第九話 だから、神サマは子供たちが大好きなのさ
「ジー」
「じー」
「…………」
手元をのぞき込む、ふたつの視線。
努めてそれを無視しつつも、トールはやりにくさを感じずにはいられなかった。
自室の森という、文字にするとわけの分からない空間。
切り株のテーブルに陣取ったトールは、左右を神と愛娘に挟まれている。やはり、文字にするとわけの分からない空間だ。
カヤノの身長を測っていたら、エイルフィード神が降臨し、そのままなし崩しに共同生活が確定した。
それがほんの一時間前の出来事とは、未だに信じられない。
それでも、トールは文字でプロットを記したノートを参照しつつ、鉛筆書きでネームを切っていく。
以前リンやアルフィエルと話し合って決めた、主人とメイドとエルフのお姫さまのラブストーリー。
その第一話のプロットが、ようやく固まったのだ。
プロットは、どんな話にするか文章で大まかにまとめた物といえるだろう。
トールはだいたいのあらすじを文字で起こした後、ページ数を調整したり、話のつじつまを合わせたりして、わりと細かいところまでこねくり回している。
サークルのメンバーには、いきなりネームを切るような天才もいたし、まるで小説のようなプロットを書く人間もいた。
この辺りは、これが正解というものではない。個人個人で千差万別といったところだろう。
「ジー」
「じー」
「…………」
ネームは、プロットを元にマンガの形に書き起こしていくものだ。下書きの下書きといってもいいかもしれない。
人物は、キャラや表情が判別できる程度。台詞やコマ割りに注意しつつ、状況が分かるようになっていれば、問題はない。見せるべき編集者もいないので、トールさえ理解できればいい。
中には、これもう下書きどころか、原稿そのものにしか見えないネームを切る天才もいた。残念ながら、トールはそんな天才ではないので、カヤノやエイルフィード神には分かりにくいと思われたが……。
「いやぁ。面白いねぇ」
「ラー!」
なぜか、二人には好評だった。
「雇用者と被雇用者の身分の違いが葛藤になって、物語に深みを与えているわけだね。神サマ的には、結局全部我が子じゃんって感じだけど」
「それ、近親相姦認めるみたいになってるじゃん。業と懐が深すぎる」
「大丈夫。ちゃんと、その辺も理解してるから」
「というか、ラフすぎて意味が分からないんじゃ?」
トールは、恥ずかしさに耐えかねて鉛筆を置いた。
特に、カヤノは文章も読めないからますます意味不明だろう。
「神サマ的には、絵だけで世界が生まれるところがすっごく面白いよ」
「種族ひとつ創造できる相手に言われても困るというか、なんというか……」
「ん~。でも、ほら。神サマ的には、奇跡でちょちょいのちょいって生み出すだけで。それも、必要があってやるだけだからね」
創造と芸術は違う。
そう言って、エイルフィード神はくしゃりと笑った。
「だから、神サマは子供たちが大好きなのさ」
「肝っ玉母さん、再び……」
まあ、この神様ならなんでも喜びそうだ。
カヤノも、きっと内容ではなくお絵かきという行為に興味を持っているのだろう。
もしかしたら、紙と鉛筆を与えたら天才的な才能を発揮するかもしれない。
あり得る。
充分にあり得る話だ。
そんな親ばかの妄想から、エイルフィード神がトールを呼び覚ます。
「リンちゃんとかアルフィちゃんも、一緒に見学すればいいのにね」
「ラー!」
「それは止めよう。俺に効く」
リンとアルフィエルは、カレー再現のため台所で計画を立てている。
まずは、トールのあやふやな記憶と、エイルフィード神の適当な知識で香辛料の種類や配合を割り出そうとしているようだ。
「なにが悲しくて、本人をモデルにしたマンガをその目の前で描かなくちゃいけないんだ」
「トールくん的には、寿命の件で急いで描こうとしている感じ?」
軽い口調だが、突然核心を突かれ、トールはペンの動きを止めた。
「誰のせいでもないってのは、理解してるけど……。まあ、焦りはするよな」
エイルフィード神でも防げない、完全なアクシデント。
それは仕方がないと納得しているが、老いないし寿命も数倍になるよと言われたら焦る。
「永遠の命なんて、創作の敵みたいなもんだからな。実際は、永遠じゃないらしいけど」
「エルフの大人たちが枯れちゃってるところを見て、今のうちにマンガ描かなきゃって思ったわけだ」
「……そこまではっきりとしたヴィジョンがあったわけでもないけど」
単純作業に嫌気が差したのも、間違いない。
「神サマ的には、ちょっと焦りすぎかなって思うよ。リンちゃんとかアルフィちゃんと一緒にいたら、枯れる暇もないし」
「確かに……。退屈はしないというか、神様まで降臨なさってるしな」
「あ? でも、二人相手だと別の意味で枯れちゃうかも?」
「セクハラぁ!」
「らー?」
「カヤノは、このお姉ちゃんの言うこと聞かなくていいからな」
「やった、お姉ちゃんだって。神サマ、まだ若いほうにカテゴリされてるっ」
「そういうところだからな」
シリアスが続かない天空神に渋面を向けるが、これもやはり喜ばせるだけだった。
大人しく、作業に戻ることにする。
だが、その直後にトールの手は止まった。
プロットでは、主人公が初めてダークエルフのメイドを意識するシーン。
新しく採用したダークエルフのメイドが、ジャムを作っている場面だ。
「あ、そういえばカヤノ」
「ラー?」
「ジャムの件もあるから、今日はおやつ抜きな」
「らー……」
悪いことをした自覚はあるようだ。
しょぼくれるカヤノに、思わずやっぱなしと言いたくなる。
けれど、トールはぐっと耐えた。
「俺も、今日はおやつ抜きにするから」
「ええっ!? それ、神サマもおやつ食べられないヤツじゃない? イチゴジャムぅ……」
カヤノ以上にしょぼくれるエイルフィード神。
ぺたりとテーブルに突っ伏す情けない姿を晒している。
だが、不思議と、トールに同情の念は湧かなかった。
なぜか、お母さんが家事をする間に子供の面倒を見るお父さんになってない?




