305話 「ハイザク軍の動向 その2『戦闘開始』」
「ハイザク様、補給路が延びております。全体での移動を避けて隊をいくつかに分けつつ、それらを近い距離で管理したいと存じます。よろしいでしょうか?」
「…ん」
「では、さっそく命令を出します」
ハイザクは特に自前の戦術や持論を持ち合わせているわけではないので、そういった細々としたものはギンロの担当だ。
完全に素通りで彼の案が実行される。
「五百人単位で隊を分ける! 互いに姿を確認できる距離を維持し、伝書鳩での連絡を密にせよ!」
ギンロが取った策は、一万人の軍を二十に分けるものだった。
どのみち大移動になってしまえば間延びするのだから、あえて切り取ることで停滞を防ぎ、各隊に交戦権を与えて対応力を向上させる。
敵の伝書鳩妨害作戦が判明したため長距離間の連絡が難しくなっているが、一番後方の隊が拠点とやり取りすることで、できるだけ短い距離で素早い連絡を可能にする狙いもある。
その分だけ最前列から最後尾まで鳩を送るのに時間がかかってしまっても、途中で何かあれば、それぞれ個別に対応すればよいだけだ。海兵は、それができるだけの訓練を日々しているので問題はない。
ただし、なかなか良案ではあるものの、実際は苦し紛れの策でもある。
三袁峰に近づくにつれて森林部からの距離は離れるし、その途上に新たな拠点を作るごとに管理防衛用の人員を割くことになり、山に入れば入るほど隊の戦力は落ちつつあった。
(なんとか山頂に八千の兵を送り込む。これがわしに課せられた使命よ)
ギンロが細心の注意を払っていたからではないだろうが、何事もなく、あっという間に侵攻開始から一ヶ月の月日が経とうとしていた。
そして、ハイザク軍八千の目の前に『巨大な山脈』が姿を現す。
すでに山脈には入っているのだが、幾重にも連なる山々が合体して生まれたのが翠清山脈だ。
その最高峰となる三つの峰は、山脈の上にまた新たな山脈が乗ったような造りをしており、濃くて厚い雲が周囲にまとわりついているので頂上付近はよく見えない。
雪山の銀鈴峰と違い、こちらの三袁峰はひたすら深い森が山頂まで続いていて、上に行けば行くほどキノコの笠のように反り返っている不思議な形をした峰であった。
人間にとっては過ごしにくくとも、木々を伝って移動する猿たちにとっては快適な環境なのだろう。
「予定よりも早く到着しましたな。スザク様の軍はだいぶ遅れているようですので、こちらもしばらく陣を張って様子を見ますか?」
「…ん」
「…わかりました。戦後のこともございます。早めに確保しておく必要がありますか」
予想通り、ハイザクは待ちの姿勢を嫌がる。
これは彼が真面目だからということもあるが、あまり戦を好まない性格であることも大きな要因だ。
(ハイザク様はお優しい御方だ。戦いが長引くことを懸念しておられるのだろう。そのお気持ちに応えるためにも、早く『採掘場』を確保しなければならぬな)
ライザックに与えられた任務は、猿の排除だけではない。
そもそもの制圧の目的は、この山の資源を確保することであり、より多く、より質の高い資源を得ることにある。
そのためにディムレガンの中に現地調査員を送り込んでいるのだ。場所の詳細は彼らに訊いてみないとわからないものの、ライザック独自である程度の推測はしていた。
(猿神たちが剣を好むのならば、やつらが住んでいる場所にこそ良質な資源があるはず…と、ライザック様はそう考えておられる)
一年前の猿神との衝突も、その推測から彼らの縄張りに近寄りすぎたことで起こったことだ。
今回第二海軍が三袁峰攻略を担当するのは、そのリベンジの意味合いを含んでいる。
だが、攻める側は大変だ。
こうして三袁峰の前に立っていると、いまだ猿の姿が見えずとも強い威圧感を感じる。
(十全な準備はしてきたつもりじゃが…いや、迷っている段階ではない。やらねばならぬのだ)
三袁峰の制圧は、この作戦にとっても最大の肝である。あそこだけは絶対に獲らねばならない。
「…ん」
ハイザクが合図を出すと、前衛の軍およそ四千が先行して進む。
それに続いて中衛の二千が続き、残りの後衛二千も距離を取りながらついてくる。
ギンロの策は隊が分かれてしまう弱点はあるものの、広い視野の確保こそが、この状況下においてもっとも大切だと考えていた。
そして、彼の策は見事に実る。
三袁峰の中腹まで登った時だった。
「魔獣発見! 【猿神】です! 後方から来ます!」
後方の部隊から猿神襲来の急報が入る。
目の良い者を配置していたため、おおよその陣営もすぐにわかった。
「『グラヌマ〈剣舞猿〉』250以上、『ニュヌロス〈棍棒牛猿〉』80以上、チユチュ〈鼠集猿〉多数。おそらくは一万以上の軍勢です!」
「ご苦労。しばし待て」
報告を受けたギンロが、ハイザクに状況を伝える。
「右腕猿将の群れと、ほぼ同じ割合の構成です。おそらくはナンバー2の『左腕猿将』の群れかと存じます」
「…ん」
「背後に回り込んでの奇襲狙いでしょうが、それだけとは思えません。左腕猿将の群れは右腕猿将の二倍以上の規模ですので、これでもまだ半数だけの攻撃です。今後は左右からも圧力をかけつつ、前からも挟み撃ちを狙ってくるでしょう。猿神の性格上、ボスは前方正面から来ると予想されます」
「…ん」
「では、そのように。後衛は広がりつつ壁を作って防衛線を拡大! 中衛は後衛の左右から回り込んで、やつらを包囲せよ! 前衛は下がって穴を埋める! 伝令を急げ!」
「はっ!」
待ちかねた猿神の登場で気が逸りそうなものだが、まだ距離がある状況で発見できたことで落ち着いて対応を開始。
伝書鳩の準備も万端であり、命令がすぐに伝わり即座に迎撃態勢を整える。
背後からの奇襲であるため、まずは後衛の隊ができるだけ幅広く陣を取った。猿たちを分散させるためだ。
「敵が来るぞ! 跳ね返せ!」
だが猿たちは、こちらの思惑を潰そうと強引に密集して中央正面を貫こうとしてくる。
ここで互いの戦術が激突。
戦術同士がぶつかり合うとき、当たり前だが次に大事になるのは『兵の強さ』である。
通常の部隊、これがもし第三海軍の後衛部隊ならば猿たちの突撃に負けてしまい、中に侵入されて内部から掻き回されてしまうだろう。
がしかし、第二海軍は強い!
この十年間、徹底的に鍛え上げた結果、後衛部隊に至るまでマッチョになっているのだ。実戦で磨かれた筋肉をなめてはいけない。
雑魚のチユチュはもちろん、グラヌマであっても真正面から―――受け止める!
筋肉と筋肉のぶつかり合いが、激しい火花を散らす。
極限まで鍛えられた人間の筋肉と、生まれ持って強靭な筋肉を持つ両者の衝突は、ほぼ互角。
ここまで兵を鍛え上げたことは称賛されるべきだろう。実に偉大なことだ。
ただし、グラヌマたちはすでに金属の鎧で武装しており、普段から持ち歩いている剣も相まって戦闘力が上がっている。
その結果、所々で激しい打ち合いが発生し、倒される海兵も出てきた。
「間に合ったぞ! 猿たちを横から攻撃して引っぺがせ!」
しかしながら、そこに中衛の部隊が援護に駆けつける。
後衛部隊の壁を迂回し、膨らむように左右に回り込んで猿を攻撃。
初撃の突撃で壁を破れなかった猿たちは、その攻撃を受けるしかない。仕方なく彼らも横に広がって対応する。
そうして猿の注意が散ったことで余裕が生まれ、後衛部隊も息を吹き返す。
(よし、はまった! 今の我らならば猿の攻撃にも対応できる!)
ギンロは心の中でガッツポーズ。
彼の策は後衛が持ちこたえるからこそ成立するものなのだ。
さらに前衛の隊も下がってきて、上から銃撃を開始。
「一斉射撃! 味方に当てるでないぞ!」
森山は傾斜になっていることもあり、斜めに射線を確保することで、上手く味方に当てずに猿たちを攻撃することができる。
逃げ場がなく、敵が密集した場所を狙って一斉射撃を開始。
グラヌマは一発当てたところで倒れないが、チユチュといった雑魚魔獣は撃てば撃つだけ倒すことができ、数が減っていく。
これで最初の一手は、第二海軍が取った。
「左右から敵増援!」
第二海軍が優勢になったことで敵が増援を送る。
左右からも魔獣がやってきたが、まだまだ間合いが遠いので多少バタバタしている様子が見て取れる。
本来ならば、もう少しこちらを搔き回したところで奇襲を仕掛けたかったのだろう。
だが、すでに先を見越していたギンロが対応。
体格が大きな防御部隊を左右に編成して、余裕をもって待ち受ける。
「次は大物が来るぞ! 食い止めよ!」
ただ、敵にもまだまだ余力がある。
今度は八メートルはある巨体のニュヌロスの突撃だ。
パワーだけならばグラヌマを数段上回る魔獣なので侮れない。
周囲の木々を巻き込んで破壊しながら、強引に棍棒を振り回して海兵を蹴散らす。
こればかりは人間と規格が違いすぎるので致し方ない結果だ。これでも準備が整っていたので損害は軽微なほうである。
そして、そこに木を伝ってやってきたグラヌマが、上から強襲。
隊列の中央に入り込むと、踊るように高速の剣撃を繰り出して海兵を切り裂く。
「一人で当たるな! 囲め!」
複数の海兵がグラヌマを斧や剣で斬るが、彼らには『斬撃耐性』があることを忘れてはいけない。
ただでさえ『物理耐性』で攻撃が半減されるうえ、斬撃系の攻撃はさらに半減されてダメージが四分の一に低下する。
その前に鎧の耐久力を突破しなければならないので、総合的に見て非常にタフな魔獣になっていた。
通常種のグラヌマは根絶級に属するが、武具を身にまとった時は間違いなく討滅級の強さになっているはずだ。
やはりグラヌマは―――強い
アンシュラオンだからこそ圧倒したが、第二海軍でさえここまで苦戦する魔獣なのだ。伊達に山神とは呼ばれていなかった。




