複雑な人達
その人と出会って、私――三奈木桜子は運命というものを信じたくなった。
「ねぇ、そこの君」
「はい?」
振り向いた先にいたその人は、思わず息を飲んでしまう程、綺麗な顔立ちで。
制服から、同じ高校の生徒なのだと分かった。まるで水晶のように澄んだ瞳と、ウェーブの掛かった栗色の髪が、私の視線の自由を奪う。
「これ落としたでしょ? ハンカチ」
一言一句を紡ぐ度に動く唇が、心の動揺を促す。
「えっと君……聞いてる?」
これはあれだ。
「おい、君ってば」
間違いない。
「生きてますか〜?」
ズバリ恋ってやつですよ!!!
「駄目だこりゃ」
そんな朝の通学路での出来事である。
「――ってわけなの、蓮ちゃん!!!」
今朝の回想を実演し終えた私は、教室の机の上にお弁当を広げているクラスメイトに向き直った。
「はあ」
「本当に格好良かったんだよ〜? 蓮ちゃんも見たら惚れちゃうよ、絶対!」
蓮ちゃんは「へぇ、そうなの」と気のない返事。
私は、ばんっと机を叩く。お弁当箱が軽く飛び跳ねた。
「幼馴染みが恋の相談をしてるのに、何を呑気にランチタイム!? ていうか、その卵焼き美味しそう!」
「いや、だって今お昼休みだし。他にいつ食べろって言うわけ?」
「授業中に教科書の影に隠しながら!」
「早弁ならぬ遅弁ですか」
勘弁して下さいよ、という顔をする蓮ちゃん。
だが今は、そんな悠長に構えている暇はないのである。空腹など、今私が直面している問題に比べれば、ゾウの足元のアリに過ぎない。
ちなみに私は遅弁する予定だ。
「いい、蓮ちゃん? 既に私は、その人について色々と調べてあるの。名前は水瀬優希先輩。二年生で、陸上部のエース。百メートル走でインターハイにも出場したことがあるんだって!」
「ああ、あの有名な。なかなか人気あるらしいね」
「なっ、駄目だからね蓮ちゃん!? 横取りなんて絶対に!」
「さ、桜子、目が血走ってるよ目が。それと顔近い!」
私は蓮ちゃんから顔を離すと、ぐっと前で握り拳を作った。
「とにかく、ここからが本題! ズバリ今日――」
その場で三回転。私は蓮ちゃんに、びしっと人差し指を向けた。
「私は水瀬先輩に告白しようと思うのです!!!」
「展開早いな、オイ」
「早くないよ。むしろ遅いくらい!」
調べによると、水瀬先輩の人気は校内でも五本指に入る程。ライバルは非常に多い。
だから、行動は早ければ早い方がいいのだ。早過ぎるなんてことはありはしない。
バトルはリアルタイムで進行中なのである。
「まあ、それは分かったけどさ……そこまで自分で決めてるなら、何でわざわざ他人に相談する必要があるわけ?」
「だってぇ……」
私だって一応、乙女だし。
「やっぱり告白はそれなり恥ずかしいというかぁ、誰かに背中を押して欲しい気分?」
「また何とも半端な行動力ですな……ていうかさ。そもそも告白どうのこうの以前にね……」
蓮ちゃんはまだ腑に落ちなさそうな顔。
「大丈夫! 私はきっとこのバトルに勝つよ! 蓮ちゃんから勇気も貰ったし!」
胸を叩いてみせる。
「いや、だからさ……」
「打倒水瀬先輩!!!」
私は決意を胸に秘め、勢い良く拳を振り上げたのだった。
「駄目だこりゃ」
放課後、水瀬先輩の部活が終わる時間を見計い、私は校門の所で待っていた。
先輩は私の姿を見つけると、
「あれ? 君は確か今朝の……」
「三奈木桜子です! 今朝はハンカチを拾って頂き、どうもありがとうございました!」
頭を下げる。水瀬先輩は手を横に振った。
「いやいや、そんなことで頭なんか下げなくてもいいよ。困った時はお互い様だから」
照れた笑顔を浮かべる水瀬先輩。
胸の鼓動が次第に高まってゆくのを感じる。
私は、覚悟を決めた。
「水瀬先輩!」
「うん?」
「私と付き合って下さい!!!」
……果たして、賽は投げられた。後は良い目が出るのを祈るのみ……なのだが。
水瀬先輩は瞳を瞬かせた。
「……え〜と……ごめん。言っている意味がよく分からないんだけど……」
「私じゃ駄目ですか!?」
「い、いや、君は可愛いと思うよ。そうじゃなくて」
「じゃあ、どうして!?」
一体何がいけないというのか。
水瀬先輩は困ったような顔をして、言った。
「私、女なんだけど……」
翌日。桜子の荒れようときたら酷かった。
「うわぁぁぁん、フラれたぁぁぁ――ッ!!!」
当然の結果だろう。世間一般からすれば、同性愛者は少数派である。
桜子は教室の机から顔を上げると、ぐわしと肩を掴んできた。
「蓮ちゃん! 私の何がいけなかったの!? 私ってそんなに魅力ない!?」
そもそも前提が間違っている気がするのだが、そんなことは口が裂けても言えない。
がくがくと桜子が体を揺らしてくる。
「女の子として何が足らなかったの!? ねぇ、教えて蓮ちゃん!!!」
「いや、そんなこと――」
口から深いため息が漏れた。
「男の俺に言われても……」
本当、コイツにとって何なんだろうね、俺って。
まぁ……何だ。
世の中、色々と複雑である。