138話 「マキと小百合の旅路 その1『キャロアニーセとの対話』」
話は少し遡る。
アンシュラオンがグラス・ギースを出て行ってから、残されたマキと小百合は独自に行動を開始していた。
すでに宣言していた通り、彼女たちはまったく諦めていない。ホロロと同じく三十路前の彼女たちは、一度狙った獲物は逃がさないのだ。
「マキさん、アンシュラオン様の情報を入手しました! 今はハビナ・ザマにいるみたいですよ」
「すごいわ、小百合さん! よくわかったわね!」
「ふっふっふ。私の秘策が炸裂した結果なのです。このことから西ルートを通ってハピ・クジュネに向かったのは確定です。移動速度が遅いので馬車なのも間違いありませんね」
「私のほうも少しずつ真相がわかってきたわ。やっぱり領主がサナちゃんを拉致したのは間違いないみたいね。ミエルアイブ衛士長にも問い詰めたけど、必死に隠そうとしているのがほんといやらしいわ。あまりにムカついたから、ぶん殴ってやったのよ。五十回ほど」
「髭で有名な衛士長さんですね。こないだ見かけた時、顔の形が変わっていましたけど、やはりマキさんの仕業でしたか。逆にマキさんに五十回殴られて生きているほうがすごいと思います」
ミエルアイブは衛士隊の最高責任者であり、領主の側近として有名な男だ。
とはいえ基本的に失敗の尻拭いを全部押し付けられているので、マキの激しい詰問を受ける羽目になった哀れな人物でもある。
領主城での不始末を口外するわけにもいかず、ひたすら耐え続けていたが、人の口に戸は立てられないものだ。少しずつ情報も漏洩し、アンシュラオンの名前こそ伏せられていたが、結局は領主側が悪いことがわかってきた。
これにはマキも大激怒。
思わずミエルアイブをぶん殴ってしまったらしい。しかも五十発だ。
そもそもマキを止められる者が衛士隊にはいないので、彼女の怒りが収まるまで殴られ続け、ボロ雑巾のように投げ捨てられたという。
当然ながら上下関係を完全無視した暴挙なので処罰が下され、マキは一週間の謹慎処分を受けることになった。
ただし、なまじ中途半端に情報を隠したせいで、アンシュラオンが話した嘘に変な信憑性が出てきてしまい、それを鵜呑みにする羽目になったのは皮肉なことである。
「私の王子様を奪ったやつの下で働くなんて、もう無理よ! 衛士を辞めるわ!」
謹慎で一度仕事から離れたことで、「べつにもういいか」という思いが生まれてきた。
がんばって身を削って仕事を続けてきた人が、歳を取ってから独身のままで「なんでこんな人生を送っているんだ?」と我に返るのと同じである。
一度こうなったら、もう誰も彼女を止められない。
「私はもう二十八よ。今までずっと尽くしてきたのに給料も悪いし、周りにいる男たちは最低だし、何一ついいことがなかった。そんな中でようやく現れたアンシュラオン君を罠にはめるなんて…許せない!!」
「覚悟は決まったみたいですね」
「ええ、一度きりの人生だものね。愛に生きるのも悪くないわ。あなたに感化されたせいかしら」
「マキさんはもともと情熱的な人ですよ! そのほうが似合っています! では、すぐに追いかけますか?」
「そうしたいけれど、もう少し待ってくれるかしら。キャロアニーセ様に挨拶をしないと踏ん切りがつかないわ。『先生』のこともあるし…簡単に割り切るにはグラス・ギースに長く居すぎたのね」
「私はいつでも大丈夫です。マキさんが納得いくまで待ちますよ」
「ごめんなさいね。私の都合で遅らせてしまって」
「いいんですよ。マキさんが一緒に行ってくれるなら心強いですし、アンシュラオン様の動きは常に把握しておりますので!」
「それにしても、どうやって調べているの?」
「少々課長の弱みを握りまして、管理用のアクセス権限でアンシュラオン様のハローワーク利用履歴をチェックしているのです。口座情報も紐付けられておりますので、カード決済のログも手に取るようにわかります。先日はどうやらアズ・アクスの直営店で高級な刀を二本買ったようですね」
「そこまでわかるの!? でも、それって…いいの? 個人情報よね?」
「はい、違法です! 少なくとも職務規定違反ですね!」
満面の笑顔で答える小百合。
「ええええ!? 違法なの!?」
「大丈夫です! 処分されるにしても課長のほうが責任が重いですし、クビになったらなったで辞める口実にもなります!」
「そ、それで済むのかしら? いえ、済ましていい問題なのかしら?」
「マキさん、真実は普通のやり方じゃ絶対に手に入らないものなのです。領主城の一件だって、強引に問い詰めてようやく少しわかった程度ですよね? 都合の悪い真実は、いつも悪い人たちによって隠されているんです。それを暴くことは悪いことなのでしょうか?」
「それは…そうだけれど…」
「アンシュラオン様を思い出してください。自分からは何の文句も言わず、ただただ迫害を受け入れて去っていかれました。そんなことを許しておいてよいのでしょうか? 何もしないで黙っていることこそ、本当に悪いことではないんですか!?」
「っ……その通りだわ! 彼はいつだって言い訳をせずに真っ直ぐに歩いているもの。私たちが理解してあげないでどうするの! 小百合さん、ありがとう。私が間違っていたわ。悪人を捕まえるのだって腕ずくだけど、それが悪いことではないものね。私、目が覚めたわ!」
「わかってくださればよいのです!」
いろいろと盛大につっこみたいところだが、マキに対しては「アンシュラオン」という言葉を出せば、だいたい納得してしまうようだ。魅了とは本当に怖いものである。
そして、この段階で小百合がアンシュラオンの個人情報を盗み見ていることが判明。
かなり危険な行為であり、最悪はクビだけでは済まないかもしれない。巻き込まれて犠牲になる課長が哀れだ。
(小百合さんもかなり無理をして調べてくれているわ。その気持ちに応えないと! 私も覚悟を決めてキャロアニーセ様に会おう。そして、私の気持ちを伝えてみよう)
翌日、マキは領主城に赴き、領主の妻であるキャロアニーセに会った。
キャロアニーセはベルロアナと同じく金髪の美しい女性で、今は病に伏せているが、マキのために車椅子に乗って外に出てくれた。
マキが車椅子を押しながら、庭の花を見て回る。
「キャロアニーセ様、お身体のほうは大丈夫ですか?」
「ええ、まだまだ元気よ。本当は車椅子になんて乗らなくてもよいくらいだけど、周りがうるさくてね。年寄り扱いして失礼しちゃうわ」
キャロアニーセの病気は筋肉が徐々に弱っていくもので、常人ならばすでに寝たきりになっていてもおかしくはない。
いまだこうして自力で動けるのは、彼女が優れた武人だからだろう。病気にさえなっていなければ、マキより強いのは確実だ。
「懐かしいわね。初めて出会ったのは、あなたがまだこんな小さな頃だったかしら」
「はい、今でもよく覚えています。助けていただき本当にありがとうございました」
「そんなに畏まらないで。あなたは十分に、それ以上のものを返してくれたわ」
子供の頃のマキは孤児で、グラス・ギースの第三城壁内部で暮らしていた。
第三城壁内はアンシュラオンも通ったように、畑しかないような荒れた場所だ。城壁があるだけの荒野でしかない。
そこには街に入れない行き場のない子供がたくさんいるのだ。(そういう子供をモヒカンたちが狙う)
だが、当時は教育を受けられない貧しい子供たちのために、キャロアニーセが特別授業を開き、教育と生活保護を施す慈善活動を始めていた。
単純な慈善でもあったが、その目的の一つは優秀な人材を衛士隊に入れることだった。やはり公募だけでは優秀な者はなかなか現れないものである。
そこで武人としての資質を認められたマキは、キャロアニーセやアーブスラットという男から武術を教えられ、めきめきと頭角を現していった。
もしその出会いがなければ、彼女の人生はまったく違ったものになっていただろう。だからこそ今でもキャロアニーセのことは深く敬愛しているのだ。
「好きな人ができたって?」
「…はい」
「遅い!」
「へ?」
「もうっ、本当にずっと心配していたのよ。あなたって全然異性に興味を示さないし、近寄る男はすぐに殴り飛ばすし、このまま一生独身だったら私も死ぬに死にきれないもの」
「そんな! 死ぬなどと言わないでください!」
「たとえばの話よ。それだけ嬉しかったの。城での一件はごめんなさいね。あの人、西側との交渉で緊張してイライラしていたみたいで…。でも、危うく命を落とすところだったのだから、私がたっぷり叱っておいたわ。五十発で許してあげたけど、まだ足りないかしら?」
「じゅ、十分です」
マキの五十発制裁は、キャロアニーセ譲りらしい。
病に侵されていても武人だ。領主のアニルは、ミエルアイブ同様にボコボコにされたらしい。
「キャロアニーセ様は、どうして領主様とご結婚されたのですか? 南部の良家のお生まれでしたよね?」
「そうねぇ…どうしてかしらね。ある日突然、勉強のために留学してきたあの人に一目惚れされて、すごい口説かれたのよね。顔はまったく好みじゃないし、要領も悪くて見栄っ張りだし、臆病なのに横柄だし、ケチだし人の気持ちもわからない敵ばかり作るクズだし、ほんと困った人よね。だから五回は断ったのよ」
「五回もですか!? いえ、逆に五回も口説かれたのですか?」
「そういうところは諦めが悪いわよね。最初は哀れに思えて嫌々付き合っていたのだけれど、いつの間にかなんとなく一緒になってしまったの。今になって思えば、それも愛なのかしらね」
領主がボロクソに言われている気もするが、人生はいろいろ。愛の形もいろいろだ。
しかし、美女と野獣と罵られようが、キャロアニーセと結婚して娘も得たアニルは勝ち組なのかもしれない。
「アンシュラオンさんだったかしら? あなたが好きになった相手なら、どんと向かっていきなさい。きっと大丈夫よ。あの四大悪獣すら倒す人が、あなたくらい受け止められないはずがないわ」
「ですが…迷惑にならないかと怖くて…。私の一方的な好意ですし…」
「たった一回置いていかれただけでしょう? うちの人なんて、涙を流しながら何回も土下座していたのよ。ほんと馬鹿みたいね。でも、本当に貫きたいものがあるなら最後までやり遂げないと後悔するわ。私みたいに動けなくなってから後悔したって遅いのよ」
「…後悔していることがあるのですか?」
「過去に後悔はないわ。唯一あるとすれば、ベルを守ってあげられないことかしら。あの子はこれから多くのものを背負わなくてはいけないわ。嫌でも大人になっていかないといけないの。子供の心配をしない親はいないわ」
「申し訳ありません。自分のワガママで衛士を辞めるなんて…こんなにお世話になったのに、ベルロアナ様をお守りすることもできず…」
「あら、そういう意味じゃないのよ。あの子は甘やかされすぎているから、早いうちにガツンと痛い目に遭わないとね。だから今回のことは、とっても良いことだと思っているわ。ただ、本当に危ない時が来るかもしれないの。その時、もしあなたが近くにいたら守ってあげてくれる? それですべてチャラにしましょう。それなら気が楽でしょう?」
「はい、必ず! お約束します」
「さぁ、自信を持って。あなたは私のもう一人の子供なのですよ。お母さんに孫の姿を見せてちょうだいね。早く作ってくれないと、私の身体のほうがもたないかもしれないわよ」
「キャロアニーセ…様……」
「ファイトよ、マキ。あなたは自分で思っているより素敵な女性よ。楽しみに待っていますからね」
その言葉に、マキは泣いた。
そして、ついに都市を出ることを決意。
謹慎が明けた一週間後、マキは正式に除隊届けを出し、衛士を辞めるのであった。




