第二話 これって客人(まろうど)語でストーカーってやつになる? ならない?
ジュビロ磐田がJ1残留したので、無事に投稿です。
「ぴやあぁぁぁっっっっ」
トールとカヤノが、リンとアルフィエルを見送ってから数分後。
得体の知れない声が、居間まで響き渡った。
「……悲鳴?」
「らー?」
悲鳴と呼ぶには、奇妙な。
しかし、悲鳴と表現するしかない声。
間違いなく、リンのものだろう。
アルフィエルがあんな声を出したとしたら……考えたくない。
とりあえず、リンの声であることは明らかなので、深刻な事態ではなさそうだということは分かる。
もし危険な状況だったら、悲鳴をあげる前に斬り捨てているはずだ。
それはそれとして、リンがトールのこと以外で奇声を上げるシチュエーションというのも、かなり不可解な状況ではあるわけだが。
「ネズミかなんかが紛れ込んできたか? でも、魔力の流れがな……。魔力を持ったネズミ? それはちょっとあれだな……」
「パー! イウ!」
パパ、行く!
なにかに気付いたかのように、突然。トールの腕の中で、カヤノが暴れ出した。
いつか風呂に連れて行こうとしたときとは違う、嫌がっての動きではない。
そのお陰で、考え事をしていてもカヤノを取り落とすことを免れた。
ただし、両手両足をばたばた動かしているので、バランスを取るのは難しい。大物を釣り上げたかのようだ。
「行くったって……。確かに、気になると言えば、気になるけど……」
「イウ! リン! ダメ!」
「リンが駄目って、どういう意味でなんだ。こんなとき、ケータイがあれば……」
トールは、携帯電話を欲していた。こんなに切実なのは王都で迷子になったとき以来だ。
もちろん、迷子になったのはリンだが。
「カヤノ。もしかして、心当たりがあるのか?」
「ラー!」
「……ええいっ。仕方がない」
安全だけを考えれば、地下へ行くのは下策もいいところ。
しかし、カヤノも大きくなって、ずっと抱き上げたままというのも難しい。正直、いつまでカヤノを抑えられるかは怪しいところ。
となえば、下手に暴れて一人で動かれるよりは、一緒に行動したほうがまし。
「カヤノ。地下に行くから、大人しくしてろよ!」
「ラー!」
トールは、カヤノをおんぶする形に背負い直した。
見た目よりも遥かに硬質な感触に、丸太でも背負っているような気分になる。
「二宮金次郎……」
「らー?」
「いや、あれは薪だったか」
実物を見たこともない銅像のことは意識の隅に追いやり、トールは自分の部屋へと向かった。
地下室への扉は、トールの部屋にある。
リンを4人ほど並べても、手と手が届かないほどの大木。その幹に手を触れると、地下への階段が姿を現す仕組みだ。
今回は、リンとアルフィエルが先行しているので木の虚から木製の階段を静かに降りていくだけでいい。
「カヤノ。勝手に動くなよ。絶対に、絶対だからな」
「ラー」
理解していることを伝えるかのように、背中から聞こえるカヤノの声はいつもより小さい。
それで不安が解消されたわけではないが、これ以上強調するのも、逆に前振りのようだ。
それに、階段はそんなに長くない。
途中、リンの奇声が追加で聞こえてくるようなこともなく、地下にたどり着いた。
最初の部屋は礼拝堂。
五と一の大神とその従属神たちの神像が並ぶ空間は、すでにルーンで明るく照らされていた。
そこで繰り広げられている光景の半分は、予想通りだった。
土下座。
リンは土下座していた。
それだけなら、特に珍しくはない。
ただ、その真剣さの度合いが違っていた。
もちろん、普段の土下座がいい加減というわけではない。リンは、一度として土下座をおろそかにしたことはない。常に全力だ。
だからそれは、100パーセントを超える120パーセント。
神の降臨に立ち会った敬虔なる信者が捧げる祈り、そのものだった。
そして、もう半分。予測していなかったのは、呆然と立ち尽くすアルフィエルと、その視線の先にいる金髪碧眼の美しい女性の存在。
「一体、どっから……」
完璧な造型。
そう表現するのは容易い。
しかしそれを現実の物とするのは、不可能だ。個人個人は異なる価値観を持ち、感じ方だって違う。
けれど、目の前の女性は、それを実現していた。
やや垂れ目がちな青い瞳は柔和で優しく、芸術神が手ずから描いた鼻梁はすっと通っている。腰まで伸びる髪は緩やかにウェーブを描き、まるで天に輝く星のよう。
肩がむき出しになった襟ぐりの深い群青のドレスは、それ自体がきらきらとして神秘的。スカートの丈は長く、暖かみのある色合いは彼女の魅力をこの上なく引き立てている。
首に巻かれたスカーフのお陰か、露出が多いはずだが、上品ですらあった。
花のように可憐で愛らしい唇から紡がれる声は、春のように明るく朗らか。
「ちょっと、ちょっとちょっと。トールくん、ぼーっとしてないで。リンちゃんのこと、どうにかしてくれないかなぁ?」
だが、内容は思わず脱力しそうになるもの。
「ご主人、知り合いなのか!?」
にもかかわらず、弾かれたようにアルフィエルが反応した。まるで、飢餓状態で天から食料が降ってきたかのような喜びよう。
「いや、全然知らないんだけど……。マジで誰?」
「えー? 神サマしょんぼり……」
不思議な一人称を操る美女が、露骨なぐらい分かりやすく肩を落とした。
「あー。でも、こっちが一方的に知ってるだけだもんね……。あれ? これって客人語でストーカーってやつになる? ならない?」
神サマを自称する美女が、腕を組んでしばし考え込む。アルフィエルを凌ぐサイズの胸が潰れ歪むが、それどころではなかった。
「うん! 全然オッケー。神サマ的には、問題なし!」
そして、悩みひとつない笑顔で断言した。
「あっ。カヤノっ」
その弛緩した空気で油断してしまった。
カヤノがトールの背中からするりと抜け出し、土下座を続けるリンの横を通って金髪碧眼の美女に頭からツッコんでいく。
「オバー!」
「おー。カヤノちゃんって名前なんだっけ? かーいーねー、カヤノっち」
「ラー!」
もう、なにがなんだか分からない。
トールは、ふと、祭壇に目をやった。
そのなかのひとつ。
地上にルーンをもたらしたとされる、慈悲深きエイルフィード。
太陽と天空の女神の像だけが、どこかへ消え失せていた。




