」
「馬鹿な…」
術符が効かないのではなく、最初から発動しない。赤鞭も特殊効果を失えば普通の武器にしかならない。
一瞬でグランハムが無力になってしまい、呆然と立ち竦む。
「アンシュラオン、キミはこのことに薄々気づいていたんじゃないかな? だってほら、ボクのことは【視えない】だろう?」
「………」
(『情報公開』が発動しない。こいつのせいか)
金竜美姫や銀宝鬼美姫は一部のデータが見られなかったが、今回はスキルそのものが発動しなかった。
アンシュラオンも密かに術符の発動を試みるものの、こちらも不発。影の言葉に嘘はないらしい。
「たいしたやつだよ。だが、戦士のオレには関係ないね」
「術式を停止したのは、他人に邪魔をされたくないだけさ。これでゆっくりと話ができるね」
「目的はオレか?」
「うん、そうだよ。こう見えてボクは平和主義者なんだ。争いはそんなに好きじゃないから安心してよ」
「争わせるのは好きなようだがな」
「誤解だよ。必要だからやっているだけさ」
「必要ならばなんでもやるって言い方だな。結局は同じことだ。偽善者め」
「もしかしてボクのことが嫌いなのかな?」
「当たり前だ。好かれているとでも思ったのか? というか、なんだその姿は。『まっくろくろすけ』かよ。お前ほど気色悪いやつを見たことがないぞ。一度でもいいから鏡を見てみるんだな」
「残念。鏡を見てもボクは写らないんだ」
「じゃあ、オレが描いてやるよ」
アンシュラオンが戦気を放出して、『影』そっくりの形を地面に焼きつけてから、それを足で踏み潰す。
「これがお前だ。影踏み程度には使えるかもな」
「ふふふ…いいね。キミはやっぱりイイ。さすがはアンシュラオンだ」
「知ったふうな口を利くな。オレとは初対面のはずだ」
「えー、どうしてさ?」
「お前はさっき、オレのことを疑問形で確認していた。その後に馴れ馴れしく話しかけてきたが、誰がどう見ても詐欺師の手口だろうが」
「冷たいことを言わないでよ。ボクはキミのことを知っているのに」
「戯言や甘言に惑わされるつもりはない。お前みたいな知り合いがいてたまるか。残念なことに少しは名が知れているからな。情報なんてどこからでも手に入る。それこそ街に行けば、オレのことを知っているやつは百人単位でいるだろうよ。覗きが得意なお前なら容易のはずだ」
「なるほどなるほど、そういう感じなんだね。うんうん、嬉しいよ。キミはいつだってボクの興味を引いてくれる。実に面白いね」
「これ以上くだらない話を聞くつもりはない。お前は誰で、どうして攻撃を仕掛けた? 姉ちゃんについて何を知っている?」
「質問が多いね」
「たった三つだろうが。早く答えろ」
「どうしようかなー。教える義理なんてないよね?」
「オレを何度も怒らせるなよ」
「怒る? はは、怒るんだ? どうして怒っているの? ふんふん、なるほど。え? そうなの? あの子たちをけしかけたことを怒っているの? なんで?」
「てめぇ、また心を読んだな」
「キミの感情が筒抜けだからさ。ああ、隠しても無駄だよ。この空間の術式はボクが【支配】しているからね。この意味、わかるでしょう?」
(術式を支配しているってことは、オレの『情報公開』のようにすべての情報をこいつが握っているということだ。こいつが言っていることが事実ならば、だが)
術式を支配された段階で『情報公開』が使えなくなったのならば、このスキルも術式の一つであることがわかる。
そして、使えなくさせることができるのならば、逆にそれを相手側が使うこともできる。
だから『支配』という言葉を使っているのだ。
「他人の情報を覗く気分はどうだ、デバガメ野郎」
「えええ? キミがそんなことを言えるの? 散々情報を見てきたくせに」
「オレは相手への敬意があるからな。お前とは違う」
「ふふ、キミは優しいからね。あの子たち…いや、『女の子をけしかけた』ことを怒っているんだよね? けっこう手加減もしていたみたいだけど、あれは魔神だからそんな気遣いはいらないよ?」
「お前にどうこう言われる筋合いはない。こんなことができるのならば、最初からお前が来ればいいだろう。わざわざ負けるとわかっている女をあてつけるのはやめろ」
「ボクは悪の親玉でもなんでもないから、彼女たちを無駄に犠牲にしたわけじゃない。そもそも、まだ死んでいないしね。魔神はとても生命力が強いんだ。そんなに気になるなら戻そうか」
影が二つの魔石から手を離すと、そのまま空中で静止。
そして、時間が巻き戻るかのように急速に肉体が再生されていき、元の人間形態にまで復元される。
(復元術式か? なんて速度だ…姉ちゃん並みだぞ)
同じ復元術式に『若癒』が存在するが、あれも切り傷を塞ぐのが精一杯だ。手足の切断を治せるアンシュラオンの命気でさえ、かなりの時間がかかるうえに古傷は治せない弱点もある。
それが、ほぼ一瞬で元通り。
魔神の性質が特殊であることを考えても、これは異常である。
「術式に関していえば、ボクはパミエルキよりも上だよ? それにこれは復元術式じゃない。じゃあ何か、ということまでは説明する理由はないよね」
「っ…こ、これは…主様!?」
「やられた…のか」
魔神の二人は、ここでようやく負けを悟った。
しかし、これが意味することは、もっと大きい。
(記憶もある。復元術式でないなら、なんだというんだ…。しかも術式が使えない空間で、こいつだけが使えるって反則だろうが)
蘇生させておきながら記憶すら保持している。
得体の知れない力に、アンシュラオンも警戒レベルを最大にまで上げる。
「術式の世界は奥深いよ。キミが知らないことがたくさんある。それだけのことさ」
「主様、申し訳ございませぬ! このような失態を…」
「どのような罰もお受けいたします」
「ああ、気にしないでいいよ。キミたちにも良い経験になっただろうしね。そして、アンシュラオン。なぜ二人をけしかけたかといえば、キミに魔神という存在を見せてあげたかったんだ」
「オレに? なぜだ?」
「キミが魔神にどう反応するのか見たかった。特に拒否反応もなかったし、まったく怖れることもなかった。素晴らしいよ」
「魔神なんて、ただの人間と魔獣の合いの子じゃないのか?」
「そう思えることこそ、キミが魔人である証拠なのさ。もしここにキミがいなければ、とっくに人間の軍は瓦解していたはずだよ」
「それは詭弁で後付けだな。オレがいるからこそ、お前はそいつらをあてつけた。それならば最初から結果はわかっていたはずだ」
「ふふ、そうかもしれないね。でも、確定した未来ではなかった。キミの状態によっては結果は違ったかもしれない」
「極めて低確率だろうが。で、その反応を見てオレに何をさせるつもりだ」
「キミがもし【宿命】を歩むというのならば、いつかまた魔神と戦う日が来るだろう。この子たちよりも遥かに強い魔神とね。その時の予行練習さ」
「最後の魔神と言っていたが、あれは嘘か?」
「嘘じゃない。彼女たちを最後に魔神は製造されていない」
「…その前に造られたやつがいるってわけだな。たしかにそのあたりはぼかしていたが、つまらない駆け引きをするもんだ」
「彼女たちは何も知らない。核を手に入れてボクが育てただけだからね。目覚めたのはそんなに前じゃないし、余計な情報は何も与えていないのさ。ね、嘘じゃないだろう?」
「………」
「あっ、怒った? 本来、魔神に性別はないから、そこまで怒ることはないと思うけどね。なんなら二人に訊いてみる?」
「【スレイブ】に訊いたところで、返ってくる答えは同じだろう。主人が責任を取れ」
「へぇ、もう本質を理解したんだね」
「のらりくらりと、いつまでも誤魔化すなよ。これが最後通告だ。お前は誰で、何が目的だ? 姉ちゃんはどうした?」
「パミエルキは【宿命】を歩み始めた。それがキミといつ交わるのかまではわからない。でも、いつかは『混じり合う』。そういう宿命にあるからね。それとボク自身のことだけど、やっぱりわからな―――」
影が、それ以上の意思を発する前に―――ボンッ
アンシュラオンの拳が放たれて頭部が破壊される。
「最後通告だと言ったはずだぞ」
(見えなかった…アル。殴る動作も気配すらも感じなかった…ネ)
アンシュラオンの目が、殺気で赤く光っていた。
本気を出した速度とパワーは、アルの想像を何倍も上回っており、視認することも感じることさえもできないものだった。
もし相手が普通の存在だったならば、それだけで掻き消えていただろう。
しかしながら、『コレ』は普通ではない。
「いきなり遮断されたからびっくりしたよ。影だって無限にあるわけじゃな―――」
予想通り、影が復活してきたので再びぶん殴って破壊。
「酷いじゃない―――」
また復活してきたので、蹴り飛ばして破壊。
「これ何回やる―――」
減らず口を叩けないように叩き割って破壊。
影が新たに生まれるたびに倒し続ける。
「ちょっとちょっと、無駄なことはやめようよ」
「無限じゃないんだろう? 一億回くらい繰り返せば死ぬはずだ」
「キミは合理的なのに、時々感情的に動くね。でも、それが魅力かな」
「何度だってやってや―――っ!!」
殴ろうとしたアンシュラオンの腕が止まる。
その硬直は徐々に広がっていき、やがて全身が動けなくなっていった。
「てめぇ…何をした!」
「また殴られたら嫌だからね。いくら壊されても世界に瀰漫したエネルギー量は変わらないけど、それでも再生に労力と手間は使う。しかし、やっぱりボクたちは相性がいい。【止まった時間】の中でもこうして語り合える」
「止まった…だと?」
アンシュラオンが周囲を視線で見回すと、その場の誰もが動いていない。
サナやアル、小百合やホロロ、魔神の二人に至っても止まっていた。
否。その場だけではない。
雪も空気も、光さえも動きを止めて、写真のように微動だにしない。
「なんだ…どうなっている?」
「時間を止めたのさ。やっぱりキミとは二人きりで話したいからね」
「戯言を…時間は止まらない」
「比喩的な意味だよ。キミが言ったように、この宇宙が始まった時から時間は一度たりとも止まっていない。よく言われるパラレルワールドも無いし、未来は常に一つしかないんだ。ボクがやったのは『意識の速度』を固定しただけさ」
魔王技、『森羅万象・時間停止』。
因子レベル10で扱うことができる『森羅万象』は、あらゆる法則を管理する最上位の術式で、これを使うことで場の法則を支配下に収めることができる。
『影』が最初に術式を支配したのも、この術によるものだ。
その状態で時間を操作したものが『森羅万象・時間停止』と呼ばれ、二人の会話の中にもあったように実際に時間を止めることは不可能であるため、あくまで周囲の知的生命体の『意識の速度』を操る術だ。
これは術士因子10の中でも特級の技であり、以前パミエルキが使った『不動明王拳』と同じく、術の【神技】の一つである。
(止まっている…ように錯覚しているのか。だが、体感的には完全に静止しているのと同じ感覚だ。それだけでも半端じゃない術だぞ。オレが意識をとどめていられるのは、単純に思考速度が速いからか?)
「そうだよ。キミが本気を出せば、ここの人間が感じる暇もないほどの速度で殺すこともできる。さすがだよ。キミに勝てる人間なんて、この世界に数えるほどしかいないだろうね」
「お前はその中の一人らしいな。オレを殺すつもりか?」
「まさか! ボクは平和主義者と言ったはずだよ。それにね、ボク自身に意思は無いに等しい。ボクを『観測』する人間がいないと存在しえないんだ」
「誰もいなくなったら死んでしまう寂しいウサギと一緒か」
「そうそう、寂しがり屋なんだよ。どう? 可愛いところもあるでしょ?」
「お前はくだらない茶番ばかりだ。不確定で不安定で、何一つ確実性のあることをしない。それで道化師のつもりか? だが、全部が狙い通りにいくと思うなよ」
「そこまで傲慢じゃないけど、ボクがここに来た理由にはもう気づいているみたいだね」
「オレは姉ちゃんじゃない。魔人かどうかには興味がない」
「アンシュラオン、キミは自分が何者かを知りたくはないのかな?」
「オレはオレだ。ほかの何者でも―――」
「【大日本帝国】では、随分と苦労したようだね」
「―――っ!!」
「言っただろう? ボクとキミは意識を共有しているんだ。感じるよ。キミの哀しみ、キミの憤り、キミの不安、キミの絶望。そうだ。これこそ人間という存在だ。愛と欲望と憎しみと怒りに満ちた生命体なんだ!」
「オレの中を覗くな。殺すぞ」
「べつに恥ずかしがることじゃないでしょ。ボクとキミの仲なんだ」
「………」
「そんなに強い殺意を出してもキミは動けない。止めておいてよかったよ。キミが『転生者』であることも知っている」
「………」
「感情を押し殺そうと必死だね。じゃあ、こんな話はどうだろう?」
―――「ボクも【転生者】だ」




