226話 「パンツ姫なのかイタ嬢なのか、それが問題ではないのだ」
ここまで近づいたのだ。
当然こういうことが起きる。
「…チラチラ」
「…ん?」
何やら強い視線を感じるので振り向くと、ベルロアナが少し離れた位置でアンシュラオンを見ていた。
たしかに女性の視線ならば男よりはましだが、それがイタ嬢だと微妙な気分である。
「お嬢様、やはり彼が気になるのですね」
「気になるというか…あの御方とどこかでお会いしたような…」
「彼はホワイトハンターのアンシュラオン様です。さきほどガイゾック様と殴り合いを演じられました。まさかもうお忘れになったわけではありませんよね?」
「それはさすがに覚えておりますわ。わたくし、馬鹿ではありませんもの。お髭ではないほうよね?」
「髭で識別なされるとは、さすがお嬢様でございます。まさに天才の発想です」
「そんなに褒めなくてもいいのよ。普通のことですもの。でも、以前にもどこかで会ったような…隣にいる子もどこかで…」
「では、一度お話ししてみるのはいかがでしょう? もしかしたら、お友達になれるかもしれませんよ」
「と、トモダチ!? うう…な、なにか前に嫌なことがあったような…」
(やれやれ、相変わらずファテロナさんの玩具になっているな。どうせ一度話すまで帰らないんだろうし、適当にあしらっておくか)
「やぁ、初めまして」
「え!? あっ…どうも、初めまして!」
「オレの名前はアンシュラオン。君はベルロアナ様だよね?」
「は、はい。ベルロアナ・ディングラスと申しますわ! あの…失礼ですが、どこかでお会いしたことは?」
「いや、これが初めてだけど? 君みたいな個性的な人を見たら、普通は忘れないよね。オレもよく同じようなことを言われるんだ。もし会っていたら君が忘れるわけがないよ」
「そ、そうですわよね。ほほほ、わたくしったらおかしなことを。あの…そちらの子は? その子もどこかで見たことがあるような…」
「この子は妹のサナだよ」
「妹…ですか? あまり似ていないような…」
「君だって父親とあまり似ていなかった気がするけどね。それともあれかな、グラス・ギースでは他人の兄妹を侮辱するのが礼儀なのかな? んん?」
「っ! こ、これは大変失礼いたしました! 非礼をお詫びいたしますわ! 申し訳ございません!」
(サナまで忘れているのか。どうやら、あの日のすべての記憶が曖昧みたいだな。オレとしては好都合だ)
「いやいや、いいんだよ。わかってくれればね。で、オレのことはどれくらい知っているのかな?」
「えと…その……よ、よく存じておりますわ。ねぇ、ファテロナ?」
「はい。デアンカ・ギースを退治なされたグラス・ギースの英雄でございます」
「オレってグラス・ギースでも評判なの?」
「市井の人々の間では当初よりお名前が広まっておりましたが、上級街にまで届いたのは、つい最近でございます」
「まあ、オレが金をばら撒いたせいで、酒場で名前が出て盛り上がっていたしね。広まらないほうがおかしいか。で、領主はどうしているの? 豚の骨が喉に刺さって死んだ?」
「領主様は相変わらずお元気でございますが、キャロアニーセ様に殴られることが増えたので、存在感はほとんどありません」
「ハピ・クジュネとは大きな違いだね。こっちは領主の存在感がありすぎるのが問題なのかもしれないけど」
「ファテロナは随分と彼のことについて詳しいのね。会場にいる時も仲が良さそうに話していたもの」
「はい。有名人でございますから、知らないほうがどうかしております」
「そ、そうなのね。わたくしはあまり外に出ないので、そういうことには疎くて…ごめんなさい」
「有名といっても庶民の間でだけさ。でも、君みたいな深窓のご令嬢が、まさかハピ・クジュネにまでやってくるとは思わなかったなぁ。それに作戦にまで参加するんでしょ? 君は立派な人だね」
「立派!? わ、わたくしがですか!? そんなことは初めて言われましたわ!」
「だって、君ほど身分が高い女性ならハピ・クジュネでゆっくり過ごしていればいいのに、わざわざ出陣してグラス・ギースの名声を高めようとしている。スザクとの勝負だって、最初から勝ち目なんてないのに、あれだけ挑発できるのはすごいよね」
「あの…よくわかっていないのですが…そうなのですか? わたくしも出陣するのでしょうか?」
「そりゃそうだよ。あれだけ啖呵を切ったんだ。君が出陣しないと傭兵たちだってしらけちゃうよ。ぜひ先頭に立って戦ってね。流れ弾に当たっても君なら大丈夫! 絶対に止血なんてしたら駄目だよ! そこから勇気がこぼれちゃうからね!」
「そ、そうですわよね。わたくしはベルロアナ・ディングラスですものね! お父様の代わりにがんばらないと!」
「その意気だ! いやー、君と一緒に戦うのが楽しみだなぁ! ぜひもんどりうって、痛みで転げ回ってくれよ! その時は記念写真を撮らせてね! 君の雄姿を永遠に残したいんだ」
「ええ、お任せください!」
「ところで、スレイブ集めは続けているのかな?」
「スレイブ? そ、それは…」
「お嬢様は、あれから新しい白スレイブは購入されておりません」
「え!? そうなの!? 中毒は簡単に治らないと思うけど…」
「たびたび禁断症状が出ますが、なんとか我慢しておられます」
「そうなんだね。それはそれでモヒカンの売り上げが減るから、なんともいえないなぁ。…おや? あっちにいるのはもしかして、館にいたスレイブの子じゃない? あの鎧の連中も見たことがあるな」
空色の髪を大きなおさげでまとめた少女、クイナの姿が見える。
それ以外にも、どうやら七騎士もいるようだ。実に懐かしい面々である。
会場には入ってこなかったが、いつでも護衛として動けるように裏側にいたらしい。
「たしか七騎士だよね? 何人か足りなくない?」
「さきほどのアンシュラオン様のフラッグファイトの余波を受けて、三名ほど病院に運ばれました。ちなみにペーグは、いまだ車椅子です」
スザクたちが守っていたのは会場だけであり、壁を破壊した拳の余波はそのまま外に突き抜けていた。
それをうっかりくらってしまったようだ。
「運が悪すぎでしょ。普通、当たらないよね。というか、あいつらも作戦に参加するのかな? あんな連中で役に立つの?」
「こちらは常時、人手不足でございます。あれでも壁になることはできましょう」
「まあ、雑魚ってわけじゃないから、下位の傭兵よりはましだけど…」
「不躾ですが、アンシュラオン様に一つお願いがございます。どうかお嬢様と『お友達』になってくださいませんか?」
「トトトトトッ、トモダチィイイイイイ!? ふぁ、ファテロナ、何を言い出すの! いきなりそんな大それたことを! と、友達になるには、もっとこう…いろいろなことをしないといけないのよ!」
「お嬢様は、友達というものを大きく捉えすぎでございます。友達など簡単に作れるものです。特に男女間ならば。そうですよね?」
「まあね。それが清いものかはわからないけど、世間一般ではそれが常識かな」
「な、なんと…そうなのですね。…チラ、…チラッ」
すごい見てくる。
スレイブ中毒は少しずつ改善されているようだが、こちらのほうは相変わらずらしい。
(パンツ姫と友達になるメリットはないんだよなぁ…。でも、いろいろと利用価値はありそうだ。何事もまずは試してみるかな)
「ベルロアナ、オレと【友達】になろうか。せっかく出会ったんだ。この縁を大事にしたいな。駄目かな?」
「あうあうあっ! だ、駄目などとおおお! よ、喜んで、おおおお、お友達になりましょうぅうううう! と、ともだちいいいにぃいいいい!」
「じゃあ、握手しよう」
「あああああ、あくあく…握手! 握手しますとも!」
ベルロアナと友達の握手。
当然、好き好んで彼女と握手などしない。これを利用して『仕込み』を行っておく。
(とりあえず探知用のマーカーは打ち込んだ。半径百キロ以内ならイタ嬢がどこにいるかはわかるな。基本は会いたくないし、ストーカー対策はしておいたほうがいいだろう)
「はわぁぁ…と、ともだち……わたくしたち、今日からお友達なのですか?」
「そうだよ」
「あ、あの…! と、友達って…具体的にどうすればよろしいのでしょうか!」
「友達付き合いを知らないの? 今まで友達はいなかった?」
「いいいいいええええ!! いました! おりましたとも! でも、その…忙しくて…友達らしいことなどは…」
「じゃあ、お金をちょうだい」
「へ? お、お金…ですの?」
「え…? 知らないの?」
「…え?」
「ああ、そうだったね。ベルロアナは友達付き合いは初めてだったんだ。それなら知らなくても仕方ないね。実は、女性は男性の友達と出会ったらお金を渡す決まりがあるんだ。友好の証ってやつだね」
「そんなことが…いえいえ、知っておりましたわ! 当然知っておりますもの! ねぇ、ファテロナ!?」
「はい、お嬢様ならばご存知だと思っておりました。で、いかほどお渡しいたしましょうか?」
「ええと…その…いくらがいいのかしら? 十万円くらい?」
「え…?」
「じょ、冗談ですわ! ひゃ、百万くらい…?」
「サナ、百万だって。ベルロアナってそういう人だったんだね」
「…こくり」
「う、嘘ですわ! ちょっとした上級階級ジョークですわ! ふぁ、ファテロナ! は、早く用意して!」
「よろしいのですか? 二千万ともなると、お嬢様のお小遣いが消えてしまいますが…」
「に、二千万!? 私の二か月分のお小遣い!!! それはさすがに…」
「サナ、帰ろうか。催促しているみたいで悪いし、これだとオレのほうが常識がないみたいに見えちゃうからね。あーあ、残念だな。ベルロアナとは友達でいたかったのに…本当に残念だ」
「ふぁ、ファテロナ! 早く下ろしてきて! 早く!」
「かしこまりました!」
「こ、これで友達…ですわよね?」
「うん、もちろんだよ! これからもよろしくね! あっ、それと、あそこにいる君のスレイブの胸も好きに触らせてね」
「へ!? む、胸ですか?」
「君の物はオレの物じゃないか。それが友達だからね」
「そ、そうですわね! 遠慮なくどうぞ!!」
「シュタッ! お嬢様、下ろしてまいりました!」
「ありがとう、ファテロナ。ど、どうぞ」
「ひーふーみー。うん、ぴったりだね。ありがとう! やっぱりベルロアナは素敵な友達だよ!」
「ほ、ほほほ。これくらいは軽いですわ! お金のことならお任せください!」
金はハローワークですぐに下ろせるため、数分たらずでファテロナが帰還。分厚い封筒を二つ渡してもらう。
こうして何もせずに、作戦の最高成功報酬額の二千万をゲットだ。
二百万で盛り上がっていた庶民たちには悪いが、これが賢い稼ぎ方というものである。
だが、その様子を見ていた一人の男、ザ・ハン警備商隊のグランハムが近寄ってきた。
「何? なんか文句ある?」
「話がある。夜、この店まで来てほしい」
彼はすれ違いざまに一枚の紙を手渡す。
「ふーん、おごりならいいよ」
「金には困っていないように見えるが? 今しがた随分と儲けたようだ」
「これは慰謝料さ。もともとオレの金だったものだよ」
「そうか」
「その様子だと、話の内容はこの一件じゃないみたいだね」
「他人の取引に干渉する立場ではない。別件だ」
「妹も一緒じゃないと行かないけど?」
「…好きにしろ。こちらは私一人で行く。早めに行って飲んでいるから、お前は好きな時間に来るといい」
そう言い残し、グランハムは去っていった。
(グランハム…か。オレにいったい何の用かな? しかし、ここにきてグラス・ギースの勢力と関わる羽目になるとは、つくづく縁があるらしい)
∞†∞†∞
アンシュラオンたちが去った会場跡に、一組の男女がいた。
すでにボロボロで廃棄寸前なので、午後の部が始まった今は誰もいない。
「さすがはアンシュラオンさん。派手にやりますねぇ。すっかり皆さんもやる気になったようで何よりです」
「どう見ても、やりすぎです」
「それが彼の良いところです。器が大きいのですよ」
「それにしても、あれでよろしかったのですか?」
「どれのことですか?」
「『実印』のことです。もっと有益な使い道があったのではありませんか? せっかくライザック様から一回だけの使用権を買い取ったのに、あれではあまりにもったいないかと」
「あれくらいでよいのですよ。あまり大きなことに使うと違う問題が発生します。ですが、さすがにああいう使い方をするとは思いませんでした。ファテロナさんは愉快な人ですねぇ」
「あの女が裏切る可能性はないでしょうか? こちらの情報を漏らさないとも限りません。危険な賭けだったのでは?」
「彼女は快楽主義者です。ベルロアナさん以外のことには興味がありません。今回私の提案に乗ったのも、そのほうが面白いと思ったからですよ。あえて漏らす理由はありません。仮に漏れたとしても、そもそも私は嫌われていますからねぇ。そこまで大事にはならないでしょう」
「しかし、あそこまでやったわりには、たいしてハピ・クジュネの戦力を削ぐことはできませんでした。このまま呑まれるのではありませんか?」
「作戦自体が失敗しては意味がありません。ライザックの策を生かしつつ、適度に調整してグラス・ギースも生かすことが重要です。ハピ・クジュネには対南部の要衝として耐えてもらわねばなりませんからねぇ。それよりグラス・ギースの様子はどうですか?」
「衛士隊から二千、傭兵たちを含めて三千程度です。それもほとんどは防衛にあてるようです。領主は今回の一件で、おこぼれをもらえればよいとしか思っていないようです。失敗した場合はハピ・クジュネに責任を押し付ける算段でしょう」
「あの人も変わりませんねぇ。閉じ篭っているだけでは何も起きないというのに。他に動きは?」
「マングラスも独自に兵を準備しているようです。また、以前グラス・ギース側に向かった魔獣の群れですが、『青劉隊』が撃破したという報告が入っております。青劉隊の死傷者はゼロ。城壁が多少損傷しましたが、それを差し引いても圧勝でした」
「もうセイリュウさんが出てきましたか。いつも以上に素早い対応ですね。ただ、彼らは都市防衛用の部隊のはず。この作戦には参加しないでしょうねぇ。であれば、親衛隊の『黄劉隊』を出すか。それとも静観するか。ここはまだ読めませんねぇ」
「プライリーラ様は自由貿易郡に滞在中のため、この作戦には間に合わないようです。ハングラスも警備商隊を出しましたし、残った目ぼしい戦力は、通常の構成員以外はソイドファミリーしかおりません」
「ソイドビッグは元気ですか?」
「ソブカ様ほどの御方が、あのような無能を気にかける必要はございません」
「手厳しいですねぇ。彼はラングラスの直系。貴重な跡取りですよ」
「無能なのは事実です。早く死んでくれたほうが、まだ役立ちます」
「そんなに苛めるものではありませんよ。彼は彼なりにがんばっております。どちらにせよラングラス自体がまとまっておりませんから、今のタイミングでは動けません。戦力も足りませんしねぇ」
「ベルロアナを利用しては? ようやく釣り出せたのです。彼女を確保できれば領主も動くしかないはずです。今ならばどちらかを仕留められます」
「ファレアスティ、誰がどこで聞いているかわかりません。いくら他の都市とはいえ油断しないようにしてください」
「…失礼いたしました」
「気持ちはわかりますが、彼女はあのままでよいでしょう。迂闊に手を出すとファテロナさんから手痛いしっぺ返しを受けますからねぇ。それに領主の地位自体にはあまり意味はありません。もっと奥にいる者を排除しなければ、あの都市は良くなりませんよ。せっかく旗印になってくれたのですから、ベルロアナさんはしばらくこのまま利用しましょう」
「しかし、キャロアニーセ様の決断は意外でした。ここまで勝負に出るとは」
「南部の出身ですからね。謀略の類にも慣れているのでしょう。キシィルナさんがアンシュラオンさんの妻であることも承知の上での行動ですよ。まったくもって逞しい女性です。…が、あまり長くはないのでしょうねぇ。だからこそ愛娘を外に出したと考えたほうが自然です」
「時間経過で勝手に朽ちるのならば、今は待ったほうが得策ということですね」
「そういうことです。ディングラスが『金獅子の力』に目覚めない限りは、そこまで危険視する必要はありません。我々の『赤鳳隊』はどのあたりですか?」
「もうすぐハピ・ヤックですので、明日にはハピ・クジュネに到着するはずです。急がせますか?」
「いえ、ゆっくり観光させてあげてください。情勢の把握にもなりますからね。ハピ・ヤックという『食料庫』を守れたのは、やはり運があります。今のところ作戦は順調といえるでしょう。我々も準備を急がねばなりませんね」
「我々は都市で待機していたほうがよろしいのでは? わざわざ危険な場所に赴き、無駄に戦力を削ぐ必要性はありません」
「それではライザックを利するだけです。ただでさえガイゾックさんのおかげで、向こうが何歩もリードする形になりましたからねぇ。せめて『彼』の近くにいなくては」
「ソブカ様は、あの男に入れ込みすぎです」
「あなたも見たでしょう? 彼は大きなことを成し得ますよ。そう思ったからこそグランハムさんも動きました。すでに『争奪戦』は始まっているのです」
「ですが、気に入りません」
「やれやれ…いつもは理知的なのに、こういうときは頑固になりますねぇ。『剣士殿』の様子はどうですか?」
「依然として西方で何やら動いているようです。今のところ、こちら側の騒動に関わるつもりはないようです」
「あの一件で相場以上の金と資源を得ましたからねぇ。入植準備のほうに夢中なのでしょう。とはいえ、こちらに諜報員を送り込んでいる可能性もあります。あまり手の内を見せたくはないですねぇ。ひとまず今は時を待ちましょう。焦りは禁物です」
「…はい」
そう言いつつ、ソブカの目が常にアンシュラオンを追っていることをファレアスティは知っていた。
今回の作戦に参加するのも、半分以上は彼に近づくためだ。
アンシュラオンが目立てば目立つほど、彼を狙う勢力は増えていくのである。




