第八話 そちらで異変が起こっていないか?
「トール、そちらで異変が起こっていないか?」
「……」
開口一番、勢い込んでくるウルヒア。
着信を受けた瞬間に心配気でシリアスなウルヒアが投射され、トールは思わず黙り込んでしまった。
こんなに心配してくれているエルフの貴公子へ、真相を隠さなければならない。
それが結果としてウルヒアの気苦労を軽減させるものだとしても、どうしても罪悪感はある。
「ウルヒア兄さま、異変ってどういうことですか?」
「聖樹が、突然実を付けた」
その反応を異変の予兆と受け取ったのか。ウルヒアが、単刀直入に連絡してきた理由を告げた。
「しかも、それをそっちに送るよう神託が下ってな」
「それは確かに一大事……っぽいな」
聖樹の実。
果たして、どれだけの価値があるのか。トールはよく知らなかったが、左右で息を飲むダブルエルフの反応でだいたいのところは察せられた。
「カヤノには、なにも起きてねえよ」
「……本当か?」
「嘘をついてどうするんだよ、というか、本人ここにいるだろ」
「かーの! げーき!」
カヤノ! 元気!
舌っ足らずに主張しながら、トールの膝に飛び乗った。元気なのは、疑いようがない。
「てっきり、聖樹の苗木に問題が起こって、治療のために実を与えられたのかと思ったのだが、違うのか……。では、どうして……?」
ウルヒアはエイルフィード神が降臨した事実を知らない。まったく、幸運なことに。
そのため、カヤノに聖樹の実を与えなくてはならない事態が起こったと誤解したのだろう。もしかすると、その関係者。トールたちになにかとまで、考えていたのかもしれない。
実際のところは、エイルフィード神への献上品として産み落とした物のはずだ。
「いや、なにもないわけじゃなかった」
「やはり、なにかあったのだな?」
「今朝、2センチもカヤノの身長が伸びてた」
「……脅かすな」
「はあ? うちの娘の成長を喜ばないとか、どういうことだよ? 革命起こすぞ?」
トールが通信の魔具越しに因縁を付けると、ウルヒアは軽く肩をすくめた。付き合っていられないと、言葉ではなく表情で伝える。
「ご主人。革命が起こると、トゥイリンドウェン姫が処刑されてしまうのではないか?」
「大丈夫。目指すのは立憲君主制だから。リンには、傀儡になってもらう」
「安心しました!」
安心したのは、ウルヒアのほうだろう。
なにも言わないが、視線は少しだけ優しくなった。
真相を知ったら、文字通り魂が消えたような状態になってしまうはずだから、これで正解だ。
「ところで、トール」
「まだ、なにかあるのかよ」
「後ろで、ちょこまかと動いたり、こちらへ手を振ったりしている女性は何者だ?」
しまった。
ウルヒアに負けず劣らず安心していたトールの表情が強ばる。
まだ、エイルフィード神そのものがいた。
出てくるなと言っても不可能だろうから、許可あるまで黙っているように伝えたところ、後ろでわちゃわちゃやっていたらしい。
「僕の《診断眼》でも、何者か分析できないぞ? 一体、何者だ?」
「通信の魔具越しだからじゃねえ?」
「そんなことはないはずだが……ないな」
トールか誰かを診断し直し、通信の魔具を通してでも関係ないことを確認したらしい。
下手なことは言えない。
だから、トールは本当のことを口にした。
ただし、一部だけ。
「……うちの地下にあった神像だ」
「……また、妙なルーンを作ったのか?」
ウルヒアは、エイルフィード神本人だと思いもしない。当たり前だが。
「ルーンで命と意思を与えたホムンクルス……のようなものか? まったくの新種族だから、僕の《診断眼》にエラーが出たということか」
完全にというわけではないはずだが、ウルヒアは自らの推論に納得する姿勢を見せた。
実際には《診断眼》の許容範囲を超えてしまったからなのだろうが、それとトールが無茶をする可能性を天秤にかければ、後者に傾くのは道理だ。
「俺の故郷じゃ、そういうのはアンドロイドっていうな」
「はーい! アンドロイドのエールちゃんだよ」
「……ほどほどにな」
あまりにもフレンドリーでフリーダムなタイプは苦手なのだろう。あっさりと話を打ち切ってしまう。
ウルヒアは、エイルフィード神本人だと思いもしない。正気な証拠だ。
「無茶をやる時は、リンとアルフィに相談してからにするよ」
「僕にしろ、僕に」
頭がいいと、勝手に裏読みしてくれるから助かる。
トールは、嘘をつかずに切り抜けられたことにほっとする。
嘘をついていないだけで詭弁もいいところなのだが、ウルヒア相手には有効だ。
仮にばれたとしても、「嘘は言ってない」と強弁すれば、「確かにそうだな……」と矛を収めてくれることは確実。
少なくとも、トールの脳内ウルヒアは、そういうエルフだ。
「それで、聖樹の実はどうする? こっちから届けに行ってもいいし、こちらに来るつもりならそれでもいい」
「エールちゃん、王都も見てみたいな」
「グリフォンを使いに出すから、それで送ってくれれば――」
「バカか」
実家に届いた郵便物の転送を頼むかのようなトールに、ウルヒアはストレートすぎる罵倒を加えた。
駄目らしい。
そうなると、ウルヒアが自ら届けに来るつもりだろう。王都に行けば、どちらにしろエルフの貴公子と相手をしなければならない。
それなら、最初からウルヒア一人に相手を限定したほうがましだ。
「来てもいいけど、すぐ帰れよ」
「僕だって、そんなに暇じゃない」
「えー。せっかくだから、神サマ観光もしたいなー」
「ん? 神?」
「まだ試作のルーンで、自分のことをエイルフィード神だと思い込んでいるアンドロイドになっちまったんだよ。神像をベースにしたのは、失敗だったな」
「……僕は構わないが、こっちに来るまでには矯正しておけよ」
「ああ。じゃあな」
それで、通信が切れた。
「はああぁ……。なんとかなったか……」
深呼吸をすると同時に、トールはカヤノのアホ毛をくるくると指先で巻く。みるみるうちにストレスが低減していくのを感じた。
その感触がくすぐったいのか。きゃっきゃとカヤノが嬉しそうにトールへ手を伸ばす。
「えへへ……。間違えちゃった」
「完全に計画犯じゃねえか」
だが、トールはそれ以上追及はしなかった。
まあ、そもそも閉じ込めておこうとしたことが間違いだったのだ。
「しかし、聖樹の実か。一口かじれば、寿命が百年延びるというではないか。もちろん、ご主人が食べるのだろう?」
「そうか。アルフィは知らないのか」
カヤノは例外だが、リンにもエイルフィード神にも動じた様子はない。
聞かないほうがいいのではないか。
アルフィエルの予感は、当たった。
「客人って、こっちに迷いこんだ時点で寿命が延びて老化も穏やかになるらしいぞ」
「そう……だった……のか……」
「こっちにきて二年ぐらいだから、まだ実感湧かないけどな」
淡々とどころか、本当になんでもないことのように言うトール。
アルフィエルは、気付いてしまった。すとんと、腑に落ちたと言ってもいいだろう。
トールが、故郷への執着を口にしながら、帰る素振りをまったく見せない理由に。
聞くべきではなかったかもしれない。
同時に、避けられない道でもあった
そして、アルフィエルは決意する。
「ご主人の故郷の味。自分が再現してみせるからな。絶対に、絶対にだ」
「いや、その辺の葛藤はとっくに終わってるんで、そんな頑張らなくても……期待してるよ」
あっさりと前言を翻すトール。
実際、カレーは楽しみではあるし。なにより、アルフィエルの気持ちをむげにはできなかった。
シリアス展開への前振りとか、そういうのではありません。




