第一話 身長を頭のところで計るか、アホ毛の先で計るか。侃々諤々の議論をしたもんだぜ
「よし。いいぞ」
「ラー!」
壁にぴたりと背中を付けていたカヤノが弾かれたように離れると、振り返って満足そうにアホ毛を揺らした。
「パー! オッキイ!」
「ああ。今日は身長が伸びてるな」
「ついに来ましたか。一週間ぶりぐらいですね……」
隠れ家の居間。
棚が並んでいた壁の一角に、幾筋かの傷が穿たれている。
それは、成長を記した跡。
カヤノの身長を確認するのが、毎朝の習慣となっていた。
リンが言った通り、ここ一週間ほど成長はなかったが、今日になっていきなり2cm近くも身長が伸びている。成長期といっても、これは異常だろう。骨延長をしているわけではないのだ。
「ラー!」
しかし、カヤノは満足そうだ。
体を反らしてジャンプし、ワンピースの裾がまくれて健康的な膝小僧が露わになる。
「こら、カヤノ。はしたないぞ。嬉しいのは分かるがな」
「マー!」
アルフィエルに注意され、カヤノが唇をとがらせた。
男親からすると、そういうところもかわいい。
「それにしても、懐かしいな……」
柱の傷ではないが、壁の傷をなぞりながら、トールが感慨深げにつぶやく。
「身長を頭のところで計るか、アホ毛の先で計るか。侃々諤々の議論をしたもんだぜ」
「うむ。まだ二週間も経っていないはずだが、懐かしいものだな」
「子供の成長は早いもんだ」
トールは、穏やかな笑顔で何度かうなずいた。
そこには、カヤノの急成長に戸惑っていた過去は微塵も感じられない。
ただ、あるがままを受け入れていた。
それも、ある意味で当然の話。
この二週間、手を変え品を変え成長パターンを検証したのだが、まるで傾向が掴めなかったのだ。
穀物だと精神的に成長するのかと思って小麦を植えてみたが、そのときは特に成長はなかった。トウモロコシを植え直しても、同じだ。
最初と同じなら、また伸びるのか。
それとも、新しい品種を植えた方が成長するのか。
いろいろ試したが、分かったのは身長が伸びるときは、一気に伸びるということだけ。
まるで、経験点が溜まってレベルアップでもするかのように。
一方、喋り方はあまり変わらないが、語彙は増えているようだった。
結論としては……。
「肉体的にも、精神的にも、しっかりと成長している。それでいいじゃないか」
というところに落ち着いた。
だが、その成長を心から受け入れることができないエルフが一人いた。
「ううう……」
リンが、また少し大きくなったカヤノと、壁の傷を何度も見比べうめき声を上げる。
「カヤノちゃんが、私を追い越してしまいます。抜かれてしまいます」
「こればっかりは、個人差もあるしなぁ」
「でもだって、このままだと私がアルフィエルさんのように、ずばばばばーんとしたスタイルにはなれませんよ?」
そこは、エルフとダークエルフの種族的な違いがあるのではないだろうか。そもそも、カヤノの成長とリンの停滞は別問題である。
トールは訝しんだが、それが事実だとしても。いや、だからこそ、指摘しても始まらない。
「大丈夫だって。リンは、そのままで充分……なんだ、こう。可愛いから。な?」
「――分かりました! もう、私は成長しません!」
「いや、そういう意味でもないんだが……」
思い切りの良すぎるリンに、トールは苦笑した。
その後、リンの身長は1ミリたりとも伸びず、トールが責任を痛感するのは五年後のことである。
「マー! リン! ゲーキナタ?」
ママ。リンは元気になった?
「大丈夫だぞ。トゥイリンドウェン姫は、いつも元気だ」
心配をしていたらしいカヤノの問いかけに、ママと呼ばれたアルフィエルは無責任なぐらい無条件に肯定した。
なお、呼び名に関しては――
「ご主人がパパなら、トゥイリンドウェン姫がママであるべきなのではないだろうか」
――という指摘が為されたのだが。
「……でも、私はお母さんらしいことなにもしていませんよ?」
と、本人から正直な申告があったため、トールがパパで、アルフィエルがママ。そして、リンはリンということに落ち着いた。
それでも。
「カヤノちゃんにリンと呼ばれるのはいいのですが、聖樹様の苗木だと考えると畏れ多くて震えるんですけど」
「深く考えるのは止そう」
「はい! そうします!」
という、短い葛藤もあったのだが。
「さて。そろそろ朝食にしよう」
「ああ。今日は、農作業なしだしマンガでも描くか」
ちなみに、野菜採れすぎ問題は、意外な手段で一応の解決を見た。
意外というか、視野が狭くなっていたというか、思いついてみれば、非常に単純な手だったのだが。
「今朝はリゾットで……トールさん。地下ですね?」
「は? ここでどうして地下が?」
朝食に思いを馳せ、表情が緩んでいたリンが一変。トールから贈られた剣に手を掛け、露骨に周囲を警戒する。
いきなりの切り替わりに、アルフィエルはついていけない。
「ああ。なんか、感じた……な」
「どうしたのだ、ご主人、トゥイリンドウェン姫?」
「らー?」
カヤノも、不思議そうにアホ毛を傾げる。
「地下から、魔力の流れみたいなのが……。突然、現れた?」
「はい。魔力はよく分からないですが、下から気配がします」
簡単に信じられる内容ではないが、トールもリンも冗談を言っている様子はない。トールは半信半疑な様子だが、リンは確信している。
それが逆に、信憑性を高めていた。
「地下に侵入者ということなのか? どうやってかはさておき、狙われるような心当たりは……山のようにあるな」
「なにげに、重要人物が集まってるからなぁ」
心の中で、俺以外はと、トールは付け加える。
「分かった。いや、よく分からないが、ここは自分とトゥイリンドウェン姫で見に行くのがいいのではないか?」
「そうですね。トールさんは、カヤノちゃんとここで待っていてください」
「それも、どうなんだ?」
戦闘能力がないのは確かだが、ここで置いていかれるのは男としてどうなのか。
しかし、そんなこだわりをリンは一刀両断する。
「なにを言っているんですか。トールさんとカヤノちゃんが無事なら、それで私たちの勝ちです」
「そういうことだ」
先行するリン。
居間の棚に置いていたエイルフィードの弓を手にし、アルフィエルも後を追う。
「あ……。あまりにも格好良すぎて、黙って見送ってしまった」
「パー! シータナイ」
パパ、仕方ない。
ぱんぱんと足を叩かれカヤノに慰められ、トール頭を抱えそうになったが。
「いや、それどころじゃねえか」
「ラー!」
すぐに思考を切り替えて、カヤノを抱き上げた。
なにが来ても、最低限娘をかばうことができるように。
トールくんが予想以上に父性に目覚めて作者もびっくりです。




