第九話 そんなことより収穫だ!
「いや、これは俺のせいだ……」
トールは、研究が不本意な形で悪用された科学者のように立ち尽くす。
「カヤノが、苗に声をかけたり、種を植えた土をバンバン叩いているとき、もっと警戒しておけば……」
「それは、いくらトールさんでも無理ですよ」
「うむ。ご主人、今はそんなことより収穫だ!」
「ラー!」
トールを慰めるリンと、前向きに事態を収拾しようとするアルフィエル。
役割分担ができていると言えば、できているが……。
「カヤノは、アルフィ側なのかよ」
釈然としないものがあるのは、確かだった。
「カヤノは反省し……ないか」
カヤノが悪いことをしているわけではない。
決して、悪いことではないのだ。
ただ、常識が異なるというか、通じないというか。そこが、問題なだけで。
「なるほど、常識……か」
「はい! この話は止めよう! 収穫だな、収穫」
この辺の話を突き詰めると、トールにもブーメランで返ってくる。自ら突き刺す趣味を持ち合わせていない以上、いずれすり合わせるほかに選択肢はなかった。
「とりあえず、クラテールたちは厩舎に戻っていいですよ。お水とかは、自分で飲んじゃってくださいね」
「自分は、納屋に行ってかごやはさみを取ってこよう」
「私もお手伝いします!」
「ラー!」
「まった。カヤノは、大人しくしてような」
これ以上、変な祝福でも振り撒かれたらトールには対処できない。自分で描いたセーラー服風ワンピースの襟を引いてカヤノを押しとどめ、そのまま抱き上げた。
「この服、普通に頑丈だな。素材はなんでできてるんだ?」
「らー?」
「分かるわけないよな。知ってた」
そうこうしているうちに、リンとアルフィエルが道具を持って戻ってくる。
籐のかごと、その中に入っている採取用のはさみ。そして、それを持つエルフとダークエルフ。表情は、いろいろあったが、収穫の喜びに溢れていた。
「……ほんとにエルフとダークエルフみたいだな」
「みたいではなく、そのものですよ!?」
「いや、イメージ通りって意味でさ」
牧歌的なファンタジーみたいだと言いたいだけで、今までエルフらしくなかったと思っていたわけではない。
しかし、この話題を続ける気もなかった。
「にしても、売るほどあるなこれは」
カヤノを降ろして道具を受け取ったトールは、改めて畑を眺めやる。最初からそうだったような気がしないでもないが、もはや家庭菜園の領域は越えていた。
立派に育ちすぎて、意識しないと柵で囲んだカヤノのベッドが隠れて見えないぐらいだ。
「いや、これだけなら、売るほどではないぞ」
「そうか? ああ。グリフォンとかユニコーンにもやればいいからな……」
グリーンスライムにお裾分けしても、いいだろう。
ただ、それでも限度はある。
「もっとも、このペースで収穫となったら、ご主人の言う通り売りに出す必要はありそうだが……」
「連作障害とかあるし、普通はそこまで連続で収穫なんかできないはずなんだよなぁ」
「普通……か」
「普通ならな……」
普通というのであれば、普通はこんな事態にならない。それ以前に、豊穣の鍬で起こした畑が普通であるはずがなかった。
しかし、将来のことを話していても、目の前の作物はなくならない。
「トールさん、アルフィエルさん! まず、どれから収穫します?」
「そうだな……。どれがいいと思う?」
「じ、自分に聞いているのか?」
この場で一番詳しいアルフィエルに視線が集まる。
だが、頼りにされたダークエルフのメイドは、耳につけたイヤリングをまさぐり、戸惑っていた。
珍しい反応に、さらに視線が集まる。
「正直、どれでもいいと思うのだが……まずは、あのトマトにしようか」
「じゃあ、そうするか」
収穫の難易度を考えれば、適切だろう。
全員で、トマトを植えたスペースへ移動し、いきなりはさみを入れる……ことはなく、実をまじまじと観察する。
「実ってるなぁ」
「ラー!」
「実ってますねぇ……。トマトは一日で実を付けるのに、私はっ!? 生まれてこの方十数年、一体なにをやっていたんでしょうって気分になりますね!」
「明るい自虐とか、器用なことやってるなぁ」
丸々として、触れたら皮が弾けそうなほど張った真っ赤なトマト。
リンの自己評価はともかく、トマトの実は完全に熟して、まさに食べ頃という雰囲気を漂わせていた。
それをはさみで切り離し、丁寧にかごへと入れていく。
その途中。
アルフィエルが、トールの顔をのぞき込んでくる。
「ご主人。試しに、食べてみないか?」
「それ、疑問じゃなくて提案だよな」
しかも、断れない類の。
珍しく子供っぽい表情で、期待感を隠そうともしないアルフィエル。そんなダークエルフのメイドからのおねだりを断れる男がいるだろうか。
「でもまあ、味見は必要だよな」
いるはずがなかった。
「では、ファーストバイトはご主人からということで」
「《翻訳》ルーンが変に働いてるんだよな? こっちにはウェディングケーキとかねえよな?」
リンが布で汚れを落としたトマトを受け取りながら、トールは確認した。
「…………」
「…………」
「…………」
リン、アルフィエル。そして、カヤノ。
しかし、誰からも返事はなかった。
「別に、初めての共同作業でもないけどさ……」
なんでもないことだと、トールはトマトに歯を立て……ようとして、不意に口を離した。
「これ、虫歯とか治ったらどうしよう……」
そんな心配が、ふとトールの脳裏をよぎる。虫歯でなければ、肩こりが治ったりでもいいのだが、そんな超常能力があったらどうすればいいのか。
もちろん、いいことだ。いいことだが、完全に世に出せなくなってしまう。
魔法がある世界でも、そんな食べ物はある種のチート。
馬車に乗って売りに行くことすら考えていたが、そんなことになったら痛手にもほどがある。
「どうか、そこまでとんでもじゃありませんように……」
覚悟を決めて、トールはトマトを一口かじった。
「……あっ」
甘さと酸味のバランスが絶妙だ。
塩やマヨネーズがなくても、そのままいける。瑞々しくて、新鮮そのもの。
フルーツのように甘いわけではないが、野菜としての美味しさに満ちあふれていた。
そして、寝不足の目から涙が滝のようにあふれてすっきりすることもない。
「……美味い」
「ラー!」
思わずといった調子でもらした言葉に、カヤノがその場で飛び上がって反応した。喜んでいるというよりは、してやったりといったところだろうか。
悔しいが、認めなくてはならない。
だが、やっぱり悔しいので、トールは仲間を増やすことにした。
「みんなも食べよう」
「はい! いただきます……って、うわわっ」
「おお……。これは……」
エルフとダークエルフ。
植物のスペシャリストと言える両者も、一口かじって驚きに目を丸くする。
「すごい。いや、すさまじい。とても、一日で実ったものとは思えないな……」
「こんなに美味しいトマト、食べたことありませんよ! ふあああぁっ。聖樹様ありがとうございます、ありがとうございます」
リンは思わずその場にひざまずいていた。
それは、感謝の祈り。
「ラー!」
くるしゅうないと、カヤノが胸を張る。
リンの土下座は、さらに角度が深くなる。
いつもの土下座とは違うため、トールも止めることはできなかった。できるのは、味の感想を口にすることだけ。
「それにしても、普通にめちゃくちゃ美味えな」
それでいて、単品で完成されているわけではない。
「サンドイッチにして食ったら、絶対美味いやつだろ、これ」
「パスタにしても美味しそうです」
「どちらもいいが、自分は煮込みで試してみたいな」
問題はいろいろあるが、美味しさの前には霞んでしまう。
作付けペースは、これから調整すればいいのだ。
「ふふふ。ご主人が素直に野菜を美味しいと言ってくれたのが、一番の収穫だな」
「大げさな」
「そんなことないですよ! これは、カヤノちゃんのお陰です」
「まったくだ。自分も、トゥイリンドウェン姫のように祈りと感謝を捧げなくてはならないな」
「止めよう。カヤノが真似したら、この国に住めなくなる」
それはかなりわりと真剣な問題だった。
育てた野菜で劇的に病気が治ったりはしませんが、食べてると健康になる程度の効果はあります。




