第十七話 ……腹を切れば許してくれますか?
「それじゃ、聞くこと聞いたし神サマは腹ごなしに散歩してくるねー」
「あ? え? そ、それなら、ご主人を――」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。神サマ一人でへーきだから」
間の悪いことに、リンは隠れ家の周囲を見回り。カヤノは自分の畑へ埋まりに行っている。
トールはマンガの作業中だろうが、エイルフィード神を野放しにするぐらいなら、中断させられても文句は言わない。むしろ、感謝するぐらいだろう。
けれど、天空神はそんな事情を斟酌せずひらりと出て行ってしまった。
「はっ……。思わず、見送ってしまった」
その姿があまりにも神々しくて、アルフィエルは動くタイミングを逸する。慌ててトールの部屋へ駆け込もう……として、さっきの話が脳裏をよぎる。
「今、顔を合わせるのか? ご主人と?」
短い葛藤。
だが、トールを呼び出したそのときには、家の周囲にエイルフィード神の姿はなくなっていた。
無駄足を踏ませてしまい、ダークエルフのメイドは申し訳なさそうに頭を下げる。
「これなら、自分が一人で追うべきだったな。すまない、ご主人。完全に判断ミスだ」
「相手が相手だから仕方ないさ。俺も気分転換がてら、その辺を見て回ってみるよ」
「自分も……」
「いや、アルフィは後片付けがあるだろ」
そこまで大げさにする必要はないさと、トールが一人で出かけていく。
そのとき、エイルフィード神はなにをしていたのか。
「リンちゃんが普段なにをしているのか。ちょっと不思議だったんだよね~」
「うわうっ。かかかか」
「はいはい、神サマだよん」
森の中で、剣を抜いて瞑目していたリンの背後に出現していた。
まったく気配を感じられず、エルフの末姫は文字通り飛び上がるほど驚いた。ただし、剣はその手から放すことはない。
「こんなところで、鍛錬していたんだ」
「鍛錬というほどのことではないですよ。ただ、理想の太刀筋を思い描いているだけで」
「それを達人の人は、鍛錬とか稽古とかいうんじゃないのかな? かな?」
「達人の人だなんて、そんな。私なんて、大したものじゃありませんから」
ぶんぶんと首を横に振るが、自己評価が低すぎることはエイルフィード神も理解している。
だからというわけではないが、少し意地悪をしたくなったようだ。
「ちょっと、神サマと手合わせしてみようか?」
「はうあっ」
思いがけない言葉に、リンはずざざっと数歩後ずさり土下座した。あまりにも自然で、違和感の欠片もない動作。当たり前すぎて、その動きの美しさにも気付かせない。
熟練の土下座だった。
「そんな畏れ多いを通り越して、これはあれですか? トラップですか? 辞退しても不敬。受けて一太刀当てられたりしたら、やっぱり不敬で処罰みたいな!?」
「へえ……神サマに当てるつもりなんだ?」
「……それが、トールさんのためになるのであれば」
顔を上げて、リンは決然と言い切った。
そこに迷いの色は皆無。
「唐突だけど、ひとつ聞きたいことがあるんだよね」
「このまま手合わせの話がなくなるのでしたら、是非是非」
「リンちゃんは、トールくんのどの辺が好きなの?」
「はうあっ」
短い悲鳴。
この程度は予想通りと、エイルフィード神は余裕で待ち受ける。
しかし、一分待っても五分経ってもリンのリアクションはなかった。
「ええええ? ちょっと、リンちゃん? リンちゃん、目を醒ましてっ」
「……はっ。一体なにが? 夢? エイルフィード様に、私がトールさんをお慕いしている理由を尋ねられる夢なんてリアリティがありすぎて困ったことになるところでした。危ない、危ない」
「ごめんだけど、現実なんだよ……?」
「……腹を切れば許してくれますか?」
「それで許さないとか、どんだけ狭量な神なの!?」
肩を掴んでいた手を放し、エイルフィード神は額の汗を拭く。
ある意味、神でも勝てない存在だ。
「うんうん。リンちゃんも合格っ」
「ええ? いつのまに試験が!? はっ、つまり神は生き様そのものが人に試練を与えるモノだという!?」
「そうそう。神サマは、神サマだからねっ」
「普通に嘘っぽいな、それ」
「ラー! うそつき、どーぼう!」
そのとき、嘘つきは泥棒の始まりと言いたかったのだろうカヤノと、聖樹の苗木を抱いたトールが姿を現した。
「って、トールさん、カヤノちゃん!? い、今の話、聞いてましたか? 聞かれていましたよね?」
「いや、夢だとか合格だとか、そんな話しか聞いてないけど?」
「ラー!」
「ごめんなさいごめんなさい、答えられないわけではなかったんです。ただ、私にとってトールさんがどんな存在かを考えていたら、こう、無限に広がる漆黒の空間に囚われ、私の根源的な部分と相対さねばならなったと言いますか」
「コズミックホラーなの? まあ、いいから落ち着こう」
「はい! 落ち着きました!」
トールの言葉ひとつで一瞬して復活したリンが、土下座の姿勢から一変。元気よく立ち上がった。
それを確認したトールは、エイルフィード神へと視線を移動させる。
「意外と、早く見つかったな」
「そんなことよりも、神サマは泥棒じゃないよ」
「心も盗めなさそうだな」
「それは、トールくんに任せてるからねっ」
「やぶ蛇ッ」
別に盗むとか、そういうつもりはないと言い訳するトールをスルーして、エイルフィード神
はカヤノへと近付いていく。
「カヤノっちは、トールくんのこと好き?」
「ぱー?」
「どう思ってるの? 神サマにだけ、ちょっと聞かせて欲しーな」
そう言って、カヤノの口元に耳を近づけるエイルフィード神。トールは、このままでいいのか、それとも不躾な天空神を止めるべきなのか迷う。
一方、当事者であるカヤノは、両手で拳を握っていやいやをするように腕を動かす。
照れていた。
「むぁー」
とても珍しいリアクション。
それでも素直で純真なカヤノは、エイルフィード神の求めに応じるまま、耳元でささやいた。
「…………しゅき」
「そっか、トールくんのこと、しゅきかー」
「めー! いっちゃ! めー!」
言っちゃ駄目と、再び両手を振り回す。
実に、微笑ましい光景だ。
「いやはや。愛されてるね、トールくん」
この上ない回答を聞き、エイルフィード神は嬉しそうに親指を立てた。
「唐突に、なにをやってるんでしょう?」
「ん? しいて言えば、興味本位のアンケート?」
「最悪だっ」
リンの反応からすると、同じことを聞いているのかもしれない。
もしかすると、アルフィエルにも……。
「これなら大丈夫……だね」
「大丈夫って、一体なんの話なんだ?」
「いや、神サマは神サマだから、ある程度平等に接しないといけないってことだよ」
「さっぱり分からない……」
分かるように言っていないので、当然だろう。
トールはカヤノを抱いたまま、エイルフィード神から距離を取った。
そして、わざときつい視線を向ける。
「ちゃんと分かるように話してくれないと、アルフィに言っておやつ抜きにするぞ。みんなで」
「殺す気!?」
「むしろ、試食に加えておやつまで食べてるのどうなの?」
「えー? まあでも、おやつには勝てないよね」
天空神は、あっさりと降参した。
それでも、答えをぼかしてトールへ伝える。
「そうだね。ま、ちょっとした試練が降りかかるかもしれないけど、この分なら」
「試練? ……って、それじゃやっぱり、ただ休暇で来てるわけじゃ――」
「――休暇だよ」
その声は、エイルフィード神のものとは思えないほど冷たかった。
トールは固まり、リンも動転してあたふたしてる。カヤノだけは、アホ毛と一緒にクビを傾げていた。
「休暇中に、ちょっとだけお仕事を挟んじゃうかもしれないけど休暇なんだよ。いいね?」
「あ、はい」
その圧力は、激務から逃げたトールには抗しがたく。
追及は諦め、ただこくこくとうなずくことしかできなかった。
自分で言っちゃいますけど、カヤノかわいくありません?




