100話 「ハビナ・ザマを観光しよう!」
駐車場を出て、門を通る。
門には警備がいたが特に荷物チェックはされなかった。グラス・ギースのように武人にリングをはめることもない。
そもそも武人かどうかのチェックをしていない。完全にスルーだ。
(これだといくらでも悪党が入り込めちゃうけど、どのみち心の中まではわからないからね。どうせ不確実なものなら、いっそのこと廃止しちゃうって発想は嫌いじゃないな。それだけ自由がある証拠だもんな)
街であるハビナ・ザマが、グラス・ギースよりも経済的に発展している理由がこうした自由な気風にあることは間違いない。
人間は自由であればあるほど活動が活発になる。新しいアイデアも浮かぶし、試してみようと意欲的になる。失敗も怖れない。
反面カオスになりやすいが、特に経済面においては人と物の流れが重要なので、自由がもたらす恩恵は大きいのだろう。
柵を越えると、その先には綺麗な街並みが広がっていた。
地面はグラス・ギースと同じ石畳だが、しっかりと舗装されていて平らになっている。城壁もないので見通しはよく、遠くまで透けて見えるようだ。
植林したのか、本来ならば海辺にある樹木が道の両側に並べられており、水が蓄えられた池もそこらに見えるので、まるで港湾都市に来てしまったような錯覚を覚える。
おそらくハピ・クジュネの衛星都市であることを意識した造りなのだろう。外は荒野なので、そのギャップに驚く。
(グラス・ギースより綺麗だな。衛生環境も良さそうだ。雰囲気的にはシンガポールの街並みに少し近いかな? 外国の観光地に来た気分だ)
街に入った瞬間から土産物屋が並ぶ、あの観光地独特の空気。
また、どの店を見ても「~地方で有名の~」という売り文句が目立つ。交易が中心であるため、この街独自の特産品となるものは少ないのだろう。
だが、馬車が魔獣に襲われたように、一般人による都市間の移動が極めて危険なこの大陸では、他の場所の特産品が手に入るだけで十分満足なのだ。
その証拠に昼過ぎの街の中は、たくさんの人々で賑わっている。
「特に目的もないし、ぶらぶら歩いてみようか?」
「…こくり」
サナと手を繋ぎながら歩く。
入り口の土産物屋を抜けて、街の雰囲気を味わいながら進むと、徐々に露店が目立つようになってきた。
そこでようやく旅人が、この都市に【長期的に滞在しない理由】がわかった。
一杯のジュースが百円であったのだ。
(商品の値段が高い。グラス・ギースの倍以上…四倍近いかもしれない。いわゆる観光地のお値段か。某夢の国の物価の高さにも驚いたものだが、ここも同じなんだろうな)
グラス・ギース市民の平均月収が四万から五万だ。それを考えると一杯百円は相当高い。しかもまだ露店だ。これがレストランになったらどうなるのだろうか。
(まあ、オレは金があるから高くてもいいか)
せっかく観光に来たのだ。ケチケチしても仕方ない。
試しにジュースを売っていた露店に寄ってみる。
「おじさん、二つちょうだい」
「おっ、いらっしゃい。どれがいい?」
「サナ、どれにする?」
「…じー」
さまざまな色のジュースが並ぶ中、サナは青いものを見ている。
自分のジュエルと同じ色を選ぶあたり、ますますサナが可愛く見えてくる。
「この青いジュース、中身は何?」
「これはムニャロペという実を潰して、砂糖水と混ぜたものだよ」
「その実はどこで採れるの?」
「ここから南の荒野に生えているんだ。今の時期が一番採れるかな。なかなか美味しいよ」
「じゃあ、それにするよ」
「まいどあり! はい、どうぞ」
(毒見は…まあ大丈夫か。命気なら毒素も吸い出せるからな)
少し心配したが、そこまで怪しんだら普通に生きていけない。
サナに青いジュースを手渡す。
「サナ、ジュースだぞ」
「…こくり。ちゅー、ちゅー」
「どれどれ、どんな味かな」
一口飲んでみると、砂糖水の甘みの中に柑橘系の酸味が混じった味がした。
実を潰した時の残りカスが少し入っているので、その食感も味わえて悪くない。
「サナ、ベロを出してごらん」
「…べー」
「あはは、青くなってるよ」
「…?」
カキ氷を食べた時のように、ベロが青くなっていた。
サナからはよく見えないので、代わりに自分の舌を見せてあげる。
「ほら、オレの舌も青くなっているだろう? 色素が付いたんだ」
「…じー」
サナは、じっと不思議そうに見ている。
(子供に食べ物を買ってあげるのって、どうしてこんなに心が満たされるんだろう。これが小さな幸せってやつなのかな?)
誰もが経験するであろう些細なやり取りだが、ただそれだけなのにとても楽しい。
これも独りではけっして味わえない情緒だ。
「この街は初めてなんだけど、観光名所はあるの?」
「いくつかあるね。街の西には砂を噴き出し続ける『噴砂塔』ってのがあるし、ここから東に見える大きな山脈には、朝になると『桃幻廊』っていう光の橋みたいなのが山と山の間にかかるんだ。ホテルの上の階ならよく見えると思うよ」
「ホテルも多いらしいね。どこがお勧め?」
「そうだな…いろいろあるけど、値段を気にしないのなら『ハビナーホテル』が一番サービスがよくて、少しランクを落とすなら『ホテルZAMA』とかかな? 向こう側がホテル通りなんだが、目立つから行けばすぐにわかるはずさ。子供二人かい?」
「うん、兄妹で旅行中なんだ」
「それならハピ・クジュネ系列店の『クジュネホテル』もお勧めだね。プールもあって子供でも楽しめるって評判さ」
「ここって水はけっこう豊富なの?」
「特に困ってはいないかな。足りなくなったらハピ・クジュネから水を輸入すればいい。輸入といっても輸送費だけで水自体は無料なんだよ。ハピナ・ラッソも近いし、同じ衛星都市だから融通し合っている面もあるんだ」
「だいぶグラス・ギースとは事情が違うんだね」
「グラス・ギースから来たのかい? 俺は行ったことないけど城砦が凄いんだってね。一度は見てみたいもんだよ」
「領主がクソだから行かないほうがいいよ。市民の階級で明確に住む場所も分かれているからね。いい気持ちはしないって」
「そうなのか? こっちとはだいぶ違うんだな」
「ハビナ・ザマは誰が仕切ってるの?」
「観光協会の会長が街の代表者になってるね。それぞれの商業組合から一人ずつ役員を出して、その中から三年ごとに持ち回りで代表者になるんだ」
「随分と開かれた社会形態だね。階級とかはないの?」
「そういうのがあったら確執が生まれるだろう? 同じ商売人同士だしね。揉め事があったときに調停するくらいさ。あとは話し合いかな」
「この街って安全?」
「そりゃ長年やっていれば組合同士で揉めることはあるけど、旅行者には関係ない話だしね。おおむね安全だと思うよ」
「ハピ・クジュネも似たような感じの街なの?」
「規模は全然違うし領主様もいるらしいけど、上手くいっているんじゃないかな? 毎年、街への助成金の額も増えているからね。ハビナ・ザマも、もっと本家に近づけるようにがんばりたいもんだよ」
「いろいろ教えてくれてありがとう。ジュース美味しかったよ」
「ああ、ゆっくり観光を楽しんでくれ。ああそうだ、パンフレットをあげるよ。地図も載っているから参考にするといい」
コップを返却し、露店のおじさんと別れる。
それからもらったパンフレットを開いてみた。
最初に都市代表のコメントがあり、その次に各施設の説明と観光名所の案内が載っている。そこにもしっかりとハピ・クジュネの衛星都市であることが明記されていた。
どうやらハビナ・ザマにとって、ハピ・クジュネの後ろ盾は相当大きなものらしい。
実際に北西部最大の都市なので、もしこの街に何かあれば即座にハピ・クジュネから軍隊が派遣されるはずだ。この街の住人の安心感は、そこから生まれているものだろう。
(聞けば聞くほど、ここは擬似ハピ・クジュネといったところか。近くに住んでいる人間が本当のハピ・クジュネに行くには遠いから、ここで擬似的に楽しんで満足するんだな。無理やり真似ているんだから物価の高さは仕方ないか。しかしまあ、グラス・ギースのグの字も出てこない。完全に死んでるな)
ハビナ・ザマに入って五分で、グラス・ギースの死にざまを見てしまう。もう永遠にハピ・クジュネに勝てる気がしないが、そのほうがみんな幸せに違いない。
「サナ、噴砂塔を見てみるか?」
「…こくり」
露店でソーセージやお菓子などを買いながら、教えてもらった観光名所の一つ、噴砂塔を見に行く。
ハビナ・ザマの大きさは、柵で囲まれている範囲でいえば、グラス・ギースの一般街より少し大きいくらいだ。徒歩でも二時間も歩けば端まで行けるだろう。
この荒野に生きる人間の大半は足腰がしっかりしているので、人によっては一時間もあれば十分かもしれない。
アンシュラオンもサナを鍛えているため大人が歩く速度で移動。三十分もしないうちに目的地に到着した。
『噴砂塔』は名前の通り、地面から定期的に砂が噴き出している場所だ。
ただそれだけであるが周囲にはまたもや露店が並び、無理やり観光地化している様子が見て取れる。
(地下に源泉でもあるのかな? それとも風の通り道なのか? 水の代わりに砂が噴き出しているな うん…砂だな。砂以外の何物でもない。オレ自身はまったく楽しくないが―――)
「…じー」
「サナ、楽しいか?」
「…こくり」
「そうか。それならよかった。髪の毛に砂が付いちゃったな。ふきふき」
気分は娘に付き添う父親だ。とりあえず有名だから見に来た、といったところだろうか。
だが、それでもいい。サナが楽しんでくれるのならば自分も満足である。
その後もいろいろと名所を回り、だんだん日が暮れてきたのでホテル通りに向かう。
せっかく紹介されたので、『クジュネホテル』に泊まってみた。
噂のプールも各部屋にあり、入ってはみたものの、結局サナが命気でないと満足できなかったため、水を全部入れ替えて命気プールにしたという、どうでもいい逸話が出来てしまった。
夕食にはレストランで、船を模した器に色とりどりのおかずが乗った「ハピ・クジュネ式お子様ランチ」をサナに食べさせる。
サナは夢中で完食。楽しんでくれたようだ。
(なんだか急に環境が変わって驚きだな。オレは前の人生で慣れているけど、サナにとっては初めてのことも多かったかもしれない。それだけでも来た価値はある。明日はハローワークとアズ・アクス支店にでも行ってみるかなぁ)
そんなことを考えながら、サナと就寝。
強い武人であるアンシュラオンはほとんど寝ないので、愛らしいサナの寝顔を見つめながら一晩中うっとりしていたものである。