318話 「美姫の脅威 その4『それは烈火の如く、鉄の華となって』」
(今のままじゃこれが限界。こうして強い敵が現れた時に足手まといになるのは、もう嫌よ。あの女にだって負けて、ほんといいところがないじゃないの!)
マキは強いが、現状で一つの限界が見えていることも事実だ。
ファテロナにも負け、アルにも差を見せつけられている。アルはまだ長年の修練の積み重ねがあるから納得できるが、ファテロナに関しては認められない。
(私は力を使いこなす! いつかじゃない! 今ここでよ!)
マキが真紅の炎を生み出す。
彼女の真っ直ぐな心根を示す、美しい赤い生命の輝きだ。
「老師! 発剄で敵の皮膚を破ってください! そこに私が打ち込みます!」
「了解ネ。でも、そろそろ相手も本気でやってくるヨ。気をつけるアル」
アルの言う通り、敵も遊びを終える頃合いだ。
予想以上にダメージを受けたことで、鬼女の目に明確な殺意が芽生えると、両手をバーンッ!
地面に叩きつけて、商隊員を吹き飛ばした風圧と衝撃波が襲いかかる。
アルの素早さを見た鬼女が簡単に捕まえられないと悟り、全体攻撃に切り替えてきたことを示していた。
アルは空圧掌を放ち、衝撃波を相殺しつつ防御の戦気を展開して防ぐ。
一方のマキは、そんな器用なことはできないので、両腕で頭をガードして必死に耐える。
前方に高出力の戦気を展開したことと防具の性能もあり、なんとか攻撃を防ぐことに成功。
(前へ! 前へ! 私ができることは前に行くことだけ!)
マキは足に力を込めて前に飛び出る。
「キシィルナ、不用意だぞ!」
「これしかできないのよ!」
「イノシシかお前は!?」
まさに猪突猛進。
何を言われても前に出ることしかできない。
鬼女が棘を伸ばしてきたら拳で打ち払いながら前に出て、手が襲ってきたら跳躍して前に出る。
真上から襲ってきたら、受け止めて耐え抜く!
筋肉が断裂しようとも、骨にヒビが入ろうとも、場合によっては折れようとも前に出る!
血を吐き出し、顔が傷だらけになっても気にしない!
「いくヨ! 合わせるネ!」
アルが鬼女の攻撃を回避して潜り込むと、風神掌を叩き込んで皮膚を破壊。
雷神掌が一番効果が高いものの、アルは風属性を得意としているので完全な威力の技を放つことができない。
それならば風神掌のほうが安定したダメージが期待できるのだ。
「はあああああああ!」
接近したマキが、破れた皮膚に拳を突き立てる。
だが、ここで思わぬことが起きた。
(あれ? どうやるんだっけ?)
マキの拳は剥き出しの筋肉に当たったが、鬼女は繊維そのものが硬いため、多少傷つけた程度の損傷しか与えない。
そう、本来ならばここで『鉄鋼拳』を放つ予定だったのだ。
しかし、久しく使っていなかったせいか、感覚が思い出せなくなっていた。
思わず棒立ちになっているマキに、鬼女の血管部分から銀色の液体が噴射され、細かい金属の粒子がショットガンのように襲いかかった。
「―――っ!!」
マキは咄嗟にガードするが、顔と胸に直撃。
これらは小粒とはいえ、アルを出血させるほどの威力がある。
凄まじい勢いで噴射されたこともあり、衝撃で後方に吹き飛ばされてしまう。
「マキ、無事ネ!?」
「こんなんで…こんなもんで……負けてたまるものですかあああ!」
マキはすぐさま立ち上がり、再び戦う姿勢を見せる。
だが、その右目は血で赤く染まっており、防具の胸周辺にも小さな破れとほつれが見受けられた。
もし鉢金がなければ額にも大きな裂傷を負っていただろう。
「老師、もう一度お願いします!」
「わかったアル」
「キシィルナを援護しろ! 危なっかしくて見ていられん!」
「マキさん、がんばってください!」
グランハムや小百合たちも、マキをフォロー。
たいした攻撃はできないが、少しでも負担を減らすために立ち回る。
その後もアルが発剄で傷つけ、そこにマキが鉄鋼拳を打ち込もうとするが、やはり力が発動しない。
すでにその原因は、幾度かの打ち込みで判明している。
(この篭手を装備していると、力が増幅される代わりに鉄化が抑制されちゃうのね。そういえばそうだったわ。そんなことも忘れるなんて、すっかり依存していたのね)
炬乃未の武器は快適すぎて、鉄鋼拳がなくても戦えてしまっていた。
だから鉄化の制御のことを考えることはあっても、鉄鋼拳そのものを使う選択肢は初めから頭の中に無かったのだ。
だが、それは逃げでしかない。
(なら、篭手を外す? それならば発動自体はできるわ。…いえ、駄目よ。それじゃ今までと変わらない。私はもっと上のステージに…あの人を追いかけられる場所まで行くのよ)
覇王彗星掌の超常の輝き。竜を圧倒した技のキレ。
アンシュラオンは、すべてにおいて一般の常識を凌駕していた。まさに超人と呼ぶに相応しい強さだ。
だからこそ『孤独』。
肉体が触れ合っていても、心の奥底で彼は常に独り。
人間なんてそんなもの。所詮は独りでしかない。
そうアンシュラオンが思っているからだ。
染み付いた孤独の本質は、転生を遂げても変わってはいない。
妻として近くにいるマキには、それが痛いほど伝わってくる。
(誰かが追いついてあげなきゃ、少しでも背中に触れてあげなきゃ、彼がかわいそうじゃない。夫を支えるのが妻の役目のはずよ。まだスレイブ・ギアスが付いていない私は、小百合さんたちとは違う道を選べる!)
篭手の手首にあるジュエルを押し込みながら回転させると、指先部分のパーツが開いて剥き出しになる。
炬乃未と相談して、マキが本当に力を使いこなせるようになった際、『六鉄功華』を付けたまま『鉄鋼拳』が使用できるように改良していたのだ。
彼女がこの機能を思い出し、使ったということは、現状を打破する強烈な意思が宿った証拠である。
妥協ではなく進化を。
彼女は、より困難な道を選んだのだ。
「はああああああああ!」
マキの貫手が、アルが開けた傷口に叩き込まれる。
篭手の先端の牙が敵の筋肉を抉り、その隙間に鉄化したマキの指が突き刺さる。
タイミングは完璧。申し分ない。
がしかし、能力が発動しない。篭手に抑制されてしまう。
「なんで―――よっ!!!」
苛立ったマキが左手も突き刺すが、そうしてしまえば両腕が塞がってしまう。
そこに鬼女の強烈な張り手。
人間が小さな人形を思いきり叩いたように、マキの身体がひしゃげながら吹き飛び、岩盤に叩きつけられる。
完全なクリーンヒット。直撃だ。
「キシィルナ! やはり駄目ではないか! 早く救助を―――」
「待って! 彼女は大丈夫よ!」
「ユキネ、動けるようになったのか」
そこには治療を終えたユキネがいた。
背骨のほかにもいくつか骨に亀裂が入っているので、まだ戦える状態ではないが、普通に行動する分には問題ないようだ。
「ええ、今の私じゃ役に立てそうもないけどね。そもそもこのレベルの魔獣には戦力外よ」
「気に病むことはない。私とて同じだ。これが【常人と超人の境目】なのだろう」
グランハムは誰が見ても強い武人だが、人を超えているわけではない。こうして殲滅級レベルの魔獣が出てくれば対抗するのは難しい。
それはユキネも同じだ。どうやってもダメージを与えることはできないだろう。
これだけの武人たちが手も足も出ないのだから、殲滅級のデアンカ・ギースがいかに怖ろしい存在だったかがよくわかる。
そんな相手にアルが戦えているのは、彼もまた『人をわずかに超えた位置』にいるからだ。
当人は落ちこぼれと称しているが、十二老師の弟子入りまで果たした人物だ。その力量は飛び抜けている。
「そうよ。ここから先は普通の人間には入れない領域なの。私はあいつにやられて、それがはっきりとわかったわ。まるで壁みたいに立ち塞がるのですもの。嫌でも思い知るわ」
「壁…か。面白い表現をする」
「私とあなたはここまで。はい、残念賞。でも、アンシュラオンさんと一緒に歩んでいくってことは、こういうことなのよ。普通の人間はお断りってね」
突然現れた鬼女は、まるで『登竜門』のように立ち塞がっていた。
ここから先に進みたければ人を超えていけ。人を捨てていけ。
超えられなければ帰るか死ね。そう言っているようにさえ見える。
あくまで挑む側の勝手な想像だが、実際にその通りになっている。
「でも、『彼女たち』は違う。アンシュラオンさんに選ばれた人は違うの。想いも覚悟も段違い。ホロロさんを見ていればわかるわ。あんなの狂気だもの」
「では、お前はリタイアでいいのか?」
「そんなことは言っていないわ。『今はまだ』ここまでよ。私はもう決めたのよ。人を超えなければ一緒に行けないのなら、もうとことんやってやろうってね。だから彼女には手本を見せてほしいのよ。嫌でも最初に目に入る一番の目標だもの」
ユキネが戦う時は、いつもマキを見ている。
戦う位置がセカンドトップなので嫌でも見るしかない。
だからこそわかる。
ユキネが大きく息を吸って―――
「こらああああーーーーー! マキ・キシィルナ!! ちんたらやっているんじゃないわよ!! いつもの偉そうな態度はどうしたの!」
「早く―――起きろぉおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおおお!!」
叫ぶ。
今の自分にできることは、声を届けることだけだからだ。
だが、声とは不思議なものである。
それはただ大気を震わせるものではない。ただの振動ではない。
魂が、感情が、その生き方そのものが霊に直接―――突き刺さる!!
「ぷはっ…! はぁはぁ!」
目覚めたマキが、岩盤から這い出てきた。
身体はボロボロ。もうどこの骨が折れたのか、筋肉が断裂したのか、指摘するのも面倒になるくらいだ。
だが、意識はある。
「ようやく起きたのね! あんなやつ、早く倒しちゃいなさいよ!」
「…はぁはぁ……え? 誰?」
「誰じゃないわよ!? ユキネよ! 満足に目も見えていないじゃないの! でも、あなたに必要なのは近づくための足と、ぶん殴るための拳だけよ。それだけあれば問題ないわ! それしかやることがない単細胞なんだから、それでいいのよ!」
「なにか…酷いことを言われている気がするけど……私は行く―――」
マキが地面に降り立った瞬間、鬼女から衝撃波が飛んできて、再び岩に叩きつけられる。
こっちの回復を待っているほど敵は甘くない。
「さっきから好きにやってくれちゃって…ふざけるんじゃないわよ!」
しかし、マキの復帰は思った以上に早かった。
顔には―――『鈍色』の光沢
さきほどよりも鉄化が進んでおり、鈍色の肌が全身に広がりつつあった。
それによって防御能力は急上昇。衝撃波にも耐えることができる。
ただし、まだ足りない。
(もっと、もっともっと、もっともっともっと! 能力を限界まで発動させるのよ! この力を自分のものにするの! 誰のため!? そう、自分のためによ! ほかの誰かのためじゃない! 自分のために戦うの!)
マキの身体から激しい炎が噴き出す。
大半の戦気は鉄化に喰われてしまい消失するが、さらに吐き出し続ける。
(こいつ…この鉄め! いつまでも私を好きにできると思うんじゃないわよ! そんなにお腹が空いているのなら、もっと吸いなさい!!)
マキは鉄化に戦気を吸収させ続ける。
どんどん身体が鈍色に変化していくが、気にしない。
もっともっと、どんどん火を投入し続ける。
(これでも足りないのね! いいわ! やってやろうじゃないの! もう命さえ投げ捨てる! そう、とっくの前にそんなことは決めていたのよ)
アンシュラオンを見た瞬間から、彼女は自身の『未来』を本能的に悟っていた。
いつか必ず、こういう日がやってくることを。
いつか必ず、彼のために死ぬ日がやってくることを。
だから、もう迷わない。
「はああああああああああああ! 私の全部を燃やしてぇえええええええええええええ!」
マキの炎が倍増。
今残っているすべての力を戦気に回しているのだ。
ただし、色こそいつもの真紅ではあるが、その発火地点が違う。
通常の戦気は、生体磁気を使っているので肉体にも浸透はしているが、基本的に体表に展開させるものだ。
しかしマキは、体内で燃やす。
それによって鉄を軟化させ、完全に固まるのを防いでいた。
(痛い! 燃えるように痛い! 生きたまま全身を焼かれるって、こんな気分なのね。最低で最悪。気持ち悪くて苦しくて、もう絶対に嫌って気持ちよ。でもね、でも―――)
マキが走る。
衝撃波を受けても鉄化を使って防ぎ、『重さ』を増すことで飛ばされない。
(もっともっと! 濃密に! 鉄を集めて! 私自身を鉄にして!)
なぜ鉄なのか。
師であるアーブスラットの能力は、鉄ではなかった。
しかしマキの身体に入った途端、それは鉄化した。
なぜなのか。なぜ自分だけこうなるのか。ずっと不満だった。
しかし―――
(私はあの人のために生きる! この人生を捧げて、燃やし尽くして! そう約束したもの! 鉄だっていいの! ありふれたものだっていいのよ! 私はいつだって私を表現し続ける! 彼が見ている世界に触れるために!)
鉄であることを受け入れた時。
自分が嫌なものを内包した時。
マキの身体の中で変化が起きた。
烈火の意思によって燃え滾った戦気が鉄を溶かしつつ、強烈な流れとなって体内を駆け巡る。
「フシュルルッ!」
そこに鬼女の手が迫る。
何度も吹き飛ばされた凶悪な一撃だ。
「邪魔ぁああああああ!」
マキが全身のバネを使って全力で拳を叩きつける。
今までと違うのは、流れる鉄がすべて拳に集まっていたことだ。
鬼女の手の圧力にも負けない重量が拳に宿り、逆に弾き返し
指を―――へし折る!
「―――ッフシュ!?」
指を折られた鬼女は、息を漏らして驚愕の眼差しでそれを見る。
外殻が強固とはいえ関節は存在する。あまりに硬くて重いから、簡単には折れないだけだ。
だが、それ以上の勢いと重さをもって対抗すれば、へし折ることだってできる!
(感じる! 鉄の流れがわかる! 私の戦気と一緒に回っている!)
苦労していた鉄の制御を、戦気で強引に動かすことで可能にする。
その分だけ強烈な痛みが全身を駆け巡るが、それすらも今は愛おしい。
「老師!」
「任せるアル!」
マキが折れた指の隙間から跳躍。顔に向かう。
その前にアルが風神三崩掌で、頬を破壊。
筋肉を露出させて、お膳立てが完了。
「やられたらやり返す!! それがアンシュラオン君の妻として、あの人に追いつく女の―――意地よおおおおおおおおおおおお!」
マキの貫手が頬に突き刺さる。
それと同時に指から、彼女の体内を巡っていた【あっつあつの鉄】が注ぎ込まれた。
彼女の烈火の意思が宿った炎の『鉄化戦気』が、体内に侵入して浸食と凌辱を開始。
「ふしゅるるるるる―――うるっるあうrっらあららるあるあ!?」
『鉄化戦気』が脳や口内に回ったのか、鬼女が奇声を上げて暴れ回る!
手で顔を押さえて転げ回り、なんとか体内に入った鉄を排除しようと試みる。
彼女の体内にも液体金属が存在するので、顔周辺に集めて防御。侵入した異物を固めて除去しようとして、顔がさらに銀色になっていく。
がしかし、両者の液体金属には違いがある。
マキのものは、熱―――すぎるぅううう!!
烈火で熱された鉄が、鬼女の液体金属すら侵食。
呑み込んで自分の一部にしてしまい、どんどん勢力を増して体内を突き進む。
血管が鉄化し、神経が鉄化し、筋肉が鉄化し、皮膚に到達してまた鉄化させていく。
これまでの鉄化は、相手の生体磁気を吸収することで増殖する仕様から、生物に対してしか効果を発揮しなかった。
だが、今のマキの力は、それが金属だろうが鉱物だろうが関係ない。自分より冷たいものを強引に溶かし、受け入れ、呑み込んでいく『愛の炎』だ。
そして、身体中を巡った真っ赤な鉄が、鬼女の背中から噴水のように飛び出すと、そのまま固まって【鉄の華】を生み出す。
その姿は、冬虫夏草に寄生されて死に絶えた虫。
鉄の華を咲かせるために養分となった、哀れな生物の成れの果てであった。
「私は勝つ! 勝ち続ける! 絶対に自分に負けない! 全部を使って、みじめなほどに這いつくばってでも前に進んで見せる! 私は人を超えるわ!」
―――「アンシュラオン君の隣にいるのは、私だけよ!!」
マキの『鉄鋼拳』は、すでに借り物の力ではない。
自らを燃やし、敵対する者を呑み込んでまで前に進む意思を宿した、『烈火・鉄華流拳』へと進化したのだ。




