タイムマシンで何度でも
タイムマシンを完成させた時、エヌ氏は七十歳になっていた。その人生は研究に捧げる一生であった。
誰もいない研究室で、夢の完成品を見つめながら、それまでの苦難の日々を思い返してみるも、何一つ思い出せるものがないことに気がつくのである。
それも仕方のないことだった。なぜなら帰る家もなく、喜びを分かち合う友人も存在せず、それどころか話し相手となる家族すらいなかったからだ。
偉大な発明をしたというのに、その発明者の人生が寂しいものでは遣り切れないと考え、エヌ氏は人生を変えるべく、タイムマシンに乗り込むのだった。
向かった先は、五十年前の世界だった。つまり大学時代の自分に会いに行ったわけである。
どこで何をしているのか把握しているので、図書館の前で簡単に見つけることができた。そこでエヌ氏は自分に話し掛けるのだった。
「私は五十年後の未来から来た君だ」
そう言って、腕に負った火傷の痕を見せると、二十歳のエヌ氏はコクリと頷くのだった。
「タイムマシンを完成させたのですね」
「さすが私だ。理解が早い」
そこでエヌ氏は構内のベンチへ座るように誘い、改めて訪問した理由を説明するのだった。しかし、話を聞き終えた若いエヌ氏は困惑するばかりであった。
「つまり不幸な老後は、二十歳の僕に原因があるとお考えなわけですね」
「なにも君を責めているわけではない」
「でも、こうして僕に解決を求めているではありませんか」
「これは君自身のためでもあるんだ」
そう言われても、若いエヌ氏は首を捻るばかりであった。
「夢を叶えたのに、それ以上、何を望むというのですか?」
「今の君には分からないだろうが、必ず後悔する」
「それで恋人を作れと?」
「恋愛や結婚が研究の障壁にはならないと、多くの科学者が証明している」
「それくらいは今の僕にも理解できます」
「だったら頼みをきいてくれ」
その時、若いエヌ氏は図書館へ向かう一人の女学生に目を向けるのだった。
「君が彼女に好意を寄せていることは知っている」
「当然でしょう、自分のことなんですから」
エヌ氏は図書館でいつも隣に座る女学生に恋をしていた。
「お願いだから、彼女に告白してほしい」
「あなたにできなかったことを、僕にやれと?」
「それが君のためなんだ」
「自分のためでは?」
エヌ氏がキッパリと否定する。
「過去を変えたところで、幸せを実感できるのは君だけだ」
「思い出じゃ空腹は満たせないということですね」
「そういうことだ」
若いエヌ氏が哀れな老人を見る。
「デートに誘っても断られるかもしれませんよ?」
「構うものか」
「他人事ですね」
「まさか、それを自分に言われるとはな」
笑顔で別れた後、エヌ氏は成り行きを見守ることなく、すぐにタイムマシンに乗って元の世界に戻るのだった。帰れば結果を知ることができるからである。
「なんてことだ」
研究室に戻ったエヌ氏は、人生に何一つ変化が起こっていないことを知った。新しい家族がいることもなく、記憶すら変わっていないのである。
「私はどれだけ物分かりが悪いんだ!」
すぐに頭を切り替える。
「二十歳の若者では聞く耳を持たぬわけだな」
ということで、今度は三十歳の自分に会いに行った。
その頃のエヌ氏は民間企業で特許開発の研究に明け暮れる毎日で、私財を貯め込みながら、独立を夢見ている時期であった。
「お久し振りです」
研究室を訪ねても、若いエヌ氏は驚いた顔を見せることはなかった。
「私が何の用で訪ねたのか、君に分かるかね?」
「お怒りのご様子ですが、まずは座って話しましょう」
年の違う同一人物が、応接室で向かい合って腰掛けるのだった。そこで未来から来たエヌ氏が問い掛ける。
「なぜ君は、私の要求に従わなかったのかね?」
「従いましたとも」
「従った?」
「はい」
老人が記憶を探る。
「そんな憶えはないが?」
「僕も、あなたに会うまで忘れていました」
「本当にデートに誘ったんだろうな?」
「もちろんです」
「何があった?」
若者が記憶を探る。
「ああ、そうそう、お互いに自分の研究にしか興味を持てなかったんですよ」
「それで上手くいかなかったと?」
若者が首を振る。
「いえ、その後の人生は順調そのものなので、上手くいったということです」
「そういう屁理屈は止さないか」
老人が気を取り直す。
「近く、上司から縁談の話がある」
「信じられませんが、あなたが言うのなら本当なのでしょうね」
老人が述懐する。
「私はそれを断ってしまった。思えば、それが分岐点だったのかもしれない。いや、ラスト・チャンスだったのだ。その時に結婚していれば、今ごろ家族に恵まれていたに違いないはずだからな」
老人が改めてお願いする。
「どうか、私のため、いや、君のためにも縁談を受けてはくれぬか? とてもよく出来たお嬢さんで、研究の邪魔になるような人じゃないことは、私が保証しよう」
若者が悩む。
「縁談ねぇ」
「何を悩む必要がある?」
「いきなり結婚と言われましても」
老人が笑う。
「そうか、今の君は縁談を断った時の私だったな」
「あなたが誰よりもご存知のはずです」
老人が真顔で詰める。
「だが、あの頃の私と違って、今の君には未来から来た私がいるんだ」
「なるほど、状況が違うわけですね」
「頼まれてくれるか?」
「前向きに考えてみます」
老人にとって満足のいく答えだった。なぜなら、自分の助言に従ってくれたという過去の行動実績があるからだ。
笑顔で別れた後、エヌ氏は結果を知るべく、すぐさまタイムマシンに乗り込むのだった。
「どうしてだ!」
元の世界の研究所に帰ってきたものの、今回も何一つ変化が起こっていなかった。これにはエヌ氏も理解ができないといった様子であった。
「今度は結婚するまで見届けてやるぞ」
そう言って、四十歳のエヌ氏に会いに行くのだった。
その頃のエヌ氏は潤沢な私財を投じて研究所を立ち上げたばかりの時期である。若くはないが、人生で最も脂がのっていた時であった。
「お待ちしていました」
自宅と兼用している研究所を訪ねると、中年のエヌ氏が笑顔で出迎えた。
「さぁ、お入りください」
老年のエヌ氏が案内されたのは所長室であった。そこにある椅子は、その後三十年も座り続けることになる、たった一つの居場所でもある。
「どうぞ、お掛けください」
「そこは君の――」
中年のエヌ氏が遮る。
「あなたの椅子です」
老年のエヌ氏が頷く。
「年寄りなので、譲られるとするか」
そこで中年のエヌ氏が机の前に立ち、向かい合った。
「訳を聞かせてもらおう」
未来の自分が過去の自分に尋ねた。
「私が縁談を断ったのは、あなたと同じく、タイムマシンを完成させる夢を叶えるためです」
未来の自分が溜息をつく。
「それが煩わしい人間関係から逃れる言い訳だと、私が知らないとでも?」
「もちろん、私も分かっています。ですが、実際にあなたは夢を叶えたではありませんか。ならば、その過去を何一つ変えてはいけないんですよ」
未来の自分が深い溜息をつく。
「なるほど、やはりタイムマシンでは、どうやっても過去を変えられないということか。何をしても一つの世界に収束されるわけだな」
過去の自分が首を振る。
「それは、まだ分かりません。あなたや私も試したわけではありませんからね」
未来の自分が問い詰める。
「では、なぜ試そうとせんのだ?」
「それは最初に話したはずです」
エヌ氏が思い出す。
「夢か?」
「あなたの夢は、私の夢でもあるのです」
過去の自分が未来を見つめる。
「夢が叶うと知った今、どうしてその人生を変えられるでしょう。あなたと出会って、私はあなたと同じ人生を歩んで行きたいと思いました。それが私の望む未来だからです」
それに対して、未来は反論しなかった。
「あなたの孤独、あなたの恐怖、あなたの虚しさ、それをそっくりそのまま私も体験したいと思います。あなたのことを真に理解できるのは私だけですが、私はあなたを誇りに思う、それだけでは不満ですか?」
その言葉を受け、未来の自分は未来へと帰り、二度と過去へ戻ることはなかった。