第五話 さあ、ご主人。力を抜いて
「ふむ。なにやら、桃色の気配がするな」
一時間ほど後。
お茶を持ってトールの部屋を訪れたアルフィエルが見たのは、トールへ背中を向けているリンと、それをスケッチしている主人の姿だった。
ただし、トールとまったく同じ光景ではない。
リンがどんな表情をしているのか、しっかりと見えている。
その上での、『桃色の気配』だ。
「どういう気配だよ」
「味で言うと、甘酸っぱい」
「なぜよりによって味覚で例えたのか」
分かりやすいからと答えられたら反論できないので、トールは早々に話を打ち切ることにした。
「リン、ありがとう。お疲れ様」
「……あ、終わりですか? いえいえ、これくらいトールさんのお役に立てるのであれば、お安いご用ですよ!」
「なぜ、あっちを向いたまま土下座しているのか」
なぜかと言えばリンだからとしか言いようがないのだが、それでもツッコミを入れずにはいられなかった。疑問が多すぎる空間だ。
しかし、今さらと言えば今さらでもある。
「ほう。いろんなトゥイリンドウェン姫がいるな」
ダークエルフのメイドも、深追いはしない。
切り株のテーブルにお茶を並べながら、アルフィエルはトールのスケッチブックをのぞき込んだ。
そこには、正面、横、後ろ。4コマ風、少女マンガ系、劇画調など、リンが様々な絵柄で描かれていた。
「なるほど。これは、トゥイリンドウェン姫が、てれてれになるはずだ」
「わっ、私は、その……。普通でしたよ?」
土下座から戻ってきたリンが、冷たいお茶を一息で飲み干してから言った。まるで説得力はなかったが、見て見ぬ振りをする優しさがアルフィエルにはあった。
「こいつを使って、複写の魔具のテストをするんだ」
森そのものであるトールの部屋には浮いている、水晶の天板がはめ込まれた黒い箱。
傍らに置いたそれを見ながら、トールは説明する。
「つまり、このトゥイリンドウェン姫のバリエーションに富んだ絵が大量に複製されるわけか」
「いえ、その言い方は語弊がありますよ!? だいたい、私などが増えても資源の無駄使いと言いますか。いえ、むしろ実験としてボロ雑巾のように使い倒してくれたら本望です!」
「今、かなり激しいアップダウンしたな」
とりあえず、ひたすら落ちなかったことはいいことだ。
「ところで、ご主人。使い方は分かっているのか?」
「ウルヒアに確認済だよ」
その言葉を証明するかのように、トールはスケッチブックから1ページ切り離し、水晶の天板に伏せる。
そして、手前側にあるボタンを押すと、操作盤が空中に投影された。
SFっぽくて格好良い。
ちょっとご満悦で、トールは一枚複写するよう操作した。
リンとアルフィエルが固唾を飲んで見守る中、かこんと軽い音がして、反対側から紙が排出される。
特に激しい光がするでもない。トールが知るプリンター程度の動作。
「なんか、地味……。地味じゃないです?」
「そうだな。もっと、どわわーっとするものだと思っていた」
リンとアルフィエルは拍子抜けしたようだが、量産を考えると派手な音や光など困る。うざすぎる。
トールは続けて、横の天板にもスケッチブックから切り離したページを置いた。今度は、両面印刷で排出されるよう、設定を調整する。
それはきちんと働き、表にだけたくさんのリンが描かれた紙と、表裏の両面にもっとたくさんのリンが描かれた紙が出現した。
「……ふうむ」
その用紙を手に取り、トールはしげしげと眺める。
裏映りなどしていないし、綺麗に出力されている。ほんの一瞬で複写されたことを考えると、驚異的なテクノロジーと表現していいだろう。
「う~ん。これ、印刷というより、本当にコピーだな」
だが、印刷と呼ぶには綺麗すぎた。
あまりにも、そのままだ。
トールは出力された用紙を指先でなぞり、薄く汚れた指を見て苦笑する。
「どう違うのだ?」
「俺の世界の印刷だと、インクを使って転写するんだけど、これは魔法なのかなんなのか、同じ物を再現してる感じだな」
分かりにくい説明だと自覚しながらも、他に上手いたとえが見つからない。
「これは鉛筆……。この消しゴムで簡単に消せるペンで描いたんだけど」
そう言いつつ、トールは複写したほうの紙に消しゴムをかける。
すると、リンの笹穂型の耳の一部が、綺麗に消えた。
原本ではなく、コピーしたほうも同じように消えてしまった。
「俺が知る印刷の場合は、コピーしたらこんなことにならないんだよな」
「描かれていたものが、綺麗に消えたな。便利なものだ」
「違う。そっちじゃない」
とりあえず、行政文書には使いにくいだろう。
壊れた場合のバックアップがないというのもそうだが、同じ文書を本当に複製することになるので、悪用された場合のダメージが大きすぎる。
ウルヒアが使おうとしなかった理由も、理解できるというものだ。
「性能が良すぎるのも、逆に困りものというかなんというか」
「ご主人、自らのルーンのことを言っているのか?」
「ん? 俺は関係ないだろ」
なにを言っているのか分からないと、トールは複写の魔具を前に思考の海に沈む。
「これ、生原稿見られるようなもんだろ? プレッシャーぱないんだけど……。でも、他に大量印刷なんてやりようがないしな……」
「よし。ご主人」
そのまま潜っていきそうなトールの目の前で、アルフィエルはぽんっと手を叩いた。
「なんだよ、アルフィ」
「疲れただろう」
「は?」
有無を言わせず、アルフィエルはトールを仰向けに押し倒した。
混乱のまま、トールは下生えに頭を突っ込む。
「疲れていては、後ろ向きになるだけだ。さっき言った通りマッサージをしよう」
「いや、俺まだ若いんで……」
「さあ、ご主人。力を抜いて」
「なんか手つきがあやしい……。あやしくない?」
「気のせいだ」
根拠のない断言。
説得力はないが、勢いはある。
「トールさん、逃げては駄目ですよ」
「よりによって、リンに言われると思わなかった」
「もちろん時には逃げるのも兵法ですが、今はトールさんの体が第一ですから。もう、トールさん一人の体じゃないんですからね」
「それ、カヤノのことでいいんだよな? ……って、ああっっ……っっ」
あられもない声が、森の部屋に響き渡った。
この場にカヤノがいなくて良かった。
トールは、心からそう思った……らしい。
だが、このときのことをトールは決して語ろうとしなかったため、真相は心の迷宮の奥底に封印されてしまった。
総合評価5,000pt突破しました。
ありがとうございます。
たぶん、現時点で全体の半分ぐらいだと思いますが、
まだまだ続きますので引き続き応援よろしくお願いします。




