第一話 こう、トールさんのことを考えながら作っていたら、いつの間にかできてました!
今回から育成編になりますが、特に内容は変わりません。
引きこもりライフに、聖樹の苗木――カヤノが加わった翌日。
早くも、トールの日常に変化が訪れた。
「アー!」
「ぐはっ」
森のベッドで寝ていたトールが、苦しそうにうめいた。目を開くと、白いワンピースを着た緑色の髪の少女が、満面の笑みを浮かべている。
カヤノだ。
どうやら、ボディプレスを喰らったらしい。
そう瞬時に理解できたのは、トールが経験者だから。
けれど、リンも軽いがカヤノはもっと小さい。体は樹皮のようにごつごつしているものの、ダメージとしては、そこまでではなかった。
「これ、リンに教わったのか?」
「ラー!」
なにが楽しいのか、トールの胸の辺りを小さな手でペチペチ叩いて肯定する。
いっそ、キスで起こされたほうがマシではないだろうか。いや、そんなことはない。
「とりあえず、どこうか」
トールは、しょうきにもどった。
カヤノの脇に手を入れてベッドから下ろし、自身も起き上がる。
目をしばたたかせ、改めて緑色の少女を見つめた。
「ラー?」
部屋の中の森という、この環境。聖樹の苗木には、かなり相応しいように見えるし思える。
「というか、朝には土から出てくるんだな……」
昨日、王都から戻ってきた時にはすでに夕方だったが、カヤノは畑に埋まったまま出てこなかった。
疲れていたのか夕食も食べずに、寝てしまったのだ。
リンやアルフィエルは心配して、トールも含めて交代で夜まで側にいたが、結局、埋まったまま出てくることはなかった。自由だ。
とりあえず、しばらくは行動パターンを観察する必要があるだろう。
「どうせ埋まるんなら、外じゃなくてこの部屋で良くないか?」
「らー?」
「やっぱダメか」
本物の自然とは違うらしい。
あるいは、アルフィエルが耕した土が良かったのか。
外で埋まっているのは、多少。いや、大いに気になるのだが、この部屋を作った師匠、聖樹の苗木に拒否されてざまぁとも思うので、イーブン。いや、判定勝ちだ。
「まあ、成長するためなら、文句はないけどな」
大きくなるのもそうだが、言葉を憶えてくれたら嬉しい。今のままでは、少し不便だ。
「……言葉、憶えるよな?」
「らー?」
「だめだ。サンプルが少なすぎる」
聖樹の苗木を育てた経験者がいたら、是非パパ友になりたい。かなり切実だが、さすがに望み薄だろう。
「とりあえず、リビングに行くか」
「アー!」
やはり、言葉は分かるようだ。アホ毛をぴこぴこさせながら、カヤノが先に進んでいく。
その後ろ姿を眺めていたトールは、遅まきながらカヤノがまったく汚れていないことに気付く。
アルフィエルが洗ってやったのかもしれないが、服まで綺麗なのは不思議だ。もしかすると、聖樹の苗木の力で土では汚れない可能性が考えられる。
「どんな力だよ」
「らー?」
「いや、なんでもない」
知らないことだらけだなと思いながらリビングに顔を出すと、外から戻ってきたアルフィエルと出くわした。
外のかまどでパンを焼いていたのだろう。ダークエルフのメイドは、バゲットが何本か入ったかごを胸に抱えていた。
「お、起きたかご主人」
「起きたというか、起こされたというか……」
答えながら、トールは左右に首を振って辺りを見回す。カヤノも、一緒に首を振る。特に意味はない。
しかし、リンの姿はどこにも見当たらなかった。
「トゥイリンドウェン姫なら、台所だぞ」
「ああ、アルフィの手伝いをしてるのか」
「いや、今朝のシェフはトゥイリンドウェン姫だ」
「……リンって、料理できたんだっけ?」
こっちに来て手伝いはしているようだからまったくできないわけではないのだろうが、どうにも未知数だ。
不安というわけではないが、怪我でもしないか心配にはなる。
「大丈夫だ。愛は自分に負けず劣らずあるぞ」
「あえてそこを強調されると、地雷にしか感じられないんだけど」
冗談だと分かっていても、不安を煽られるトールとは対照的に。
「らー!」
カヤノは手を叩いて嬉しそうに笑っていた。
「この度は、大変僭越ながらこの不肖トゥイリンドウェン・アマルセル=ダエアが調理した朝食をお出しするということで、お集まりいただきまして誠にありがとうございます」
顔を洗ったりして身支度を調えた後。
トールがリビングへ戻ると、リンが土下座していた。
「ラー!」
「お集まりっていうか、普通に集まるよな?」
「とんでもないです。もう、私などの料理を食べていただけてトールさんの血となり肉となり活力となりエネルギーとなるなど、望外の喜びと言わずしてなんと言いましょう」
「分かった。緊張してるのか」
変な敬語になっている理由を、トールは端的に言い当てた。
「よくできていると思うぞ、トゥイリンドウェン姫も味見をしているだろう?」
そこに、湯気を上げる木の器を運んで来たアルフィエルが勇気づける。
しかし、相手はリン。一筋縄でいくはずもない。
「そんなっ。アルフィエルさんは、この私を信用しろと言うんですか!? そんなの、火山が爆発して、灰が空を覆って太陽の光が遮られ、動植物が死に絶えてもあり得ませんよ!」
「具体的に大惨事過ぎる」
そこは、天地がひっくり返ってぐらいでいいのではないだろうか。充分、大惨事だが。
「というわけで、トゥイリンドウェン姫が朝から作ってくれたのは、クリームシチューだ」
「あああっっ。まだ、心の準備が!?」
「それを待っていたら、冷めてしまうぞ」
「あ、じゃあ。しょうがないですね」
リンは、あっさりと立ち上がった。そこのところの道理はわきまえているらしい。
釈然としないが悪いことではないので、トールは朝食の席に着いた。釈然としないが。
「では、ご主人」
「ああ。いただきます」
ささっと準備をしてしまったアルフィエルに促され、トールが最初にスプーンを手にする。
その状態で、食卓に並ぶ朝食を見やる。
焼きたてのパン、クリームシチュー、それにトマトがメインのサラダ。品数は少ないが、どれも見た目は美味しそうだ。特に、木の器に盛られたシチューは名作劇場っぽさがあっていい。
トールは、そのシチューから口にする。
「……美味いじゃないか」
それは、無意識に発せられた。だからこそ、真に迫った言葉。
シチューは熱々で火傷しそうになるが、だからこそ美味い。とろっと濃厚で、ミルクの風味が感じられる。
具のジャガイモは、カヤノが選んで買った物だろう。ほとんど煮崩れしておらず、ほくほくして、味も濃い。
タマネギも甘く、角切りになった豚肉は食べ応えがあった。
「トールさんのお口に合って、こんなに嬉しいことはありません……」
「リンって、料理できたんだな」
「はいっ。こう、トールさんのことを考えながら作っていたら、いつの間にかできてました!」
「お、おう」
不穏すぎてリアクションに困るが、出来自体は非の打ち所がない。
「アー!」
アルフィエルに冷ましてもらいながらのカヤノも、口の周りを汚して一生懸命に食べている。
パンとの相性もいい。漬して食べると、いくらでも入っていく気がした。
なので、不穏な証言は忘れることにする。
「さて、トゥイリンドウェン姫の朝食で英気を養ったら、今日は作付けをしなくてはな」
カヤノの世話が一段落したアルフィエルが、この後の予定を口にした。
ちなみに、リンはトールが食べ終わるまで手を付けない気配だ。
「それ、俺も……」
「参加しなくても構わないが……」
「いや、やるよ。役には立たないと思うけどな」
引きこもりを自称しても、そこは社畜精神を持つトールだ。さすがに、農作業を任せてのほほんとしていられるほど、神経が太くなかった。
「それに、カヤノがまた埋まりにいくかもしれないしな」
その可能性があるのに二人に任せきりにすることは、さすがに良心が咎めるようだった。




