245話 「森林への侵攻 その5『停滞』」
「くそっ! 突破できん!」
拠点の一室、即席の会議室で傭兵が机を叩く。
以前ハローワークで行った会議のように、中心メンバーだけが集まっての会議が開かれているのだ。
「苛立つな。焦っても状況は変わらない」
腕組みをしたグランハムが鎮めようとするが、彼の怒りは収まらない。
「焦るべきだろうが! まったく進んでいないんだぞ! 七日だ! 一週間だ! 二つ目の拠点を作るどころか、この場所に何度戻ってきたと思っている! 負け戦だろう!」
「それが現実だ。受け入れるしかない」
「簡単に納得できるか! 損害は増すばかりじゃないか! それなのにどうして先に進めない!」
彼が述べたように、この一週間で進展はゼロ。
第二階層の中間地点までは行くのだが、そこから急に敵の勢いが強くなり、じりじりと下がって結局は第一拠点にまで戻ってくるを繰り返す。
それによって損害は増え続け、現在では千人以上の死傷者が出ていた。
もちろん原因は魔獣の多さなのだが、その点に関して他のメンバーからも意見が出る。
「まさかこれだけの数がいるとは思わなかった。しかも種類が多くて、どれも能力が違うから対応が難しい。魔獣同士で争わないのも不思議だ。いくら魔獣たちが連携しているからといって、これはあまりにおかしいぞ」
「ハンターたちの意見では、それぞれの縄張りが複雑な形で絡み合っているようだ。我々が大人数で移動すると、どうしてもどこかのテリトリーに引っかかる。そして、敵の攻撃に反応してこちらが広がると、さらに他の魔獣の縄張りに触れる。その繰り返しだ」
「そう言われればそうかもしれないが、こちらも大量の魔獣を殺している。それでも勢いが衰えないのは理不尽じゃないか?」
「その通りだ。これは理不尽なのだ。もう一つ理不尽を教えてやろう。さきほどハイザク軍から連絡が来たが、すでに向こうは森を突破したらしい」
グランハムの言葉に傭兵たちがざわめく。
山の反対方向からの連絡は途絶えているが、同じ方面の西側を攻略しているハイザクからは定期的に伝書鳩が飛んでくる。
連絡によると、今朝の段階でハイザク軍は森を突破。山の裾にまで到着したとの一報が舞い込んでいた。
「おいおい、どうなってんだ。それに比べて、こっちはまだ森の中だ。初日からほとんど進めていないんだぞ」
「それだけ海軍が強いってことかよ。それとも俺たちが不甲斐ないのか?」
「こっちは玄関を開けても待ちぼうけの状態だからな。客間にも入れてもらえんとは寂しいものだ」
「あるいは家主から熱い茶をぶっかけられて、玄関から追い出されそうになっている招かれざる客ってわけだ。はっ、なさけねぇ」
「そう悲観するものではない。これによって我々がなぜ苦戦しているのか、その理由が判明した。理由は簡単だ。【森の魔獣のほぼすべてが、ここに集結】しているからだ」
「集結? どういうことだ?」
「ハイザク軍も魔獣と交戦はしたようだが、抵抗らしい抵抗はなかったようだ。あちらにも広大な森が広がっている以上、幾多の縄張りがあってしかるべきだ。それにもかかわらず、強い魔獣に遭遇していないのは異常だろう」
「だから移動したってのか? 自分たちの縄張りを捨ててまでか?」
「正確に述べれば、同種の魔獣たちが合流して、より大きな群れをこちら側で形成しているのだ。それゆえに数が異様に増大し、テリトリーも広がっている」
「となると、魔獣たちが俺たちを意図的にターゲットにしているってことか?」
「考えられない話ではない。なにせ数の上では我々が最大勢力だ。魔獣が海軍と傭兵を見分けられるとは思えん。単純に数が多いほうが強いと判断し、魔獣側も数で対抗していると考えたほうが合理的だ」
「仮にそれだけの知能があったとしても、ハイザク軍も一万はいる。簡単に素通りさせていいとは思えんが…」
「それは魔獣に訊かねばわからぬ。少なくとも今言えることは、我々は海軍に劣っているわけではないということだ。むしろ我々を最大の敵と考えているからこその苦戦だろう。その根拠一つがアンシュラオンの存在だ」
「たしかにホワイトハンターがいるなら、こっちを警戒してもおかしくはないが…って、その当人はどこだ?」
「自分の隊の準備に忙しいようだ」
「随分と余裕だな。だが、どうしてアンシュラオンは戦いに出ない? あいつが出れば一気に突破できるかもしれないぞ。こうなったら全部隊をもって総力戦を仕掛ければ、いくら魔獣が多いとはいえ制圧は可能じゃないか。なぜやらない?」
森を突破できないもう一つの理由が、『分担制度』にある。
全軍で攻めるのではなく、出陣時のように隊を大きく三つに分け、さらにその中でいくつもグループを作り、それぞれが交互に戦う戦法を採用しているのだ。
もともと自由進軍の形式だったのだが、個別に戦っても打開できないことを知った彼らが、自発的に合流を始めたのがきっかけだ。
負ければ拠点に戻るしかないので、いつしかそこで情報の共有や各隊の共闘が始まったのである。
そしてその中には、いまだ戦いに参加していない部隊もいる。アンシュラオン隊もその一つだ。
だが、それにも意味があった。
「お前の言う通り、死傷者を除いて我々はまだ一万六千の戦力を抱えている。一斉に攻め込めば突破は可能だろう。がしかし、全員が疲弊した状態で山にたどり着いて、次はどうする? 必死になって山を登り、疲れきった状態でボスと戦うことになる。そうなれば勝ち目はない。ある程度は無傷の部隊を残しておく必要があるのだ」
これもスポーツの勝ち抜きトーナメントを想像してもらえるとわかりやすい。
最初の一回戦と二回戦で全力を出して勝利しても、疲れが残れば準決勝で敗退してしまう。
特に集団競技ならば、弱い相手に対してはこちらも力を落として勝ち、強い選手の疲弊を防ぐことが勝利の秘訣となる。
「その理屈はわからんでもないが、序盤でつまずくのも問題だろう。損害を被る部隊も不公平だと感じるかもしれん」
「だから我々、ザ・ハン警備商隊は常に前線に出ているではないか。こちらも負傷者が出ている。公平でないとは言わさぬぞ」
「それはすごいと思うが…不満を抱く者もいることはわかってくれ」
「当然、理解している。しかし現状では、この消耗戦を続けるしか手はない。いつかは向こうにも限界がくる。こちらはまだほとんど進めていないが、逆に考えれば交通ルートからも近く、補給は常に万全だ。もう少し耐えてくれ」
現在においても傭兵の募集はハピ・クジュネで続けられているため、まだ森から二十五キロ地点にいるこの隊は補給と補充の面で有利だ。
武器や補給物資も送られてくるので拠点の防塞化もかなり進んでいる。今では重火器や砲台が装備され、ここに魔獣がやってくることはない。
こうして議論の結果、現状維持の消耗戦に付き合うことになった。
全体の局面で考えれば、グランハムたちが魔獣を引きつけている間に、ハイザクが敵中枢に攻め込むことができているからだ。
無理をして大ボスと全面対決するより、ここで雑魚を削っていたほうが楽という考え方をしている者もいたおかげで、比較的反対意見は少なかった。
「人喰い熊はどうなっている? また昨日、犠牲者が出たぞ」
「反撃して手傷を負わせたとも聞いたが?」
「追い払うのが精一杯みたいだぜ。かなり獰猛で硬いらしい」
「あいつら、どんどんこっちに入ってきていないか? 最初の話では第二階層だけに出没すると言っていたが、ここ一週間は拠点に入りきらない連中を狙ってやりたい放題だ」
「堂々と拠点の近くにも来ているらしいな。なめやがって。絶対に仕留めてやる」
「熊の一件は、ハンターQに任せてある。現状で四つの巣が確認されているが、まだボスの居場所がわからない。やつの話では、七つから九つの巣が存在する可能性があるようだ。すべて見つけ次第、こちらから討伐部隊を出す。後方に憂いを残して先には進めんからな」
「ところでよ、スザクはどうなったんだ? 連絡はつかないのか? 山経由じゃなくても、ハピ・クジュネ経由で何かわからないか?」
「汁王子は気になるな。何か情報はないのか?」
「スザク隊からの連絡はない。こうなると伝書鳩そのものが使えない状況に陥っていると考えるべきだろう」
「全滅の可能性は?」
「非常に低い。壊滅に近い状態でも少数は撤退できるはずだ。グラ・ガマン経由で連絡を送ることもできる。ならば、まだ攻略を続けていると思ったほうが妥当だ。それ以前に他の隊のことを考えている暇はない。現状を打破することに全力を注いでもらいたい」
会議はこれで終わる。
何も変わっていないが、何も変わらないことがわかっただけ、彼らも覚悟が違ってくるものだ。
そして、グランハムが独り残っていたところに、ソブカがやってくる。
「予想外の展開ですか?」
「多少はな。ここまで我々を執拗に妨害するとは思っていなかった」
「アンシュラオンさんは目立ちますからねぇ。魔獣から見てもすぐにわかるのでしょう」
「毛むくじゃらの熱烈なファンがいるとは、やつも難儀なことだ」
「ですが、魔獣たちが海軍を野放しにするはずがありません。何かしら動いてくるでしょう。あるいは、これも彼らの策略かもしれませんねぇ」
「本当にやつらにそこまでの知恵があるのか?」
「魔獣が人間に劣ると考えるのは愚かなことです。古代文献では、人間より何倍も知能の高い魔獣の存在が記されています。諭す岩、考える鳥、推測する魚、それらすべてを持ち合わせた竜もいたそうです」
「お前は御伽噺の類が好きだな」
「我々が知っていることなど、たかが知れています。荒唐無稽な話の中にこそ真実の欠片が眠っているものです。十分に注意すべきでしょう」
「わかっている。玉砕覚悟で向かってこられるより、逆に戦術を練ってくるほうが戦いやすい面もある。どちらにせよ我々は、相手の動きを見ながら対応するしかない」
「ただ、そろそろ不満が出る頃です。ここで少しは打開しておく必要がありますねぇ。戦力を温存したいのでしたら、私とアンシュラオンさんの隊が出ますよ。練度も上げたいですからね」
「…いいだろう。ラングラスの不死鳥、赤鳳隊の力を見せてもらう」
「心配しないでも大丈夫ですよ。ハイザクさんとスザクさんも、この山の魔獣が相手では一筋縄ではいかないはずです。まだまだチャンスはあります。何事も最後に勝てばよいのです」
そう言うと、ソブカは出て行った。
「やれやれ、気持ちよく酒を飲める日は、まだまだ先になりそうだ。せっかくならば勝利の美酒にしたいものだな」
停滞する戦局を眺めながら、グランハムはウィスキーのボトルを三本空けるのであった。




