142話 「花園を狙う者 その2『変態黒猫の襲来』」
傭兵を加えて一行は進む。
それから数日は何もなかったが、ハピ・ヤックまであとわずかという時、それは起きた。
「なんだか…眠いわね」
「ふわぁあ……はふぅ…」
「んん…すぅ……」
夕飯を食べ終わった女性たちが突然、眠気を訴えだした。
夜も明るい日本とは違い、このあたりの人々は日が暮れるとすぐに寝る習慣がある。こうしたことも珍しくはなかった。
しかしながらこの日は、ほぼすべての女性が眠りの中に入っている。さすがに異常だ。
「これは…いったいどうしたの?」
「んんっ…」
「小百合さん? 大丈夫!?」
「マキさん……これはたぶん…【薬】です。食事に混ざっていた…みたいで……すみ…ません。あとは…任せますね……」
小百合も急激な眠気に対応できず、そのまま意識を失った。
夕食に強力な『睡眠薬』が入っていたようだ。
(薬? うっ…少しくらっとするわね。戦士の私にまでここまで効くなんて、かなり強力な薬だわ。でも、誰がこれを? 今日はあの子が担当していたから入れる隙なんてなかったはずだけど…そもそもこんなもの普通は手に入らないわ)
マキは肉体が強化された戦士でもあるため、常人よりは遥かに優れた浄化力を持っているが、『毒無効』があるわけではないので薬の影響は受ける。
ラブヘイアがデアンカ・ギースの毒の影響を受けて意識を失ったことからも、『毒耐性』を持っていてもあれほど効くのだ。薬物が危険だということがよくわかるだろう。
「大型のクルマが来るぞ! 警戒しろ!」
ただし、女性陣とは違う料理を食べていた傭兵団は、その影響を受けていない。
万全の準備をしてクルマを待ち受ける。
大型のトレーラーが止まると、そこから一人のメガネの男が出てきた。
「いやぁ、いいね。話に聞いていた通り、大量じゃないか。素晴らしい。これでノルマ達成にもぐっと近づくよ」
「貴様、それ以上近寄れば攻撃するぞ!」
「これが雇った傭兵? あんまり強そうじゃないな。でも、花をここまで持ってきてくれたんだから感謝しないといけないか」
「…花? 女性の隠語か」
よく花売りが売春を意味する隠語であるように、ここでも女性のことを花と呼ぶらしい。
女性たちがいきなり眠ってしまったことからも、彼らの思惑はすぐにわかる。
「そうか。お前が最近話題の女性ばかり狙う軟弱な人攫いだな。死にたくなければ、さっさと失せろ!」
「はは。そういうこと言っちゃう? カッコイイなぁ。まあ、帰れと言われて帰るくらいなら最初から来ないさ。お花を前にして蜂さんが帰ると思う? 働き蜂は大変なんだぞ。ブーンブンブンッ」
「ふざけたやつだ。我々とやるつもりならば覚悟しろ! B班は女性を守れ! 俺たちが仕掛ける! 一人だからと遠慮するな! 囲んで潰す!」
「了解!」
傭兵たちが二手に分かれて、A班の四人がメガネの男に向かっていく。
その中にはブルーハンター級のリーダーも含まれていた。
「周囲も警戒しろ。まだ敵がいるかもしれんぞ!」
四人でメガネの男を囲んで退路を塞ぎつつ、二人がカバーをする形で周囲を警戒。残った二人がメガネの男に攻撃を開始する。
まずはリーダーの鋭い斬撃が、真正面からメガネの男を襲った。
「おやおや、野蛮だね」
男は剣を軽々回避し、後ろに飛び退く。
「逃がすか!」
メガネの男は囲まれているので、背後から別の傭兵が斧で攻撃。
C級傭兵団ともなると所属している傭兵の質も高い。優れた腕力から繰り出される斧は、一撃で岩すら砕く威力を誇る。
だが、男はそれも素早く回避し、ステップを踏んで簡単に包囲を抜け出した。
再び包囲しようするも、地面から大量の煙幕が噴き出てくる。
(こいつ、足で仕掛けやがったな)
ステップを踏んでいたのは、足に仕込んだ発煙筒を地面に設置するためだったようだ。
ただでさえ暗い周囲が、黒い煙によってさらに黒に埋め尽くされる。クルマのライトがなかったら、ほぼ真っ暗になっていただろう。
メガネの男は指先が鉤爪状になっているグローブを装着すると、煙の中を駆け抜けて傭兵たちを切り裂いていく。
爪の切れ味はかなりのもので、金属製の鎧すら簡単に削られていった。
「くっ! このっ!」
ライトのおかげで煙の中にぼやっと相手の影は映る。
それを目印に攻撃するが、すでに男はそこにはいない。
背を屈めて足元に絡みつくような移動を繰り返し、すり抜けると同時に切り裂いて細かい傷をつけていく。
一つ一つは小さな傷だが、度重なる攻撃を受ければ大きなダメージとなる。鎧を貫き、皮膚を切り裂き、筋肉を断裂させる。
その際にまったく音がしないのも特徴で、ただただ闇の中で消耗していく恐怖に襲われる。
(この男、戦い慣れている! 油断したのはこちらか!)
メガネの男は油断していないどころか、あえて独りで向かっていくことでこちらを逆に油断させつつ、虚をついて一気に自分のペースに持ち込んだ。
黒い煙の効果も抜群で、相手の位置もそうだが、相当近づかないと仲間の位置すらわからない。傭兵たちの距離感を狂わせることにも成功していた。
「まずは耐える! 波動円を使って動きを見極めろ」
傭兵団も相手がやり手だと気づくと、即座に防御主体に切り替えた。
目だけではなく波動円も使い、感覚で位置を見極めようとする。このあたりの対応も的確で素早い。彼らも戦い慣れているのは間違いない。
がしかし、その行動もすでに予想の範疇だ。
傭兵が動きを止めて防御を固めた瞬間、距離を取った男が筒を投げつけてきた。
強烈な光が闇を切り裂き、一転してホワイトアウト。真っ白な世界で視力を失う。
それ自体はすでに波動円を使っており、目だけに頼らない戦いを想定してたため最低限の被害で済んだが、狙いはそこではない。
遠距離の間合いから男が手を動かすたびに、傭兵の顔に次々と切り傷が生まれていく。
一番近くにいた傭兵の目が抉れ、鼻が削げ、唇がズタズタに裂かれる。
もう一人の傭兵の喉も引き裂かれ、三人目の傭兵も指が切断されて武器を落とす。
それでもリーダーだけは感覚を頼りに飛び退き、肩に裂傷を負ったものの攻撃の回避に成功する。
(この感触、『剣衝』か! だが、速すぎて波動円だけでは対応ができん!)
波動円はたしかに相手の位置や動きを察知できるが、戦気を操る戦気術の技であるため、熟練していないと高速戦闘には対応できない。だからこそ彼らも防御主体で使う決断をしたのだ。
しかしメガネの男は、あの五本の爪(両手だと十本)から細かい大量の剣衝を放出して攻撃しており、威力を犠牲にする代わりに速度を最大限にまで上げていた。
探知した瞬間には、すでに身体を切り裂いている状態だ。
感覚だけで把握しようとすれば、身体が動かずに攻撃を受けるしかない。かといって身体を動かせば、感覚が鈍って相手の位置がわからない。
発光筒で視界を完全に奪ったのは、あえて相手に波動円を頼らせる状況を生み出し、素早い攻撃で翻弄して対応を後手後手にさせるためである。
その目論見通り、傭兵のうち二人はこの攻撃に対応できず、身体中から血を噴き出して倒れる。
塵も積もれば山となる。小さな攻撃を侮ってはいけない。
「くそおっ!! 隠れながら攻撃しやがって!! どこだ! 死にさらせ!!!」
このままではやられると、視力が回復した三人目の傭兵が、怒り狂って闇雲に突進しながら武器を振り回す。
だが、これでは思う壺だ。煙で視界が悪く、波動円も満足に使えない相手を崩すのは容易い。
メガネの男は滑るように接近し、背後に回り込むと両手の爪を傭兵の首筋に突き刺した。
「ごっごごっ…ごぼっ」
「オスの鳴き声ってのは、やっぱり醜いよなぁ。早く枯れちゃってよ」
首を引き裂く。
傭兵は大量の血を撒き散らしながら倒れ、そのまま絶命。
「そこか!!」
しかしながら、その声を頼りに位置を割り出したリーダーが、雷をまとった剣を叩き込む。
剣王技、『雷丞剣』。
因子レベル2で使える技で、雷気をまとわせた剣で切り裂く技だ。ガンプドルフが使った『雷鳴斬』を強化したものと思えばいいだろう。
不意の一撃だったが、メガネの男は背中に目があるかのごとく反応。
まるで体重や反動を感じさせない、かろやかな動きで飛び退いて回避する。
「ちっ、今のタイミングでかわすか!」
「仲間がやられても動じないし、判断力と反射神経もいい。やるねぇ。でも、もうすぐ死んじゃうのか。かわいそうになぁ」
「そいつはどうも。だが、死ぬのはお前だ!」
と言いつつ、リーダーはトレーラーに向かって大納魔射津を投げつける。
術具はサナだけが使うものではない。金がある傭兵ならば誰でも扱うことができる一般的な武器なのだ。
(この煙のいやらしいところは、あえてクルマのライトで影を作っているところだ。どうしてもあれに惑わされる)
生物の目は、動くものに反応するように出来ている。かすかにでも影が映れば、どうしても反射で目線が向いてしまうのだ。
メガネの男は、煙に隠れる動きや発光筒といった、闇と光を使い分けることで相手を惑わせる戦術を取っている。あれがある限り、また同じ方法で何度も撹乱されてしまうだろう。
案の定、投げつけられた大納魔射津に男は反応。クルマを庇うような動きから剣衝を放ち、空中で迎撃して爆発させる。
だが、攻撃を仕掛けた一瞬には隙が生まれるものだ。
ライトの前に飛び出たことで、メガネの男を完全に捉えることに成功する。
そこで『雷貫惇』の術符を取り出し、発動。
放出された強烈な雷が一直線に男に向かっていった。
(クルマか男、どちらかを仕留められる!)
もし男によけられてもかまわない。クルマを破壊できれば、今回はそれでも成功だった。
だが、男は素早く術符を取り出して対応。
水の壁が生まれると、雷を吸い込みながら微妙に角度をずらして誘導。雷撃はクルマを逸れて遠くに飛んでいった。
アンシュラオンがよく使っている『水泥壁』の術式版、『水防壁』だ。
雷貫惇のほうが威力が高く、貫通力があるために完全には防げないが、攻撃をずらすくらいのことはできる。これができるのも、防壁を発動する角度を的確に調整しているからだ。
つまりは、すでに相手が飛び道具を使うことを想定していた、ということである。
「酷いなぁ。貴重なクルマなんだ。壊さないでくれよ。お前、面倒くさいことするなら、そろそろ殺しちゃうよ?」
メガネの男の姿が黒煙の中に消える。
(また隠れて攻撃か! やつの攻撃は遠距離からの剣衝と、まとわりつくような近接攻撃だ。それがわかっていれば、発光にさえ注意すれば十分対応はできる!)
リーダーは今までの反省を生かし、かすかに生み出される影に注意しながら迎撃態勢を取る。
黒い煙に紛れて剣衝が飛んでくるが、慌てずに防御。かわすのは諦めて防御の戦気を増幅させて耐えることを選ぶ。
そして、ありったけの大納魔射津をばら撒いた。
見えないのならば、手当たり次第に爆破すればいいという考えだ。
しかし、それと同時に相手を確実に仕留める手も打っていた。
(またクルマを囮にして誘い出す。こうなれば近づくしかないだろう!)
リーダーは、周囲で爆発が起こっている間にクルマに向かって走る。
敵はクルマを壊されるのを嫌っているので、こちらを迎撃するしかない。
予想通り、メガネの男の接近を感知。波動円ではっきりと捉える。
(向かってくるのがわかっていれば、俺の波動円でも捉えられる! やつが間合いに入った瞬間―――)
と、リーダーが剣を構えた瞬間だった。
メガネの男の爪が―――伸びる!
「なっ―――」
この『中距離の間合い』を想定していなかったため、一気に十メートルほど伸びた五つの刃をよけられない。
そのまま―――串刺し
『剣硬気』を使って剣気の刃を生み出したのだ。
ただし、一つ一つは細めの刃とはいえ、五つも同時に操る段階で彼の高い技量がうかがえる。
「はは、引っかかった。誘い出す作戦は悪くなかったが、動きが単調になったのはそっちのほうだったな。完全に隙だらけだったぜ」
「ぬぐぐっ…貴様……どこまでも馬鹿にしやがって! それだけの技量があれば…普通に戦えるだろうが…」
「真正面から戦えって? それに何かメリットがある? 傷つかずスマートに綺麗に刈り取る。それが俺のやり方さ」
男は爪を薙ぎ払って、リーダーの胸と腹を切り裂く。
それと同時に接近すると、彼の腰に下げてあった袋から術符を盗み、身体に貼り付けてから背後に跳躍。
直後、術符が発動。
雷やら火やら水やらが噴き出し、属性反発を起こしながら爆散。
リーダーは身体がバラバラに吹き飛んで息絶える。
「術符はこうやって貼り付けて使うんだよ。よけられないからな」
こうしてリーダーを含む傭兵四人が殺害される。
多少時間をかけたが、何よりもメガネの男は無傷である。
ブルーハンター級を含む相手四人に対して、かすり傷一つ負っていない。一番怖ろしいのは、その慎重さと計算された戦い方だ。
まるでアンシュラオンがサナに教えたような相手をやり込める戦術を、さらに身体能力が高い武人が使うとこうなる、という良い見本であろうか。




