第四話 それは相手がトールさんではないですから
「こら、大人しくしろ!」
「ナー!」
リンとアルフィエルと入れ替わりに、風呂とへ向かおうとするトール。
カヤノを抱き上げ準備万端……と思いきや、新しいリアクションで、じたばたとトールの腕から抜け出そうしていた。
リビングで繰り広げられる、些細だが深刻で真剣な攻防。
「これは予想外な……」
本気の抵抗に、アルフィエルも驚いていた。
しかし、トールも引かない。日本人として、ここは譲れないところだ。
「なんで風呂だけそんなに嫌がるんだよ。ヒヤシンスを見習え」
「あの……トールさん……。水栽培は関係ないと思うんですが……」
いつになく強引なトールと、それを上回る抵抗を見せるカヤノに、リンも押され気味だ。
「なんか汚れたりしないみたいだけど、風呂にはちゃんと入らないと駄目だ」
「ナー!」
「分かりました」
先に風呂から上がり、やや頬を上気させたリンが真剣に言った。
「ここはトゥイリンドウェン・アマルセル=ダエアに免じて、矛をお収めください」
威厳のある凛とした声音。
それに聞き惚れている間に、エルフの末姫はすっと膝を折り、背筋を伸ばして座り、そのまま頭を下げた。
それはある種の芸術だった。
トールも、カヤノも。それから、傍観者であるはずのアルフィエルも。リンから目が離せない。
静謐を感じる。
つまり、静けさと、世界の安寧を。
「……らー」
最後はリンの土下座が決め手となり、カヤノは大人しく風呂へと連行された。
だが、大人しいのは、このときだけだった。
30分後。
いつもの白いワンピースを着て、カヤノは戻ってきた。
お湯をかけられても決してへこたれることのないアホ毛をぴこぴこさせ。
つまり、上機嫌で。
「……疲れただろう、ご主人」
「嫌がるのも大変だけど、はしゃぐのも大変だった……」
あれだけ嫌がったのに、とてもハッスルしたようだった。
というようなことがあり、昼食後にグリーンスライムのところへ出かける気にはならなかった。
すると、カヤノは、せっかく風呂に入ったのに早速畑へ飛び込んだ。夜を待つまでもなかった。
「……意味ねえなぁ」
「さすが、カヤノちゃんですね!」
アルフィエルは諸々の雑事を片付け。
残ったトールとリンは、二人きりになって引きこもることにした。
「あの……トールさん……?」
「…………」
「トールさん、その……」
「…………」
「じっと見つめられると困ると、言いますか……」
木漏れ日が注ぎ、そよ風に木々がさんざめく。
場所は森の中……ではなく、トールの部屋。
切り株のテーブルの向こう側に座るトールに見つめられ、リンはもじもじと顔を赤くする。
可愛らしいエルフの末姫の照れた顔は実に魅力的。
ペンを握るトールも、気合いが入るというものだが……。
「辛いです。土下座をこらえるのが」
「休憩にしようか」
モデルが限界に達してしまった。止むを得ない。リンに土下座を我慢させるなど、拷問に等しいのだから。
トールは強ばった体をほぐしつつ、書きかけのスケッチブックを切り株のテーブルに置いた。
一方のリンは、はふうと息を吐き。
「緊張しました……」
「なんで……」
その場に平伏した。まるで、許しを請うかのように。
日々の積み重ねを感じる、美しい動きだった。
カヤノ――聖樹の苗木すら、翻意させた実績は本物だ。
「ずっと我慢していましたので」
「土下座を?」
「それもありますが、トールさんにずっと見つめられていたので、顔を隠したかったんですよう!」
下生えに顔を突っ込んで額をぐりぐりしながら、リンが訴えた。
顔を見つめられるのが苦手だったとは、知らなかった。意外な弱点を聞き、トールは「へー」と感心してしまった。
「というか、前はモデルをしても平気じゃなかったか?」
「それはなんと言いますか、私の側の心境の変化であり、トールさんはなにも悪くないのです。ああっ、それなのに、私などのせいで作業の進行が止まってしまい申し訳ありません申し訳ありません。もう、いっそこのまま気絶するので、寝ているところを描くというのはいかがでしょうか!?」
「自在に気絶できるのかよ」
ツッコミを入れるべきところはそこではないはずだが、ツッコまざるを得なかった。さすがリンだ。
「というか、王族って、肖像画書かれたりしないのか?」
「しますけど、それは相手がトールさんではないですから」
「お、おう」
とんでもないカウンターを受け、トールは笑ってごまかした。まともには答えられない。そんなことをしたら、リンがどうなることか。土下座を通り越して、切腹しかねない。
「まあ、そんなリンの貴い犠牲もあって、複写の魔具の性能試験ができるわけだ」
そして、これはあくまでも必要な行為なのだと主張する。
「あれ? 絵も複写できるのではないんですか?」
「できるらしいな」
「じゃあ、前に描いた絵でも実験はできるのでは?」
「こう、書き味を変えたり、画風もちょっと変えて、どんな描き方が映えるか試したいんだよ」
「へー。そういうものなんですか……」
ようやく面を上げたリンが、心の底から感心した。
土下座は落ち着くが、できればトールとは顔を見合わせて話したいという気持ちもあるらしい。
「というわけで、休憩は終わりだ。もうちょっと頑張ってくれ」
「分かりました……でも、ひとつお願いがあります!」
勢い込んで手を挙げたリンに、トールは笑ってうなずいた。
「手頃な布で、目隠ししてもいいですか?」
「いや、ダメだろ」
「じゃ、じゃあ、せめて手で目を隠す感じではどうでしょう!?」
「もっとダメだろ!」
いかがわしいにもほどがある。リンにそういうのは、良くない。
否定するつもりは、絶対にないし、むしろ描ける人を尊敬しているぐらいだが。
トールが進みたいのは、そういう方向ではないのだ。
土下座が多すぎて、コピー機の実験までたどり着きませんでした。
リンが土下座するのて許してください。




