第三話 農薬ってなんですか?
「では、続けて簡単に区分けをしていこう」
「ああ。どこになにを植えたか分かるようにか」
「うむ。まあ、便宜上のものだがな」
ある程度スペースを空けないと、花粉が混ざったり地下で根が絡んだりするのではないか。それに、近くに植えると育ちが悪くなる野菜があるということも聞いた気がする。
トールは、疑問を感じたが、素人が口出ししても意味はないかと黙っていた。
「では、いきます!」
まず、リンが豊穣の鍬で畝の一部を崩し、そこに納屋にあったレンガのようなものでスペースを分けていく。
広い畑を区切りながら移動していると、中心のカヤノがその動きに伴ってくるりと動いた。
「そういや、動物が入ってこないように、柵とかいらないのか?」
「クラテールがいるので、大丈夫だと思いますよ!」
「そうだな。カヤノもいることだし、わざわざ近付いてくるまい」
「それもそうか」
グリフォン、リンを乗せて王都との往復がなくなっても仕事はあるようだ。
そうこうしているうちに、簡単な区分けは終了した。ようやく、植える作業が始まる。
「よし。じゃあ、どれからやる?」
今回植える野菜は、キャベツ、ジャガイモ、トマト、ハクサイ、リーキなど。果物は、イチゴやブルーベリー。レモンにオリーブも植えるつもりのようだ。
見事に、季節も気候もばらばらだ。
「せっかくだから、最初に購入したジャガイモがいいと思います!」
「じゃあ、そうするか」
リンの提案にうなずき、麻の袋から種芋を取り出す。
種芋は、すでに芽が出ている。手頃なサイズなので、切り分ける必要もなかった。
リンが豊穣の鍬で10センチぐらいの植え溝を掘り、狭い歩幅一歩分ぐらいの間隔で種芋を植えていった。
「そういえば、農薬とか肥料らしきものが見当たらないんだけど。まだ、納屋の中か?」
「肥料は必要ないだろう。豊穣の鍬で耕したのだからな」
「栄養のやりすぎになるか」
それがいけないことなのだろうとは、トールにも分かる。
「肥料は分かりますけど、農薬ってなんですか?」
しかし、リンの反応はトールにも分からなかった。
「え? 虫を追っ払ったりとか、病気にかからないようにするための薬……だと思う」
「ええっ? 植物って病気になるんですか!?」
「育ちのいい悪いや、育ちやすい環境はあっても、病気など聞いたことがないな。それでは、育たないのではないか?」
「聖樹パネェ……」
育てるのが難しいというのがあっても、病気になったりするわけではないらしい。大軍に区々たる戦術が必要ないように、いつ植えても元気に育つ祝福に農薬は不要なようだ。
「元気がないときは、水や肥料を多めにあげたりするらしいですけど」
「自力で治せてるのか。異世界やべえ」
もちろん、これが異世界流というわけではない。中原の人間諸国では、トールの目から見てもまともな農業が営まれている。
この話を続けてもコンセンサスは得られないと判断したトールは、立ち上がって腰を伸ばした。慣れない姿勢でいると、ちょっと辛い。
「ご主人、あとでマッサージをしよう」
「え?」
マッサージ。
アルフィエルが、マッサージ。
「なんとなく、身の危険を感じるフレーズなんだけど……」
「失礼な。ご主人に忘れられているような気がするが、自分は薬師だぞ。医療行為の一環だ。邪な気持ちは、ほとんどない」
「そこは完全に否定して欲しかった」
「無理だ」
自信満々に言い切られては、どうしようもない。
「では、私は……手が出せないので、横でトールさんのことを見守っています!」
「あ、もう。好きにしたら?」
ジャガイモは終わり、次はトマトだ。
「これまっすぐ植えるんじゃないのか?」
「横に倒すといいらしいぞ」
半信半疑だが、逆らうほどではない。トールは素直に、花が咲き始めたトマトの苗を、横に倒して植えた。それから、支柱を立てて苗を支えてやる。
「そういえば、グリフォンとユニコーンは仲良くやってるのか?」
「心配無用です。クラテールが、ユニコーンに先輩面していましたから!」
「先輩面」
まあ、先住民という意味では間違いではない。
グリフォンには、まとめ役として頑張ってもらいたい。
「ふむ。この調子で、家畜軍団も結成したいものだな」
「家畜軍団?」
「ここまで来たら、牛乳や卵も自家製にしたいではないか」
「ユニコーンに乗って買いに行ったほうが早い……けど、変な騒動になるだけだな」
当初想定していた引きこもりライフとは、だいぶ路線が変わってきた。目指していたのは庵での悠々自適な生活であって、決して村作りを目指していたわけではないのだが……。
今さらかと、トールは笑って流した。不満があるわけでもない。
牛やニワトリは、普通の品種であることを祈るだけ。
「家畜を増やすのはともかく、落ち着いたらグリーンスライムに引き合わせないとな」
間違って、カヤノやユニコーンが食べられないように。
そして、有用だが危険なアイテムが出てくるのだ。壊れたガチャから。
有機物は出てこないので、他の聖樹や霊樹の苗木が出てこないと断言できる。それはとても、素晴らしいことだった。後ろ向きに。
こうして、小一時間ほどで作業は終わった。
太陽は、まだ、中天に達していない。昼にもなっていないのに、トールは一日の仕事を終えたかのような充実感を憶えていた。
だが、数時間前までただの耕作予定地だったところが、今では待つ立派な畑になっている。
この光景を目にすれば、そんな感慨を抱くのも当然と言えた。
収穫の日が、今から楽しみだった。
「あとは、日々世話をするだけだ」
「水やりは、《創水》のルーンでどうにかするか」
「むむむ……。だが、助かる」
楽をしすぎているように感じたのだろうが、時間の短縮になるのは確か。忙しいアルフィエルは、感謝しつつ受け入れた。
「すまないが、先に風呂を使わせてもらう。交代でご主人が入っている間に、昼食の準備をしておくので許して欲しい」
「ああ、問題ないよ。先に使ってくれ」
「一緒でも、自分としては構わない――」
「却下だ、却下」
「そうだな。そういうことは、夜にすべきだな」
「よ、よよっよよよ。今夜ですか!?」
動揺しつつもやる気満々なリンの背中を押して、隠れ家へと追いやった。
残ったのは、トールとカヤノ。
「アー!」
「まるで、挨拶してるみたいだな」
ベッドから出てきたカヤノは、種を埋めた土をバンバンと叩いたり、作物の苗に何事か話しかけたりしていた。
まるで、ご近所に挨拶をしているかのようだ。
「いや、もしかしたら舎弟に上下関係を叩き込んでいるのかもしれないな」
カヤノの横でしゃがんで見守りながら、トールは、ふと気になったこと疑問を口にする。
「今晩は、また埋まりに行くのか?」
「アー!」
「行くのか……」
エッセイ漫画として、カヤノの育児日記でも書こうかと思っていたトールだったが。
さすがに、後世に残す蛮勇を持ち合わせてはいなかった。
エルフ驚異のメカニズム(植えたら育つ)。




