第七話 俺は一人で引きこもるはずだったのでは?
「次は水道だ。といっても、どこかから水を引いてくるわけじゃないけどね」
たった今完成させた、コンロの横。調理台を挟んだ反対側に、流し台がある。そこに、ハンドル式の蛇口が備え付けられていた。
日本の家庭で、当たり前にある水道と、形自体は大差ない。
だが、全体に金メッキが施されており、高級感が前面に出ていた。新品だが、アンティークっぽい趣がある。
「職人さんに図を書いて依頼したんだけど、色とか仕上げまでは指定してなかったんだよな」
仮にも宮廷刻印術師からの依頼である。それはもちろん、高級に仕立てるはずだ……と気づいたのは、受け取ってから。
なにしろ、ルーンが長持ちするようエルフ銀――ミスラルで蛇口を作らせたのだから。
それを事前に隠れ家へ送って、大工職人にリフォームと同時に取り付けを依頼したのだ。
「うん、実用上は問題なさそうだ」
絶句するアルフィエルを余所に、トールは左右のハンドルを回して使い心地を確認する。当然、水もお湯も出ないが、ハンドルの回転に支障はない。
「変わった形してますね~」
「自分も、初めて見るな。水道ということは、ここから水が出るのか?」
アルフィエルも、興味津々と蛇口を覗き込んでいる。
「じゃあ、こっちも仕上げだ」
ハンドルを全開にしたところで、右側に《創水》のルーンを刻んだ。
縦書きで刻まれたルーンは、当然の帰結として、蛇口から水を流し出す。周囲の魔力を取り込み、それが枯渇するまで半永久的に。
「おうわっ。ご主人、水が出てきたぞ」
「そういうルーンだからな。アルフィは初めてだよな? 味見するか?」
「そうだな。味も見ておかねば」
アルフィエルは、メイド服が濡れないように気をつけながら、両手で《創水》の水を受け取り、口に運んだ。
「……美味いぞ、なんだこれは」
「水だよ」
「このお水でお料理を作るのも、美味しいですよ!」
「ふうむ。それは、腕が鳴るな」
ぴくりと耳を動かし、ダークエルフの少女が獲物を前にした獣のように笑う。
その直後、怪訝そうな表情に変わった。
「ご主人、水が流れっぱなしだぞ?」
「もったいないですよ、トールさん」
「ああ。だから、こうする」
ハンドルを反対側に回すと、《創水》のルーンが崩れた。文字は意味をなさなくなり、結果、徐々に水量は減っていき――水が止まった。
「……すごいな、ご主人」
「すごいです」
アルフィエルは、トールの発想と工夫に。
リンは、トール自身へ賞賛の言葉を贈った。
「水くみなんかしたくないからな」
敷地内に井戸はあるし、近くに川は流れているらしい。
しかし、都会っ子のトールにとっては、必要充分とは言えなかった。だいたい、雨が降ったら、どうするのか。家に引きこもれないではないか。
「そうだな。水くみ……は必要なさそうだが、雑事など自分に任せればいいのだ」
「あれー? それだと、俺がダメな人みたいに聞こえるんだけど?」
「トールさん、それより、もうひとつのほうはどうするんですか? 予備ですか?」
「ああ、こっちはお湯だよ」
リンに促される形で、反対側には《温水》のルーンを刻む。これも、トールのオリジナルルーンだ。
完成すると同時に、暖かな水が排水口へと流れ落ちていった。
「……便利すぎるな、ルーン」
「トールさん以外は、絶対にこんな使い方しません!」
「なるほど。それもそうか」
ルーンがすごいのではなく、トールがすごいのだ。
そう主張するリンに、アルフィエルも全面的に同意した。
恥ずかしくなって、トールは頬をぽりぽりとかく。
「……まあ、山奥で他に人がいないからできることだけどな」
ルーンはそれ自体力を持つが、継続的に効力を発揮するには、周辺の魔力を取り込み消費する必要がある。これは、術者本人の魔力を媒介にする精霊魔術などでも同じことだ。
そのため、無限に無制限に使い放題とはいかない。
もっとも、これは理論上の話でもある。
大気や大地に遍く存在している魔力が尽きるようなことは、通常はあり得ない。空が落ちるのを心配するようなものだ。
同時に、世界には魔力枯渇地帯が存在することも忘れるべきではないだろう。
コンロ程度なら、使用時間も限られるし、問題はないかもしれない。
だが、水道まで今の王都で普及したら、聖樹が枯れてしまいかねない。
神秘の技は秘匿し、慎重に用いるべし。
エルフに伝わる古き格言も、ゆえなきことではないのだ。
「というわけで、山奥で他に人がいないから、どんどんルーンを使っていくぞ」
トールが向かったのは、木製の箱だった。オーク材で作られており、高級な家具にも見える。
そのものとは言えないが、ここが台所であることと考え合わせれば、現代の地球人なら冷蔵庫だと推測できるに違いない。
扉を開くと、木箱には断熱材入りの金属箱が収められている。
トールは、Gペンで《冷蔵》のルーンを上側に。下の扉に《冷凍》のルーンを描く。
あとは、このまま冷気を行き渡らせたら、食材を入れるだけ。
「というわけで、食材を冷やして保存する冷蔵庫だ」
「もう驚きはしないが……ご主人、疑問がひとつある」
「聞こう」
「わざわざ冷やさなくとも、《防腐》のようなルーンを使ったほうが効率的ではないか?」
「甘いな、アルフィ」
「甘いですよ、アルフィエルさん」
「ぬぬぬ」
同時に否定され、アルフィエルが微妙にたじろいだ。
そこへ、リンが拳を握って主張する。
「プリン! かき氷! 冷蔵庫で寝かせてじっくり味が染みこんだ半熟煮玉子! 冷凍ミカン! どれもこれも、他にもいろいろ、冷蔵庫や冷凍庫がなければ生まれない料理があるのです!」
最後にばーんっと、勢いよく両手を広げ、リンが断言した。
味を思い出しているのか。それとも、トールとの楽しい食卓を回想しているのか。恍惚とした表情で。
「……ふっ。自分が浅慮だったようだ。謝罪しよう」
「まあ、そういうことだな。別に謝罪はいらないけど」
とはいえ、衛生面にもきちんと気を遣っていた。
まな板や包丁には《滅菌》のルーンを刻み、食中毒など起こらないよう気をつけている。食器類にも、同じことをするつもりだ。
「台所は、こんなところかな」
コンロ、水道、冷蔵庫。
ここまで現代化すれば、心置きなく引きこもり生活を送れるはず。
満足げなトールに、軽い調子でアルフィエルが問う。
「ところで、ご主人」
「なんだ?」
「結局、パンはどこで焼けばいいのだ?」
「……そういえば」
トールの落ち度というわけではない。
「米が手に入るから、土鍋で炊くつもりだったんだよなぁ」
食材のひとつとして小麦粉を用意していたが、自分で焼くスキルはない。ならば、土鍋で米を炊くほうが楽だ。パンが食べたければ、麓の村まで足を伸ばしてもいい。
そう考えて、かまどは用意しなかったのだ。
「オーブンをルーンで作るのは難しいよなぁ。でも、かまどがあれば、ピザとかも焼けるか……」
「ピザ!」
「知っているのか、トゥイリンドウェン姫?」
尋常ではない様子に、アルフィエルがリンの目を見て聞いた。
「丸くて赤くて、チーズがとろりとして美味しいやつです!」
「うむ。さっぱり分からん!」
今ので分かったらハンター試験も通過できるなと、トールは思った。
「ピザは分からぬが、ご主人さえ良ければ、外にでもかまどを作ることはできるが」
「アルフィが?」
「そうだ。自分の本職は創薬術だが、田舎で育ったのでな。それくらいはできる」
「ふーへー」
意味の分からない……というよりは、意味のない言葉でトールは驚きを表現する。
ルーンしかできない自分に比べて、多芸だなとトールは感心する。
「うむうむ。ご主人から、自分を頼ろうとするオーラを感じるぞ。もっと、もっとだ」
「ところで、一週間でできるもの?」
「……あ」
「とりあえず、保留で」
なし崩しの既成事実化を水際で阻止したトール。
だが、それだけでは終わらない。
「トールさんは、なんて慈悲深い。私などのために、ちゃんと役割を用意してくれるなんて。ありがたやありがたや」
両手をこすり合わせたリンが、台所の床にひざまずいていた。
トールは、「また始まった」程度の顔だが、まだまだ不慣れなアルフィエルは何事かと目を丸くしている。
「トゥイリンドウェン姫は、一体、なにを言っているのだ?」
「分かりませんか?」
「分かれというのか?」
「トールさんは、こうおっしゃっているのです」
神託を伝える巫女の如く、厳かに。
神秘性すらたたえて、エルフの末姫は言葉を紡ぐ。
「リン、毎朝、俺のためにパンを運んできてくれないか……と」
「……いや、言ってない」
言っていないが、こうなった以上、来るのだろう。
毎日。
グリフォンに乗って。
なら、こう考えることもできる。
毎日パンを運んでくる。
ということはつまり、リンは毎日家に帰る。こっちに泊まることはない。
なんとなく抜け道がありそうな気もするが……。
「おかしい。俺は一人で引きこもるはずだったのでは?」
これでは、ヒモとまでは言わないが、養われているだけではないか。
どうしてこうなったのかと、トールは訝しむ。
「……リンに出会ったのが原因か」
そして、あきらめの境地に至った。
ここからしばらく、今まで以上に、わりと平坦な展開が続きます。
作者としては、受け入れて頂けるか、かなりドキドキしています。
もし、「こういうのでいいんだよ、こういうので」と思った頂けましたら、感想をもらえると勇気付けられますので、よろしくお願いします。