293話 「山脈の洗礼 その3『マキとファテロナの因縁』」
「お嬢様! 来て、来ています! 魔獣が来てるのです!」
「落ち着きなさい、クイナ。わたくしがおりますわ」
「そうでした、そうでした! お嬢様には強い力があるのです!」
ベルロアナが『金獅子十星天具』を持って、クロックザックホーンを待ち構える。
もし秘宝が発動すればいくら狂暴化していても、この程度の敵ならば一撃で粉砕が可能だろう。慌てる必要などないのだ。
(あの時の感覚を思い出すのよ。本当にわたくしに力があるのかどうか、これではっきりするわ!)
猛烈な勢いで巨体が迫る。
ベルロアナが剣を向けて意識を集中する。
誰もが両者の動きを注視する。
そして、激突の瞬間!
ベルロアナの剣が相手に突き刺さるが、相手の勢いそのままに―――吹っ飛ぶ!
「…え?」
いきなり生じた浮遊感とともに、ベルロアナの身体が崖に放り出されて真下に落下。
いちいち説明するまでもないが、クロックザックホーンに体当たりされて飛ばされたのである。
一同が呆然としている中、いち早くクイナが正気に戻る。
「えええええ!? お嬢様、お嬢様ーーー! 崖、崖に落ちてしまったのです! だ、誰か! 誰かお嬢様を! ペーグさん、お願い、お願いします!」
「ぼ、僕ですか!? で、でも腰がまだ本調子じゃなくて…」
「お嬢様の危機、危機なのです! 命を守るのがスレイブのお役目なのです!」
「っ…そうでした! 僕はお嬢様が、まだこんな小さい頃からお世話してきたのです! お嬢様のためならば死ねます!」
ちなみに序列としては、護衛の七騎士よりもお友達枠のクイナのほうが上だ。
この場合、犠牲になるのはペーグが先となる。
「不肖ペーグ、行ってまいります! 死して屍拾う者なし! 覚悟完了!」
ペーグが車椅子から立ち上がり、ロープをつける暇も惜しんで崖にダイブ。
その勇気と忠誠心は、さすが忠犬ペーグ!
さきほどはベルロアナが任せろというので何もできなかったが、こうなればスレイブの使命を果たすだけだ。
今、彼の生命は熱く燃えていた!
主を助けるために!
忠節を誓う姫のために命をかけている!
「はー、びっくりしましたわ」
が、飛び出した瞬間、ベルロアナが崖から自力で這い上がってきた。
ペーグの身体は崖にダイブ完了しているので、彼は目だけでベルロアナを追い続ける。
「お嬢様、無事で…よかった」
目に輝く安堵の涙を浮かべて消えていった。
「ペーグさぁーーーーんっ!」
「…ん? 今のはペーグ? 何をしに行くのかしら?」
落ちゆくペーグを見つめながら、ベルロアナが立ち上がる。
今にして思えば、ロープもなしにどうやって登るつもりだったのだろうか。冷静な判断と準備が大事ということである。
「お嬢様、無事、ご無事なのですか!?」
「ええ、問題ありませんわ。ちょっとびっくりしただけよ」
「す、すごいのです! 真下まで五百メートル以上、以上あるのです!」
「そう言われてみるとそうですわね? どうしてかしら?」
完全な垂直ではないため途中で何度かバウンドしたこともあるが、これだけの距離を落ちてもベルロアナは無傷だった。
能力値だけを見れば、HPも高くて七騎士よりも頑丈なのだ。この程度の崖から落ちたくらいでは死にはしない。
だが、ここで判明した重要な事実がある。
(剣がまったく反応しませんわ。何か感覚が違いますわね。あの時はもっと熱くて…心の底から力が込み上げてくるようでしたのに、今は熱を感じませんわ)
ベルロアナは、まだ意識的に力を使えなかった。
その意味ではサナの魔石に似ている。力が強すぎるがゆえに扱いが難しいのだ。
されど、それがわかったからといって魔獣が消えるわけではない。
クロックザックホーンが、刃角を向けてベルロアナに突っ込んでくる。
武器の力が発動しなければ、彼女はただ硬いだけの少女だ。何もできない。
「お嬢様、お嬢様!」
クイナがパチンコで雷撃玉を撃つが、この威力では暴走している魔獣は止められない。
簡単に弾かれて終わる。
「ああ、駄目、駄目です! アカリさん、アカリさん! 術符なのです!」
「ちょ、ちょっと待って! ど、どれを使えば…」
「遅い、遅いのです!」
二人がもたついている間に、クロックザックホーンが眼前に迫る。
しかし、今一番危険なのはベルロアナではなかった。
(あっ、このままだと二人が死にますわ)
ベルロアナが直感的に未来を予知。
およそ二秒後、クロックザックホーンが突っ込んできて、刃角に切断される二人が見えた。
ベルロアナを庇おうと前に出たため、相手の標的になってしまったのだ。
魔獣の血走った目が、二人に殺意を向けている。
(守らなきゃ! それがスレイブの主としての役目よ!)
ベルロアナにもスレイブに関してだけは、他人に負けないほどの矜持がある。スレイブと契約した以上、彼女たちの安全と生活を保証する義務があるのだ。(護衛のペーグは別)
その想いが彼女に力を与え、悲惨な未来を防ぐために無意識に『光の軌跡』を辿る。
足に力を入れる。手が剣の柄をぐっと握りしめる。
本来ならば間に合わないタイミングだったが、体表に滲み出た赤い輝きが身体を強引に突き動かす。
そして、光輝く粒子がクイナに到達する前に、自身の身体ごと剣を滑り込ませ―――刃角を切り払う!
相手のほうがベルロアナよりも何倍も大きいのに、その一撃を受けたクロックザックホーンの首が跳ね上がった!
魔獣は一瞬たじろいだが、目に赤い憎悪を滾らせて、再び刃角を振る。
しかし、それに対してもベルロアナは華麗な剣捌きで切り払う。
相手の力をそのまま受けるのではなく、見事に流しながらいなしていた。
一度ならばまぐれでも、それが二度三度繰り出されて切り払うのだから、夢でも幻でもない現実である。
「え? 何? 何が起きているの?」
「す、すごい! お嬢様、すごい、すごいのです!」
「よくわかりませんわ! 身体が勝手に動いていますのよ!」
何も考えずに身体が動くことに当人が一番驚いていた。
いや、何も考えないからこそ無駄な力が入らず、ディングラスの血が彼女を操るのだ。
ディングラスの二つ目の血統遺伝、『全武器種完全習熟』。
金獅子十星天具が十の武具になることからもわかるが、それを扱うための補完スキルである。
このスキルの発動中は、剣、槍、弓、その他すべての武器の扱い方が何もしなくてもわかるのだ。どう受ければいいのか、どう斬ればいいのか、金獅子の血が教えてくれる。
これが意味するところは、ディングラスの血とは『武器型戦士』を突き詰めた存在だといえるだろう。
秘宝と呼ばれる優れた武具を自由自在に使う、高い身体能力を持った戦士。
戦い方はクジュネ家のスザクと似ているが、その本家本元は紛れもなくグラス・ギースのディングラス家であることを示していた。
ただし、意思の力が伴わねば完全ではない。戦気の放出も無意識にしか扱えないことから、まだこのレベルの敵を倒すことはできない。
切り払われて通り過ぎたクロックザックホーンの後ろ蹴りが、ベルロアナの背中をかち上げる。
「あっ!」
それで倒れたところに、再び刀角を向けて襲いかかってきた。
いくら頑丈な彼女でも無防備状態での直撃は危険である。
されど、ベルロアナに刃が迫った時、『赤い影』が飛び出て魔獣を蹴り飛ばす。
「ベルロアナ様、ご無事ですか!」
「あ、ありがとう、キシィルナさん。助かりましたわ」
そこに現れたのは赤い髪の麗人、マキ・キシィルナ。
彼女は奇襲を受けた時からベルロアナのことを心配していたので、アンシュラオンの許可をもらって、こちらに向かっていたのだ。
そして、こうなっている『元凶』に向かって叫ぶ。
「ちょっとファテロナさん、なんで助けないのよ! 今のは危なかったわ!」
「おやおや、グラス・ギースを離れた部外者がここまで出しゃばってくるとは。随分と余裕がありそうですね」
ファテロナが、すっとクイナの背後から出現。
どうやら近くでずっと見ていたようだ。
「ふざけないで! あなたがいながらこんな失態を演じるなんて、どういうつもり!」
「わかっていないのは、あなたのほうです。お嬢様に必要なのは経験。それも命をかけるほどの危険なものでなければ、この鈍感な馬鹿には刺激にもなりません。獅子は我が子を千尋の谷に落とすというではありませんか。それによってディングラスは獅子の威風を取り戻すのです」
「その前に死んだらどうするの! というか、あなたは親じゃないでしょう!」
「過保護ですね。だからあなたは親衛隊に選ばれなかったのです。いえ、そもそも実力不足でしたか。このような面倒くさい絡み方をするということは、『私に負けたこと』をいまだに根に持っているのですか?」
「なっ…それは関係ないでしょう! 私にはキャロアニーセ様との約束があるのよ!」
「それは私も同じこと。目障りです。部外者は引っ込んでいてもらいましょうか」
「っ!」
ファテロナが小剣、火乃呼作の『血恕御前』を抜くと、マキに向かって鋭い突きを放つ。
マキは身を屈めて回避。
通り過ぎた剣が、背後に迫っていたクロックザックホーンの目に突き刺さる。
クロックザックホーンは、突然の失明に混乱して地面を転がり、雪で滑って崖から落ちていく。
「何をするのよ! 殺す気!?」
「言いがかりです。敵を狙った直線上にあなたがいただけのこと。しかし、戦に事故は付き物。うっかり刺さってしまうこともあるでしょう。ふふふ、事故コエー!」
「あなたって人は! やっぱり気に入らないわ!」
「それはそれは、誠に気が合うことでございます」
ファテロナが素早い動きで小剣を繰り出す。
そのすべては敵を狙ったものだが、必ずマキを直線上に持っていくことで一緒に突き刺しにいく。
ファテロナがやることだ。本気の本気、マジで殺しにいっているから怖ろしい。元賞金首の大量殺人鬼にとって相手を殺すことに理由などいらないのだ。
何度もそんなことをされれば、当然ながらマキも怒る!
「このおおおお!」
マキの蹴りが、新たにやってきたクロックザックホーンの顔面を破壊すると同時に、隣にいたファテロナを狙う。
ファテロナは消えるように回避。
ここはさすが暗殺者。あまりに素早い動きに、マキでさえ半分くらいしか見えなかった。
「相変わらず素早い!」
「うふふ、前回は私にまったく当てることもできずに無様に負けたのでしたね。懐かしいものでございます」
「始まる前から毒を撒いていたくせに! 反則よ!」
「おやおや、なさけない発言ですね。武人たるもの、御前試合とはいえ実戦と同じ心持ちで挑まねばなりません。注意を怠ったあなたが悪いのですよ」
ファテロナがキャロアニーセに連れられてグラス・ギースに来た時、親衛隊を再編成するために簡易的な能力査定と模擬戦が行われた。
その際に門番になりたてだったマキも呼ばれて参加。
彼女はすでに武人としての才能を高く開花させていたこともあり、腕試しとしてファテロナと戦ったのだが、結果は惨敗に終わっている。
敗因は、もちろん毒だ。
ファテロナは始まる前から毒を散布しており、まだ強者との戦闘経験が足りなかったマキが、身体の異変に気づいた頃はもう手遅れ。
弱った状態でさらに毒を受け、巻き添えをくらった衛士たちと一緒に倒れる羽目になった。
なぜ領主が、ファテロナに問題があることを知りながら重用しているのかといえば、まさにその一件があったからにほかならない。
彼女一人で、マキを含む全衛士すら上回る力を持っているのだ。武人に必要なのは礼儀正しさや良識ではなく、圧倒的な実力であることがよくわかる。
「また無様にひれ伏したくなければ、さっさとお逃げなさい。キャンキャン! フーーー! さぁ、負け犬のように! はい、お手!」
「それはもう過去の話よ! 私は過去を引きずらない!」
「今はアンシュラオン様の妻になって有頂天でございますか。アラマ! キィイイイッ! クヤシーー! 私が身の程を教えてサシアゲマスコトヨ!! はしたない雌犬めええええええ!」
ファテロナが速度を上げる。
周囲が人や魔獣でごった返していることをいいことに、彼らの背後に隠れながら接近し、死角から攻撃を放つ。
一応は魔獣を狙ってはいるものの、魔獣二割、マキへの攻撃八割といった様相だ。
マキは無理に反撃せず、ガードを固めて回避に専念。
よける、よける、よける!
師匠譲りのボクシングのフットワークで剣をかわしていく。
が、やはり障害物が多い。
ファテロナの巧みな剣術に次第に追いやられる。
(まずいわ! 私がよけたら他人に当たってしまう!)
マキの背後に衛士がいた。
アンシュラオンならばあっさり見捨ててよけるが、真っ直ぐな性格のマキにはそれができない。
致し方なく篭手でガードを選択するものの、ここでファテロナのフェイント。
上半身を狙った一撃が蛇のような動きで変化し、弧を描く。
剣が業物であることも影響し、里火子の防具が切り裂かれ、太ももに浅い傷を受けてしまう。
「ふふふ、毒が回れば何もできません。これで終わりですね」
軽い傷と侮ることなかれ。剣先には毒が塗られている。
状況こそ異なるが、あの時の再現が起きてしまったのだ。




