第十五話 でも、私がトールさんの人質になったとしたら、帰るつもりありませんよ?
「それで、このユニコーン馬車はどこへ向かってるんだ? 王宮か?」
カヤノのアホ毛をいじくりながら、トールは目の前のウルヒアに尋ねた。
「いえ、王宮が目的地なら、この速度だともう着いていないとおかしいですよ」
しかし、答えたのはエルフの貴公子ではなく、リンだった。窓のない馬車の外を透視するように、否定した根拠をあげていく。
「それに、方角も違います。最初に走り出した向きと角を曲がった回数からすると……。たぶん、北門へ向かっているはずです」
「……トゥイリンドウェン姫には、とんでもない特技があったのだな」
トールとカヤノ越しに、曲がった回数指折り数えて再確認するリンを、アルフィエルが驚いた表情で見つめる。
実際、普通に会話をしながらできることではない。
「護衛として、当然です」
「護衛なら、その前の段階でなんとかしなきゃ駄目なんじゃね? むしろ、人質としてのスキルっぽいけどな」
トールは、言ってから、エルフの末姫なら人質として申し分ないことに気づく。
「といっても、リンを拘束できるような相手は、想像もできないな……」
「いや、一人いる」
ウルヒアが、正面を指さした。
「トール、お前だ」
「俺かよ」
咄嗟に否定をしようとしたが……まったくできる要素がなかった。代わりに出てきたのは、あまり肯定したくない事実。
「考えようによっては、すでに俺へ人質に出されているようなものなんじゃないか?」
「でも、私がトールさんの人質になったとしたら、帰るつもりありませんよ?」
「それは、本当に人質なのだろうか」
すごい特技だが使い所がないせいで、人質の定義が局所的に乱れる。
「とりあえず、北門で正解だ」
リンの方向感覚のことはよく知っているウルヒアが、会話が一段落したところで肯定した。
「今日は、もう帰って構わない」
「構わないというか、帰れというか?」
「帰りたくないのであれば、王宮で晩餐会になるぞ。内々の集まりだがな」
「……実家に帰らせていただきます」
トールも、王家の面々は嫌いではない。
リンはさすがに例外だが、誰一人として偉ぶったところはないし、みんな人当たりもいい。転移してからこの方、嫌な思いをしたことはないと断言できる。
だが、それとこれとは話が別だ。
「ご主人、自分のことを気にしているのなら……」
「そういう部分がないわけじゃないが、それだけでもないんだ」
膝からずれ落ちそうになったカヤノの位置を修正しつつ、トールは心苦しそうに言った。
「アルフィ。まず、あの王様と王妃様を思い浮かべてみよう」
「あ、ああ……」
アグロノール王に関しては、ぐいぐい来るなという印象しかない。けれど、シアディス王妃には、こう、一瞬で上下関係を決められてしまったという想いがある。上下関係もなにも、最初から相手が上なのではあるが……。
「あの二人を相手しながら、同時にあの二人を相手にできるか?」
「文法的に間違っているのに、ものすごく分かりやすいぞ」
それは無理というものだった。
「そうですね。私も、ちょっとおすすめしません」
「トゥイリンドウェン姫が言うほどなのか?」
これには、アルフィエルも驚いた。
「お姉さま方の何人かは、トールさんを見る目がちょっとあやしい感じがするんですよね……」
「よし、帰ろう!」
ダークエルフのメイドは、即座に決断を下した。
神速だろうと拙速だろうと構わない。退却するときはスピードが命だ。
「そりゃ勘違いだと思うが、俺も戻ることには賛成だ。カヤノに、うちの環境を見せてやらないとな」
「ふっ」
「ウル、その冷笑やめろよ。意味深な上に、似合いすぎだ」
「特に、深い意味合いはないのだが……」
「なら、ますますやめろよ」
「まあ、いい。僕はトゥイリンドウェンを応援する身だからな。その結論に不満はない」
「ウルヒア兄さま……っっ」
「なにしろ、これ以上の優良物件が見つけられるとは思えない。全力でしがみつくべきだと、僕は思う」
「ですよね!」
他の姉妹なら結婚はどうとでもできるが、リンには無理。
そう言っているようにしか聞こえないし、実際にそう言っているのだが、リンは心の底から嬉しそうに同意した。
トール以上の相手はいない。
これは、絶対に間違いないのだから。
その時、がたんと馬車が震動する。
「舗装された道から出たみたいですね」
「つまり、もう、王都の外ということか」
「ウル、このまま馬車で帰ればいいのか?」
「いや、帰りもルフを用意している」
「なるほど」
そのために郊外へ向かったのかと、トールは納得した。
「アー?」
「お、起きたか」
「ラー!」
馬車の震動が引き金になったわけではないだろうが、トールの膝の上でカヤノが目を覚ました。
ぐずりもせず、むしろ、一眠りして元気いっぱいですらある。
好奇心旺盛にきょろきょろと周囲を見回すカヤノをあやすように、リンが声をかける。
「カヤノちゃん、これから私たちの家に帰りますよ」
「アー!」
「私たちの家……か」
「ん? ご主人、間違いはないはずだが」
「それはそうだけど……」
実態としては、正しい。トールとアルフィエルは同居しているし、リンの家もつながっている。
けれど、改めて言われると、どうにも考えさせられるフレーズだ。
一人で引きこもり生活を送るはずだったのに、いつの間にか家族が増えている。このなし崩し的展開は、どうなのか……と。
一番の問題は、それが嫌ではないこと。
……どうにも困る。
「ふふふ。その様子を見ると戸惑いが三に、心地好さが七といったところだな。トゥイリンドウェン姫、難攻不落の要塞が陥落する日も近そうだぞ」
「振り返ると、いろいろな思い出が蘇ってきますね……」
アルフィエルの見立てに、リンはしみじみと振り返る。
「楽しかった、王都散策! 一生懸命走った、野外演習! 哀しかった、お別れの日!」
「卒業式やめろ」
箱馬車の中で、トールの鋭いツッコミが放たれた。
そして、意味が分かっているのか、いないのか。全身全霊を賭けて後者であることを望むが、膝の上のカヤノがキャッキャと喜びアホ毛を揺らす。
「というか、俺は攻略されていた……?」
「もちろん。着々とな」
「アルフィエルさんとは、20年ぐらい掛けて、じっくり行こうって話をしていますよ!」
「エルフ時間こえぇ……」
トールのいないところで、リンとアルフィエルは、どんな話をしているのか。
知りたいような、知ったら後悔するような。知らなかったら、もっと後悔するような……。
その逡巡を見透かしたかのように、エルフの貴公子が億劫そうに口を開く。
「繰り返すが、僕はトゥイリンドウェンを応援する身だからな。状況に不満はない」
「ないのかよ。このままだと、アルフィも一緒だぞ?」
「分かっているさ。トゥイリンドウェン一人よりも、遥かに成功率は高い」
「さすが、ウルヒア兄さまですね!」
「成功率とか当てにならないぞ。特に、命中率一桁とか絶対信じちゃ駄目なやつだからな?」
トールがしみじみと実体験を語るが、あまり効果はなかった。
「らー?」
カヤノが、不思議そうにトールを振り返る。
ちょうどその時、ゆっくりと馬車が止まった。
いろんな意味で、家族公認。
逃げ場はありません。




