第六話 それは、トールさんに会うためですから
「元気に行って戻って来るんですよーーー!」
トールの物となった、山奥の隠れ家。王都から数百キロ離れた、アマルセル=ダエアの北の果て。
そこから、一頭のグリフォンが青い空へ飛び立っていった。
乗り手である、リンを置き去りにして。
「ご主人、あれは大丈夫……なのか?」
ツートンカラーのメイド服――サイズぴったり――を身につけたアルフィエルが、単独で空の向こうへ行くグリフォンを心配そうに見つめる。
人の言葉をある程度理解できるが、グリフォン自身は喋ることはできない。
それなのに、王都まで飛んで、彼女の服を取って戻って来るというのだから、当然の心配だろう。
「まあ、飛ぶだけならリンは要らないし。ちゃんと手紙も持たせてあるから」
「……承知した」
ダークエルフのメイドはこくりとうなずいた。
完全に払拭されたわけではないが、トールがそう言うのならば、疑う理由はない。
無条件の信頼を寄せるダークエルフの少女を、トールは、どうしたものかと見つめる。
体型も目立たず、トールからするとクラシカルでシックな装い。しかし、こちらの世界では最先端のファッションであり、薄着を至高とするアルフィエルも気に入っているようだった。
リンで耐性があるとはいえ、端的に言って美少女だ。
褐色銀髪美少女ダークエルフメイド。
一週間だけではあるが、褐色銀髪美少女ダークエルフメイドと、やっていけるのか。しかも、あの口調だ。ちょっと属性過積載ではないか。大丈夫なのか。
早まったかもしれないと自らの浅はかさを後悔していたところ、後ろから服の裾が引っ張られる。
「トールさん、トールさん。今後のことを考えると、グリフォン用の発着場が欲しいです」
リンだった。
「何度も来るつもりかよ……」
「ん? それはつまり、私も住んだほうがいいということですね?」
「用意しよう」
別にアルフィエルとの二人暮らしにこだわるつもりはないが、なし崩しにリンまで来られたら引きこもりライフが台無しだ。
いや、そもそも、アルフィエルとの同居もまだ確定していない。いないのだ。
「分かりやすく、『ぐりふぉん参上』とか地面に書いておくか」
「トールさん、それわたしが歓迎されてない雰囲気するんですけど!」
「気のせいだ」
「良かったです!」
あっさりと言いくるめられたリンが、若草色のワンピースの袖をまくって気合いを入れる。
「さあて、トールさん。お引っ越しの手伝いをしちゃいますよ。超やっちゃいますよ」
「それは、自分の仕事だな」
当たり前のように雑用を申し出た、エルフの末姫。
クラシカルなメイド服の裾をぶわっと広げながら、その前にダークエルフの少女が立ちふさがった。
「誰の仕事ということもありませんよ。ただ、トールさんのお役に立ちたいだけですから」
「なるほど。立派な心がけだ」
感心したように――実際、感心して――アルフィエルは何度かうなずいた。
リンの鼻が高くなりかけた、そのとき。
「であれば、それは即ち自分の仕事だ」
「むぐぐぐぐ……」
「…………」
「私だってトールさんには、返しきれないご恩があるんですから! ご恩には奉公って、トールさんも言ってました」
アルフィエルは無言で、リンはよく分かるような分からない主張で。
再び、両者の間に魔力の稲妻が飛び散った。
エルフとダークエルフが不干渉気味だったのは、顔を合わせれば反発し合うと分かっていた為なのだろうか。
再びバチバチとやり合う美しきエルフたちに、なんと声をかけるべきか。トールは肩をすくめる。
そもそもだ。
「いや、俺一人でできる……」
「トールさん」
「ご主人」
「……まずは、台所から始めようか」
作業効率を考えた結果、とりあえず、全員でやることにした。
トゥイリンドウェン・アマルセル=ダエア。
エルフの末姫にして現在の第一王位継承者は、トールやアルフィエルとともに、隠れ家の台所へ足を踏み入れた。
意気揚々。そして、意気軒昂。
仮にも王族である彼女は、台所で作業などしたことはない。というよりも、料理人からは入ってこないように懇願された記憶が蘇ってきた。
今までは、王族がそんな仕事をするものではないと諭されているのだと思っていたが、冷静に考えると、兄や姉は普通に使っていた気がする。
もしかすると、料理長から、向いていないと思われていたのかもしれない。
リンの心に影が差す……が、それはすぐに消え去った。
トールと一緒なのだ。
できない道理など、なにひとつとしてない。
「台所はざっと確認したが、かまどもないのに、どうにかできるものなのか?」
「俺が一人で使うつもりで設計したから、こっちの人には分かりにくいかな……」
「……憶えよう」
トールが、押しかけメイドに説明を始める。
リンは、一歩離れた場所から、二人の話を聞いていた。
本音で言えば割り込みたいところだが、邪魔になるのは本意ではない。こう見えて、待てる女なのだ。
「まずは、コンロからかな。《弱火》、《中火》、《強火》……っと」
調理台と一体化している、どっしりとした石造りの台。
元々《耐火》を刻んでいたそこへ、トールが異界のペン――再現を試みた職人も出来には感心していた――を振るった。
あっという間に、三脚がついた鉄製の輪の中心へ三種のルーンが刻まれる。いずれも、異界の文字を使った、トールのオリジナルルーンだ。
「そして、《着火》」
続けて細く長い鉄製の棒にも刻むと、トールはそれで台のルーンを軽くなぞる。
すると、強さの調整された火がルーンから踊った。
「これで、まずコンロが完成と」
「……ルーンって、こんなに簡単な技法だっただろうか?」
「こんなもんだろ?」
分かります分かりますと、リンは何度もうなずいた。
その顔には――
トールさんは常識がないのでフォローが大変なんです。いえ、それはそれでずっと一緒にいられるので悪くないのですが!
――と、書いてあった。
「合言葉だとなにかの拍子に点火しちゃうかもしれないから、この専用の棒でだけ発動するようにしたんで。同じ手順で、消すこともできるよ」
「火打ち石だけでなく、薪集めや細かい火加減の調節からも解放されることになるな……。これは、控えめに言っても革命だぞ、ご主人」
トールから《着火》の鉄棒を手渡され、消火と点火を何度か繰り返しながら、アルフィエルは呆然とつぶやいた。
「……そもそも、ルーンとは、このように融通が利く物だったか?」
「ルーンはエイルフィード神から授かったっていうけど、本質は言葉だ。言葉は変わる物だし、書道じゃないんだから、飾っておくようなもんでもないさ」
トールの言葉に、アルフィエルが愕然とした表情を浮かべる。
一方のリンは、ふふんっと、得意げだ。
トールさんは、すごいんです。
我が事のように胸を張る――ほどないが――リン。
「なぜ、リンがドヤ顔をしているのか」
「トールさんがすごいのが、すっごく嬉しいからですよ!」
それ以上に、黙っていても自分のことに気付いてくれるのが嬉しくて。
リンの相貌は、にへらっと勝手に笑顔を浮かべてしまう。無意識に、耳も動いていた。
「この仕組みを公開したら、巨万の富が得られるぞ」
当然の感想。
しかし、トールは顔をしかめた。
その理由が、リンには分かる。
「ふふんっ。分かっていませんね、アルフィエルさん」
「……ご主人のなにが分かっていないというのだ、トゥイリンドウェン姫?」
不本意そうな顔をするアルフィエルへ、リンは心持ち仰け反りながら代弁する。
「ルーンは便利ですけど、無条件に永続するものでもありませんよね? 普及はさせればさせただけ、その整備に手間が取られますから。トールさんは、絶対にやりたがりません!」
「ご主人自身ではなく、誰か他の者に任せて……いや、それでは駄目だな」
「そうです。最初に人材の育成が必要になりますから!」
「なるほど。納得した」
アルフィエルは、素直にうなずいた。
リンには分かった。
トールの専門家として、ダークエルフの少女から認められたのだ。
「なんか、そこで納得されるのは納得いかない的な?」
トールが反論するものの、受け入れられることはなかった。
「ところで、トールさん。私も、そのコンロ? を使ってみたいんですけど」
「リンがか……」
「だ、ダメですか? ダメですよね? あああああっ、私は、なんとあつかましいお願いをしてしまったのでしょうか!? ですよね、そうですよね。コンロを使いたいということは、料理をするということ。つまり、つまりはあぁっっ」
「背が足りない」
固まった。
エルフが、空気が。
「ご、ご主人。なにか踏み台のようなものがあれば、大丈夫なのではないか?」
「そ、そんな踏み台だなんて。なにかの上に立つだなんて、畏れ多い。地面から離れて生きるだなんて、私にはとても無理無理無理です。絶対に、自然と五体投地するに決まってますので」
「グリフォンには乗れるのにな……」
「それは、トールさんに会うためですから」
「お、おう」
今のは、かなり高ポイントだった……のだが。
リンにとっては当たり前すぎて、まったく気付いていなかった。
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