第十話 お陰で、毎日が新鮮で楽しいのだから
「ご主人、トゥイリンドウェン姫。少し休憩にしよう」
「ああ……。言われてみると、腹が減ったな」
太陽の位置で昼を少し過ぎた頃だと確認したトールは、ぐっと背伸びをして腰を押さえた。
痛いわけではないが、屈んで白菜を収穫していたため、こわばりを感じる。ナイフで根元を切り取るという作業自体に慣れていなかったというのもあるかもしれない。
「ご飯ですか!」
「ラー!」
少し離れていた場所でジャガイモを掘り返していたリンと、それを興味津々で眺めていたカヤノが飛び上がって喜びを表現した。
そちらに視線をやってしまったため、獲物を狙う鷹のような瞳でアルフィエルが見つめていたことを、トールは知らない。
知らないほうが幸せかも知れないが……。
再びマッサージの獲物としてロックオンされたなど想像もせず、トールたちは休憩を取ることにした。
畑の側、庭と呼んでいい場所にシートを敷き、車座になって座る。
思わず、安堵のため息が出た。
「……なんかこう、農作業の合間の休憩って、なんかいいな」
「トールさんも、分かりますか!? そこが大事なんです!」
「いや、そこまで深い理解はしていないんだが」
「あああああっっっ。ごめんなさいごめんなさい。ちょっと自分のフィールドの話になったからって、喜んで共感を押しつけてしまって、ごめんなさいごめんなさい。気持ち悪くてごめんなさい」
「なんか、俺こそごめん」
乱高下するリンはともかく。
「簡単なものですまないが、良ければ食べてくれ」
アルフィエルがバスケットを開くと、トマトのサンドイッチが詰まっていた。王都で買った撥水紙で、ひとつひとつ綺麗にラッピングされている。
「手抜きなんて、とんでもないな」
トールだったら、絶対にラッピングなんてしない。思いつきもしない。
「ですです。ものすっごく美味しそうですよ!」
「ラー!」
あっさり復活したリンとカヤノも、今にもよだれをこぼしそうな態でバスケットをのぞき込んでいた。
「味には自信があるが、単品しか作る時間がなくてな」
ポットからレモネードを人数分注ぎながら、申し訳なさそうにアルフィエルが言う。
「見ているところが違うな」
「これが、できる大人……」
感心するトールとリンを差し置いて、カヤノが動いた。
「アー!」
「こら、先に手を拭くのだ」
だが、トマトサンドに触れる寸前、アルフィエルが手首の辺りを掴んだ。
「ナー!」
「駄目だ。それに、最初に食べるのはご主人からだぞ」
「え? そんなルールだったの?」
「それはもう、トールさんが家長なんですから」
「昭和か」
トールが生まれる遙か前には、そういう風習があったらしいと伝え聞いた記憶があるようなないような。
とにかく話も食事も進まないので、濡れた布巾で手を拭いてトールはサンドイッチをひとつ掴み取った。
パンはトーストされていて、よく見ればトマトもチーズを掛けて焼いてある。予想とは違ったが、トッピングのハムも大振りでそそられる。
「いただきます」
大きく口を開けてサンドイッチにかぶりつき、一気に半分ほどを咬み千切る。
「これは……」
トールが知るシンプルなトマトサンドとは、根本的に違う。まったくの別料理だ。
チーズの塩気とバルサミコ酢の酸味が調和し、焼いて旨味を増したトマトを引き立てている。
具はトマトだけでも成立するが、トールには、ハムが挟まっているのが嬉しい。人によってはハムをノイズと考えるかも知れないが、適度な肉は嬉しい。
「ああ、美味い。アルフィの料理に外れなしだな」
「感謝の極み」
畑で採れたレモンで作ったレモネードも、疲れた体に染み渡る。
「では、私もいただきます!」
「ラー!」
リンに続き、カヤノも喜んでかぶりついている。
特別に小さく作っているため、介助なしで食事が可能だ。
「やはり、素材がいいと美味しいな」
「思った通り、料理しても美味いトマトだったな」
「ああ。調理のし甲斐がある」
「こうなると、マヨネーズも欲しくなるよなぁ」
この焼きトマトサンドも美味い。非常に美味いが、トマトのぐちゅっとした種の部分とマヨネーズが混ざったところが大好物なトールとしては物足りなさも感じてしまう。
「マヨネーズ。確か、タマゴと酢と油を混ぜて作る調味料だったか」
「ああ、話したんだっけ? 確か、酢じゃなくてレモンの果汁でも作れるはずだ」
「それは好都合だな」
レモンなら、本当に売るほど生っている。レモネードだけで消費するのは、難しいぐらいだ。
「どうやって食べようか考えていると、収穫にも精が出るというものだな」
「現金だけど……それは否定しない」
「こんな美味しいサンドイッチが食べられるのなら、毎日でも頑張りますよ!」
「ラー!」
あっという間に自分たちの分を食べ尽くしたリンとカヤノが、その分働きますよと言わんばかりに、やる気を見せる。
「この分なら、なんとか終わりそうか……な?」
「そうだな。日が傾く前に、一段落つきそうだ。ご主人やトゥイリンドウェン姫が頑張ってくれたお陰だな」
「そんなっ。アルフィエルさんだって、収穫の他にご飯を作ったり。一番頑張ってるのは、アルフィエルさんじゃないですかっ」
「自分は、それが仕事だからな」
「なら、いい加減給料受け取ろう。な?」
「だが、断る」
断られてしまった。
「しかし、このくらいの広さでも収穫は結構大変なんだな」
「まあ、普通よりもちょっと。いや、かなりたくさん生っている気がしないでもないのだが……」
「生ってるんだな」
それは大変なはずだった。
収穫量が多いのはいいが、問題はその用途だ。
「キャベツは酢漬けにして、イチゴはジャムにするか。レモンは、皮をリモンチェッロにするとして……本当に、マヨネーズを量産すべきかもしれないな」
「リモンチェッロって、レモンのお酒だっけ……。イタリアでよく飲まれてるやつ」
イタリアを舞台にしたスーツを題材にしたマンガに出てきたので、名前だけは知っている。
なので、どんな味がするかまでは知らなかった。
実は、かなり度数が高いということも。
「いきなりたくさん獲れても、調理に困るよな」
「しかも、みんな食べ頃でしたからね!」
そのため、しばらく畑に残しておいて、後から収穫という手段もとれなかった。
例外は、外側の葉で包むことでしばらく畑に置いておける白菜ぐらいのもの。
「冷蔵庫を増やすか。それとも、納屋の一角に貯蔵庫でも作るか……。いや、地下室でも構わないか」
場所さえ確保できれば、そこはルーンでどうとでもできる。
「いっそ、たくさん食べられるようになるルーンを、自分たちに刻むというのはどうだろうか?」
「本末が転倒している」
問題解決にはなるが、そういう問題ではない。
「しかし、忙しくて、スローライフ感がゼロなんだけど」
「田舎の生活は、基本的に忙しいものだぞ」
「……言われてみると、そうか」
都会と違って、なんでも自分たちでやらなくてはならないのだ。本当の田舎生活なら農作業以外にもいろいろあるだろうし、都会のほうが便利に決まっている。
「と言っても、自分は田舎と言ったら本当の田舎の人間に怒られるような場所でしか暮らしていないが」
過去も現在も、山奥でしか生活したことのないアルフィエルが腰に手を当て胸を張って笑う。
「笑い事にしていいのか?」
「もちろんだ。お陰で、毎日が新鮮で楽しいのだから」
「お、おう」
ストレートな笑顔を向けられ、照れくさくなったトールはふっと視線を背けた。
その先で、ぽんっとリンが手を叩く。
「……あ。王宮しか知らない私も、同じなのでは? トールさんに世界を広げてもらった仲間でした!」
「場所は違えど、そう言われてみるとそうだな」
「はい! 私も毎日が新鮮で楽しいです!」
「ラー!」
前向きなリンたちに、トールは自然と笑顔になる。
異常事態は異常事態だったが、乗り越えられないわけではないし、なにより楽しかった。
だから、翌朝、本当の問題に遭遇することになるなど。
このときのトールたちは、想像もしていなかった。




