第八話 まさかそれはつまり、服を着ないほうが……?
「ラー!」
入り口のガラス板を取り外すと同時に、カヤノがテントの中から駆け出した。実は、ペグも打っていないので、テントはめくれば外に出ることができた。
それに気付かせず、出入り口がひとつだという先入観を与えられたのは、今後のことを考えたらとてもいいことだった。
トールが実家で飼っていた犬は、子犬の頃に使っていたケージ代わりの低い柵を、成犬になっても飛び越えようとしなかった。最初の刷り込みが大事なのだ。
セーラー服風のワンピースを見せつけるように、ユニコーンの間を走り回るカヤノ。
グリフォンは、リンの幼い頃を思い出しているかのような表情で、転ばないようにそれとなくサポートしていた。
「なるほど。これひとつあれば、旅先での衣装にあれこれ悩まなくて済むんですね。たぶん、どこかの王族が特別に注文したものではないでしょうか!」
「一点物か。でも、使うには画家が必要だろ? そいつに衣装鞄を持たせればそれで、いいよな」
「え? その画家さんは腕が何十本もあるんですか? あ、絵が描くスピードも上がりますよね。さすが、トールさんです」
「お、おう。王族のワードローブを甘く見てたわ……」
トールには、完全に理解できない世界だった。人は体がひとつしかないし、足も二本しかないのに。
ふとアルフィエルへ視線をやれば、ダークエルフのメイドも理解できないと首を振っている。やはり、リンはお姫さまなんだなと、目と目で語り合った。
「ところで、これはどれくらい保つのだ?」
「次の夜12時に元に戻る……らしいな」
なかなか、ロマンチックだ。まあ、下手に永続させるといろいろなところから抗議が来そうではあるが。
「戻る……ということは、元々着ていた服に戻るわけか」
「ああ。ま、今は旅行中でもないし、そろそろ片付けて――」
「ご主人。次は、トゥイリンドウェン姫の番だな?」
テントへと手を伸ばしたトールを遮るかのように、アルフィエルが横合いから言った。突然のことに、言われたリンも目を丸くしている。
「え? 私なんかが、そんな畏れ多いですよ! ここは、年齢順でアルフィエルさんのほうが」
「それ、順番が来たら、リンもやるって言ってるのと同じだからな?」
「なにをおかしなことを。当たり前だろう?」
「そうなの?」
リンなど、必要があれば王宮からいくらでも服を送ってもらえるだろう。わざわざ、素人が描いた服を着る必要などどこにもないのではないか。
「ええ……。私には、服を描いてくれないんですか。はっ、まさかそれはつまり、服を着ないほうが……?」
「家でな、家で。絵の具も、無限にあるわけじゃないんだから」
「そうか。絵の具も特別なのか?」
「いや、そこは、どうなんだろう……」
あとで説明書を読めば書いてあるだろうか。書き味は特別ではなかったので、魔具としての本体はアクリル板のようなガラスのほうだとしてもおかしくはない。
「まあ、そこはあとで《鑑定》すれば分かるか」
「もし絵の具が特殊だったら、そのときは、また、ここに取りに来なくてはならないな」
「魔法の絵の具がある前提での話は止めよう」
「では、ご主人はないと思うのか?」
「そりゃ、出てこないほうが驚くけどさぁ!?」
「ラー!」
突然叫び声をあげたトールに反応し、カヤノが笑顔で飛び上がる。驚いたわけではなく、ただそういうノリだったようだ。
「サッソクキタイドオリデ ウレシイカギリダ」
「黙れ愉快犯」
今回は珍しく長居しているグリーンスライムの端末にきつい言葉を投げかけながら、テントを片付け始める。
とりあえず、問題は後に回した。
「てっきり、また畑関係のが来ると思ったんだけどな」
ポールを外しながら、トールは端末に向かって言った。本音とも皮肉ともつかない、微妙なラインだ。
「ソレハモウ ヒツヨウナイダロウ」
「まあ、それもそうか」
すでに、豊穣の鍬がある。確かに、これ以上はオーバースペック。いや、ただでさえも聖樹の加護があるのだから、オーバーキルだ。
「現状、ただでさえも難易度イージーだもんな」
まさか、植物が病気にならないとは思わなかった。育てるのが難しい品種といっても、日本の農家にかかれば大したことがないように思える。
「あれぇ? おかしいですよ、トールさん! 開けたときはきっちり収まっていたのに、なぜか膨らんで鍵が閉まりませんよ?」
「なんという、スーツケースあるある……」
リンのSOSを受けて、トールが衣装鞄へと移動する。
そのせいで、グリーンスライムの端末が発した言葉の意味を、深く考えることをしなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……らー?」
隠れ家へ戻ってきたトールたちは、変わり果てた畑を見て絶句した。種や苗を植えたばかりの畑が荒らされても、ここまでではない。
それに、逆だった。
生い茂っていた。
葉が青々と生い茂っていた。
実も、なっていた。
美味しそうに、つやつやとしていた。
「ソレハモウ ヒツヨウナイダロウ」
つい先ほど聞いたばかりの言葉が過る。
「こんないきなり、芽が出るなんて……」
知っていたのだ、こうなっていることを。あのグリーンスライムは。
「いつまで経っても芽が出ないインディーズバンドに、悪いことしたな……」
特に、インディーズバンドに恨みがあるわけではない。
養われながら送り続けている文学青年でも、アシスタントを続けて次第に自分の作品を描かなくなってしまったマンガ家志望でも、急な撮影が入ってバイトに穴を開けてしまった売れない俳優でもなんでも構わない。
つまり、トールは完全に動揺していた。
「リン、アルフィ。聞くまでもないことを聞くけど……」
「聖樹の力はなんともいえないが、少なくとも霊樹の加護ではここまでのことはあり得ないぞ」
「聖樹様だって同じですよぅ! まさか一日で」
「そもそも、出かける前は、普通の畑だったしな……。いや、作物が実ってるのも、畑としては普通なんだが……」
確かに、事情を知らなければ当たり前の風景でしかないだろう。
それはともかく。
分かっていたことだが、聖樹の加護ではない。豊穣の鍬の効果だという可能性もあるが、《鑑定》の結果は、そこまでではなかった。
となると、犯人は一人。真実もひとつ。
「らー?」
アホ毛と一緒に可愛らしく体を傾けるカヤノが犯人と考えて、間違いなさそうだった。
グリーンスライムはなんでも知っている。
グリーンスライム「ナンデモデハナイ シッテイルコトダケ」




