159話 「一騎当千の武 その2『殺陣』」
アンシュラオンの大技によって、魔獣の半数が戦闘不能。
こうなると慌てるのは相手のほうだ。
「キキッ!?」
「キィッ…」
急になさけない声を出して後ずさりする。
だが、これだけの被害が出れば、人間だって恐怖で足踏みするものだ。本能に忠実な魔獣ならばもっと顕著になるのは当然だ。
その隙にアンシュラオンは敵の群れに突っ込み、次々と大猿を殴り倒す。
「一匹ずつ相手にするのは面倒だ。一気にいくか」
今度は卍蛍を抜くと、五十メートルほど剣硬気を伸ばして―――横薙ぎの一閃!
瓦礫や建物が残っていても関係ない。
猿たちは、襲いかかってきた凄まじいエネルギーの塊になすすべもなく切り裂かれ、この一撃で八頭が死亡。
「さっきまでの余裕はどうした? さっさと向かってこい。真正面から切り伏せてやるよ」
アンシュラオンが刀を持って歩くたびに、近くにいた大猿が次々と斬り殺されていく。
当人はゆっくり動いているのに、放たれる一撃は目にもとまらぬ速度で振り抜かれ、ばっさりと猿の身体を両断。
ある個体は首が飛び、ある個体は真横に切断され、ある個体は袈裟懸けに斬られて絶命。
面白いように敵が倒れていく。
それは―――『殺陣』の如し
時代劇や漫画でしか見ないような、剣豪が敵をばったばったと切り伏せる光景が、今まさに現実で起きている。
大猿も戦わねば死ぬと思ったのか決死の表情で向かってくるものの、突っ込んできた勢いそのままに斬られて飛んでいき、アンシュラオンの背後に死体の列が生まれていく。
右側から猿が襲いかかるのと同時に、左からも別の猿が鉈を持って攻撃してくる。
アンシュラオンは左の猿の鉈を切り裂きながら、刃を止めずに右側の猿の腕を切り飛ばすと、刀をくるっと回転させ、逆手持ちにして再び左の猿の腹を掻っ捌く。
その勢いで跳躍し、右の猿の顔面を蹴り砕く。
次の瞬間には、その猿を足場にして次の標的に跳躍しており、空中で回転しながら、また二頭の猿の首を撥ね飛ばした。
着地した時には、すでに居合いの構えになっており、剣衝一閃。
遠くにいた猿の武器ごと切り裂いて仕留める。
「どんどんこい。もっとこい! お前らの血をもっとよこせ! この刀が本物になるまで血を流し続けろ!!」
刀とは、その者を示す鏡である。
武人が持つ刀は観賞用のものではなく、相手を斬り殺す力だ。
まだ買ったばかりで『処女』にも等しい卍蛍が本当の意味で輝くには、何千何万といった血の生贄が必要なのである。
その意味において、強くて数が多い猿はうってつけの獲物だ。
「キーーッ!?」
「キィッ…! キッ!?」
アンシュラオンの激しい闘争本能に晒され、猿たちが恐慌状態に陥る。
この瞬間、完全に進軍が止まってしまった。
「今だ! 我々も続くぞ!」
そこにシンテツたちの部隊が参戦。
すでに新兵は下がらせているため、残っているのはシダラを追った際の精鋭七人程度だが、彼らは猿相手でも怖れない強い精神力を持っている。
後ろ向きになった猿に斬りかかり、どんどん気勢を削いでいく。モグマウスもサポートしているので、圧しているのはこちらのほうだ。
そして、サナとマキも戦いに加わる。
「サナちゃん、私が圧力をかけるから、敵に隙ができたら攻撃をお願いね」
「…こくり」
「まずは一匹でいる相手を狙いましょう。あいつがいいわね」
群れ全体が混乱して、一匹だけ単独でいた大猿を発見。
マキが走って接近すると相手に気づかれたが、敵が攻撃準備を整える前に拳を腹に叩き込む。
が、押し戻される。
(なんて身体なの!? 弾力があって打撃のダメージが吸収される! アンシュラオン君はあんなに簡単に倒しているのに…!)
まるで常人がタイヤを叩いたような感触だ。表面は硬く、中はぎっちりゴムような筋肉が詰まっている。
魔獣の強靭な筋肉は構造そのものが人間とは異なる。いくら武人とはいえ、その耐久力を簡単に打ち破ることはできない。
ただし、よろけさせることには成功。
そこにサナが飛びかかり、首に刃を突き立てた。
がしかし、こちらもガギンと硬い皮膚と筋に阻まれて、血管まで切ることができない。
グラヌマ〈剣舞猿〉は、普段から刀剣を使って暮らしている特殊な魔獣である。
オス同士の喧嘩では斬り合いになることもあるため、切り傷に対する耐性が極めて高いのが特徴だ。これくらいの攻撃では皮膚を切り裂くことも難しい。
それをアンシュラオンは、いとも簡単に殴り殺し、斬り殺しているのだから、いかに高い攻撃力を誇っているかがわかるだろう。
「キキッ!!」
大猿の反撃。
サナを引き剥がして放り投げると、持っていた剣をぶん回す。
魔獣なので剣気を使わず、ただ腕力だけで攻撃しているのだが、彼らの膂力で繰り出される一撃は単純に強い。
ここはマキがサナとの間に入ってガード。
篭手でがっしりと受け止めるが、足が浮いて飛ばされる。
シンテツの水流剣に耐えられたことから察するに、この魔獣の一撃の威力はそれを上回ることが判明する。
そもそもマキは身体能力の高い攻撃型戦士であるが、防御面に関してはさほど優れているわけではない。受け流すことは得意でも、シダラのように押し勝つ戦いはできないのだ。
(攻撃力も高い。腕力があるうえに武器まで使うなんて…! このレベルの魔獣が相手だと、サナちゃんをカバーして戦うのは難しいかも―――)
と、マキが心配になった時、両手に剣を持ったサナがスイッチするように前に出て、素早い動きで猿に斬りかかる。
それらの攻撃は皮膚を切り裂くには至らないが、執拗に付きまとうことで相手の注意を引くことに成功。
大猿の攻撃も上手く剣を使っていなし、直撃を避けている。
(あれが子供の体術なの!? あの歳であそこまで動けるなんて、すごい才能だわ! 私でも当時はあんなに動けなかったもの)
サナの動きは、アンシュラオン仕込みの無軌道な体術である。
相手が強ければ強いほど真価を発揮し、強烈な攻撃をいなし続ける。
「私も負けられない!!」
マキが真紅の戦気を生み出し、サナに注意が向いていた大猿の顔面を殴りつけて引き剥がす。
そこから―――ラッシュ
「あたたたたっ! ほぁた!!」
耐久力が高いのならば、その分だけ多く殴ればいい。極めて単純な理屈で高速の拳打を叩き込む。
さすがに十発以上も殴れば筋肉にダメージを与えることができ、猿が思わず腰を引く。
その間にサナは背後に回り、水刃砲の術符を発動。水の刃が後頭部を切り裂く。
「ウキィイイッ!」
これに猿は激怒。怒りの『剣舞』を踊りだす。
両手で武器を持ち、身体全体を使って躍動するように剣を繰り出すのだ。奇妙な行動に見えるが、この剣舞が意外と強い。
常に身体を動かすことで前後の敵にも対応し、マキとサナを牽制してくる。そうかと思えば身体能力を生かして強撃を繰り出すため、少しでも油断すれば致命傷を受けるだろう。
その一撃がサナの防御を弾いて、頬に傷をつけた。
つつっと愛らしい頬に血が垂れる。
「あんた…! 私の可愛い【妹】に何してくれてんのよぉおおおおお!!」
これにマキが激怒。
あまり気にしたことはなかったが、アンシュラオンの妻になるということは、サナは義理の妹になることを意味している。
アンシュラオンの次にサナが大事。自分よりもサナが大事。
激しい怒りによって噴出した戦気が拳に集まり、滅多打ち!
「はぁああああああ!!」
爆発を伴った拳打、『紅蓮裂火撃』が炸裂。
大猿の身体が浮き上がり、打撃と爆発の衝撃で筋肉がズタズタに引き裂かれていく。
そして技が終わった時、猿がダメージで完全に動けなくなった。口を大きく開いて悶えている。
その隙にサナが猿の頭に接近すると、ひょいっと口の中に大納魔射津を放り込んだ。
すれ違うように退避し―――爆発!
さすがに体内は外ほど強靭ではないため、舌がちぎれ、歯が折れ、目が吹き飛び、頭の一部から脳がこぼれて瀕死に陥る。
「はぃいいい!」
そこにマキが、強烈なハイキックで首の骨をへし折ってとどめ。
バターンと大猿を打ち倒す。これが嫁と義妹の初の共同作業であった。
「サナちゃん、すごいわ! 私独りだったらこうは簡単にいかなかったもの! あなたは天才ね!」
「…こくり。ぐっ!」
シンテツたちが最低三人がかりで苦戦しながら倒している相手を、こちらは二人で倒してしまったのだ。お世辞ではなく本音である。
やはりサナの動きが別格で、しっかりとマキに合わせていることが要因といえる。
(正直ここまでとは思わなかったわ。さすがアンシュラオン君の妹であり、私の妹になる子ね。これならば『鉄鋼拳』を使わなくても戦えそうだわ。…まあ、アンシュラオン君がいれば大丈夫な気もしちゃうけど)
アンシュラオンは、すでに敵陣を切り崩しながらボスの右腕猿将に接近していた。
「キキィイイイッ!」
だが、ここで右腕猿将が号令。
リーダーの命令を受けた猿たちが、街から一気に撤退していった。
アンシュラオンも無理に追わず、シンテツたちと合流。
「追い払えたのか?」
「いや、あのボスの雰囲気からすると、あのまま逃げるとは思えない。態勢を立て直しに戻った可能性が高いね。森の中はやつらのホームだし、追わないでこのまま様子を見よう。時間をかけてくれるのならば、それだけスザクたちが逃げる時間が稼げる。街にはハピ・クジュネ軍が向かってくれているんだよね?」
「スザク様の長兄であられるライザック様は優秀な御方だ。すでに動いているだろう。主力の第一か第二海軍が来てくれれば、あの魔獣相手でも十分対抗できる」
「それなら持久戦でいいか。頃合を見て脱出しよう」
(最初の攻撃で浮き出し立ってくれたから助かった。だが、今度は本格的に攻めてきそうだな)
アンシュラオンの予想通り、右腕猿将は生き残った五十の兵を連れて一度森に戻ると、しばらくして今度は複数の違う猿の一団がやってきた。
まず目を見張るのが、その数。
山肌を覆い尽くすような波が森を出てくると、それらはすべて猿の群れ。
『チユチュ〈鼠集猿〉』という人間の子供くらいの小型の種族で、ネズミのように一回の出産で八頭以上を産み、子供もすぐに繁殖期に入るので、放っておくとどんどん増えていく。
ただし、弱い生き物ほど多く産むのが自然界の法則であり、単純な戦闘能力は低く、山の中では他の魔獣の食糧にされる程度の弱小種族である。それによって数も適度に調整されていた。
しかしながら人間にとってみれば、レッドハンターでないと討伐できないような魔獣だ。その腕力は人間の大人でさえも引きちぎるほどである。
それが、およそ八千という数で襲ってきている。
続いて、その群れの中にグラヌマより大きな巨大猿が交じっていた。体長は八メートルに及び、樹木をそのまま削って作ったような大きな棍棒を持っている。
『ニュヌロス〈棍棒牛猿〉』という種族で、数こそ多くはないものの、単体で高い戦闘力を持っている凶暴な魔獣である。ファンタジーでいえば、トロルを想像してもらえるとわかりやすいだろう。
「なんて…数だ。やつら、あそこまでの兵力を用意していたのか!」
「あれって違う種族だよね? 剣を持ってる猿の仲間なの?」
「本来は違う。特に小型のものは食用にされるような末端の魔獣だ。あの大きな猿もグラヌマと対立関係にあったと記憶している。それが手を組むとは…本気でハピ・ヤックを攻め落とすつもりのようだな」
大型の猿は、おそらくは城壁破壊用に連れてきた戦力だろう。
彼らの大半はグラス・ギース側に派遣されているので、こちらに配備されたニュヌロスの数は少ないものの、やはり危険な魔獣である。
「それにしても、どうにも状況が呑み込めないね。下界じゃ人間と魔獣はこんなにも対立しているものなのかな。それならグラス・ギースの防備も納得はいくけど、ハビナ・ザマとか全然備えができてなかったよ?」
「災厄時を除けば、魔獣との関係はそこまで悪くはなかった。だが、近年は悪化している。そして、さらにここ数ヶ月で最悪になった。私から言えるのはそこまでだ」
「ふーん、オレも常に魔獣と戦ってきたから、これくらいのほうが普通に感じて安心するからいいけどね。でも、何か隠してるでしょ?」
「これ以上は軍事機密だ。民間人には話せない」
「それ、便利な言葉だよなぁ」
「それより現状はかなりまずい。ここはもう無理だ。こちらも軍を率いなければ対抗できぬぞ」
「そう悲観することもないよ。魔獣にとって、これが部隊を率いる軍事行動なのだとすれば、やはり頭を倒せば瓦解する。すでにあいつらは一度大きなミスを犯して、主力部隊の七割を失ったんだ。追い詰められているのは猿のほうさ。あの逃げた様子からすると、これほどの反撃は想定外だったんじゃないかな」
「…お前ならやれるというのか? 数に差がありすぎるぞ?」
「たしかに数は脅威だけど、あの小猿は雑兵だ。物量で圧倒されなければ、単体能力ならばここにいる海兵のほうが数段上でしょ? せいぜい怖いのはあの大きなやつだけさ」
「当然だ。我々は個の力を高めた者だからな。小猿程度に遅れは取らぬ。しかし、それができればの話だ。雪崩れ込まれたら対応はできんぞ」
「そこは任せてよ。分断するだけならば、そんなに難しくはない。ただ、オレがリーダーを仕留めるまで、そっちには耐えてもらう必要がある。そんなに時間はかけないさ。せいぜい五分くらいだ」
「…五分か。いいだろう。お前に海兵の底力を見せてやる!」




